弐・持ちつ持たれつ、猫と狐のその由縁

「おや、騒がしやと思えばなんじゃ。鳴海、うぬであったか」

 低いしゃがれ声は老婆のようだったが、現れた姿形は年若い女人である。装束の上に白く透き通った羽衣をまとった姿は、お伽噺とぎばなしの姫のよう。

中星なかほし、すまなんだ。あたしが遅れたばっかりに、こいつらが煩くてね」

 鳴海は素直に非礼を詫びた。その横で二匹の若狐がすかさず足を踏み鳴らす。

「あー! 狐のせいにしやがった!」

「しれっとこっちのせいにしやがった!」

 キャンキャン喚き「けしからん!」と鼻息荒く叫ぶ。その様子に、中星がコンコンと笑った。

「あまりいじめてくれるな」

 どこまでもしとやかで上品さを見せる中星は、細い目元をきつく結んで笑みを向ける。それにより、喧嘩腰だった狐も鳴海も渋々居直った。

「して、そこに居るのは誰ぞ」

 中星は次に真文を捉えた。

 あわあわと狼狽うろたえる彼女に、鳴海は「落ち着け」と脳天に指をとん、と落とす。肩を上げた真文はそのままの姿勢でおずおずと口を開いた。

「森真文と申します。あの……ええっと」

「あぁ、汝は櫻の娘じゃな。ようと知っておる」

 言葉を遮り、言うや否や中星は咳払いのような甲高い笑い声を上げた。扇子で口元を隠し、優雅さを魅せつける。

 一方の真文はすっかり怯えてしまい、口を開きっぱなしで黙り込んでいた。

「汝、さてはわしに何か申すことがあるのではないかえ」

 その問いに真文はさらに慌てた。何を言えば良いのか、瞬時に判断つかないのだろう。

 見兼ねた鳴海が仕方なしにこっそりと耳打ちする。

「この間、軟膏なんこうを渡しただろう。あれを言ってるのさ」

「あ! そうです。軟膏を祖母へ贈りましたところ、大層喜んでおり……こちら様のお薬だとお伺いし、御礼をと」

 かしこまったまま、深々とお辞儀する。

 中星は細い目元をきゅっと上げて微笑みを向けた。

「そうかそうか。それは良きこと」

 どうやら今日の中星は大層、機嫌が良いらしい。遅刻を言及されずに済んで、鳴海はほっと胸を撫で下ろしていた。

 彼女が怒ると雨が降る。それもどっとあふれるような雨。その雨については痛い目を見ている。思い出すと頭痛におそわれそうだった。

「あの、鳴海さん……」

 真文はもう鳴海の後ろに隠れようと後退りを始めていた。中星の堂々たる佇まいに怖気づいている。

「鳴海さんは、毎度こちらで何をされるのですか」

「おや、言ってなかったかね」

 鳴海は思わず、とぼけてみた。くるくる変わる表情がとても愉快で、ついからかいたくなる。真文はやはり、目を大きくみはった。

「聞いてません!」

「なんじゃ、鳴海。なんの断りもなく連れてきたんかえ。汝というやつは」

 中星の咎めに鳴海は頬を掻いて愛想笑いを向けておいた。

「こやつはな、我が狐印きつねじるしの従者なんじゃよ」

「え? そうなのですか?」

「誰がいつ従者になったんだよ……あたしはただ手伝いに来てるだけさ」

 誤解を生む中星の発言に、鳴海は呆れた声を出した。

「ちょっと昔に、やらかしてね。そのせいで毎日顔を出してるだけ」

 過去に狐とは色々とあったものだから、後ろめたさが多くある。また単純に細かな作業が得意なだけだ。そのうちにあれやこれやと雑用を頼まれるようになり、今では狐を束ねることもしばしば。その辺りはあまり触れずに置いておく。

「さて、娘よ。汝は何が出来る? 我が従僕たちとたわむれるも一つの学びじゃろうて」

 上機嫌の狐の長は真文を品定めた。真文までもが狐の手伝いをさせられようとしている。鳴海はすぐに彼女を背に隠した。

「いやいや、今日はたまたま連れてきただけだから。それに、真文には何もさせん方がいい。中星、社殿を吹っ飛ばされたくはないだろう?」

 真文に細かな作業は不向きだ。とてもじゃないが任せられない。ようやく店番が出来るようになったのだ。

 確かに仕事の手伝いをさせるのは中星の言うとおり、学びにはなるだろう。しかし、それはそれ。これはこれ。背後で真文が項垂れるが、このまま彼女を居職に送りこみ、狐を怒らせるほうが難である。

