捌・呪いの正体、見たり

 ――まだ、間に合うというのなら。

 鈴が鳴る。

 普段は鳴らぬという、仁科の鈴が静寂の中でひと振りの音を立てた。冴えるような響きに、一華は虚ろな目を向ける。

「背を見せて下さい」

 それに従い、一華は乱れた髪の毛を持ち上げて、着物を脱いだ。蟲が這う背を見せる。

 そこには、青白く光る繭のようなものが張り付くようにあった。大きく胎動し、その絹糸の間から蟲が顔を覗かせている。

 鳴海はそれを、廊下から窺っていた。

「そいつをどうするんだ」

「剥がします」

 さらりと返ってくる。

「あの禍津神まがつかみに出来るんだから、出来る筈です」

「……そうかい。そんなら、さっさとやっちまってくれ」

 何やら意地になっているようにも聞こえるが、淡々としているのでその真意は分からない。とにかく、事の顛末を見届けなくては。

 仁科は少し、息を吸い込むとその絹糸に触れた。

 蟲がざわめき、ガサガサと音を立ててその場から逃げ惑う。道筋が出来、仁科は人差し指の爪をその絹糸に刺した。

 細かな繊維が、割れる。解けて、徐々にそれは姿を現す。壁を失い、ぼろりと一華の背中から落ちた。

「……そいつか」

 鳴海は口の端をつり上げて言った。唾液が引き、喉の奥がカラカラに渇いていく。

「呪いの正体見たり、ですね」

 それは、透けた体躯でありながら柔らかそうな刺を纏った蚕に似た蟲だった。

 手のひら一杯の大きさで丸々と肥えており、その中にも小さく様々な幼虫がひしめいている。

 こんなものが背にくっついていたなんて。鳴海は顔を顰めて、恐る恐る蚕を拾った。

「仁。お前はこいつに触れないんだろう?」

「えぇ、そうですね……しかし、目には映っているので、それほどに弱い妖ではなさそうです」

「ふうん……」

 蚕もまた、幼虫の類だ。それなのに力を持つとは恐れ入る。

 鳴海は手のひらに置いた蚕を見やった。

 小刻みな動きを見せるそれはじっとりと冷たく、熱を吸い取っていく。

 柔らかな棘の先端には赤い玉のようなものが浮かんでいて、目玉を思わせる。それらが一斉にこちらを見たので、思わず肩が竦んだ。しかし取り落とすことはなく、毅然と表情を戻した。

