第190話 最終階層のボス

「何や此処は……」


 門の先に広がる光景を目の当たりにするや、ヤクトの口から思わず困惑の一言が零れ落ちた。

 第六階層の最奥はコロッセオだった。堆く積まれたレンガ状の石畳がぐるりと私達を取り囲み、まるで巨大な寸動鍋に放り込まれた蟻になったかのような気分だ。しかし、それだけならば第一階層の迷路ダンジョンと然程代わり映えしない。

 ヤクトが……いや、私達が注目したのは辺り一面を埋め尽くす宝剣の群れだ。煌びやかな金銀宝石による贅を尽くした装飾が施され、刃に至っては数百年以上も経過したとは思えぬ新品同然の輝きを放っている。

 傍から見れば宝の山に違いないだろうが、其処に興奮と達成感は芽生えなかった。無造作に突き立てられた姿は墓標のような不気味さを醸し出しており、またダンジョンという油断ならない要素スパイスが私達の緊張感を引き立てているからだ。


「まさか……こん中から本物のアクエリアスを探せっていうっちゅーんか?」

「分からん。がしかし、これを単なる背景の一部と断ずるのは無理があるだろうな」

「ですが、どれが本物なのでしょうか?」


 コロッセオに恐々と足を踏み入れたヤクト達は、注意深い眼差しを花畑のように乱立する宝剣に走らせた。どれもこれも国宝級の傑作に見えるが、本物のアクエリアスは一本だけだ。つまり、大部分は見せ掛けだけの偽物という訳だ。

 試しに鑑定スキルで幾つかの宝剣を確認してみるが、まるでジャミングが掛けられているかのように詳しい情報を引き出せなかった。やがてコロッセオの半ばに達した時、ヤクトが呟いた。不意に何かを思い出したかのような口振りで。


「そう言えば此処へ来た時にあった石板……アレに書かれてあった文章がアクエリアスの鍵になるんちゃうか?」

「絢爛たる欺瞞に惑わされるな。古びた真実を目に突き立てよ。さすればアクエリアスの慈愛は汝の手に与えられん……だったな」

「絢爛たる欺瞞……」やや先行していた角麗がパッと二人の方へ振り返る。「額面通りに受け取るなら、この金銀で装飾された剣の事でしょうか?」

「だとしたら、此処にある大部分が偽物っちゅーことやな。となると、俺っち達が探さなあかんのは古びた真実……この中で一番古い剣ってことか?」

「しかし、我々は鑑定士じゃない。どの剣が一番古いかなど分かる筈がない。それに、古びた真実の後に続く『目に突き立てよ』とは一体どういう意味なのだ?」


 謎めいた表現が私達の思考を堰き止める障害となり、もどかしさにも似た重い沈黙が降り注ぐ。しかし、門の外で待っているアクリル達の安否を考えると、何時までも謎解きにかまけてはいられなかった。


「とにかく、古そうな剣を見付けたら手当たり次第に手に取ってみようや。そうしたらダンジョンが何かしらのアクションを起こすかもしれへん」

「そう簡単に剣を手にしても大丈夫なのですか?」


 ヤクトの提案に角麗は意外性と不安を半々にしたかのような表情で聞き返す。


「大丈夫かどうかは分からへんけど、今は時間が惜しい。とりあえず手分けして古そうな剣を探すんや。せやけど、見付けても直ぐに引っこ抜いたらあかん。何が起こっても対処出来るよう、三人同時に引き抜くんや」


 説明が終わるやクロニカルドと角麗は弾かれるようにヤクトの傍から離れ、宝剣の間を縫うように通り過ぎていく。取り残されたヤクトも彼等が踏み入っていない領域へ進もうとした時、ふと何かを思い出したかのように最後尾に付いていた私の方へと振り返った。


