外伝其ノ三 夕立〜ユウダチ〜

壱・人と屏風は直ぐには立たず

「なぁなぁ、左吉さきち

「なんだい、右吉うきち

「なぁーんか、この頃、妖どもを見ないなーとは思わない?」

「う? ふぅむ……そう言えば、そう?」

「あっちの山にいたボンクラ、覚えてる?」

「ボンクラの一つ目か。いたねぇ……久々にからかいにでも行くか」

「いや、だからね、聞いてなかったのかい。そいつも姿をくらましちまったって言いたいの」

「えぇっ?」

 山の奥。

 木々に囲まれ、ぽっかりと吹き抜けになったそこは、地面から隆起したような大岩が飛び出している。

 この岩で金色のふっさりとした狐の子供が、神妙な顔つきで話をしていた。

「どうやらね、大蛇だいじゃ様もお引っ越ししちまったらしい」

「めくらの大蛇様もかい。あらま、そいつぁまた……えらいことになってるのね」

「うん。なんでだろね」

「さぁな……あ、どんぐり!」

 右吉ほど興味はないらしい呑気者の左吉は、大粒のどんぐりを拾い上げて嬉しそうに飛び上がった。

 そんな片割れをじっとりと睨む右吉は呆れの息を吐く。

「いやいや、お前なぁ。大事だいじなんだよ、これは。山を守っていた大蛇様がいなくなっちまったんだから」

「だって、あの蛇野郎、おっかないもん。会うたんび、しきりに喰うぞって言いやがるから俺は嫌いなんだ。それに、いてもいなくても中星なかぼし様ほどじゃあないし」

 つまらなさそうに言う左吉。「む、こっちにもお宝がある」と言って岩の影に落ちていたどんぐりをむんずと掴んだ。手のひら一杯に溢れる艶やかな実に目を輝かせる。

 右吉はまたも溜息を吐いた。しかし、気のないふりをしながらも大粒のどんぐりには敵わない。

「どれ、見してみろ」

「なんだい、文句つけといて横取りするってのか」

「何も文句は言っとらんよ……横取りはするけど」

「あぁ、やだやだ。お前はそういうとこがあるからなぁ! 絶対に寄越すもんか!」

「うるせぇ! お前のもんは俺のもんだ!」

「いーやーだーっ! 俺が見つけたのにぃーっ!」

 左吉はキャンキャンと喚いた。意地でもこのどんぐりを明け渡すわけにはいかない。

 しかし、右吉も負けてはいなかった。

 岩から飛び降り、辺りに茂った草木を掻き分けた。茶色に変色した細い茎と、熟した実を見つける。それは悪臭を放つ薬草で、ぶちぶちと引きちぎるなり左吉の鼻先に突きつけた。

「ほれほれ。どうだ、臭いだろう。これでも寄越さんと言うかい」

「うぇぇ……汚いぞ、右吉。でも、これだけは守ってみせる!」

「強情な奴め……それなら……」

 右吉は陰険に笑うと、千切った薬草の実を爪で潰した。それを左吉へと投げつける。この薬草――ヘクソカズラはとにかく臭いのだ。鼻が曲がるほどに。

 左吉はその悪臭弾から逃れようと俊敏に避けた。

 岩の隙間へ隠れるなり「おのれ」と恨みを溢す。そして、そのまま岩と姿を変えた。

「お? ありゃまぁ、消えちまった……」

 左吉の化け術に、右吉は面白くないとばかりに鼻を鳴らす。

「あーあ、興ざめだぁ。陽も暮れかけているし、かーえろっと」

 実を放り投げ、右吉は木の葉を踏み鳴らしてその場から走り去った。

 一方、左吉は未だ動かず。

 ――帰ったと見せかけて、どうせそこらにいるはずだ。その手には乗らんぞ。

 右吉の行動を深読みする左吉は、本当に置いて行かれたことにも気づかず、ニシシと笑いながら影を潜めた。

 途端、がさり、と藪を掻き分ける音が遠くで聴こえる。

 そらみたことか。やはり、読みは正しかった。しめしめ、と左吉は蹲ったままでほくそ笑む。

 ずる賢さ、腕っ節、口では右吉に劣るのだが、こと化け術に関しては器用にこなせるのが左吉の自慢だった。右吉にでさえ見抜けないのだから。

 こちらに近づく音が段々と近くなった頃、左吉は「そうだ」と思い立った。

 おっかない化物にでもなって脅かしてやろう。珍しくそんな悪戯が閃き、さて何に化けようかと思案する。

 目が無数にある大妖にでもなろうか。百目鬼の姿を思い浮かべ、左吉は笑いを押し殺した。

 がさり。

 それは意外にも大きな音を立てた。木の葉を蹴散らすような音。

「へぇぇ。こんな奥深くにも薬草があるんだ。こいつはいい」

 嬉しそうな独り言に、左吉は息を飲んだ。

 声の主は右吉のような、甲高く嫌味な色はない。それに、纏っている空気もニオイも違う。獣のものではないが、妖気もあるし、何より化粧くさい。鼻を麻痺させるのには充分だった。

