弐・渋面も甘味に勝てず

 黒マントの男は気難しく眉間に皺を寄せ、仁科の後に続いて店の中へ入ってきた。その後ろを、小さな少年が大人しく付いて来る。

「久しいですね、岩蕗いわぶきさん。この辺境にわざわざ、よくお越しで。本日はどういったご依頼でしょう? それとも何かお求めに?」

 いやに明るい仁科の声が店内に渡る。

 岩蕗、と呼ばれた男は低く唸ると、不機嫌な目つきで仁科を爪先から頭まで舐めるように眺めた。

「お前も変わらんな、仁科。俺がお前の店のモンなんか買うわけがなかろう」

 邪険な言葉にも仁科はどこ吹く風。笑みを絶やすことなく、岩蕗を店の奥にある座敷へと招き入れる。

「まぁまぁ、そう言わないで。私と貴方の仲ではありませんか」

「うるせぇ」

 その短い一喝に、仁科は苦笑を浮かべてようやく黙った。

 岩蕗は畳の座敷に上がろうと足を掛けたが、ふと思いとどまる。未だ三和土たたきで佇む少年をちらりと見やり、溜息を漏らした。

 小柄で痩せぎすなその少年は、挙動不審に店の中を見回している。いつまで経っても座敷に上がらない彼を、仁科もさすがに訝しく眺めていた。

 目の前で手をヒラヒラ振っても仁科には興味を示さず、天井の木目をなぞるように手を伸ばしている。

「――彼、は?」

 ここまで何の説明もないので、待つより先に仁科は岩蕗に訊いた。途端、強面のその目が頼りなさげに力を失う。

「山で拾った」

 あまり口元を動かさずに渋々といった様子で答えた。ぶっきらぼう且つ簡潔な説明に、仁科は眉間を僅かに寄せる。

「拾った……ねぇ」

「察しがいいお前なら、まぁ、分かるだろう?」

 あまり事情を言いたがらない素振りの岩蕗は少年を手招きした。

「ほら、こっち来い」

 そうして少年のボサボサ頭を撫でる。驚いたのか、彼は肩を震わせた。我に還ったらしく、辺りを見回して仁科を認める。

 はた、と目が合い、仁科も少年を見下ろした。ジッと、瞬きせずに。その様は猫が獲物を見つけたよう。狙いを定めて飛びかかる勢いの――そんな目だ。黒い眼に、曇りは一切ない。

「えぇと……それで、岩蕗さん。彼はどこの山にいたのですか?」

 仁科は少年の目から逸して岩蕗に再度訊いた。

「こいつはヨビコ山にいたんだ」

 言いながら、少年を三和土から引っ張り上げて畳に座らせる。

 一方、少年は耳をピクリと反応させて岩蕗を睨み上げた。その咎める視線が痛いのか、岩蕗は頬を掻くと宥めるように言い直す。

「あぁ、悪い悪い。ヨビコの山、だったな」

 少年は頭を大きく縦に振って肯く。それから、不機嫌そうに口を尖らせると膝を抱き寄せ縮こまってしまった。

「彼の名はミツキ。光り輝くで光輝だ。俺が名付けた」

 機嫌を取ろうと、岩蕗は光輝少年の肩を軽く叩く。その目は慈愛に満ちた父親の優しさがあった。なんとも微笑ましい光景。

 それを仁科はきょとんと目を瞬かせていた。しばらくは二人を交互に見ていたのだが……やがて、盛大に吹き出す。

「大層な名を付けましたね。昔の貴方とはえらく違う」

 岩蕗はその指摘に、すぐさま目元を厳しく持ち上げた。しかし、あの緩みきった表情を見せてしまったことに恥らってもいる。それが仁科の笑いツボを更に突いた。今や腹を抑えて、小刻みに肩を震わせている。