「せや、ガーシェルは此処で待機や。その巨体やと剣の間を通るのも一苦労やろ?」

『分かりました。此処で待たせて頂きます』


 相手の思い遣りに甘えて私が足を止めると、ヤクトはサッと身を翻して宝剣の山へと踏み込んでいった。



 三十分にも及ぶ目利き――各々の芸術的感性や直感に頼った部分が殆どだが――の末、ヤクト達は無数に群生する宝剣の中から三本の剣を選出した。

 ヤクトは両刃のクレイモアを、角麗は片刃のグレートソードを、クロニカルドは柄に十字架が埋め込まれたロングソードを。刀種も大きさも装飾も全て異なるが、果たしてどれが正解なのかは不透明だ。


「で、剣を引き抜いたのはええけど……」

「何の反応も起こりませんね」


 各々が選んだ宝剣を一斉に引き抜いたものの、目ぼしい反応は何処にも見当たらない。あの石板に書かれていた表現の解釈が間違っていたのか、それとも自分達が解き明かしていない謎が他にもあるのか? 

 三人の表情に不安と焦りが芽生え掛けた、その時だった。地震に酷似した激しい揺れがコロッセオ全体に襲い掛かり、入り口の向かい側にある壁が重厚感を伴った地響き混じりのスライド音と共に左右に展開する。

 そして壁の向こう側から現れたのは、目も奪われるような美貌と肉体美を兼ね備えた巨人―――ではなく、人間が持つ美の可能性をこれでもかとふんだんに盛り込んだ守護石像ガーゴイルだった。

 芸術や美術の極致に至ったかのような神々しい肉体はミケランジェロのダビデ象を連想させる一方で、その肉体を覆い隠す頑強な黒鉄の鎧は勇敢さと気高さを強調している。また巨人の手元には身の丈の大半を覆い隠せるほどの大剣が握り締められており、処刑人のような威圧感を成していた。


「おい、アレを見ろ」


 突然のガーゴイルの出現に誰もが呆然とする中、ある事実に気付いたクロニカルドが沈黙を破るのと同時に巨人の右目を指差した。左目にはルビーのような宝石が埋められているが、反対側の右目には縦線のような細い穴が備わっていた。


「もしかしてありゃ……鍵穴か?」

「真実を目に突き立てろ……つまりは、あそこに剣を突き入れろという事でしょうか?」

「あの石板に書かれていた言葉が確かならば、そうなのだろう……」そう言ってクロニカルドは仲間を横目で一瞥した。「やってみるか?」


 その問い掛けに対しヤクトはバズーカのような火器を構え、角麗は拳を構えた。最早、彼等の中で答えは決まっているみたいだ。それを見てクロニカルドも覚悟を決めた。


「よし、ならば先ずはゴーレムの動きを封じるのが先決だ。己とガーシェルで動きを止める。その隙にヤクトと角麗はアレの目に剣を突き立てろ」

「了解や」

「分かりました」

「よし……行くぞ!」


 クロニカルドの号令を機にヤクトと角麗が駆け出した。接近する二人の姿を確認したのかガーゴイルの左目に輝きが宿り、まるで本物の人間のように石像とは思えぬ滑らかな動作で歩き出した。

 やがて両者が互いの間合いに飛び込むと、最初に攻撃動作に移ったのはガーゴイルの方であった。ズルズルと引き摺っていた大剣を両手で持ち上げると、蟻を見下ろすかのようにヤクト達に視線を絡ませたままソレを振り下ろさんとする。


「ヤクトさん! 来ます!」

「ああ、分かっとるで!」


 角麗とヤクトが左右にある宝剣の山へそれぞれ飛び込んだ直後、ガーゴイルの大剣が石畳に叩き付けられた。綺麗に嵌め込まれた石畳の地面が木っ端微塵に砕け散り、周囲に突き立てられていた一部の宝剣が宙に舞う。その一撃は剣戟と言うよりも、質量を有した鉄塊による殴打のようだ。