 今や気持ちの悪さは頂点に達している。喉の奥はまだ渇いていたが、鳴海は声を発した。

雲英きら、と言ったか。おいあんた、何か壺のようなもん、ないかい」

 傍らにいる禿に言いつけると、返事はおろかバタバタと廊を駆ける音が遠くへと離れた。やがて、息を切らした雲英が丸い陶器を両手で抱えて帰ってくる。

 今日だけで散々走らせてしまったことに僅かな申し訳なさはあったが、今は情をかける暇はない。

「こ、これで良いでしょうか!」

「あぁ、上等だよ。ちゃあんと蓋もあるし」

 鳴海はその中に蚕を放った。

 ぶよぶよ肥えたものの跳ねる音がしたが、見届けずにすぐさま蓋をする。

「こいつに入れて封じておけばまだマシだろう」

 一華を見下ろす仁科を見やり、声を投げる。すると彼は眉を下げて唇を横へと伸ばした。

「お前はなんでもかんでも壺に……まぁ、梅と間違えないならいいですよ」

「誰が間違えるかよ! 馬鹿にすんな!」

 鳴海は壺を持ったまま不機嫌に鼻を鳴らした。そして、チラリと一華に視線を移す。

 彼女は自身の細い肩を抱き、啜り泣いていた。

 静かに、静かに涙を流す。

 その雫が群がっていた蟲の上に落ちると、水泡の如くぶくぶくと蟲たちが消えていった。

 復讐叶わず、悲しみに暮れているのか、人に戻ることが許された安堵か。どちらにせよ、それは彼女の思いが募った粒だろう。

「――さて」

 床を蠢いていた全ての蟲が消え去った後、仁科が明朗に言った。

「一華さん、これからのことですが、私にいい考えがあるんです」

 これからのこと――確かに、問題はまだ残っている。

 項垂れていた彼女は、ゆっくりと涙に濡れた顔を上げた。


 ***


 夜明けは、いくら夏でもひんやりと空気が澄んでいる。

 薄紫の空の下、沈痛な面持ちだった見世の者を見渡して仁科が一言告げた。

「化物は我々が退治に至りました」

 皆が安堵の色を浮かべ、あの女将や女たちが喜びの笑みを見せていた。

 その様子を鳴海は冷ややかに遠くから眺める。一華を連れ、あの開けた平らな草むらへと忍び向かった。

「まぁ、なんだ……その、あんたも災難だったねぇ」

「えぇ……でも、あの見世には所詮、徒花しかおらんのです。いや、蟲……かな」

 ――それに私も、そのうちの一人。

 呟く彼女は、海老茶の着物に身を包み、菅笠を持って如何にも旅支度といった装いである。

 仁科の案は、一華という娘をこの水土里町から消すこと。即ち、この町から出ていくことだった。

 見世を出るなど、まったく考えになかったらしく、初めに聞いた時の彼女は呆気にとられていた。だが、すぐにその案を飲んだ。

 足抜けは、借金のある遊女には許されない。しかし、化物になって退治された、と事実を突きつければ容易く逃げることが出来る。

 彼女の顔にはもうあの歪みはなく、凛とした強さがあった。

 心は未だ晴れなくも、それを見るだけで気持ちに僅かな穏やかさを覚える。鳴海は頬を緩めた。

「私も、あそこに流されるとこやったかもしらんね……色んな姉さんたちが足抜けで消えたりしよったけど、まさか、こうもすんなりとあの楼から出られるとは思っとらんくて」

 彼女の視線の先には、あの川があった。

 昨夜の亡者は遊女の骸。怨霊となっても人を惑わす者たち。そんな彼女らもまた様々な想いを抱いて朽ちていったのだろう。

「――あの、仁科さんにお礼を……」

 未だ姿を見せぬ仁科を探す一華だが、鳴海はそれを適当にあしらう。

「いや、いいよ、もう。さっさとどこにでも行ってきな。そして、好きに生きたらいいさ。先はまだまだ長いんだから」

 壺を小脇に抱えて、笑みを見せてやる。すると、一華も微笑みを向けた。

「……えぇと、最後に貴方の名をお聞きしても?」

「はっ?」

 思わぬ問いに、鳴海は視線をあさっての方向へ這わす。

 そう言えば、きちんと名乗っていなかったような。取り立てて名乗るほどでもないのだが、名乗らぬ理由もない。

 うーん、としばらく頭を掻いていると、背後から仁科の声が割り込んできた。

「権堂登志世、と覚えると良いですよ」

 いつの間にやら追いついていたらしい。鳴海は勢いよく振り返り、拳を振りかざした。

「っんのやろう! 登志世じゃないって言ってんだろう!」

 しかし、仁科はそれをあっさり躱して逃げていく。仕留め損ない、鳴海は歯ぎしりした。

 後ろで一華の愉快そうな笑いが響く。

「ふふふっ。ええと、それじゃあなんとお呼びしたらいいんかな」

 そこまで訊かれちゃ仕方ない。熱り立っていたものの、鳴海は呟くように返した。

「榛原鳴海。覚えときな。また何かあれば、猫乃手に頼めばいいさ……次は自分の足でおいでよ」

「はい。しかと覚えておきます」

 可愛らしい年頃の娘の声は朗らかで無邪気だった。こっちの方が断然いい。

 鳴海は片手を上げて、ひらひら振った。

「ほら、もう行きな。陽が高くなる前に……気をつけるんだよ」

 それじゃあ、と言い残すと、もう一華の菅笠を見送らず、仁科の後を追いかけた。


 昼が過ぎ、陽が高くなれば急に襲う疲労と眠気によって、足がふらつく。町の外まで辿り着いた頃は、もう口がきけなかった。

 あんなにも苛々としていたのに、仁科を咎めるのも今では面倒臭い。

 それに、仁科も疲労を感じているのか、妙に黙りこくっている。

「にーしーなーさぁーん!」

 背後からの呼び声で足を止める。

「あぁ? あれ、雲英じゃないか」

「おや、本当。それにしてもよく走る……」

 そうやってのんびりと掛け合いながら待つと、禿はようやく到着した。息を切らし、前傾姿勢で呼吸をしている。

「あぁ、やっと追いついた……」

 一体、なんなのだろう。用は済んだと思っていたのに。雲英は顔を上げると、満面の笑みを見せた。

「あの、本当に、有難うございました! なんと礼を尽くせば良いか……」

 わざわざそんなことを言いに来たのか。

 何やら自分のことのように嬉しげな雲英の様子に、仁科と鳴海は顔を見合わせた。口が重いのは、何も疲労だけではない。

 唸り、息をつき、仁科が先に口を開いた。

「いやぁ……貴方にとってはあまり良い結果にならないと思うんですよねぇ」

「へ?」

 意味が分からないのか、雲英は左へ首を傾ける。

 対して、鼻を掻く仁科。代わりに今度は鳴海が口を開いた。

「あんた、なんだろう? あの見世に棲まう妖」

 その言葉に、雲英は眉を下げて照れ隠しの笑みを浮かべる。

「あぁ……なんと、お気づきでしたか。しかし、どうして私に良くないと?」

 仁科は困ったように鼻を掻いた。

「あの見世は、一華という花を摘んだ。彼女は徒花になくてはならぬ存在でしたから……まぁ人を呪わば、というやつです」

 その説明に雲英は右へと首を傾ける。

「あぁ、それには及びません。あの見世が傾こうが、朽ちようが私はどこにでも棲まうことが出来ますので。それに……」

 愛らしい小さな唇が、途端、にやりと嗤う。

「あの悪どい女どもの堕ちる様を見るのは、いやはや堪らなく面白く……その際は、とてもとても見ものでしょうねぇ」

 禿頭に隠れてはいたものの、舌をずるりと舐める音がはっきりと耳に伝った。

「……よもや、貴方が呪い師を手引きした、とは言いませんよね?」

 そこにはどこか願望めいたものがあった。仁科の問いに、鳴海も思わずごくりと喉を鳴らす。

 すると、雲英は頬をぷくりと上げ、満面の笑みでこちらを見た。

「影狼のことでございましょうか? あれは、如何にもおっかない御仁ですので、無論、そこまでの恐れ知らずではございませんよ。が、しかし……」

 少し言葉を切る。雲英はその表情のまま、まるで硝子玉のような両眼を大きく見開かせた。

「近くまでお出でのようですから、何卒、旦那様方もお気を付けあそばせるよう」

 唐突に、仁科の腰に提げていた鈴が大きく鳴り響いた。

 それは普段、鳴ることはない。ただ、いつもは三つあるうちの一つがの手にある。

 真文に何かがあったのか。

 二人はもう、禿に構うことなく同時に地を蹴った。


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