第162話 心休まらないお茶会

「うわー! すごいです! ボク、こんな近くで魔獣に触れるのは初めてです! でも、こんなに大きいのに怖くないんですか?」

「ガーシェルちゃんは良い子だし大人しいから怖くないよ!」

「へー! 賢いんですね!」

「うん! ガーシェルちゃん、かしこい!」


 二人の無邪気な子供に囲まれてチヤホヤと褒め囃されている私です。ごきげんよう。

 イーサン王子が目を輝かせながら凄いと燥げば、アクリルも自分の事のように胸を張って私の凄さを強調するという好循環……いや、無限ループが延々と繰り広げられている。その一方で相変わらずな人も居るが。


「ぬふふふふ、ふふふふふ……」


 最早語る言葉どころか語彙力も不要となったのか、薄気味悪い笑みを浮かべながら私の貝殻を撫でまくるキューラ女史。本人曰く『魔獣研究の一環』と言い張っているが、とてもそのようには見えない。寧ろ、己の欲望を満たしているという言葉が似合いそうだ。

 まぁ、何か悪さをするつもりでもないし、このまま放置しておいても問題は無いだろう。本人も私に触れられるだけで御満悦みたいですし、余計に拗れて面倒事になるのに比べれば……ね。

 と、ほのぼのとした心地の良い雰囲気が満たしているかのような印象を受けるが、それはあくまでも彼等に限定した話だ。私の周囲には武装した近衛兵――約十名ばかし――が近からず遠からずの距離を維持したまま待機している。

 理由は言うまでもなくイーサン王子の護衛であり、万が一に私が暴走の気配を見せればイーサン王子を真っ先に守るに違いない。そうなったらアクリルは処罰されるだろう。私を御せなかったという責任で。まぁ、そんな可能性は万が一……いや、億が一にも起こり得ないのだが。


(しかし、私の方はまだマシと言うべきですね。彼方なんて緊張でガチガチじゃないですか……)


 チラリと視線を彼方に走らせれば、そこでは慎ましい雰囲気が似合うお茶会が開かれていた。白いテーブルクロスが敷かれたティーテーブルの中央に三段のケーキスタンドが置かれ、そしてテーブルに腰掛けた面々には温かい紅茶が振る舞われている。

 だが、誰一人としてソレに手を付けようとしない。何故ならば彼等の視線は目前にある茶や菓子ではなく、相席している一人……マリオン・ラブロス妃殿下に釘付けられているからだ。

 まぁ、彼等の気持ちも分からないでもない。現代社会に例えるならば、天皇陛下もしくは天皇家の一人とテーブルを交えるようなものだ。私なら緊張で食事が喉を通らないどころか、胃液を口からリヴァースしてしまいそうだ。

 そう考えると貝に生まれ変わったことで人間という枠組みから外れたのは、ある意味で幸運だったのかもしれない。このような人間社会独特の柵(しがらみ)に囚われずに済み、心穏やかに過ごせるのだから。


 そういう訳でヤクトさん達、妃殿下に粗相の無いよう頑張ってくださいね!(他人事)

 


(どないして、こんなハメになるんや……)


 不可視の手で肺を締め付けられるかのように、息苦しそうな溜息をこっそりと吐き出すヤクト。しかし、どうしてもへったくれもなく、このような事態に至ったきっかけが何なのかはヤクト自身もわかり切っている。

  

『こんな場所で立ち話も何ですので、王城の中庭においでください』


 そもそもの始まりはイーサン王子の母君であられるマリオン・ラブロスの一言だった。あのまま敷地の端で立ち話しを続けるよりも、落ち着いた場所で話をした方が良い。それが彼女なりの気配りであることは疑いようもないし、ヤクトも分かり切っていた。

 しかし、仮にも相手は(一般人から嫁いだとは言え)王家の人間だ。周囲の視線に晒される中で申し出を受けても良いのかどうかと迷っていたら、思わぬ横槍がキューラから繰り出された。


『良いですね! イーサン王子も魔獣に興味があるみたいですし、此方のヴォルケーシェルも連れて行きましょう!』


 と、一見するとイーサン王子の好奇心を尊重しているかのようだが、その実は自分の欲望を満たしたいが為に彼を味方に付けて自分達を巻き込んだのは明白であった。

 兎に角、一国の妃殿下の心遣いから来る申し出と、その息子であらせられる王子の期待を断り切れる自国民など居る筈もなく、ヤクト達は王城の中庭へと足を運んだのであった。

 だが、王城に入り込んだ瞬間にヤクトを待ち受けていたのは別世界と思えてしまう豪奢な空間だった。

 塵一つ無い大理石のような床は自分の姿を反射する程に磨き抜かれており、さながらルネッサンス時代に建てられた王宮のように、通路を構成する壁から天井に至る全てが美術品みたいだ。

