第2話
琴浦聖人に会うとして、問題はその理由と方法である。
自殺動機の調査なんて名目では向こうも警戒するだろう。いきなり「なぜ自殺をしようとしたのですか?」と訊いたところで正直に答えるとは思えない。直接の連絡ではなく清掃局を通すべきか。しかし、清掃局を通すならなおのこと自殺というワードを出すわけにはいかない。
考えれば考えるほどこの調査がいかに難しいものかがわかる。
しばらくどうするべきかと思案していたが、こういったことに正解はないだろうし私の性分でもない。まずは清掃局を通し、何か適当な理由をつけて会うことにした。
清掃局にアポを取るため電話を入れた段階で、早良局長の存在に助けられた。
電話に出た人が早良局長の知り合いだったらしく、国民管理局を名乗るなり「あー早良さんとこの。早良さん元気にやってますか?」という話が出た。ただアポを取るだけの電話に、小一時間ほど早良局長の話をすることにはなったが、特に理由を聞かれることもなくアポは取れた。幸いなことに琴浦聖人は明日、事務所にいるようだ。
琴浦聖人に会ったときに何を話すべきか。それを考えながら私はもう一度資料に目を通した。
翌日、寝不足の顔を化粧でごまかし清掃局に向かう。
結局なにを話すべきか、これといっていい案も浮かばないまま清掃局まで来てしまった。
清掃局舎はかなり古い建物だ。停戦まもない頃に建てられた。
とはいえ旧世代の自己修復コンクリートでも耐用年数は五百年を超えているため、見た目には建物の傷みはわからない。しかしデザインは古風だ。大正時代の赤レンガ建築を模した外観で、周囲の建物と比べるとまるで建物だけがタイムスリップしてきたかのような印象だ。
私は、やたらと豪奢な入り口を通り受付に向かう。
受付の女性型アンドロイドに声をかけようとする直前、後ろからいきなり声をかけられる。
「一ノ瀬七海さんですよね」
振り返ると柔和な笑みを浮かべた中年の男性が立っていた。声からすると昨日の電話の人のようだ。たしか名前は
「はい。失礼ですが志村様でしょうか」
「そうそう。昨日はありがとうね。久しぶりに早良さんの話が聞けてよかったよ」
志村さんは早良局長の部下だった人で「早良さんは人生の師匠みたいなもんさ」と言っていた。早良局長を師匠と仰ぐだけのことはあり、雰囲気が少し似ている。だが話が長いところは見習わなくてもよかっと思うのだが。
「とりあえずこっちに」と応接室に通される。
応接室もレトロな内装になっていた。いまどき革製のソファは珍しい。さすがに本皮ということはないだろうが。
「琴浦くん呼んでくるからここで待っててもらえるかな」
「はい。お願いします」
志村さんは応接室を出ていこうとしたが扉を閉める直前に立ち止まり「悪い話じゃないよね?」と少し心配そうな顔で言った。
私は曖昧な微笑みでうなずき返した。これが悪い話なのかどうか私にも判断できない。
志村さんが琴浦聖人を呼びに行っているあいだ、私はマルチで指示書を見返した。
唯一の調査対象。とりあえずは経歴と病歴についての確認という名目になっていた。まずは琴浦聖人がどんな人間なのか知る必要がある。
ここまで来てどうするべきか考え込んでいたため、ドアをノックする音に驚き我に返る。
「失礼します」
琴浦聖人は不機嫌そうな顔で応接室に入ってきた。資料にあった証明写真も不機嫌そうだったところをみると、これが普通の状態なのかもしれない。猫背で髪が中途半端に長く、細い目のせいで陰鬱な印象がある。
「はじめまして。国民管理局の一ノ瀬七海です」
私は立ち上がり名乗った。自殺対策室の名は伏せておく。
「ども……琴浦聖人です」
琴浦聖人は、うつむき加減で小さく答えると私の対面に座る。
さて、まずはでっちあげの目的である経歴の確認をと思い話を切り出す。
「今回お伺いした件なのですが——」
「悪いけど答えたくない」
私が用件を切り出す前に、琴浦聖人は小さな声で、しかしはっきりと拒絶した。
いきなりのことに思考が停止する。まさか質問をする前に拒否されるとは思ってもみなかった。
「用件なら察しがついてる。
私が声も出せずに驚いていると、琴浦聖人は立ち上がり応接室から出ていこうとする。私は咄嗟に「まって!」と彼を呼び止めた。
「一ノ瀬さんだっけ? あんたに話したくないわけじゃない。
「それはどういう——」
「そのまんまの意味だ」
どうやら何が何でも話す気はないらしい。しかし彼の言いたいことは理解できた。
「ここに
「あんたマルチ持ってるじゃないか。マルチは
「
「あんたがそう思うのは勝手だが、俺はそう思ってない」
私は必死に食い下がるが彼の態度はにべもない。だがひとつ疑問ができた。
「あなたもマルチを持ってますよね。そこまで
琴浦聖人はしょうがないといった様子で座り直した。どうにか引き止めることには成功したようだ。
「今の社会はマルチがないと生きていけないからな。それに監視そのものは問題じゃない。
琴浦聖人は身につけている腕時計型のマルチを触りながら答える。
「AI排斥主義なら特区に行けばいいのでは?」
彼の態度に少し苛立ちを覚えていた私は、不躾に言い捨てる。
特区——特別指定区域はAI排斥主義者が集まる地域である。
戦争を引き起こしたAIを良しとせず、
「特区は駄目だ。あそこの連中は、口では
言葉は辛辣だが、そう言った琴浦聖人の顔は悲しそうに見えた。
琴浦聖人の思想が理解できない。
「ではマルチがなければお話しいただけるということですか?」
私に話したくないわけではないと彼は言った。それならば、
「八百万台」
「え?」
「この国にある監視カメラの数だ。あくまで公表値だがな。マルチがなくてもこの国で
確かに防犯上の理由で各所に監視カメラが設置されている。そのおかげで今となっては突発的な犯罪を除けば犯罪率はほぼ皆無だ。検挙率百パーセントでは誰も罪を犯そうとは思わない。しかし、それでは——
「どうあっても話す気はないということですね」
「さっきも言った。
今度こそ話は終わりだと、琴浦聖人は席を立つ。
私は声をかけることもできず、応接室から出ていく彼を見送った。
琴浦聖人とのファーストコンタクトは失敗に終わった。だが収穫がなかったわけではない。まだ打つ手はある。しかし、それには準備が必要だし気になることもできた。
明日も考える一日になりそうだ。私の性分ではないのにと、暗澹たる気分で清掃局を後にした。
シンギュラリティ・シンドローム 真白(ましろ) @BlancheGrande
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