30 京都の喫茶店にて

 ここはまた打って変わって関西、京都である。京都の正月といえば、ずいぶんとせわしないものだ。それでも一般人には正月休みというものがある。やはり、この時期に忙しいのは何よりもお寺だろう。小さい寺でも檀家の挨拶などもあるし、そのもてなしの支度でてんてこ舞いになるのだった。


 今年は一段と寒い冬であった。吐いた息はたちまち白くくもって風に飛ばされ消えてしまった。

 こんな時に喫茶店にひとりで入って、京都の冬は猫一匹通らないというほど寒いというのに、アイスコーヒーなどを注文してしまって、しまった、なんてつまらぬ後悔をしている男がいた。

 男は、京都に移り住んでからもう五年にもなるが、まだ心も体が慣れてこない。第一、関東とは違う京都の気風のようなものが彼にはなかなか馴染めなかった。それでも、男は大して有名でもない小さな和菓子店に雇われて、細々と和菓子作りの勉強をさせてもらっているのである。

 男の名前を、滝川真司たきがわしんじと言った。

 すると、カランカランと音を立てて、喫茶店の中に黒い厚手のコートを羽織った男が入ってきた。いかにも知的な印象の爽やかで若々しい美男子なのであった。

 彼は、ウエイトレスがやって来て何だかんだ聞かれる前に、真司のことを見つけてまっすぐ歩いてきた。他に真司に該当するような性別で年齢の客はいなかったから、すぐにそれが真司だと分かったのである。

「滝川真司さんですね」

「ええ、するとあなたが……」

「探偵の羽黒祐介と申します」

「お待ちしておりました。赤沼家の麗華さんからの依頼で、琴音さんの死について調査なさっているとか……」

「ええ……ここに座ってもよろしいですか?」

「もちろん」

 羽黒祐介が椅子に座ると、ウエイトレスが近づいてきた。

「珈琲を、ホットで」

「かしこまりました」

 若いウエイトレスは少しはにかんでお辞儀をすると、そそくさと店の奥に消えていった。

「滝川さんは、京都に来て何年になりますか?」

「もう五年になりますが、まだ慣れません。やっぱり関東とは違うところが多くて」

「特に京都は独特でしょう。あるいは、関東が独特なのかもしれませんが。しかし、なぜ京都に……」

「関東から離れたかったんです。祖父も祖母も相次いで死んでしまって、良い思い出がもうあそこには何もありませんでしたから、どこか遠くに行ければ僕はそれで良かった」

「和菓子職人を目指されているのですか?」

「アルバイトのようなものです。まだまだ勉強中です。大学を出たての頃、和菓子職人を目指していた時期があったんですよ。新天地に京都を選んだのも、原点回帰だったんです」

 ウエイトレスが珈琲を運んできて、祐介の前に置いた。ふっくらした頬を赤らめて祐介をちらりと見ると、また店の奥へと引っ込んだ。

「はるばる京都まで足を運んでいただいて恐縮ですが……、何と言いますか、あまり私は赤沼家の方々のことはよく知らないんです……。琴音ちゃんのことはもちろん覚えていますが、ほんとに小さい頃、赤沼家の方に引き取られてしまいましてね……」

「ええ、ところが私は、琴音さんのことを聞くためだけにここまで来たのではないんです。京都に来る前に、千葉の滝川家の親戚筋の方に少し事情をお聞きしたのですが……」

「親戚筋というと、叔母さんですか」

「ええ」

「嫌だな……。あの人は工場の経営が傾くと祖父祖母と縁を切ったように離れていってしまった人なんですよ。赤の他人のようになってしまって……。あの人、僕のことを何て言っていましたか」

「いえ、特に何とも……そうですね。少し蒸し返してほしくなさそうな様子はありましたが……」

「そうですか……」

「それでお聞きしたところ、琴音さんには妹がいらっしゃったということですね」

「ええ、双子の妹でした」

「お名前は確か……」

鞠奈まりなです」

 滝川鞠奈たきがわまりな、その話は赤沼家の人々の話にはまったく登場しなかった名前だった。その理由はなんであろうかと祐介には疑問であった。

「お話によれば、鞠奈さんは琴音さんのようには赤沼家に引き取られずに、そのまま滝川家で育てられていたのですね」

「ええ、重五郎さんは二人とも引き取りたかったようですが、あの奥さんの目もあるし、第一、祖父や祖母が孫を二人とも連れて行かれるのを嫌がったので、ひとりは赤沼家の方で育て、もうひとりは滝川家で育てるという話になったんです」

 そう言って、真司は凍りつくような冷たさのアイスコーヒーを一口吸って、苦くて酸っぱそうに舌打ちをした。

「もちろん、どちらも僕の妹ですよ」

「そうですね」

 祐介は少し聞き辛そうに、そして少し様子を伺うように、

「真司さんのお父さんというは、どなたなのですか」

「どこにいるかもわからない男ですよ。母が妊娠したと知ったらどこかへ逃げてしまって、僕にはよくわかりません。だから、そのことといい、重五郎さんとの一件といい、母はすぐに男に騙されるところがあったんですよ……」

「滝川家の工場の借金というのは、今もあるのですか」

「ありません」

「するとおじいさん、おばあさんはどうやってその借金を返済し、あなたと鞠奈さんの養育費を賄っていたのですか?」

 すると真司は腕組みをして、少し眉を寄せて首を傾げた。

「それが僕にもわからないんです。何しろ、その点については祖父や祖母は口が堅く、喋らぬまま死んでしまったのですから……ただ……」

「ただ……?」

「鞠奈は幼い頃、自動車事故で死んでしまったんです」

「死んでしまった……?」

 祐介は驚きの声を上げた。これは完全に初耳の情報であった。

「叔母はこのことを言ってませんでしたか」

「ええ」

「そうか。鞠奈が死んでしまったのは、叔母が離れていってしまった後だったんですね……。だから、叔母はきっとこのことを知らないんですね……」

「鞠奈さんが亡くなられた、その時のことについて詳しいことをお聞きしたいのですが……」

「残念ながら、あの時は私も小学生でしたから……。詳しいことは知らないんです」

「そうですか……」

 その後、しばらく祐介と真司は滝川家のことと琴音、鞠奈のことについて話し合った。そして三十分もしたら、「そろそろ……」という話になって二人はおもむろに立ち上がった。

「まだしばらく京都にいらっしゃるんですか?」

 真司は祐介に尋ねた。

「そのつもりでしたが、麗華さんから赤沼家で殺人事件が起きたという連絡が、昨日ありましてね。これからすぐにでも東京に戻ってから、また新幹線で、赤沼家のお屋敷の方にお邪魔しようと思うんです……」

「ああ、新聞で読みましたよ。重五郎さんが亡くなられたって……あのお家も大変ですね……琴音ちゃんの一件もそうだけれども……」

「また時間があったら京都に来たいと思います。時間がなかったらその時はお電話でも……」

「ええ、いつでも。僕に出来ることならば協力しますよ。事件、解けると良いですね……」

 真司は、ゆっくり頷いて言ったのであった。

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