漆・パノラマ傘

 仁科の重く固く閉じられていた唇が動きを見せた時、見世物は更なる盛り上がりを見せていた。

 春先に嫌な事件があったせいか、やはり消沈していたのだろう。ほっこりと暖かい笑い、はたまた悲鳴に驚きが小屋の中を埋め尽くした。真文も狐二匹もすっかり夢中だ。

「次はお待ちかね、我が一座きっての大スタァ、蛇女へびおんなこと白椿が登場しますよぉ」

 座長の声に、舞台へと出てきたその女は濡れたような長い髪に白粉おしろいで整えた肌、真っ赤な唇が実につややかだ。肩を出したその色っぽさにうっとり。しかし、その顔はすぐに一変する。彼女は蠱惑こわくに笑むと、細長い紐のような蛇の頭と尾を握って持ち上げた。うねりたゆむ蛇の姿が客席の前に出て来るなり、どよめきの音が湧く。

「お嬢ちゃん。あの人、今から何すんの?」

 左吉が真文の袖を引っ張った。蛇が怖いのか、わずかに顔が青ざめている。それは右吉も同じで、もごもごと気乗りしない様子。真文も首を傾げているだけ。そうこうしているうちに、舞台の美女は既に蛇の腹に真っ赤な舌を滑らせていた。なぶるようにいやらしげに。ひとしきり舐め回した後、白椿はすぐさまかぶりつき、客をちらりちらりと見ながら胴をくわえる。

 客は悲鳴を上げたり、言葉を失ったりと反応は様々だ。

「あぁ……」

「うひゃぁ……」

「おぉっ……す、凄いです……あぁ、でもなんて酷い」

 揃って声を上げたが、怯む狐の傍らで真文はじっと食い入るように見つめている。狐二匹はそんな彼女をじっとりと睨んだ。

「お嬢ちゃん、あんなもん見ちゃなんねぇよ」

「そうさ。あんなもん、いかんよ。許せんよ」

 そう言って真文の目を覆ってやる。途端に、彼女はじたばたと腕を振った。

「あぁ、もう、前が見えません!」

 追い払うと、舞台では喰らった蛇の残骸を見せて微笑む白椿が。その口からは真っ赤な鮮血がつつつと流れ落ちている。白粉のせいで尚のこと際立って見えた。

「あぁ……終わってしまいました」

「いやいや、お嬢ちゃん、よくあんなの平気で見られるな。他の連中は顔を覆ってたりしてんのに」

 嘆く真文を横目で見ながら右吉が言う。

 確かに、言われてみれば。真文は「ふむ」と真面目に唸った。

「そう言えば、何故でしょう? 私は以前は、このようなおぞましいものを見るのは苦手だったはずなのですが……あぁ、もしかしたら先生と――」

 しかし、その続きは出てこなかった。ふと過ぎった仁科の顔を脳内から追い出すように頭を振る。彼らと過ごすうちに慣れてきたのだろうか。いや、会場の熱に当てられているだけだろう。見世物を楽しんでいるからだ。

「……まぁ、あんたの目から出てる櫻よかマシなのかねぇ」

「え?」

 左吉の言葉に真文は引っかかりを覚える。すると、二匹は揃って彼女の右目を指した。

「その包帯から伸びてるのさ、櫻の枝が」

「細っこいけどね。薄っすらと見えるよ」

「時期で変わるんかねぇ。夏には青々と茂ってたのに、今じゃなんだかしょぼくれてる」

「もしや、枯れたのかもねぇ」

 そうしてコンコンと意地悪そうに笑い合う右吉と左吉。

 真文は眉をひそめた。そんな話は一度だって聞いていない。仁科も鳴海からも、岩蕗からも聞いていない。仁科ならまだしも鳴海ならば視えていたはずだ。あえて黙っていたということだろうか。その真意は一体……

「はい! いよいよ我が見世物も大詰め! 次は期待の新星、読心男どくしんおとこドロによる演目。ただ、今日が初登板なのでね、皆様、どうか多目に見てもらえますかい」

 座長の声が轟き、はっと我に返る。狐はもう舞台へ釘付けで、こちらの不安など知る由もない。舞台上は派手に笛を吹き鳴らし、太鼓を叩いて気を惹いてくる。

 次はなんだろう、どんなだろう。胸を急く興奮が立ち込める中、読心男とやらはひょっこり姿を表した。開演前に見た不気味な風貌の男。ぎょろりとした大きな目をあちらこちらへと巡らせている。

「えぇ、彼はですね。なんと読んで字の如く、人の心内を読んでしまうのです。いやぁ、たまげたね。まったく、こやつのせいで先日、私の浮気が女房にバレましてね……コラ、って怒ってもね、こやつったら、なんてない顔しやがるもんで。皆様も、どうかお気をつけ下さいね」