 瞼を開いてみる。

 岩と化したその真中に目をくっつけてみると、見えたのは――人。


 ***


 吹山村の景色は季節が巡れば、味気ない田舎も華やぐもので、特に春は川沿いの櫻並木が派手に咲き乱れ、薄紅に染め上げた。

 夏は山が濃く深い緑に覆われ、時の流れを受け止めるように秋にはくすみを帯びていく。寒さに震える天が雲に隠れてしまえば、冬の訪れを感じられる。

 それも一通りは見送った頃のこと。

 今はまだ初雪の気配がない秋の暮れ。暦によれば十一月と表されているらしい。定着していく言葉の移り変わりに憂うことなく、霊媒堂猫乃手はそれなりに繁盛していた。

 村に医者がいないこともあってか、鳴海の煎じる薬は効能が抜群なのだと、長老会では評判がいい。

 ただ、その他は目立つことなくひっそりとしている。

「……あの、これは一体?」

 三和土たたきに置かれた陳列棚の端から順繰りに見ていると、珍妙な面が目に留まった。彩﨑はまじまじとそれを眺めて座敷の奥へ声をかける。

 黒と赤が斑に描かれた不気味な面。意図して描かれたのか、赴くままに描かれたのか定かではない。

「ええっと、店主? おーい……」

 声をかけても幾ら待てども返事はない。

 彩﨑はかまちを上がると、畳に寝転がる店主の頭を小突いた。

「貴方、本当に店主なんですか。ちょっとは客への対応を良くしませんか」

 霊媒堂猫乃手、その店主である仁科仁は小突かれた頭を擦りながら、眠そうにゆっくりと頭をもたげた。じっとりとした眼が彩﨑を捉えて、すぐに逸れる。

 紛れもなく、彼は

「機嫌が悪いですね」

「……そりゃまぁ、そうだよ。嫌になってくる」

 仁科の腑抜けた表情に、彩﨑は呆れの呻きを漏らした。

「そう不貞腐れることないでしょうに。品の売れ行きが悪いわけでもないんでしょう。だったら……」

「雑貨は一個も売れない」

 遮るように仁科は言う。鼻を鳴らし、とびきりのしかめっ面で。

「うーん……まぁ、それは……」

 慰めの言葉が見つからなかった。

 確かに薬の売れ行きはいい。しかし、雑貨はここ一年、まったく見向きされないのだ。

「仁科くん、君の腕もそう悪いものじゃあない。ただ、少し……うーん、なんと言うか、そのぅ……」

 彩﨑はちらりと三和土へと目を向けた。

 あの不気味な面を筆頭に、呪符やら炭やら、人形、独楽こま、紙風船などなど。とにかく何の捻りもない厄除けの品や玩具が雑に並べられてあるだけだ。言葉に詰まる。

「いや、いいよ。やめてくれ。気なんか遣われたらますます滅入る」

 仁科は背を向けてしまい、もう取り付く島もない。彩﨑はうぅむ、と唸った。

「そうだ、お守りでも作ってみませんか。ああやってむき出しにしておくから見栄えが良くないんですよ」

「はっきり言うなぁ……」

 気を遣うなだとか、はっきり言えば文句を垂れるなど、仁科の機嫌はなかなか治らない。だが、兆しが見えたのか「それも一つの手か」とぼそぼそ言っている。

「よし。それじゃあ、ここは彩﨑さんの言う通りにしてみよう」

 思い立ったら早い。仁科は部屋の奥へと引っ込んだ。程なくして、何かを抱えて持ってくる。それを認めるなり、彩﨑は顔を引きつらせた。

「仁科くん……それは、あの、おすすめしない……」

「何故」

「いや、何故ってそれは……」

 仁科が抱えてきたのは、鳴海の着物だった。人のものを勝手に使うなど言語道断。しかし、仁科はまったく悪気がなく当然の如く言った。

「こいつで作ってみようと思うんだよ。彩﨑さんも手伝って」

「えぇ……」

 迂闊に頷くことは出来ず、彩﨑は逃げるように三和土へと降りる。

「鳴海さんに怒られますよ」

「構うもんか。売れりゃいいんだから。どうやって作るか教えて」

 色鮮やかな着物を彩﨑に投げつけようとする仁科。その丁度に、店の戸ががらりと開いた。

「何を勝手に人のもん使おうとしてるんだ、お前」

 戸から顔を覗かせた鳴海が低い声音で言った。助かった、と彩﨑は胸を撫で下ろす。

「仁、あんたね、そういう憂さ晴らしはやめておくれよ。それに人を困らせるんじゃない」

