参・勝つか負けるかは時の運

 ――よう、坊。今日は何しようか。

 ――俺と勝負しろ。

 ――そうかい、りないヤツじゃのう。

 その鬼は、鬼と言うには物足りず、腑抜けのツラだった。

 森の奥にある洞穴に置き去りにされた子供は幼かった。数えで五つくらい。道理など知らない。無知故に、己が生贄とされたことに気づかず、無謀にも鬼へ勝負を挑んだ。

 その子供は孤児みなしごだった。赤ん坊の頃、戦に巻き込まれ、親とはぐれてしまったという。それから同じ境遇の子供らと一緒に育った。

 乱暴で聞かん坊、すばしっこく、喧嘩っ早い。手がつけられないこの暴れん坊を村人は疎んだ。

 鬼はこれを知っていた。知っていたのだが、あまりの暴れん坊故に食う気が失せたらしかったのは後々聞いた。そうして気まぐれに生かされ、鬼との取っ組み合いに明け暮れて育ったその子供は村人に見つかり、連れ戻された。

 生贄が生きている。これに村は憤った。不作と戦争、悪い時代の流れは人を残酷にするものだ。

 戻るなり暴行を受け、柱に縛り付けられ、それから延々と、まるで呪詛のごとく言い聞かされた。「鬼をて」と。

「あの鬼はお前を食おうとしている」

「あの鬼は村を壊そうとしている」

「あの鬼は人間に悪いものを呼び寄せている」

「あの鬼を生かしておけば、村が滅んでしまう」

「あの鬼は邪悪な生き物だ。化け物だ」

「鬼を討て、ぜん。お前が討つのだ」

 そこに意思はいらない。

 討たねばならない。

 そうすれば、村はお前を許すだろう――

 鬼を討つことだけを刷り込まれた。こびりつき染み付いた言霊はそうそう離れてはくれない。切り替えが悪い。考えるよりも動くほうが早い。

「鬼殺し」と言われ始めたのはその頃だったろう。狂気に取り憑かれ、気がつけば血溜まりに佇んでいる。そんな日々を繰り返し、繰り返し。

 事切れた鬼の首を見つめて我にかえると、ぼやけた頭で自問自答をするのだ。

 あの日、己が目で見たものは真か、偽りか。

 果たして、鬼はどちらだろうか。


 ***


 汽車を降り、川を渡って麓を歩く。山道は暗くも、整備された道は歩きやすい。石と煉瓦れんがが積まれたトンネルをくぐり抜ければ、真四角の都が見えてきた。

 白い月夜の晩。鬼が来るまでにはまだ幾分か猶予がある。

 岩蕗は軽々と猿蔵のあとに続いて先を歩いた。その後ろを仁科と登志世がノロノロとついてくる。

「なんだ、お前たち。もうへばったのか。だらしねぇなぁ」

「岩蕗さんこそ、歩く度に元気になってる気がしますよ……どういうことなの」

 登志世の声がぐったりとしている。確かに、半日も動き回れば体は疲弊する。しかし、仕事をするにはこれくらいの運動量はこなしてもらわないと困る。

「登志世、お前さんが言い出したことだろう? だったら、つべこべ言わずに前見て歩け。いいか、お前たち、本番はこっからだ」

「なにさ。行く前は散々嫌がってたくせに」

「なんか言ったかい?」

「い、いいえ! なんにも!」

 慌てふためく登志世は、やり場のない感情をどうしたものかと悩んだ挙げ句、仁科のスネを蹴った。理不尽な腹いせだ。カツンと骨が当たる音を聞きながら、岩蕗はやれやれと溜息を吐いた。

 引き取った時は碌に話さないし泣いてばかりで、こともあったが、それが今では軽口を叩いたり、不貞腐ふてくされたりと表情が豊かになってきた。生来のものだろうが、仁科とはまた違った意味で面倒である。

