第189話 第六階層

 第六階層に降り立つと、私達の眼前には石造りのトンネルが真っ直ぐに続いていた。大人30人が横一列に並んで通れそうなほどの広さを有しており、その両脇には古代遺跡で見受けられるような立派な石柱が等間隔で通路を支えている。

 これまでの階層は自然界の秘境や極地を切り取ったかのような漠然とした未知が広がっていた。それだけに簡素を通り越して単調な道筋を目にすると、却って安堵よりも緊張感が芽生えてしまう。

 そんな緊張感と上手く折り合いを付けながら周囲を注意深く窺っていると、貝殻に乗っていたアクリルが「あっ!」と何かを発見したかのように声を上げた。


「足元に何かあるよー」

「何やて?」


 アクリルが指差す先へ目線を落とせば、私達の数歩手前にある石畳の一枚に文字が刻まれていた。文字が刻まれた石畳は他の石畳と比べて、丁寧に研磨された大理石のように表面がツルツルしており、恐らくダンジョン創設時から石板として組み込まれていたのだろう。


「こりゃ……文字か?」文字が彫られた石板の前にしゃがみ込み、それを読み上げるヤクト。「“絢爛たる欺瞞に惑わされるな。古びた真実を目に突き立てよ。さすればアクエリアスの慈愛は汝の手に与えられん……”」


 アクエリアスの名前がヤクトの口から出た途端、私達の間で興奮と期待のボルテージが劇的に高まった。


「アクエリアス! どうやら此処が最下層と見て間違いないみたいやな」

「ああ、長かったが……いよいよ辿り着いたみたいだな」

「じゃあ、この先にアクエリアスがあるんだね!」


 興奮の余り熱に浮かされたかのように燥いでしまうアクリルだったが、彼女の逸る気持ちを静めるかのようにクロニカルドが冷静な口調で窘めた。


「浮かれるのはまだ早いぞ。この難関極まりないダンジョンが、そう易々と我等に褒美を与えてくれるとは思えん」

「その通りですわ」コーネリアもクロニカルドの意見に便乗する。「そう簡単に手に入るのであれば、とうの昔に此処は踏破されていますわ。それにアクエリアスを狙っているのは私達だけではなくってよ?」

「せやな、姫さんを狙う輩が一足先に入っているんや。此処は慎重に進んだ方がええやろうな」



 トンネルのような一本道は1キロ余りにも及んだ。天井に埋め込まれた光水晶ライトクリスタルの照明器が等間隔に設けられているおかげで、満遍なく照らされた道筋は昼間のような明るさを保っていた。

 単純明快な一本道でありながら、長々と続く通路の何処にも魔獣と思しき気配は感じられない。もしもダンジョンに意思があるとすれば、まるで私達に『奥へ来い』と呼び掛けているかのようだ。

 但し、それが私達を歓迎する意図であるとは限らない。もしかしたら嵐の前の静けさに過ぎないかもしれない。いや、寧ろそうであると考えるのが妥当であろう。最後の最後でダンジョンが侵入者相手に甘い顔を見せる筈がない。


「あ、扉が見えたよ!」


 やがてトンネルの通路も折り返しに達した頃、アクリルが正面を指差しながら声を上げた。彼女の指差す先には壁と見間違うほどに巨大な扉があり、遠目からでも両扉に描かれた彫刻――地面に突き刺した大剣を握り締める二人の番人――が鮮明に見える。

 これだけでも十分な学術及び芸術的価値がありそうだ……なんて呑気に考えていると、私のソナーが生物の反応をキャッチした。人間が六名、そして魔獣が一匹。コーネリアから聞いていた情報と符合する。


『皆さん止まって下さい! この先に彼等が居ます!!』


 貝殻の隙間から警戒情報を載せた泡の吹き出しが吐き出されると、前以てこうなる事を予期していたかのように誰もが臨戦態勢に入った。それからややあって反応があった場所、20m先にある道を挟んだ石柱の影から6人と一匹……エクシアの面々が姿を現した。