 一般人に等しい感覚を持ち合わせている人間――無論、ヤクトもその一人だ――ならば、そんな場所を通るだけでも相当なプレッシャーだったのは言うまでもない。

 ましてや傍には王家の人間の他に十数名を超す近衛兵も一緒だ。万が一に下手を討てば、即刻打ち首となってもおかしくない。なので、初めて入る王城を目の当たりにしてアクリルがそわそわし始めた時は、勝手な行動を取らないよう何度も口を酸っぱくして注意を促した。

 そして3000平米を超える中庭に辿り着いてから今に至るまで、ヤクト達は妃殿下と一緒にテーブルを囲みながらの茶会を楽しんでいた。尤も楽しげに見えるのは表面だけで、内面では高潮のように喉元に競り上がる胃液を抑えるのに精一杯だったが。


「ふぅ……」

「あら、大丈夫ですか? 確か……ヤクトさんと言いましたか? 顔色が優れませんけど?」


 人に悟られぬよう本日五度目となる溜息を密かに吐き出したつもりだったが、タイミング悪くマリオンに見付かってしまい、ヤクトは慌てて表情を笑顔を取り繕った。


「いえ、そんな事ありません!」


 思っていた以上に声が上擦ってしまい、ヤクトは自分が犯した失態に内心で悪態をつく。しかし、返って来た相手の反応は意外にも鈴を転がすような可愛らしい笑い声だった。


「まぁ、緊張されるのも無理ありませんね。ですが、そう気を固くする必要はありませんよ。私も元を正せば一般庶民の身です。例え王族に嫁いだからと言って、私自身の身分が格上げされる訳ではありません」

「い、いや……しかし……」


 ヤクトは声を窄めさせながら素早く視線を左右に揺らした。自分の両隣りにはクロニカルドと角麗が腰掛けているが、彼が見据えているのは二人の背後から少し距離を置いた場所に立っている近衛兵だ。

 例て気さくに接しても良いと本人の口から許可が出ても、王家に忠節を誓う近衛兵がソレを許さないのでは? そう目線で問い尋ねれば、マリオンは安心感を齎す笑みを携えながら首を振った。


「大丈夫です。彼等は皆、忠義の度合いを心得ております。それに自分達の裁量で王家に近付く人間全てを威圧してしまっては、王家に対する印象が悪くなる事も重々承知しております。近衛兵はあくまでも王家を守る盾であって、矛ではないのです」

「成る程……ほな、何時も通りの口調で話させてもらいますわ」


 恐々といった体でヤクトの口調が和らぎ、それに釣られてテーブル上に圧し掛かっていた空気が一段階軽くなったような気がした。現に角麗やジルヴァの肩は、張り詰められた力が抜け落ちた事を意味する撫肩となっている。


「しかし、今更ですけど……本当に俺っち達が王城に入っても良かったんですか? しかも、ガーシェル……ウチの魔獣と一緒に」


 チラリとガーシェル――そして貝の魔獣と戯れている三人――の方を見遣りながらヤクトが尋ね掛けると、マリオンは「とんでもない!」と言わんばかりに良い意味で笑みを深めた。


「私の息子は見ての通り、キューラに勝るとも劣らず大の魔獣好きなんです。しかし、立場が立場なだけに子供らしい我儘も言えないのも事実です。ましてやラブロス王国の王位を継ぐかもしれないという第三王子となれば猶更です。

 そんな窮屈な日々ばかりでは楽しい時間も皆無に等しいものです。なので、少しでもあの子にとって良い思い出になれば……そう思って茶会の声を掛けたのです。ご迷惑だったかしら?」

「いえ、お気持ちは分かります」角麗がマリオンの考えに同意して頷く。「ところでマリオン妃殿下はキューラ殿を呼び捨てにするほど親しい間柄のようですが、どのような御関係で?」

「妃殿下は止して下さい」マリオンは恥ずかしげに苦笑する。「普通にマリオンと呼んでくださいな」


 その一言にヤクト達の表情に戸惑いと迷いが浮かぶも、彼女は敢えて気付かぬ振りをして話を続けた。


「……キューラとは学生時代からの知り合いです。当時の私は王都の学院で経済学を専攻する学生の一人でした。そして卒業論文として『魔獣を使役した場合に発生する国家経済の利益と損失』を発表したら物凄く気に入られてしまいまして。それから今日に至るまで、親友としての御付き合いが続いています」

「成る程、確かに姉貴……いや、キューラならば食い付きそうな話題でありますね」


 そう言って同席していたジルヴァも姉の方に眼差しを向けた。人間同士の集まりに一片の興味も抱かず、魔獣との触れ合いを重視する姉の姿勢は相変わらずだが、その相変わらずを目にして安堵する自分が居るのもまた事実だ。

 何時しかテーブルに腰掛けた人間の殆どが、ガーシェルと戯れるキューラ達の方へ生暖かい視線を注いでいた。しかし、魔獣との戯れに心を奪われている彼等が視線に気付く気配もなく、そのままヤクト達の緊張を緩和させるかに思われた。クロニカルドが声を上げるまでは。


