幕間 鬼灯〜ホオズキ〜

壱・恨みつらみは未練の根元

 瞼の裏側を見ているのだと、今しがた気がついた。

 目玉を動かせども、辺りは黒一色で何も見えない。夜だから当然なのだが、薄らと月明かりくらいは見えても良いだろう。

 どれだけ目に力を込めても、ぴったりと糊付けしてしまったように瞼は開かない。それどころか体も動かせない。

 確か自分は床につき、眠っていたはずだ。家族も全員、寝静まっている。

 背が布団に張り付いているようで、仰向けでいることは分かるのだが、それにしては息苦しいような。

 そこまで考えが至ると、今度は胸騒ぎがぞわりと忍び寄ってきた。身体のどこも動かせないのに、やけに心臓の音は大きい。

 何かがおかしい。

 耳は……機能するらしい。先ほど穴へと音が流れ込んでくる。

 しゃらり、と。

 足の裏で畳を擦っている音。

 がいる。

 自分の近くに、誰かが――

 心臓の早鐘は益々忙しない。


 ――……い…………さ……い――


 ガサガサと掠れた声が言葉を作った。

 既に不快と不穏は胸の中で溜まり、破裂しそうではあるものの、どうしてもその声を聴こうとする。


 ――…る……な…………い――……ゆ、る……さ、ない……


『許さない』

 途切れた音がが脳内で形になった時、首に圧を感じた。両手で握り締められている感覚。

 抵抗しようにも、体はやはり動かない。まるで、縛り付けられてしまったように――

 耳元では、まだ同じ言葉が繰り返し聴こえる。


 ***


 それは夕刻のこと。僅かに雨の匂いが鼻をついてきたので、鳴海が雨戸を締めようと入口に降り立った丁度にその人物はやって来た。

「――済みません」

 浮かない顔をする若い男が一人。

 客だろうか。しかし、この村の若者たちはこの霊媒堂 猫乃手を毛嫌いしているはずだが。

「はぁ、何か御用で」

 訝って訊くと、男は苦笑を浮かべた。

「まぁ……ちょっと……」

「へぇ、それはまたなんだろう。雑貨の購入かしら。他にも厄除け、魔除け、安産、そういった御守りもありますが」

「いえ今日は、そういうんでなく……」

 鳴海は眉を僅かに上げて、彼をじっくり眺めた。どうにも意図が見えない。

 仕事終わりの冷やかしかとも思ったが、彼の萎縮した態度を見る限り違うのだろう。見た目も変わったところがない。

 仁科と比べて身なりがきちんとしてあるくらいか。垂れた目が優しげな雰囲気を醸し出している。歳はこちらと同年、二十は超えていると見た。

 何か厄や物の怪が憑いているようにも見えないが……と調べた矢先だった。

 彼の首周りに、何かがある。それも、ぐるりと首を囲むように。

「あんた、それ、どうかしたの」

 そう言って、鳴海は自分の首元を指してみた。丁度、この辺りだと示して。

「え?」

「いや、なんだか首周りが黒く……」

 しかし、瞬きをしたその次には綺麗さっぱりと消えていた。途端、顔を顰める。どうやら、あの痣はだったらしい。

「――成る程。何か面妖なお困りごとがあるようで。ご依頼なら、承りますよ」

 その言葉に、男は痛みが走ったかのように顔を歪めた。恐れを抱いた表情で呆然としている。

 そんな彼に笑みを向け、鳴海は店の中へ手招きした。


 薄暗い三和土たたきに、恐る恐る足を踏み入れた男は、珍しい物を見る目でしげしげと周囲を見回している。

「仁、お客だよー……あら? いない……何処に行ったんだ、あいつ」

 上がりかまちから這い上がって、鳴海は客を放ったままで仁科を探しに奥の部屋へ向かった。

 てっきり座敷にいると思っていたのに、彼は土間で何やら物色していた。

 先日、真文に貰った梅を摘んでいる現場に居合わせてしまう。

「おおっと、見つかってしまいましたか……」

 手のひらに乗せた梅(推定、二粒)を悪びれもせずに頬張り、仁科はあっけらかんと言った。もう怒る気にもなれない。