 しかし、ゴーレム種特有の緩慢な動作が幸いし、ヤクト達に怪我はなかった。そして左手に逃げ込んだヤクトが宝剣の中からバッと立ち上がるように上体を覗かせると、肩に担いでいたバズーカが轟音を吐き出した。

 魔石の反発力を利用した衝力で撃ち出された巨大な爆裂岩は、紫煙を纏いながらガーゴイルに向かって直進する。石造りの美丈夫がそれに気付いて振り返った直後、バズーカの弾頭は美しいラインを描いた顎先に命中して爆散した。


「カクレイ! 今や!」

「はい!」


 バズーカの直撃を受けたガーゴイルがガクリと膝を突いて動きを止めたのを見計らい、右手から角麗が飛び出した。そしてガーゴイルに反応する隙も与えず、自分が引き抜いたグレートソードを鍵穴右目に突き立てた。


「やったか!?」


 ヤクトが期待に滲ませた声を上げる。やがて根元まで刺さったグレートソードはゆっくりと右に回っていくかに思われたが、斜めに達したところでバキンッと音を立てて根元から圧し折れてしまう。


「ッ! 外れです!」

「カクレイ、下がるんや!」


 間合いから飛び退こうする角麗に対し、ガーゴイルは殴り掛からんばかりの勢いで右腕を伸ばした。ほんの一瞬ではあるが腕を伸ばしたガーゴイルの挙動の方が速く、そのまま彼女を鷲掴みにするかにみえた。


『ヴォルケーキャノン!』

暴風弾テンペストカノン!』


 だが、後少しという所で炎を纏った岩弾と竜巻を纏った風弾が立て続けに右腕に命中し、それによって動きが鈍った隙に角麗は間合いからの脱出に成功した。また彼女の後を追い掛けるかのようにヤクトもゴーレムの目を盗んで私達の方へと合流した。


「無事やったか!?」

「はい、どうにか……。ですが――」と、そこで言葉を切って悔しさに滲んだ視線をガーゴイルに結び付ける。「私の剣は外れでした」

「となれば、残るは俺っちとクロニカルドの剣だけ……か」

「もしくは全員の剣が外れで、本物は別にあるかもしれん」


 余り考えたくない可能性だと笑い飛ばせれば良かったのだが、この場合に置いてクロニカルドの意見こそが可能性としては最も大いに有り得る事であった。それ故にヤクトは不安を撥ね飛ばすかのような強がりを見せず、代わりに苦い笑いを溢して誤魔化した。


「兎に角、ウダウダ考えてもしゃーない。残りの二本も試すで!」


 ヤクトがバズーカに次弾を込め終えた直後、ガーゴイルは剣を地面に突き刺した。まるで扉絵に刻まれていた彫刻を彷彿とさせるが、唯一異なる点はソレが単なるポーズで終わらなかったという事だ。

 石畳の床がグネグネと嵐に揉まれる海原のように波打ち始め、やがて巨大な手を形作った泥が石畳を突き破って現れた。そして未だ波打っている石畳を掻き分けるかのように突き進み、泥に塗れた手は私達に襲い掛かって来た。


泥の搦め手マッドハンドだ!」

焼夷弾ナパーム!』


 前方及び両隣の火口から焼夷弾が発射され、蠅を叩き潰すかのように振り下ろさんとしていた手に命中する。夥しい爆炎が撒き散らされ、手首から上が炎に呑み込まれる。やがて炎が晴れ上がると焼き上がった陶器のように手はカチコチに固まっており、次いでバリンッと音を立てて砕け散った。


「良いぞ、ガーシェル! その調子で他の手も焼き払え!」

『了解しました! 溶岩球マグマボール!』


 前方の火口から立て続けに撃ち出された三つの溶岩球は、城攻めで用いられる投石機のような緩やかな弧を描いた。そしてキャッチボールをするかのように巨大な掌に飛び込み、そのまま分厚い泥の手中に呑み込まれていく。