 岩蕗は気を取り直して、前方だけをまっすぐに見た。今はガキのお守りをしている場合ではなかった。

 先ほどから、妙に気が昂ぶっている。いつからだったか、普段なら思い出すこともないのに、一歩ずつ近づくにつれて、あれやこれやと記憶の断片が過ぎっていく。

 民家が遠のき、人気のない道に入ったところで、岩蕗は渋い声で言った。

「……お前さんらに、一つ、言っておかんとならんな」

 歩きながら話をする。これに猿蔵はチラリと後ろを振り返るだけだったが、登志世と仁科は揃って眉をひそめて岩蕗の背を見た。

「今から俺たちがやるのは『鬼退治』だ。鬼をぶっ殺すんだ。その光景はおぞましく、残酷だ。それに耐えられるように修練せにゃならん。今のうちに、よく肝に銘じておけ」

 この忠告がどこまで有効かは分からない。仁科はともかく、登志世も妖を知っているが、ただそれだけだ。

「返事は?」

 ギロリと背後を睨む。すると、登志世はやはり頬を引きつらせていた。小さな声で「はい」と言う。仁科は溜息だけで返事をした。心配は尽きないが、いざとなったら仁科が登志世を連れて逃げるだろう。

 前を向くと、猿蔵も額に皺をつくって渋面のまま様子を窺っていた。

「岩蕗殿――」

「なんだい」

「いえ、その……何やら、先ほどから岩蕗殿のが変わっているように見受けられるのですが」

 さすがに察しがいい。岩蕗は不敵に笑った。

「そりゃあ、鬼を相手にすんだからよ。相手はバケモンだぜ。気も張るさ」

 それに、向こうも気配を匂わせている。肌を突き刺す痺れにも似た感覚が脳髄を刺激した。

 風が凪ぐ。足音は地表に吸い込まれていく。心なしか空気が薄い。だが、それがいい。

 目が暗さに慣れると、視界が澄み渡るようだった。鼻の感度も良好。悪くない。準備は万端だ。

「――こちらでございます」

 猿蔵が息を潜めて言う。言われずとも、視界の先には大門がそびえている。猿蔵が素早く行き、門の前まで誘導した。その後を岩蕗たちは黙ったままでついていく。

「ほぉ。立派なもんだ」

 重厚で上質な門がそびえ立つ。しっかりとした本柱の上には堂々たる屋根があり、濃い色の蓑甲みのこうと頂点には五芒星ごぼうせいがあしらわれた鬼板おにいた。塀で囲まれたその先を見ることはできず、猫一匹通さないとばかりに密閉されていた。

