半分役者

細太 ちい子

❏ わたしの地元の演劇事情

私の地元では、そこそこ演劇が盛んである(と、思う)。

社会人劇団も多くあり、週末ともなるとそこかしこで本番が行われている。

ただ、小屋(※)自体の数が多くはないので盛んといっても勿論、大阪や東京など大きな都市と比べるとそれはもうミジンコだろうと思う。


私は15年間、地元で役者を続けてきた。

演劇に出会って、芝居の楽しさを知って、社会人になった今でも役者を続けている。

なにかの賞を頂くわけでも、取りに行くわけでもなく、挑戦することもなく、いつの間にか月日だけが経ったが変わらず役者を続けている。


さて、突然こんなことを書くのは気が引けるが、聞いてほしい。

実は最近、何とも言い難い危機感を感じているのだ。


そろそろ私もいい年になるし、周りはどんどん結婚していくし、年下年上問わず既婚者ばかりになっていく周囲の結婚事情にではなくて、地元の劇団に対してだ。


危機感が明確になってきたのは昨年。

知り合いの髪型が変わってその変化に違和感を感じるような、少しモヤモヤした気持ちが沸いて、消えて、また沸いて、を繰り返していた。

どこかソワソワして気持ちが悪い「違和感」の正体は、私の気付かないところでどんどん大きくなっていって、ついに今年、崩壊の兆しを見せた。


「ここ(地元)の舞台、つまらないから東京に行こうと思うんだよね」

久しぶりに会った演劇仲間が晴れやかな顔でそう言った。

ああ、やっぱり、という気持ちにしかならず「いいじゃん」と返したけど、内心は穏やかではなかった。「違和感」はやはり頑としてそこにあって、それに気づいたひとたちは刺激を求めに、地元から出ていくのだ。


「地元劇団の面白みのある舞台が殆どない」

「他県からきた劇団と地元劇団のクオリティの差がかなりある」


私が感じていた違和感は、少なからずそういう気持ちがありながら舞台を作っている「今」に対して抱いた感情だった。

勿論、劇団の中には他県で出張公演を行う「実力派」なところもあるにはあるが、ほんの一握りの劇団だけで大多数はそうではない。


そのほか問題点も多くある。

「つまらない芝居」を「つまらない」と言えない雰囲気があるのだ。つまらないと感じたのならそう伝えたほうがいいのではないかと私個人的には思っているのだが、そんなこと言おうものなら亀裂が走り修羅場が始まる、そんな空気がある。そもそも「楽しい」とか「つまらない」なんて個人の感想なのだし、そんなにピリピリしなくてもいいのでは、と思うのだが面倒臭いことに地元劇団ゆえ横の繋がりが強く、揉め事は極力避けたがるひとが多い。


個人的に全く楽しくなかった舞台でもツイッターで

「すごく面白かった~♡また観たい♡(キラキラの絵文字)あの役大好きだったしめっちゃ笑った~(笑笑)最後は泣けて名作でした(泣いてる絵文字)」

みたいな感想を見ることもあるので、私の感性など宛にならないのかもなと思うのと同時に、この感想が「つまらないと言えない雰囲気」から生まれた言葉でありませんように、と思う。そんなことを思ってしまうほど、つまらないが言えない問題は深刻で根が深い。


舞台を観るのが演劇関係者でなければまた違うのかもしれないが、殆どの場合客席には地元の演劇関係者しかいない。お互いがお互いの舞台を告知して、都合が合えば観合いに行く、その繰り返しだ。アンケートには当たり前のように「楽しかったです」「面白かったです」の文字が記されるけれど、本心かどうかはわからないし知り至るところではない。聞いたところではぐらかされそうで、お互い面倒くさくなりそうで、踏み入った話にならないしなりそうにもない。


そんな地元から頻繁に「面白い作品」が出てくるわけもなく、刺激になるわけもない。ここを出て東京へ大阪へと思いを馳せるのは当たり前のことなのだ。


ここまでが現在の、私の目からみた地元の演劇事情である。



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※小屋 … 芝居が出来る場所。ホール、ギャラリー、(演劇公演などの為に貸し出している)民家など。

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