 この慌てぶりに、中星は悟ったのか両の長い耳をピクリと動かした。

「ほう、ほう。なんと。大人しい娘かと思いきや、これぞお転婆というにふさわしい。近頃の娘はしたたかだとそう聞いたぞ」

 そう言って中星は、落胆する真文に笑みを送る。

「どれ。汝は儂の相手でもしてくれんかえ。儂は愛らしい女子が好いておるのじゃ。愛玩あいがんよろしく、快く遣わそう」

「と、言いなさるが、どうする? 真文」

 何が気に入ったのか知らないが、中星はどうにも真文に執心だ。

 真文もそれを悟ったらしく、「はぁ……」と苦笑を浮かべて返した。


 狐の仕事場は社をくぐったところにある。山の断層に穴を開けて創られた空間で、各々分担して仕事をしている。

 家具や雑貨を作る指物師さしものし、薬草を擦り調合する薬師くすし、陶器を専門とする陶芸師、絵巻や張り紙などの他、工芸品に色を施す彩色師。四つの分野でたくさんの狐がせっせと働いており、鳴海はその中で薬師の仕事を手伝っていた。

「まぁ、どんなに人の真似をしても所詮は狐。細々とした作業は人の方がべらぼうに上手いのさ」

「そんなわけで、こちとら姐さんのおかげで仕事がはかどるのなんのって」

 右吉と左吉は交互に言う。その背後では鳴海が苛々と薬を瓶に詰めていた。

「あの、怠けているとまた怒られますよ……」

 真文がこっそりと二匹に耳打ちしたが、まったく意味を成さなかった。コンコンとけたたましく笑い合うので、鳴海の眉間がますます険しくなっていく。

「これ、右吉に左吉。いい加減におし。暇なら売り子をしとれ、このたわけが」

 席を外していた中星が戻ると、早速の叱責に二匹は大人しくなった。

 鳴海の作業中、真文は中星と言葉を交わしていたが、それに段々と慣れてきたようだ。

「そうだわ。お仕事が早く終わるのなら……皆さん、お祭りに来てみませんか?」

「おまつり?」

 真文の唐突な案に、そこらにいた狐たちは一様に首を傾げた。

「おまつりって、毎年やってる豊作祭り? なんでい、いつもおかしな祝詞のりとを上げて集まってるだけじゃあないか」

「あんなの、いつも同じことやってるだけで面白くもなんともない」

「いえいえ! それが今年はなんと大きな小屋を建てます。そして、その中で芸を見せてもらえるのです。なんでも、都会まちの一座が巡業しているらしく、吹山村すいざんむらでの公演をお引き受けしてくださったのです」

 やや興奮気味にまくしたてると、彼女はそでの中を探り始めた。狐と一緒になって、鳴海も不思議そうに顔を見合わせる。とにかく、何が出てくるのか待っておこう。

「作っておいたものがまだ残っていて良かったわ」

 真文が取り出して広げたのは、円形の小屋が中央に大きく描かれた図だった。

「作っておいたって、まさか、あんたが描いたのかい?」

「はい!」

「はぁ……真文、あんた、絵は上手いんだねぇ」

 受け取る鳴海はその細かな図画に舌を巻いた。不器用で取り柄がないと思っていたら、まさかこんな技を備えていたとは。これなら、家事ではなく別の分野で手伝ってもらえば良かった、と今更になって思い直してしまう。当の真文は、まんざらでもない様子で、ここ一番の笑顔を見せていた。

「私も、こんな才が眠っていたとは思わず。やってみないと分からないものですね」

 しかし、彼女がここまで積極的に宣伝活動を行っているとは思わなかった。彩﨑神主から頼まれているにしろ、ここまで意欲的であるのは意外だと思う。祭りを楽しみにしているだけではなさそうだ。

