無視される男

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第1話

 最近、俺は無視されるようになった。

 原因は分からない。

 仲の良かった友達に「遊ぼう」と言っても、「遊ぼう」と返事してくれない。こだまは返ってこない。

 授業中、先生に指名されることも無くなった。これはちょっと嬉しいけど、俺の分のプリントが回ってこないのは辛い。

 俺に無償の愛を捧げてくれた母は、俺にご飯を作ってくれなくなった。お袋の味が恋しい。

 元々寡黙だった父は更に無口になり、俺と喋ることは全く無くなった。父の声を忘れそうになる。

 あと俺には妹がいる。超絶可愛い妹だ。小さい頃は「おにーちゃーん」と俺に懐いてくれていた。

 妹は他の人とは違って、俺のことを無視しない。今朝も洗面所で会ったら……。


『あ、妹ちゃん。おはよ――』

『まだいたの!? 目障りだから消えてよ!!』


 これは無視されるより凄く堪える。……お兄ちゃん、悲しい。


 こんな状態がもう、何日も続いている。もう、死のうかな……。

 授業そっちのけで、俺はそんなことを考えていた。


「先生ぇー! 俺、死のうと思うんですけど。首吊り自殺と入水自殺、どっちが良いと思いますかぁー?」


 先生に向かって馬鹿な質問してみる。別に本気で聞いているわけではない。どっちが良いかよりも、先生に「授業妨害するな」と怒られることを望んでいた。


「えー、それじゃあこの問題を……佐藤、やってみろ」


 見事にスルーされた。

 いたたまれなくなった俺は。教室を出ることにした。退室する時にも、誰も何も言わなかった。

 俺の脚は自然と屋上へと向かう。屋上の柵を越えて、飛び降り自殺するために。

 もう疲れた。家族や友達、学校一優しいと評判の購買のおばちゃんにさえ無視され、最愛の妹には罵倒される。こんな人生、もう嫌だ。


 俺の腹は決まった。今日、死のう。


 俺は屋上の扉を押し開ける。

 屋上には、先客がいた。長い髪を風になびかせながら、空を眺める一人の少女。

 そういえば、もう一人いた。妹以外に俺に話しかけてくれる人物が。


「また来たのね」


 俺の幼馴染の、立花アカネ。


「ああ」

「毎日授業サボタージュなんて、悪い奴」

「お前だってサボってるだろ。そんなんで大学行けるのか?」

「いいのよ。実家の家業継ぐから」


 こいつの実家って何屋だったかな。忘れた。


「なあ、アカネ……俺さ」

「なによ」


 俺は幼馴染に、死ぬ旨を伝えた。


「ふーん」


 彼女の返事はこれだけだった。


「え、それだけ? もっとこう、何か無いの? 『死なないで』とか『馬鹿なことは止めなさい』とかさ」

「死ナナイデー」

「わあ、すっげえ棒読み」

「……アンタさ、何か心残りとかある?」


 心残り?


「別に死ぬのはアンタの勝手だけどさ、化けて出られても迷惑だからね。死ぬ前にやり残したことが無いようにしなさい」


 俺は考えてみる。

 心残り……。やり残したこと……。


「死ぬ前に……」

「うん」

「童貞卒――」

「死ねっ!」


 言い終わる前に、一喝された。

「何だよ! 全男子の夢だぞ、馬鹿にすんな!!」

「それを聞かされてた私にどうしろと? アンタに初めてを捧げろと?」

「え、くれるの?」

「無理、不可能」


 ですよねー。


「じゃあさ、せめてデートしてくれ!」

「デート?」

「俺って、この歳まで女子と遊んだことないんだよ! だから死ぬ前にデートしたいんだ! 頼む、アカネ!」


 俺は土下座しそうな勢いで、幼馴染に頼み込む。他人が見たら異様な光景だろう。


「いいわよ」


 そうだよな、ダメだよな……。


 え?


「今なんて……」

「オーケーって言ったの。二度も言わせないで」


 意外だった。俺は呆気に取られる。


「なにマヌケな顔してんのよ。それで、どこへ行くの?」

「え、あ、じゃあ映画とか?」

「映画ね」


 そう言うとアカネはスマホを弄り始めた。


「一時から恋愛映画があるわ。それでいい?」

「あ、ああ」

「それじゃあ行きましょう」

「え? 今から行くの? 授業は?」

「私は進学しないし、アンタは皆から無視されるんでしょ。居ても居なくても同じよ。ほら、行くわよ」


 彼女はそそくさと歩き出す。俺は少し迷ったけど、アカネの言う通りだという結論に達し、その後ろ姿を追った。






「映画、そこそこ良かったわね」

「ああ、そうだな」


 恋愛映画なんてあまり見ないけど、なかなか面白かった。パンフレットを買おうかなと思ったけど、やめておいた。販売店員に無視されるのが怖い。ちなみにチケットはアカネが買った。