「お待ちしておりましたよ、皆さん」


 と、第一声を投げ掛けたのは相手側の剣士ことオルバだ。物腰柔らかそうな態度と美男子と呼べなくもない整った顔立ちが合わさり、優男という印象が脳裏で完成する。成る程、こんな見目の良い好青年に協力を求められたら承諾してしまうのも無理ない話だ。

 けれども、既に彼等の悪事を知っている私達の目には、悪徳が人間の皮を被って武装しているようにしか見えない。そんな私達の警戒心と敵愾心を悟ったのか、オルバは善人振るのを止めて化けの皮をあっさりと脱ぎ捨てた。


「どうやら我々の事を知っているみたいだな?」


 優しさを帯びていた眼がスッと細まり、鋭利な刃物を彷彿とさせる剣呑な目付きへと一転する。その変貌っぷりにヤクト達も思わずギョッと目を丸くするも、改めて彼が油断ならない人間だと再認識した。


「ああ、その通りや。第二階層で出会った獣人達や第三階層のドワーフ達からアンタ達の話を聞かされた。そして第四階層ではアンタ達の仲間と思しきネクロマンサーに襲われた挙句、第五階層においては生き証人に出会ったんや。ここまで来れば知らんと言い張る方が無理な話やろ?」

「成る程、全く以てその通りだ。では、我々が何故に此処で待ち伏せをしていたかは分かるな?」


 そう問い掛けつつも既にオルバの眼差しは、私の貝殻に乗っているアクリルに結び付けていた。明け透けな態度にヤクトは今にも舌打ちを飛ばしそうになったが、辛うじて耐えると舌打ちの代わりに宣戦布告を放った。


「ああ、よーく知ってるで。せやけど、だからと言って易々とやられる気はあらへんで?」


 ヤクトの言葉を皮切りに各々が攻撃を仕掛けようとした時、オルバは場を和ませるように朗らかな――けれども中身の無い――笑みを溢した。


「ははは、それぐらいは分かっているさ。だから、私達も交渉材料を連れてきた」

「交渉材料だと?」


 クロニカルドが訝しげな表情で聞き返せば、オルバは右後ろの魔法使いに一瞥を寄越しながらコクリと頷いた。それを機に魔法使いが練炭のような漆黒の魔法杖で石畳を突くと、足元に存在した影の一部が宿主魔法使いから独立して直系4m程の楕円を形作った。

 そして独立した影の中から二人の人間がせり上がってきた。一人は身の丈を超す巨大なハルバードを装備した狂戦士、そしてもう一人は―――


「アレは……コーネリア!?」


 ――人質のように肉体を縛られたコーネリアだった。しかし、其処に何時もの負けん気は溢れていなかった。まるで感情が抜け落ちたかのような虚ろな表情をしており、明らかに催眠術か暗示の類で本性を封じ込められている状態であった。

 仮にアレが本物だとしたら、私達と一緒に行動していたコーネリアは一体……? と、もう一人の彼女の方へ振り返ろうとした矢先、貝殻の方でガチャンッとロックを掛けるような音が鳴り響いた。

 咄嗟に視界を頭上に向ければ、がアクリルに魔封じの手錠を掛けていた。それに気付いた角麗が石畳を蹴って跳び上がるも、既に偽物はアクリルを小脇に抱えて脱兎の勢いで離脱していた。

 その時の彼女の動きは魔法剣士とは思えない――いや、魔法剣士とは異なる動きであり、それが偽物であるという事実を私達に印象付けた。


「しまった!」

『アクリルさん!!』


 突然の出来事に理解が追い付かず困惑するアクリルを他所に、偽物はオルバ達の元へと辿り着く。そこで漸く事態の深刻さを理解したアクリルは不安な面持ちを浮かべながら反発し始めた


「やだ! 離してー!」

『アクリルさん!』

「うふふ、駄目よー」コーネリアに扮していた偽物の口調と声色が大きく変化する。「良い子は大人しくしないとねー?」


 偽物がパチンと指を鳴らすと、自身の頭から足に掛けて油膜のような虹色に覆われる。やがて油膜の下から現れたのは、踊り子のような露出の激しい衣装を着飾った褐色肌の女暗殺者アサシンだった。