 座長が面白おかしく言うと、男の尻を叩いて客席へ放った。ぎょろりと目玉が四方八方へうごめき、客は密やかな吐息がぼろぼろと漏れる。

「そいつはうっかり思ったことを喋っちまうんで、あまり後ろめたいことは思わん方が身の為ですよぉ」

 言ってるうちにドロは小さな子供を指差した。土色の顔を振り子のように動かし、やがてしゃがれた音を戦慄かせた。

《勝手に飴食ったこと、おっかあに知れたらどうしよう》

 子どもは驚きのあまり飛び上がった。傍らの母親も子どもを見やり、目の前で心を読む男に恐怖の目を向ける。周囲の人々は半信半疑で視線を這わせている。遠くの客は賑やかしく冷やかしの声を投げていた。

「おやおや、これはなんと。まぁまぁ可愛らしいお悩みでしょうね。お母様、どうか許してあげてくださいまし」

 座長の声で一同は拍手を送った。しかし、それに応えるでもなくドロはトテトテと客席を走り回る。そうして次々と心の中を暴いていくのだ。

《こないだ、仕事をさぼっちまった》

《溜池の辺りでいいあんばいの寝床が見つかった》

《夢ん中で化物に襲われた》

《あそこの家のカキ、そろそろ食べごろだから分けてくれんかな》

 他愛ないささやかな胸の内をいとも簡単に見抜いていく。それもどうやら一言一句違わず。真文は口をあんぐり開けてそれを眺めていた。

 ――悩み、というものは色々あるけれど……

 意識すると様々な思いが混ざり合ってしまう。思わない方が身の為なのだろうが、頭はやはり悩みごとに傾いてしまう。ドロは不規則に動き回ってはいたが、こちらへ来ることも無きにしもあらず。身構えて拳を握った矢先だった。

 ドロが目の前で立ち止まった。大きなギョロ目を縦横無尽に動かし、真文の左右にいた狐二匹を指差す。背筋を伸ばす二匹。すると、ふっさりとした尾が真文の背に触れた。化けの皮が剥がれそう。

 ドロは落ち窪んだ目玉を回した。そして、がさがさとささくれだった唇を震わす。

《おめェら、人じゃねぇなァ……何者だァ? 姿を見せろ》

 それは地を響かせそうなほど、重く低い声音だった。

 心を読んだのではない。正体を読んだ。

「ひっ」

 狐はすっかり怯えきってしまい、とうとう獣の姿へ戻ってしまった。辺りが一斉にざわつき、騒然とする。

「……あらまぁ、何でしょう。うちの見世物に、まさか狐のお客さんまで来るたぁ、芸人冥利みょうりに尽きやすな……ふむ、そろそろお時間がきたようで。ドロ、戻ってきなさぁい」

 真文の目の前でじっと佇むドロだったが、すぐに座長の元へと飛ぶように駆けていった。

「右吉さん、左吉さん……」

 せっかくの見世物なのに、こんな形で二匹が逃げてしまうとは。悪いことをしたようで、胸の奥がもやついてしまう。

 客席はもう随分と熱気で溢れている。当たりを見回せば笑顔、笑顔、笑顔が絶えない。村民には楽しんでもらえたようで何よりだ。

「さ、お待ちかね。皆様、そろそろ幕引きのお時間となりましたが……うぅん、そう嘆かないで。ここで飛び切りの演目をとくとご覧あれ! 最終演目、パノラマ傘!」

 真文は忙しなく小屋の中を見渡した。

 仁科の姿はやはりない……捨てたはずの期待が今どうして蘇ってくるのか。祭りが終わりを迎えるからか――

「おや、おや、おや」

 近くで鳴る声で我に返る。

「やぁ、お嬢さん。随分とまた、奇妙な所で、出会うもの」

 眼前にあの修験者がいた。彼は天から釣られた糸を掴んで宙を漂っている。唐突のことに真文は息を飲んだ。

「ははあ、そう驚くことはない。少しだけ、手を、貸して欲しい」

 顔が見えないので不気味さはより際立つ。全身に痺れが回るようだった。それなのに、手を伸ばしてしまう。か細い手を取ると、彼は真文を腕に抱いてすぐさま舞台へ飛んだ。

「なんてことはない。ただ、そこで、そのまま、動かずにいれば、良い」

 舞台の上は皆の視線が一気に集中し、思わず足がすくむ。

ずは、皆にせよう。美しき、奇妙な、幻影を」

 男は背に差していた番傘を引き抜いて、ばさりと開いた。古びた大きな傘には色とりどりの蝶がぐるりと円となって描かれている。それだけでも充分に見事な代物で、客はほぅっと見惚れる。くるり、くるり、傘を回転させると……

「おおっ!」

 一斉に声が湧き立った。

 傘に描かれた平面の蝶が、ふわりと浮き上がって宙を舞う。赤、青、緑、黄、それら全てが薄く光を帯びていき、上空を飛び回った。

うつけるな。まだ、まだ出てくるぞ」

 男は傘を大きく振るった。光の色が一斉に溢れ出す。小屋の中を埋め尽くさんばかりの蝶や花、光の飛沫しぶきが浮かび、次に飛び出したのは小魚の群れ。弧を描いて旋回する。

 その美しさには、舞台の後方にいた真文も歓声を上げた。抱いていた恐怖など吹き飛んでしまったよう。脇をすり抜けて泳ぐ蝶や魚を、目で追うので精一杯だ。

「傘を、閉じれば、消えてしまう。美しき幻影。さぁ、さぁ、さぁ、しかと、その目に映すといい。触れれば、消えるぞ」

 傘を開いて閉じ、また開く。同時に色も明暗を繰り返していく。チカチカと目を瞬かせる客の面々に、男は愉快に舞台を跳ねる。傘の内へとひるがえせば、その中に描かれた鳥が羽ばたき放たれた。息をつく間もないその見事な芸に、皆はこぞってやんやと盛り上がる。

