第1話
「自殺の調査ですか?」
予想外の辞令に思わずオウム返しで問い返す。
無機質な部屋だ。机と椅子以外のものは何もない。
「不満かな?」
早良局長は机を指で叩いている。マルチで仕事をしているのだろうが、彼の網膜に直接投影されているディスプレイとキーボードは私には見えない。
「いえ、不満などはありませんけど。今までの仕事とはあまりにも違ったものですから驚いてしまって」
「そうだろうね。私だってここの局長を命じられたときは驚いたものさ。ここの局長になる前は清掃局で働いていてね——」
まずい。この話を聞くのが何度目か覚えていないが、早良局長のサクセスストーリーは長いのだ。
仕事は
学生時代の成績や特性はもちろん、性格的な傾向も含め、もっとも向いているであろう職業を
「というわけでだ。
早良局長のわざとらしく改まった声で我に返った。聞き流していた早良局長のサクセスストーリーはいつの間にか終わっていたようだ。
それよりも、自殺対策室なんて聞いたことがない。しかも私が室長だなんて。
「あの——」
「自殺対策室は今日できたばかりの部署でね。まだ君しかいないんだけどね。というか今後、他の人が配属されるか私にもわからないし」
早良局長は私の質問に先回りする形で答えた。「堅苦しい話はこれで終わり。これ
「こんなこと私も初めてでね。何かあれば相談には乗るけども、あまり力にはなれないかもしれない。まあ
「……わかりました」
とりあえず指示書とやらを確認しなければ始まらない。
私は自殺対策室としてあてがわれた部屋に向かった。
国民管理局の仕事はその名の通り国民の管理だ。どうやって産まれ、どこで育ち、どんな仕事をして、どうして死んだのか。人が産まれてから死ぬまでの全てが記録されている。ほとんどは
局舎の最下層、地下五階の一番奥。あてがわれた部屋のドアには「自殺対策室」と表示がされていた。
地下五階の他の部屋は全て資料室になっている。とはいえ保管されているのは数十年前のものばかりだ。全てが電子化されているため、普通はマルチで閲覧するのでここには人の気配がない。
場所を見たときから予感はあったのだが、ドアを開け中を見た瞬間に予感は確信に変わった。
狭い。この狭さの部屋があてがわれたということは人員の追加は見込めないだろう。仮に追加されるとしても二人も来れば机だけで部屋が埋まってしまう。当たり前といえば当たり前なのだが、局長室と同じように机と椅子以外は何もない。あとで観葉植物でも持ってこようと考えながら椅子に座る。
この配属は栄転なのだろうか。事務員から室長になったのだから本来は栄転なのだろうが、この部屋を見る限り左遷ではないかと疑ってしまう。なにはともあれ、資料と指示書の確認をしなければ始まらない。
資料には自殺者に関するデータが書かれていた。
去年の自殺者数は3485人。私はその数に驚いた。年間三千人以上も自殺をしているのかと。
資料によれば戦前に比べると約十分の一に減っている。人口が三分の一になっていることを考慮しても激減と言っていいだろう。しかも戦前の自殺者数に関しては、技術的な問題や検死官の不足などで把握しきれていない自殺者が相当数いることは間違いない。戦前の自殺理由の大半は健康問題と経済問題だ。今となっては治療不可能な病気はほとんどないし、医療費は無料である。経済的な問題もなくなっている。生活に必要なものは全て無料で支給されるし、借金というシステムがなくなって久しい。人が働く理由は生活のためではなく贅沢のためでしかない。お金のかかる趣味を持たず、贅沢さえしないのであれば働かなくても生きることに困りはしないのだ。
現在の自殺理由はほとんどが人間関係だ。健康問題や経済問題がないわけではないが、合わせても十パーセント以下である。だが問題はそのどちらでもない。
284人。約八パーセントの人間が原因不明の自殺をしている。
私は自殺対策室が作られた理由がわかった気がした。原因がわからないのであれば対策を考えることもできない。その原因を突き止め、改善策を打ち出すこと。それが私の仕事なのだろう。
自殺の状況を把握した私は次に指示書を見てさらに驚く。指示書には調査すべき対象が書かれていたのだが、対象者は一名だった。
自殺をした人間の調査ではなく、自殺をする人間の調査なのだ。確かに、本人から直接理由を聞けるのだから原因究明にこれほどうってつけの人物はいない。だが、原因不明の自殺をする理由が一つとは限らないのではないだろうか。調査対象者の名前は琴浦聖人しか書かれていない。あくまでも最初の一人であり、琴浦聖人の調査が終わり次第、次の対象者を知らされるということなのか。
私はとにかく琴浦聖人に会って話を聞くことにした。
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