  

「な!?」驚きの余り声を詰まらせるヤクト。

「そんな馬鹿な! 己の魔法で精査した結果、本人であると確認した筈だ! おまけに魔封じの手錠だって見当たらなかったぞ!? 一体……何故だ!?」


 驚愕と困惑を露わにするクロニカルドに対し、コーネリアを演じていたアサシンは「オホホホ」と手の甲を口元に当ててワザとらしい笑いを溢した。


「それはそれは残念でしたー。こっちは職業柄、暗器を始めとする商売道具を隠し持つのは得意なんだよねー。それと私はアサシンだけどー、役者というスキルを持っているのよねー」

「役者……?」


 聞き覚えのないスキルに角麗が訝しげに表情を顰めると、隣に居たヤクトがこっそりと耳打ちした。


「役者は相手の姿形を瓜二つに真似るだけに留まらず、声さえも精密に似せられる……謂わば変装の上位互換や。せやさかい、中堅のハンターでもコレを見破るのは至難とされているんや」

「この際だからバラしちゃうけどー、自分自身にも自己暗示を掛けてー、完璧にコーネリアに成りきっていたのよねー」

「成る程、暗示や催眠術は魔法に寄らないものが大半を占める。だから己の精査魔法に引っ掛からなかった……という訳か」

「ピンポーン、正解よー」


 パチパチパチとアサシンは小刻みに拍手を送るも、そこに称賛の気持ちは微塵も含まれていない。現に彼女は悔し気に歯噛みするヤクトを見て、目的を果たしたと言わんばかりに憎たらしい笑みを綻ばせている。

 

「さて、本題に戻ろう」オルバが仕切り直すように話題を持ち出した。「私達の目的はアクリルと名乗る子供の奪取、そして魔剣アクエリアスの入手だ。この二つの内、一つは果たした訳だが……まだ後者が残っている。それを君達にやって貰いたい」

「そんな寝惚けた要求を呑む訳がないやろが!」

「おや、ならばキミはコーネリアを見捨てると言うのかな?」


 その言葉を皮切りに狂戦士がコーネリアの頭をグイッと持ち上げ、モデルのような細首に斧の刃を添わせる。少しでも妙な真似をすれば――或いは此方の意向に逆らえば――首を斬るぞという意思表示に他ならず、流石のヤクトも躊躇せざるを得なかった。


「くそっ……! というか、コーネリアに一体何をしたんや!?」

「別に何もしていないさ。ちょっと強力な催眠術を施して、彼女の意識を封印した以外にはね。何にせよ、彼女の命を救えるかどうかはキミ達の判断に掛かっているという訳だ」

「アホ抜かせ! 得体の知れん連中の話を鵜呑みにするほど俺っち達もアホやあらへんわ! そもそも、お前達は一体何者やねん!? コーネリアに扮していたアサシンが持っていた魔封じ手錠と良い、単なる違法なハンター集団やあらへんやろ!?」


 ヤクトの問い掛けにオルバは線を描いていた眼をスッと薄く開けると、まるで自己紹介をするかのような軽やかな口調で語り始めた。


「その通りだ。エクシアという名前は、あくまでも表向きの活動をする時に使う偽名みたいなものだ。私達の本当の名前は影絵シャドープレイ……一部の特権階級者達が秘密裏に組織した非合法部隊さ。まぁ、特権階級と言えば誰を指しているのかは分かるかな?」


 最後の問い掛けと一緒にニコリと愛想の良い笑みを投げ掛けべるも、その奥底には底知れない闇が張り付いており、本心に踏み込ませまいとするオルバの人間性が窺えた。


「特権階級者……貴族の事を指してるんか?」

「その通り。だけど、厳密には貴族だけじゃない。例えば貴族との繋がりが深い豪商、王家の血筋でありながらも王位継承の道から外れた権力者、そんな彼等の発展と栄光の為に結成された極秘部隊……それが影絵シャドープレイだ」