「いやぁ……もう、丸いなぁ。本当に」

「うるせぇ。笑うな。お前こそ相も変わらず無礼だぞ。この阿呆め」

 しかし、それでも仁科はやめない。クスクスと微かに音を立てるのが陰湿だ。この男をどうやったら鎮められようか。

 岩蕗は店の中を見回して、いるはずの人物を探した。

「おい。榛原はどこ行った?」

「え? あぁ、あれなら今しがた茶の用意を」

 直後、甲高く耳障りな破壊音が壁を通り抜けてくる。仁科の笑いが引っ込み、岩蕗も驚いたように目を見張った。

「こら! 真文! だから言ったじゃないか! 気をつけろとあれほどっ!」

「ごめんなさいぃ……っ」

 奥の部屋からそんな喧騒が聴こえてくる。

 光輝は音がした瞬間に岩蕗の背に隠れていた。音源である襖の奥を見据えるかのように、目を細めて睨んでいる。

「……騒がしいな」

 岩蕗の呟きに仁科は愛想笑いを返すだけ。

 しばらく襖の向こうではごたごた、ばたばたと、一悶着あった。忙しない人の動きが徐々に収束していく。

「失礼いたしました」

 そう言って現れたのは鳴海だけだった。盆を手に静々と座敷へ入って来る。

「久方ぶりでございます。岩蕗さん」

 先の荒々しい怒号とは似ても似つかぬ声色で、鳴海は鮮やかな紅を差した唇を開いた。その丁寧な仕草を、岩蕗はじっとりと半眼で見る。

「お前も相変わらずだなぁ……」

 その声にはうんざりとした響きがあった。諦めも漂っている。

「いつ見ても綺麗なのにな……どうして別の方向に利用出来なかったのか……」

「岩蕗さんはいつもそう仰る。いい加減、飽きませんか」

 にこやかだが、口調は固い鳴海である。対して、岩蕗は溜息をつくばかりだった。そうして挨拶もそこそこに、鳴海の差し出す茶を手に取る。

 盆にはふっくらと丸みを帯びた白い菓子が顔を覗かせていた。柔らかな感触を思わせる餅には微量の粉が付着しており、中にはたっぷりとした餡の黒が薄っすら見える。

 光輝はそれを、岩蕗の影からしげしげと見つめ、そろりそろりと様子を窺っている。隣の岩蕗を見やり、無言で菓子を指した。

「なんだ、大福餅か。俺のも食べていいぞ」

 途端に顔を綻ばせる光輝が、茶よりも先に餅菓子へと手を伸ばす。

 その動作に、岩蕗は顔を顰めると光輝の頭を軽く掴んだ。伸ばしていた手が瞬時に止まる。

「光輝、礼をしなさい。このお兄さんに」

「い、わ、ぶ、き、さん。誰ですか、お兄さんって」

 すぐさま鳴海が反応する。その声は刺々しくも、顔は営業用の笑顔である。それでも岩蕗は鳴海の非難を適当にあしらい、光輝につきっきりだ。

 光輝は渋面のままだが言うことに従った。鳴海を見上げて小さく頭を下げる。そして、即座に餅菓子を手に取るとガツガツ頬張った。

 渋面がみるみるうちに綻び、ここへ来てから初めての笑顔を見せる。至極満足げな食べっぷりに、鳴海もつられて穏やかな表情を浮かべる。

「美味いかい。まだ残っているから、たーんとおあがり」

 場は和やかに移り変わっていた。しかし、すぐに水を差す不届き者の声が、小さくぼそりと渡る。

「そりゃあ、まぁ……この菓子は銘菓のものですからね。私が大事に取って置いたものですが」

「仁。いい加減にしろ。大人げない」

「お前に言われたくないです」

 そんな小声の応酬を光輝はどうやら聞こえていたらしく、動きを止めて食べかけの菓子を盆に返した。表情は笑顔からまた渋面に戻っている。目に見えて明らか、不機嫌そうだ。

 その一連に、岩蕗は眉を顰める。吠えるような咳払いを割り込ませ、二人を黙らせた。

「ったく……仁科、あまりいじめてくれるなよ。こいつは耳がすこぶる良くて、おまけに勘がいい。子供だからと侮るんじゃない」

「……ほぉ」

 興味を示した仁科が姿勢を正す。そして、真っ直ぐに岩蕗と向き合った。

 その隙に鳴海は光輝に菓子を勧めておく。警戒する猫のように、手を伸ばしては引っ込めて、また手を伸ばす……繰り返して、食べかけを頬張るがその表情に、先ほどの輝きはない。