 ピシャリと言い放ち、鳴海は担いでいたカゴをその場に降ろした。薬草を摘みに出ていたのだが、近場はもう摘みきってしまい、すぐに引き返してきたという。

 仁科は退屈そうに欠伸をすると、着物を畳に放り投げた。すかさず、鳴海の溜息が落ちる。

「――悪いね、神主。お茶でも入れてくるよ」

「あぁ、お構いなく……」

 そう言いつつ、彩﨑は座敷へと上がった。

 つんと露骨に機嫌の悪い仁科といるのはそろそろ気が重い。鳴海を追うことにする。

「あぁ、そう言えば」

 後をついてくる彩﨑に、鳴海は邪険にすることなく話しかけた。

「この辺りはもう薬草がなくてね。まぁ、季節のせいもあるんだろうけれど。どこか、薬草のある場所を知らない?」

 人懐っこく話す鳴海を相手にする方がいくらか気は楽だ。

 彩﨑は穏やかにゆっくりと思案した。

「山になら沢山ありますよ」

「あぁ……山かぁ」

 反応が悪い。鳴海は眉間に皺を寄せていた。

「あの辺り、怖いんだよ。仁が追っ払ったとしても、しぶとい妖がいるものだから」

 落胆の混じった鳴海の返しに、彩﨑も「ですよね」と小さく苦笑を漏らす。それならば、他に何処がいいだろう。

「うーん……あぁ、そうだ」

 思い当たる場所が一つだけ、ぽんと頭に浮かぶ。

「ヨビコ山よりも更に奥へ行くと、小さな社があるんですが」

「社……それは、彩﨑神社の?」

 きょとんとした鳴海の問いに、彩﨑は片手を振る。

「いえ、そうじゃないんですよね、これが。私もつい先日、日課の散歩をしていたら偶然見つけて。もう三十年はこの村にいるというのに、おかしな話ですよね」

 ぎこちなく笑ってみせると、鳴海は「ほほう」と興味を示した。

「社なら、まだ安心かな」

「綺麗なものでしたよ。小さいながらも、きちんと手入れがされていて。誰かがこっそり守っているみたいな」

「ふうん……よし、それじゃあ、ちょっくらそこまで行ってみるかね。有難う、神主」

 茶を用意し終えると、鳴海は急須と湯呑みを盆に載せて、それを彩﨑に押し付けた。慌ただしく表へと出ていく。

「え、今? 今から行くんですか?」

「うん、早いうちに行っておくよ。今日の分がまだだからさ。すぐ戻る!」

 寝転んでいた仁科を飛び越えて、鳴海はカゴを持って走り去った。

「なんだ、あいつ……急に」

 仁科も訝るように、外を眺めていた。

 彩﨑は茶の用意をすると、仁科にも湯呑みを渡す。だらけた店主は、何も礼を述べることなく湯呑みを手に取った。

「――それはそうと、仁科くん」

「ん?」

「お守りを作ってみるのは結構なんだけどね、それよりもまず、私はあることに気が付きましたよ」

 鳴海の作る薬が売れるのも、仁科の雑貨が売れないのも、とある理由が潜んでいたことに気がついた。

 茶を啜り、一息つくと彩﨑は鋭く言う。

「君のその態度が原因なんだと思うんです。誰だって、無愛想な人には寄り付きたくはないもの。私もその一人ですし」

「………」

「ほら、そう嫌な顔をしない」

 指摘には仁科も面食らったようで、両眼を丸くさせた。そして困ったように鼻を掻き、腕を組む。

「まさか、あんたに言われる日が来るとはね……これは参るな」

「言葉遣いもお客用に変えてみてはどうですか。商いは吉相と言いますし」

 確かに、笑顔が下手な己が言えたことではない。しかし、仁科の横柄な態度は店主としていかがなものか。常々引っかかっていたものがようやく形となって表せた。

「ふぅ……成る程」

 仁科はしばらく目を伏せて、俯いた。息を吐き出し、目元をこする。そして、彼はぱっと顔を上げた。

?」

 それは愛想を振りまくには充分な笑みだった。常に仏頂面で睨むような目が、垂れ下がって穏やかさを浮かべている。

 彩﨑は驚きのあまり、目を瞬かせた。


 ***


 一方で、鳴海は社へ辿り着く前に、木の葉が敷き詰められた岩場へと来ていた。

 潰れたヘクソカズラの悪臭に鼻を摘みながらも、辺りに広がる薬草に思わず喜ぶ。

「へぇぇ。こんな奥深くにも薬草があるんだ。こいつはいい」

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