「ふむ……見世物か……」

 左吉がぼそりと呟く。すかさず右吉が左吉の肩を握った。

「おいおい、俺は聞いたことあるぜ。見世物って確かウサギを食いちぎったりするんだろう? おっかないわぁ」

「うへぁ……」

 一斉にどよめきが広がっていく。

 確かに、鳴海が子供の頃に流行っていた見世物の代名詞と言えば、ウサギや蛇を食ったり、男と女の相撲、火を吹く男、手足のない子供など。日常的にあやかしえるこちらとしてはさほど面白味がなく、おぞましいとも奇妙とも思わない。狐らにしてみれば人間の非道さがおぞましかろうが。

「あぁ、いえ。ウサギを食べる演目は随分昔に外されたようです。確かに酷いですよね」

 苦笑を浮かべる真文だが、狐たちの不安は未だ拭えていない。

「どうやら、目玉はパノラマ傘という演目のようです」

「ぱのらま……」

「そのぅ、ぱのらま傘ってのはなんなんだい、お嬢ちゃん」

 聞き慣れない言葉に、あちらこちらから呟く声が上がる。村の外へ出る機会が滅多にない鳴海も、その話は多少の興味が湧く。聞き耳を立てながら作業を進めていく。

 真文は咳払いをすると、おごそかに切り出した。

「パノラマ、といいますのは詰まるところ、大きな絵巻のようなものです。回転画とも言うようですね」

「それを傘に描いている、ということかい」

「はい! その通りです」

 左吉の声に真文が快活に答えると、辺りは一斉にどよめいた。拍手まで聴こえてくる。いつの間にか、他で作業をしていたはずの狐までが集まっている。その中心には真文が。森に迷い込んだ少女が狐と戯れるような絵画さながらの微笑ましい光景である。

「ほう、何やら面白きこと。その『ぱのらま』とやら、誰か見て行ってはくれんかの……あぁ、そうじゃ。右吉、左吉、汝らが行けば良い」

 中星までもがパノラマ傘に興味を持つ。指名された二匹は顔を見合わせた。満面の笑みである。

「祭りは二日に渡るのじゃろう? ならば、下見として行っておくれ」

「しかし、中星。あんた、人里が嫌いだったろう。まさか、面白ければ見に来るなんて……」

 思わず口を挟むと、中星は扇子で口元を隠して目を細めた。その仕草にはようく見覚えがある。

 ――成る程。あわよくば、露店でも出してもうけようと企んでいるな。

 金に目がない狐のことである。鳴海はもう何も言うまいと、本日の作業を手早く終わらせにかかった。


 ***


 結局、作業は狐が手を止めてしまったことと、日暮れも近いとのことでお開きとなった。気まぐれな中星のせいもあるのだが、確かに夕刻となれば仕事も捗らない。

 鳴海は肩を回して大きく伸びをしながら、真文とともに狐社を後にした。

「お疲れ様でした」

「あぁ。いつもは昼には終わるんだけれどね、今日は遅くなっちまったから。もう、くたくた」

「大変ですね、これからお店もあるんでしょうに」

 真文は心配そうに顔を覗き込んできた。しかし、それには及ばない。鳴海は「いやいや」と苦笑を漏らした。

「もう閉めるよ。どうせ、あの穀潰ごくつぶしは店番なんてしてないんだから。そもそも客があまり来ないし」

 いつものことだ。滅多なことがない限り、猫乃手は閑古鳥かんこどりが鳴いている。真文も合点がいったように「はぁ」と溜息を落とした。

「あ、そうだ。道場まで送っていこうか、真文」

 林へと差し掛かり、そろそろ猫乃手が見えてくる。空は既に茜に染まっている。

 人里まではすぐに辿り着けるが、秋の訪れも去ることながら日の入りが早いもので、真文の帰りが心配になる。

「いえ、お気になさらず……あら?」

 こちらの気遣いもよそに、真文は前方に目を凝らした。ならって鳴海もそれへと視線を向ける。

 そこに、人影がぽつんと一つ。長身で肩幅の広い、その後姿は虫酸むしずが走るほどに姿勢が良い。髪は自分と同じく、癖のある質なのでどんなに撫で付けても浮き上がってしまう。

 瞬間、視神経に痺れを感じた。この姿を目にするのはもう随分と久しぶりなのに、嫌悪感が先に反応を示す。

 鳴海は真文を置いて、足早にその人物へと向かった。

「お前、何しに来やがった」

 そう吐き捨てるように、唸りを投げて。


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