 それを横目に、岩蕗は歯切れ悪く話し始めた。

「山で生活して恐らく十年あたり、だと思うが……どうにも分からなくてな。言葉を知らんわけではなさそうだが」

 そうしてもう一度、喉の調子を整えて今度は声を低める。

「見つけた時は既にふもとにいた。ボロを着て、今なんかと比べ物にならないくらい酷い有様だった。生きているのが不思議だと思った」

 彼の声は静かで優しげなのだが、何か見えない者に憎悪を抱いているようでもあった。この哀れな少年に情が湧いたのだろう。

 仁科は茶を飲み干すと息を吐き、低く唸った。

「それで? 貴方は私に何をさせたいのですか」

 周りくどく重苦しい言葉に退屈している。そんな態度を隠しもせずに訊く。鳴海も岩蕗の思惑に見当がとんとつかず、ただ黙っている。

 見たところ害もなく、無口で、人に慣れていない少年。そんな彼をわざわざ連れて来て、岩蕗は何を依頼しようと言うのか。仁科にも鳴海にもこの時点では察することは出来ない。

 岩蕗自身も二人の焦れを感じたらしく、ようやく腹を据えたのか背筋を伸ばした。

「光輝は、どうもらしいんだ」

 仁科の目が薄っすらと開かれた。鳴海も目を見張った。それなのに、傍らにいる少年は何事かも理解せずにのほほんと大様だ。手についた粉をパチパチと叩いている。

「声が出ない、と言うよりも正確には、と言った方がいいだろう」

 岩蕗の言葉に仁科は黙ったまま。その顔に笑みは微塵もなく、どこか冷ややかだ。一方で鳴海は驚きを隠せず、無邪気な光輝を見やった。

 彼は未だ菓子に夢中で、二つ目に手を伸ばしている。岩蕗の重苦しい言葉に全く反応しない。いや、興味が無いのか。ともかく、鬱々たる面構えの大人たちには見向きしない。

 静かな空間にモチモチと咀嚼音だけが聴こえる。

「理由はやはり不明、ですか」

 仁科は答えまで予想し得た言葉を岩蕗に投げた。案の定、彼は静かに頷いて応える。誰ともなく、無念の溜息が漏れ出ていった。

「――あの山には妖怪がいる、と噂がありますね」

 しばしの沈黙後に出てきた仁科の呟きに、岩蕗が眉を上げる。

「あぁ、そうだな」

 そうして、苦い思いを流すように茶を飲み干した。

 口に含むには調度良い温度まで冷めていたらしい。それを真似して光輝も湯のみに手を伸ばした。豪快には迎えず、音を立ててちびちびと啜っている。

 その音の上からかぶせるように、仁科は言葉を発した。

「聞けば、どうも最近に山を訪れた者が見たとかで。この前、村の爺様たちが噂していましたね」

「ふむ。そいつぁ知らんが、確かにあの山は曰く付きだな。わっぱの姿をしたあやかしが棲まうという。名の通り、呼び子ってわけで。まぁ、木霊とも言われてるらしいが、この辺りに住む連中は大概が『ヨビコ』と言ってる。声をかけてきた者に反応し、襲って喰らう妖怪だ……しかし、これはあくまで噂のこと。実際は違う」

 そう一息で言い切る岩蕗に、仁科は首を傾げた。鳴海もその断言に困惑を示す。

「岩蕗さんはヨビコ様の正体を知っているのですか?」

 思わず口を挟んだ。その鳴海の横槍に、岩蕗は眉間に皺を作る。そして、頭頂を引っ掻くように爪を立てると、鳴海ではなく仁科を見た。

「……お前なら分かるだろう?」

 口にするだけでも忌々しいとばかりに、その表情は険しい。

 仁科は応えるように腕を組むと、目を細めて岩蕗を見返した。眼鏡が冷たく光を放つ。

「まぁ……私は聞いただけで、直接見たわけではありませんが。大凡おおよそは把握しています。つまりは……ヨビコ様と言うのは、のことでしょう」

 その低く冷たい声に、岩蕗はただ唸るだけ。鳴海は目を伏せた。

 それでも仁科は先を続ける。ぽつりぽつりと零すように。

「れっきとした人間です。妖怪なんかではない。しかし、彼らが育つにはやはり親代わりの者が必要。さて、その正体は……」

 彼らの間に、静かな緊張が張り巡らされた。察してか否か、光輝も微動だにせず顔を俯けている。

「――仁。それじゃあ、あの山には……」

 沈黙に耐え切れなくなった鳴海の声に、岩蕗も目線だけで続きを待ち構える。

 対して、仁科は鉛を口に含んだ重々しさを湛えて、ゆっくりと口を動かした。

「彼ら、ヨビコ様には大元の『ヨビコ様』が存在する。長か親か、あるいは……か」

 口にした瞬間、仁科はフッと小さく軽い笑みを漏らす。それは自身の言葉に投げつける嘲笑か。


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