 それを制するように、男は突如、動きを止めた。同時に幻影もその場で静止する。

「……次に、お見せするは、この、傘の中。このパノラマは、世にも不思議な、動く絵画。この中に、入ってみることも、幾分、面白きこと」

 そうして、真文を手招いた。おずおずと舞台を歩き、真文は客に苦笑を向けながら男の元へと行く。そんな彼女の手を取って、男は大仰に傘を振るった。内を真文に見せるように、外を客に向ければ彼女の姿はすっぽりと隠れてしまう。

「いざ、かん! 幻想の世へ!」

 その一際に大きく鮮明な声に、止まっていた幻影たちが一気に傘の内へと吸い込まれた。色の渦が真文を覆い、思わず顔を守ろうと俯く。

 あの放たれた鳥の幻影か、けたたましく耳元でさえずる音が響いてくる。

「チチチ……」

 目まぐるしく廻る。廻る。廻る。渦が激しく体に巻き付く。もう逃れることは出来ない。最中、真文の左目に何かが横切った。

 鳥だ。小さく、綿毛のような鳥――雀がこちらを向いてくちばしを開かせた。


 ***


 入り口の布から小さく顔を覗かせていた二つの毛玉は、一部始終を見守っていた。

「ふぁ~……本当に、消えちまった」

「すっげぇ……あぁ、でも、これもイカサマなんだろう? そのうち出てくるんじゃないかい」

「いやいや、よく見ろ、右吉。あのお嬢ちゃんが傘の絵となって見えるよ」

「あんれまぁ、本当だ。櫻娘が歩いてらぁ……」

「――その櫻娘ってのは、一体どこのなんという名なんでしょうね」

 突然に何の前触れもなく背後で冷ややかな声がした。二匹は飛び上がり、その人物を見やる。

「な、なぁんだ。これは仁科の旦那……いや、何も、なぁんにもないですぜ」

「そうそう。なぁんにもない! 何もたくらんでない!」

 きゃんきゃんと口々に言うと、右吉と左吉は彼の脇をすり抜けてすたこらと逃げ出した。

「……怪しい」

 呟くも、仁科は狐の後を追おうとはしなかった。

 見世物小屋の中は今や拍手喝采かっさい。しばらく鳴り止まない。

 外はもう夕刻で、腹の虫が喚く頃。仁科は握っていた手紙を広げた。眼鏡の硝子ガラスに映されるその文字は、柔らかく繊細な彼女を彷彿とさせる。

『私は、先生を信じます』

 じっと見つめていると、ようやく小屋の中が慌ただしく動き始めた。

「さぁさ、出口はアチラ! 押さないで、順番に! 本日は誠に有難うございました!」

 どうやら見世物の全てが終了したらしい。仁科は裏手へとこっそり回った。

 暖かくも名残惜しそうなにぎやかな人々。そんな彼らを目の端で追いながら、仁科はただ腕を組んで待ち構える。真文を。

 それから、針金のような男と明朗な笑みを向ける彩﨑の姿が眼鏡越しに映される。しかし、待てど暮らせど彼女は一向に姿を現さない。どこにもいない。客の後ろ姿を睨み、息を吐く。

「お客さん、いい顔をなさってらぁ。神主様、今日はいい芸を見せることが出来て良かったよぉ。楽しかった」

「こちらこそ、本日はお忙しい中、このような辺境まで有難うございました。しかし、この小屋は見事な造りですね。変わってる」

「西洋のサァカスって知ってるかい? それを模しているのさ。いいだろう? 東京へ来ることがあれば案内するよ」

 それがどうやら小屋から出てきた最後であり、彩﨑はその男と別れて村民たちの後へと続く。仁科は早足で追いかけた。

「彩﨑さん」

「おや、仁科くん。今頃になってやっとですか。鳴海さんがいないからって、何をそんなに不貞腐ふてくされて……」

「それは今はどうでもいい」

 神主の声を遮る。顔には僅かに狼狽の色を浮かべている。仁科は気まずく目を逸らした。それから息を吸い、調子を整えて咳払いする。

「彩﨑さん、真文さんはどちらへ?」

「はい?」

 神主は面食らったように目を開かせた。何やら困惑気味な様子である。

「まふみ、さん……ですか」

 彩﨑は思案めいて言った。

「そんな方は、僕は……ええっと、その方がどうかされました?」

 声には嘘の色味はなく、ましてや、ふざけようというはかりも見えない。

 仁科は蚊の泣くような声で呻いた。

「……いえ。なんでもありません」

 すぐさま踵を返し、彼はその場から駆けた。

 包帯を巻いた左腕を強く握り、麓へとその足は速まっていく。


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