64 琴音の話

 わたしが鞠奈と初めて出会ったのは、七歳の頃で、鞠奈が自動車事故で亡くなったその一週間ほど後のことです。わたしはそのずいぶん前に、この赤沼家の邸宅の中のある一室の床を開くと、地下に続く階段があって、それが秘密の地下室の入り口だということに気づきました。この秘密の地下室は、それ以降も、わたしの他には父と鞠奈しか知りませんでした。父の話では、父がこの邸宅を買う以前にこの邸宅を所有していた人……そもそもあの邸宅というのは、その人が建てたものらしいのですが……その人がずいぶんと偏屈で、こんな不思議な地下室をつくったということでした。

 わたしは子供ながらに、この地下室が非常に魅力的に感じられて、父に隠れて、ひとりであの階段をこつこつと降りることが何度かあったのでした。ある日、わたしはその地下室に小さな人影を見ました。その人影は地下室ですやすやと眠っていたのです。なんだか分かりませんでしたが、小人のように思って、狐につままれた気分で正体を確認しないで地上に帰ってきたのです。

 わたしはすぐに父に尋ねました。「お城の地下室に眠っているのは誰なの……?」父は驚いたようでしたが、すぐに笑顔をつくると「あれはお人形だよ」と答えました。(第一回参照)

 その後、わたしはもう一度、そのお人形の確認をする為にその地下室に降りていきました。お人形と言われれば、そうだったのかもしれないと思いました。ところが、地下室の人影はものを喋りました。そして、自分の名前をマリナと名乗ったのです。(第四十九回参照)

 わたしはこの時、初めて自分に鞠奈という双子の妹がいたことを知りました。ドッペルゲンガーというのは恐ろしいもので、初めはなんとなく怖かったのですが、次第に仲良くなりました。

 父は「鞠奈は秘密の存在なんだ。だから誰にも見つかってはいけないんだ」とわたしに言いました。それでも、鞠奈は長時間、地下室の中に隠れ続けているわけにもいかなそうでした。そこで、父は偽名をつくって、上手く鞠奈を別人として暮らさせることを考えていました。それがなかなか上手くいかなかったので、その内に、鞠奈はわたしのふりをして、父と外出をするようになったのです。そして、その時は、わたしが代わりにあの冷たい地下室の中に隠れていたのでした。

 父は、まだ小さいわたしには、鞠奈のことをなぜ秘密にしなければいけないのかは教えてくれませんでした。そのことを教えてもらったのは、ずっと後のこと、中学生になってからのことでした。

 父はわたしを呼び出すと、こう言いました。「鞠奈は命を狙われているんだよ」と。「だからこそ、死んだことにして、別人として生きる道を模索しているんだ」と。わたしはこの時、鞠奈が秘密の存在となった理由を聞きました。鞠奈は現実に、わたしと初めて出会ったその一週間前に、栃木県の山奥で起こった自動車事故で殺されかけていたのです。

 あの日は、鞠奈は、栃木の親戚に泊まると称して、実は父と会うことになっていたのです。このことは早苗さんの目もあった為、非常に秘密に行われました。鞠奈は、山道の途中で、滝川家の親戚の車から、父の車へと乗り移っていました。その為、滝川家の方が車ごと谷底に落ちた時、その車内には鞠奈はいなかったのです。しかし、この出来事は実に三度目のことでした。鞠奈は、誰かに命を狙われていたのです。そして、父はその犯人に心当たりがあるようでした。そしてそれは父の近しい人であった為、このことをずっと秘密に済ませようとしていたのです。その為、父は鞠奈の存在をひた隠しにしながら、一連の出来事の証拠を探していたのです。

 鞠奈が中学生となったその頃、偽名を名乗って、別人として生きることを開始していました。それでも、学校教育は受けられないし、なかなか不自由することも多かったようです。それで結局、わたしと二人一役をするという生活が度々蘇るのでした。それはお互いに不自由に違いありませんが、琴音として活動する時には、堂々とすることができたのです。

 そうした時には、綿密に日記をつけることが義務付けられました。ただの日記ではありません。会話、出来事、ものの考え方まで、一日にあったことはどこまでも緻密に記録するのでした。そして、わたしは鞠奈の体験したことまで、自分が体験したことだと思い込むことにだんだんと慣れていったのです。

 中学を出ると、鞠奈はしばらく別人として生活をしていました。義務教育の年がついに終わり、一人立ちしていても、おかしくない年齢なので、行動がずいぶん自由になったようでした。しかし、あまり身元が疑われることがあると、父は鞠奈をこの赤沼家の本邸の秘密の地下室に呼び寄せて、また二人一役の生活が蘇ったのでした。

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