「客」

 それだけ素っ気なく言ってやると、仁科はげんなりとした表情を見せた。

「もう店じまいですよ」なんて、ぼやいているが無視する。首根っこを掴み、渋る仁科を無理矢理に客の待つ座敷へと放り投げた。

 突然倒れ込んできた痩身の男に驚く客の声。覗いてみると彼は腰を浮かせていた。

「いっててて……登志世、お前は本当に乱暴……あぁ、済みません。お見苦しいところを」

「はぁ……いえ」

 打った頭を摩る仁科と、怯える客。

 鳴海は「やりすぎたか」と若干の気まずさを抱いたが、ひとまずは茶の用意を始めた。

 やがて、ぎこちない会話が薄い壁の向こうから聴こえる。

 仁科は元々、話が上手くない。酒が入れば饒舌だが、素面だと如何せん口が重くなる。加えて、あの客もどことなく口下手そうだ。

 湯呑と急須を盆に置き、さっさと座敷へと戻る。

「それで……えぇと、名をお聞きしても?」

 置かれた湯呑を真っ先に手にした仁科が切り出す。男も「あぁ、はい」と小さく頷くと、咳払いして言った。

「僕は村の東側に住む、農家でして。名を宇山うやま利治としはると申します」

「あぁ、宇山と言えば、長老会にお婆さんがいますよね。カキさんっていう」

「えぇ、そうです。祖母ですが……よく知っていますね」

 仁科の言葉に、宇山は僅かに緊張を緩めた。

「まぁ、うちは長老会との縁があるので……失敬。話が逸れましたね。それで、利治さん。どういったご依頼でしょう」

「あぁ、えぇ。えーっと……」

 先ほどからこの調子である。

 あまり話したがらないのに、ここまで来たからには何かがあるはずなのだ。

 何かに困っている。迷っている。怯えている。

 そうに違いないのだが……

「あの、宇山さん」

 このゆっくりとした空気がいつまで続くのか、果が見えなくなった鳴海が間に入る。

「外でお見かけした時、貴方の首周りに黒いしみが見えたんですが……それに何か、心当たりがおありでしょうか」

「首……」

 横で仁科が顎に手を当てて唸る。

 宇山は目を泳がせて、膝の上の拳を握り締めた。ごくりと喉を鳴らし、覚悟を決めたかのように両眼を瞬かせる。

「はい。その……夜更けに、なんと言いますか、床についてから突然、動けなくなりまして」

 彼の顔色がみるみるうちに青ざめ始めた。喉を絞るように、一言一言区切って話す。

「目も開けられず、腕は何かに縛られたようでした。そして、その後すぐに聴こえたんです……女の、声が」

「声? それはどんな?」

 先を促すには気が逸りすぎたかもしれない。

 宇山は瞬きを三度、視線を二度変えると、思案しながら言った。

「酷く掠れていて、あまり聞き取れなかったんですが、確か……許さない、と。そう言っていました」

 宇山の顎から冷や汗が滴った。それが畳の目に染み込み、斑模様が出来る。

 鳴海は、傍らの仁科を見やった。大人しく湯呑を揉みながら、じっと宇山の話に耳を傾けている。あの軽薄な笑みは既に引っ込めてあった。

「それで、首を絞められているような……とにかく息が出来ず、でもずっと声は聴こえていて……」

 宇山は両目を固く瞑り、震えを耐えようとしていた。握られた拳が白く、浮き出た青い血管が目立つ。よほど恐ろしい目に遭ったのだろう。

 しかし、怨霊の類であるならば、切り抜ける術は無きに等しい。宇山はどうやって脱したのか。

 何か分かるかと、またも傍の仁科を見やれば今度の彼は湯呑の中身を呆けたように眺めていた。

 客の前でその態度は如何なものかと咎めたいところだが、宇山が口を開いたので我慢しておく。

「もう、死んでしまうのでは、と半ば諦めた頃でした。ふと、苦しみから解放されて、腕の縛りも解けて、僕は薄らと目を開けてみたんです。その女の姿もなく、夜も明けておらず、助かったのかと安堵したのですが……」