「成る程。要するに貴様達は権力者の私利私欲を満たす為、奴等に代わって手を汚す使い勝手の良い暗殺道具という訳か」


 クロニカルドの皮肉った解釈にエクシア……いや、影絵の大部分は心外だと言わんばかりにムッと表情を顰めた。唯一(作り笑いではあるが)笑みを浮かべているオルバは、彼の辛辣な発言を敢えて無視して話を進めた。


「彼女を助けたければ我々に協力しろ。断れば此処でコーネリアを殺し、貴様達も処分する」

「馬鹿を言わないでください。協力するしない以前に、アクリル殿を……仲間を手渡すなんて選択肢はありません! コーネリア殿を傷付けた場合でも同じです! 貴方達に然るべき報いを受けさせます!」


 角麗が目尻をキッと釣り上げながら反論すると、オルバは考え込むように顎に手を添えた。


「ふむ、それは困ったな、此方としても依頼主の期待を裏切る訳にはいかない。ならば、こうしよう」


 オルバがパチンッと指を鳴らすと、アクリルの自由と魔力を封じ込めた手錠が赤味がかったピンク色に発光し出した。突然の光にアクリルは一瞬恐怖を忘れたかのように其方へ見入るも、続いてオルバが告げた台詞によって恐怖は何倍にも引き上げられた。


「この手錠は特別製でね、相手の魔力と自由を奪うだけでなく自爆機能も有しているんだ。このまま三時間ばかし放置すれば、アクリルの両腕はこの世から消し飛ぶ」

「何やと!?」

「貴様……正気か!? 相手は年端もいかぬ子供なのだぞ!?」


 烈火の如く激しい怒りを露わにする私達を目の当たりにしても、オルバは何処吹く風と優男に相応しい涼しげな表情で応じた。


「生憎、私達の依頼はあくまでも子供を連れてくることだ。必ずしも無傷でなければならない等という文言が盛り込まれていない以上、子供の手足の一本や二本が失われようが知った事ではない」


 淡々と言葉を投げ込むオルバの態度は他人事と言うよりも、まるで人間の生死そのものに興味が無いと言わんばかりだ。伊達に貴族達の暗部として働いていた訳ではないという事実を遠回しに語る一方で、子供だろうが容赦なく殺すという冷徹な意思が見え隠れしている。


「先に言っておくが……もしも我々を襲おうものならば、即座に手錠コレを起爆させることも可能だ。そうなったら痛い目を見るのは他ならぬ彼女自身だ。そんな哀れな光景を見たくなければ、三時間以内にアクエリアスを取ってこい。これは命令だ」

「……くそったれが!」


 ヤクトが悪態を吐いて銃を下ろした。それを機に他の面々も悔しさを滲ませながら攻撃の意思を取り下げた。厳密には取り下げざるを得なかった。

 このまま押し問答を続けて無為な時間を過ごせばアクリルの身に危害が及ぶし、かと言って力尽くで抗おうとすれば人質に取られた二人の安否が危うくなる。つまりは、将棋で言う所の王手をかけられたも同然の状態だ。

 しかし、だからと言ってアクリル達を救出するのを諦める気は毛頭も無い。それは私だけでなく他の仲間達も同じであり、彼等の目には影絵達に対する憤怒の炎が閃いていた。


 そしてトンネルの最奥に待ち構えている巨大な扉へと歩き出し―――アサシンに捕まったアクリルの横を通り過ぎざまにヤクトが呟いた。


「姫さん、ほんの少しの辛抱や。絶対に救出してみせるさかい……俺っち達を信じて待っててや」

「……うん!」


 今にも泣きそうな顔をしていたアクリルだったが、ヤクトの言葉で元気付けられたらしく一転して我慢強い健気な表情へと立ち直った。そして私達は監視されるかのように影絵達に見送られながら、門を潜って最後の舞台へと足を踏み入れた。

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