「我が主の屋敷はこの門の奥にございます。ここは屋敷の端に位置する西門です」

「どうしても西に門を構えなきゃならん理由があったのかねぇ」

 岩蕗は眉をひそめて言った。そして、空を見上げる。雲間から覗く欠けた月。その位置からここが確かに西側であることが分かる。

「陰陽師なら北と西は避けるだろう。ここは陰の力が強い」

 濃厚な負の気が充満している夜だ。古来より北と西は陰の気を持つとされる。方角にうるさい陰陽師が、どうしてわざわざ西側に門を構える必要があったのだろうか。

 岩蕗は門の前に腰を落とした。どっかりと座り込む。その横に猿蔵も鎮座した。登志世と仁科は目の前を突っ立ったまま。

「お前たちは俺の後ろにれ。何かありゃ、この猿蔵が守ってくれるさ」

「岩蕗さんは守ってくれないんですか?」

 登志世が両目を瞬かせて訊いた。間抜けな問いに呆れ、張り巡らせた気が緩みそうになる。

「こいつを練習だと思って、ある程度は身を守ってみせろ。お前さんは特に修練せにゃならん」

「そう、ですね……」

「何だい、怖気付いたのかい。行く前までは散々やる気があったくせに。しょうもねぇな」

 すっかり意気消沈した登志世の頭をひっぱたく。その素早さに身構えられなかった登志世は地面に崩れてうずくまった。

「おい、仁。この腑抜けが逃げ出さんように見張っとけよ。お前の仕事はそれだ。分かったな」

 隣でぼんやりと佇む仁科に言うも、彼は鼻息を返すだけ。会話をする気がない。ここまで濃厚な負の気を浴びながらも眠たそうな表情は変わらず、覇気がなかった。

 先ほどから風は止んでいる。

 するとふいに、仁科の顔が道の先を向いた。同時に、登志世も岩蕗も同じ方向を見やった。猿蔵はしゃっきり立ち上がり、あわあわと口を震わせた。

 重くだるい妖気が酒の匂いに混じって空気を伝っていく。徐々に波を作り、それはやがて一陣の風と変わった。激風を浴び、岩蕗をはじめ全員が腕を上げた。

「まさか。もう来たというのか。まだ鐘が鳴っていないのに」

 信じられないとばかりに甲高く声を上げる猿蔵。風を受けながらも岩蕗は、懐から刀を出した。

「どうやらせっかちな野郎らしいな。丑の刻にはまだ早いぜ」

「えぇ、そうですとも。やはり、今までの鬼とは違うようですな」

 雲間から月が顔を出し、門を照らす。五芒星の金が光に当たり、道の向こうにいる大きな姿を捉えた。地をふるわす足音。それに驚く野鳥らがバサバサと羽音をはためかせて空の彼方へ飛んでいく。その様子を仁科だけが目で追いかけていたが、全員の目は真っ直ぐに前だけを見つめている。

 岩蕗は鼻の穴を開いた。脈拍が速く、抑えていた衝動が今か今かと唸りを上げるよう。血が騒ぐと言うのはこのことだろう。久しぶりの妖退治にここまで気が張るとは、つい最近まで気がつかなかった。

 鬼の首を抉った感触が、脈を打ちつけて思い出す。たぎる熱、巡る記憶に手がぶるぶる震える。

「はは。武者震いしてやがる」

「えっ?」

 傍で登志世の息を飲む音がしたが、構っている余裕はない。

 鬼の隆々とした足が一歩、影の中から出てきた。筋肉質な体を薄い着物で覆っている。手には瓢箪ひょうたんのような酒壺。長く反り返った二本の角。そして、顔に貼り付けた

 。それに、よくだ。

 ――よう、坊。

 すぐそばで声が聞こえてくる。

 ――坊、今日は何をしようか。

 鬼面の鬼が笑う。豪快に笑い、そして、大きな掌をかざしてくる。そんな記憶が思い起こされる。能天気に笑い、まるで遊びにでも誘うかつてのを思い出してしまう。捨てたはずの優しい記憶が今では足枷あしかせとなり、そしてかてとして己の中で息づいているのだ。