「じゃあ次はどこ行く?」

「えっと、カラオケ……とか?」

「いいわね、カラオケ。行きましょう」






 その後、ゲーセン、バッティングセンター、博物館と、町内を一周した。

 そして一周して……。


「戻ってきたな」


 俺とアカネは学校の屋上に戻ってきていた。日は地平線に沈みかけていた。もう残っている生徒もいない。


「満足した?」


 アカネが俺に聞いてくる。


「ああ」


 楽しかったよ。久しぶりに人と会話できたしな。アカネには感謝しても仕切れない。


「一応聞くけど、考え直す気は無いの?」

「ああ。きっと家に帰っても両親に無視されて妹には罵倒されるだろう。そうなったらまた悲しい気持ちになる。……どうせ死ぬのなら、この楽しい気持ちのまま死にたい」


 俺は屋上の柵を登る。


「そう」

「ありがとう、アカネ。俺のわがまま聞いてくれて」

「感謝の言葉は良いわよ。……アンタの最期、見取った方が良い?」


 俺は首を横に振る。


「幼馴染に最期を見せ付けたら、閻魔大王に地獄へ落とされるからな」

「安心しなさい。自殺なんてする人間はどの道地獄行き決定よ」

「それもそうだな」


 俺達は小さく笑い合う。やっぱ、コイツといると楽しいわ。こいつと話せて良かった。


「……それじゃあ、私は行くわ」

「ああ。ありがとな」


 アカネは屋上を去った。

 俺一人だけが残される。


「……さて、俺も行きますか」


 俺は両手を広げて、屋上から飛び降りた。






 どういうことだ?

 俺は確かに屋上から飛び降りた。今は校庭にいるのだからそれは間違いない。

 なのに何故か生きている。痛みも無い。血も出てない。


「どうして……」

「どうやら、失敗したみたいね」


 俺の背後からアカネが話しかけてきた。


「失敗って。どういうことだアカネ! 俺は一体……」


 アカネは少し間を置いて、そして口を開いた。


「アンタはね、とっくに死んでるのよ。一ヶ月前に交通事故で」


 俺にかつてないほど衝撃が走る。

 開いた口が塞がらない俺をそのままに、アカネは話を続ける。


「アンタは自分が無視されていると思ってたけど、実際は違うわ。本当は皆、見えてなかったのよ、アンタのことが。当然よね、幽霊なんだから」

「ちょ、ちょっと待て! 俺はお前とこうして話しているぞ!」

「……アンタ、私の実家が何か忘れたの?」

「え」

「寺よ。つまり私は巫女さん。だからアンタの姿も見えるし、声も聞こえる」

「で、でも妹ちゃんも……」

「その妹ちゃんに頼まれたのよ。兄の霊が彷徨っているから、成仏させてあげてくださいって」


 俺はショックで、その場に座り込む。


「最初は強制成仏しようと思ったんだけど、幼馴染のよしみでアンタの未練を断ってあげることにしたの。失敗しちゃったけどね」

「なあ、一つ聞いてもいいか?」


 俺は俯いたまま、アカネに尋ねる。


「一ヶ月前……俺が死んだ時さ、皆どんな反応してた?」

「……皆泣いてたわよ。おじさんもおばさんも妹ちゃんも、アンタの友達や先生も。妹ちゃんは葬式中ずっと泣いていたわ」

「……そっか」


 アカネの言葉を聞いて、自然と目から雫がポロポロと落ちていた。


「よかった……。俺、皆に嫌われていたんじゃなかったんだな。皆、見えてなかっただけだったんだな……」


 俺は安堵する。本当に良かった。母さんも父さんも妹ちゃんも友達も、俺のことを大事に思ってくれてたんだ。


「アカネ、最期に頼んでもいいか?」

「……」

「お前の手で、俺を成仏させてくれないか?」

「……分かったわ」


 アカネは俺にゆっくりと近づき、俺の頭に手を置く


「――」


 アカネがお経のようなものを唱える。何と言っているかは聞き取れなかった。けど、これを聞いていると心が温かくなる。ポカポカと温かくなる。

 身体が宙に浮くような感覚。

 やがて俺の意識は途絶え、この世から消えた。

「……」






「無事に依頼は果たしました。これでもう大丈夫」

「ありがとうございます。……兄は、天国に行けるでしょうか?」

「大丈夫、ちゃんと天国に行けるように祈っておいたから」

「良かった……。これ、少ないですけど」

「……いらないわ」

「え? でも、兄とのデート代とかで、お金使ったんじゃ……」

「良いのよ。これが私にとって初仕事だから。開業記念サービスってやつよ」

「だけど……」

「それにね、妹ちゃん」

「?」

「……好きな男と一緒に過ごせたのよ。デート代くらい安いもんよ」

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