 一見すると此方の技が無力化されたかのように見えるが、程無くして効果は表れた。泥に含まれた水分が沸騰・蒸発し、まるで疱瘡に罹ったかのように腕全体がボコボコと歪に膨れ始めたのだ。

 そして目前まで迫っていた泥の手は脆い砂人形のように跡形も無く崩れ落ち、その場には乾き切った大量の砂粒だけが取り残された。


「今だ! 行け!」


 障害物が無くなるやヤクトと角麗は大量の砂粒を踏み付けるように飛び出した。それに対しガーディアンは深々と腰を下ろしてガニ股の姿勢を作ると、剣先を床に引っ掻けながら大きく真横に扇いだ。


「クロニカルド殿!!」

堅牢ハイガード! 剛力グランドパワー!」


 クロニカルドが強化魔法を唱えると、角麗の身体の輪郭に沿って青白い光と橙色の光が駆け抜ける。そして角麗は地表を薙ぎ払うように迫ってくる大剣の腹と向かい合い、鉄山靠――中国拳法の一種で背中からぶつかるような体当たり――の構えで受け止めた。

 角麗が大剣を受け止めている隙にヤクトはガーゴイルとの距離を詰め、有効射程に入るのと同時にバズーカを肩に担いだ。その様子を視界の端で捕らえた巨人は、同じ手を食うまいと眼前に腕を掲げてガードの構えを取った。

 相手がガードしたにも拘らずヤクトは引き金を絞った。バズーカの砲口から弾丸が発射され、真っ直ぐにガーゴイルの腕目掛けて突き進む。そして命中して炎と煙を撒き散らすかに思われたが、実際に撒き散らされたのは視界を埋め尽くす閃光であった。

 目も眩むような光の暴威は周囲の風景を真っ白に掻き消し、ガーゴイルも思わず動きを止めてしまう。やがて閃光が止んで元の風景を取り戻した頃には、ヤクトと角麗の姿は忽然と消えていた。

 ガーゴイルは咄嗟に首を振って辺りを見渡すも、二人の姿は何処にも見当たらない。そして奇襲を警戒するかのように姿勢を立て直そうとした瞬間―――


「ハイッ!!」


 ―――背後に回り込んでいた角麗の足払いを受けて仰向けに転倒してしまう。そうなる事を見越していたかのように、何処からともなく飛び出してきたヤクトがガーゴイルの顔面に乗っかった。その手には彼が選んだクレイモアが握られている。


「これで……どうや!?」


 クレイモアの剣先がガーゴイルの右目にある鍵穴に突き立てられる。角麗の時と同じく剣はゆっくりと右に回り始めたが、やがて斜めに達した所でバキンッと音を立てて砕け散ってしまう。

 またもや外れだ。そして急いで退避するかと思いきや、ヤクトは私達……いや、クロニカルドの方へと首を振り向けながら精一杯に腕を伸ばした。


「クロニカルドォ!!」

「受け取れ!」


 まるで事前に打ち合わせでもしていたかのように、それだけで全てを察したクロニカルドは自分が選んだロングソードに転移魔法を施した。するとクロニカルドの手元から剣が一瞬で消えたかと思いきや、次の瞬間にはヤクトが伸ばしていた手中に転移していた。

 それを握り締めたヤクトは再びガーゴイルの右目に剣を差し込んだ。その表情には期待と言うよりも藁にも縋るような焦りが滲んでおり、この最後の一本も一か八かか……という彼の胸中を如実に反映していた。


 そしてロングソードはゆっくりと回り―――バキンッと音を立てて無残に砕けた。


「……あかん! 全部外れや!」


 そこでヤクトは今度こそ身を引いて、角麗共々ガーゴイルから距離を置いた。程無くしてガーゴイルも起き上がり、私達に視線を向けた。そこはかとなく光り輝いている左目が、怒りを象徴しているかのような気がするのは気のせいだろうか?

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