 ――飲まれるな。今は、まだ。

 タガを外せば何をするか分からない。

 震える手を押さえつけ、斬りつけようと昂ぶる衝動を押さえつけ、刀を懐に仕舞う。まずは話し合いだ。向こうが話に応じなければ問答無用で斬ればいい……

「あら、美味しそうな子。可愛い首。こいつは、食ってもいいかねぇ?」

 傍にみすぼらしい成りの小鬼が笑っていた。登志世を指差し、手を伸ばす。仁科の反応はやはり遅く、登志世が息を飲む。

「チッ」

 岩蕗は舌打ちと同時に、腕を振るった。刹那。斬り裂かれた小鬼の腕が宙を跳ぶ。

「ぎゃあああああ、あああ、ああああああああっ」

 切れ切れに悲鳴を上げる縊鬼くびれおに。登志世はうずくまったままで動けない。鬼の姿に腰を浮かしたらしい。すぐさま仁科が登志世のそばに寄った。

 岩蕗は腕を斬った鬼に一瞥をくれながら、刀に付着した粘る血を振り払う。

 その一連の様子を猿蔵は呆気にとられて眺めていた。

「おい、ぼさっとすんな。相手はまだいるぞ」

 岩蕗の声で猿蔵が我にかえる。同時に仁科も前を向いた。

「仁、分かってんだろうな」

 正面を睨んだまま唸る。すると、ようやく仁科が微弱な息を吐き出した。

えないんだから、どうしようもない」

 その声は沈みがちで、投げやりだ。しばらくぶりに話した言葉があまりにもふてぶてしく、岩蕗は思わず吹き出した。

「ははっ。なんだ、お前。喋れんじゃねぇか」

 背中越しに言うと、仁科の鼻息が刺さった。今はそれだけで十分だ。

「それじゃあ、そこで、せいぜい守ってろ。しくじったら殺すからな」

 物騒に言い捨て、一歩前に出る。敏感な鼻が血を嗅いだ。酒の匂いも相まって酔いそうだ。だが、それでいい。余計なものを取っ払い、心置き無く、完膚無きまでに叩きのめす。

 勝つか負けるかは時の運。八匹を相手に一人でやるのは分が悪いが、ひとたびタガが外れてしまえば気にしなくなるだろう。気を使う余裕などない。

 泣きわめく鬼が逃げ出した先には大柄な鬼が一つ、二つ、三つ。細く儚げな妖気と、粘着の質感が鬱陶しい毒気も混ざっている。今や、この道は鬼が制していた。

「なんじゃ、血の気の多いやつを揃えてきたなぁ、陰陽師の猿よ。わしに会うのがそんなに楽しみじゃったとは、知らんかったぞ。なぁ、おい」

 面をかぶった豪傑な鬼が笑う。地を震わす響きには、この場にそぐわぬ陽気さがあった。それもとそっくりで、岩蕗はどうにも感傷的だった。余計な記憶が惑わしてくる。狂気を駆り立てる。

 その横で猿蔵が果敢にも声を上げた。

「お、お前たちの好きにはさせん!」

 裏返り、震えた声である。やはり錚々そうそうたる鬼の群に恐れを成したのか、門に張り付いて盾となる仁科と同じく登志世の前で動かずにいた。

「ふうむ。その曲がった刀、どっかで見覚えがあるのう。あんちゃん、名はなんて言うんだい」

 月明かりで黄色に染まる濁った声が、頭上に落ちてきた。それをじっと睨み上げ、岩蕗は喉の奥で笑った。

「……ったく、趣味悪りぃツラしてやがるな、クソが」

 腹の底に溜まった冷たさがざわめく。

「見覚えがあるだと? 冗談言うんじゃねぇよ。お前はとは違う鬼だ。俺はようく知ってるぜ。あの鬼は死んだ……この俺がぶっ殺したからなぁ」

 タンッと一つ、空中で足音を鳴らす。ひらりと袖を翻し、面を狙う。落下の速度でしなやかに、ストンと振り落とす。

 数秒の間が訪れ、鬼面が割れた。黄色の目玉と、黄土色の顔があらわになる。岩蕗は目を瞠った。

 やはり、こいつは違う――。

 不恰好に曲がりくねった刀は切れ味が悪く、鬼の鼻頭まで傷をつけた。赤黒い血が噴き出すが、しかし鬼は微動だにしない。

「……俺は鬼殺しだ。鬼殺しの善と言えば、分かるだろう」

 地に降り立ち、岩蕗は鬼の背に刀を突きつけた。

 鬼殺し――その名の通り、鬼を殲滅せんめつする者。

 息の根を止めてもなお、跡形もなく潰す狂気と猟奇が混濁した奇人である。人からも鬼からも忌まれ、疎まれ、畏れられる存在。

 名を口にすると、ざわついていた木々が一層やかましくなった。風が吹き荒れる。だが、鬼の頭領は背に刀を突きつけられようとも、余裕の態度だった。どんなに殺気立とうとも、連れ歩いている鬼たちが慌てようとも、陽気さは寸分違わず落ちやしない。

「そうか。知っている。知っているぞ。鬼殺しの善……昔、が言っておった、忌み子の坊じゃ。成る程、いい余興じゃのう」

 振り返り、刀を握る。決して折れない、絶対に砕けない鋼の妖刀である。

 双方、ニヤリと口元に笑みを浮かべて睨み合う。体格に差はあれど、力では負けず劣らず。キリキリと歯を嚙み鳴らし、岩蕗は刀に力を込めた。素早く抜けば鬼の手から刀がすり抜ける。鬼の手のひらにも、鼻頭もまだ傷が残っていた。

 切れ味の悪い刀だが、妖を斬るにはうってつけだ。一生の傷をつけ、切り刻まれたら最期、二度と元には戻らない。

「殺しはしないつもりだったんだがなぁ……気が変わったわい。ちぃと相手してくれや、坊」

「坊っていうとしじゃねぇんだがな」

 笑い飛ばせば、鬼も笑った。垂れた血を舐め、咆哮するように笑う。

 ――鬼を討て。

 脳髄からの信号が狂気を駆り立てた。右足を大きく下げ、刀を構える。

 陽気な鬼が腕を振るい挙げたのを合図に、岩蕗は宙を蹴った。

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