 宇山の肩がゆっくりと落ちていき、彼は握っていた拳を開いて懐を探った。

 仁科が前髪の隙間からそれを見ている。鳴海も何が出てくるのかと息を殺す。

「こんなものが、枕元に」

 手のひらに転がされて出てきたそれは、赤々と燃る緋色の袋。提灯を思わせるその植物は、さして珍しいものではない。

「鬼灯……」

 ぽつりと呟く仁科。鳴海も同時にその名を頭で思い浮かべていた。

「宇山さん、家の周りに鬼灯がなっている、とか」

 問うと彼は首を横に振った。念の為にと訊いたが的外れらしい。

「あの……これは、やはり怨霊の仕業、なのでしょうか」

 躊躇いがちに訊く青年。そんな彼に、仁科と鳴海は揃って渋面を向けた。

「判りません」

 応えたのは仁科だった。

 さらりと言うものだから、宇山は聞き逃したかと言わんばかりに身を乗り出す。しかし、仁科は無情にも同じ言葉を続けた。

「いや、まぁ、この時点では判断つかないと言いますか。確かに奇妙な話ではあるんですけどねぇ」

「判断つかないって……しかし、ここは霊媒堂。こういった類の話を専門に扱うと聞きますが」

 食い下がる宇山。そこには救いを求める節があった。

 だが、仁科の言う通り、直接確かめなければ断定は不可である。こういった類であるからこそ、無責任な発言は控えておきたい。

 仁科だって、事は慎重に考えているはずだ。ここは任せておくしかない、と鳴海は安穏と茶を啜った。

 仁科が厳かに咳払いをする。

「えぇ。ここは霊媒堂 猫乃手。猫の手も借りたいほどお困りでしたら、そのご依頼をお受けします。利治さんのような若い方が、ここまで訪ねて来ていただいた。それだけで充分、この依頼を受けるつもりではありますよ」

 ですので、と彼の手のひらにある鬼灯を摘み、仁科は明朗に言った。

「これより、その真偽を確かめに行きます」

 鳴海は含んだ茶が噎せ返りそうになるのを、どうにか堪える。一方で、宇山は華やぐように顔を綻ばせる。

「本当ですか」

「はい。そろそろ日も暮れますし、夕餉を済ませてから伺います」

「ちょいと待ちな」

 湯呑を置いて、鳴海は仁科の首根っこを掴んだ。そして、宇山に愛想をふんだんに盛った笑みを向けると仁科を引っ張って座敷の裏手へと連れて行く。

「なんですか登志世、痛いです」

「煩い」

 間髪入れず黙らせる。非難は受け付けない。

 鳴海は眉をいきり立たせて仁科を真っ向から睨みつけた。

「依頼を受けるのはいいさ。だがな、そうも安請け合いするこたぁないだろう。何かも分からんものを相手にするなんて……お前はいいだろうね、視えないんだから。あたしが視るんだからな!」

「あーははは……まぁまぁまぁ」

 まくし立てる鳴海を落ち着かせる為か、それとも煽っているのか、とにかく仁科は目を細めて笑っていた。それがやはり気を逆撫でするので、鳴海はもう彼の胸ぐらを掴む勢いでいた。

「お前だけに仕事を押し付ける気はありませんよ。まったく、それだといよいよ私は人でなしの碌でなしではないですか」

 何を今更ほざくのか。文句を言おうと口を開くと、それを塞ぐように仁科が笑みを引っ込めた。

「それに彼の話では、実態が掴めない。材料が足りない。しかし、一度起きたことは次も起こりうる。早ければ今宵にも。そんな状況で放り出せやしないでしょう。加えて、気になることが一つ、二つ……」

 それを引き合いに出されれば、ぐうの音も出なかった。

 確かに宇山のことは気にかかる。彼を襲った者の正体が分からない以上、調べる価値はある。生き死に関わるならば尚のこと。

 しかし、こちらも万全ではないのだ。

 敵が何処に潜んでいるか分からない状況で、夜を出歩くのは、鳴海にとっても仁科にとっても賢明ではないはずだった。

 ただ、それはの都合である。

「――その、気になることって何さ」

 不可解なことは多いが、そのどれを言っているのか。

 妖の正体か、現象の理由か、枕元にあったという鬼灯か。

 しかし、仁科の口から出てきたものはそのどれとも違うものだった。

「いえ……が未だ何かを隠しているように思えるのです」


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