「ところで、この国の現状はどうなのだ? 噂によれば王家派は分裂して一枚岩に成り切れず、それとは対照的に貴族派は勢いに乗っているみたいではないか?」


 クロニカルドが政治の話を持ち出した途端、緩慢になりつつあった空気が一気に引き締められた。特に過敏なまでに反応したヤクト達や、クロニカルドの言動を快く思っていない一部の近衛兵の周囲に至っては、ピリピリとした緊張感が張り巡らされている。


「く、クロニカルド!」ヤクトが僅かに腰を浮き上がらせて、クロニカルドに身を寄せる。「おま……それを今聞くんかいな!? それも政治に携わるかもしれへん人の前で!」

「政治に興味を持つことの何が悪い? 今のラブロス王国における政治事情とやらを知っておいても損は無かろう? それにだ、“破滅を知りたければ愚者を頼れ、未来を知りたければ賢者を頼れ”という諺があるではないか」

「その諺、確か古代ゾルネヴァ帝国のものですよね?」


 マリオンが興味深い感情を瞳に携えながら問い掛ければ、クロニカルドも「知っているのか?」と少しばかり嬉しげに声を弾ませた。


「私の知り合いの一人で、嘗てクロス大陸に存在していた国家を研究する民俗学者が居るんです。現在はクロニカルドというゾルネヴァ帝国を支えた魔法使いの生涯を追っているみたいで……あら、そう言えば貴方のお名前もクロニカルドと言うんですね?」

「当然だ、何を隠そう……」と、言い掛けたところでクロニカルドは喉元に差し掛かった言葉を呑み込んだ。「いや、何でもない。それよりも先程の続きだが、其方そなたの考えを聞かせては貰えぬか?」


 マリオンは手前に置かれたティーカップを覗き込み、紅茶の水面に映し出された自分の顔と見詰め合う。まるで鏡に映る己に問い掛けるように暫し考え込んだ末、彼女は言葉を絞り出した。


「正直に言えば厳しい状況ですね。先程も貴方が仰ったように貴族派が勢いを増し、一方で王家派は内輪揉めで統制が取れていない状態です。それに詳しい事情は伏せさせて頂きますが、王位継承も遅々として進んでおりません。このままでは各派閥と協議をして、次期後継者を決める事となります」

「そこだ、己が最も解せんのは」クロニカルドが影のような腕でマリオンを指差した。「何故に貴族派が政治に絡むような仕組みにしたのだ? いっそのこと権力を王家派に一極集中させてしまえば良かったのではないのか?」

「確かに……貴方が仰るような一強体制を作り上げてしまえば、今みたいな苦労をせずに済んだでしょう。しかし、大昔のラブロス王国は貴方の言うような専制主義の政治が主流でした。そしてソレが仇となり、ラブロス王国の歴史に悲劇を齎したのです」

「ロジャー・V・ラブロスが国王を務めた暗黒時代ですね」


 膝の上で手を組んだジルヴァが口を挟む。その表情は実際に暗黒時代を目にしたかのような――エルフの長寿を考えればおかしくないが――不快さを露わにした厳しい顔付きだ。


「どのような人物なのだ?」

「ロジャー・V・ラブロスはラブロス王国がクロス大陸を平定してから200年後に王位に就いた男や。その時代のラブロス王国は世襲制……即ち能力よりも年功序列が重視されとったんや。しかも、ロジャーはラブロス王族の中でもトラブルメーカーやったらしくて……」


 例え遠い昔の出来事だとしても、ラブロス王家に籍を入れた女性の前で王族の汚点を語るのは気鬱なのだろう。徐々に泥濘に嵌まっていくかのようにヤクトの口調が重くなるのを見て、クロニカルドは大方を悟った。


「成る程。血統は確かだが、人間としては不出来だった……という訳だな?」

「ええ、その通りです」


 何とも言えない気まずい表情で口を噤んでしまったヤクトに代わって、マリオンが肯定する。


「当時のラブロスの政治体制は絶対王政が基本でした。しかし、これまでに国王として選ばれた者は悪戯に権力を乱用しませんでした。領民に心を開いて耳を傾ける……国家の根幹を成す民の声を聞き、心で理解して初めて良き政治が可能となる。初代が唱えた治世重視の政治姿勢を受け継いできたからです」

「せやけど、ロジャー・V・ラブロスは先祖の教えを守らんかった。美しくも悪女な妻に唆されて放蕩に明け暮れ、悪行三昧を繰り広げる愚王に成り下がってしもうたんや」

「そして国民達の怒りが国中に蔓延する中、ロジャー・V・ラブロスの腹違いの弟に当たるアレクサンドル・ラブロスが兄の愚行を止めるべく王位の簒奪を計画したのです。彼は兄の行いを問題視する王宮関係者を秘密裏に募り、更に当時の門閥貴族達に協力を呼び掛けたのです」

「最終的にロジャー・V・ラブロスは妻共々西の砂漠へと追放され、アレクサンドル・ラブロスの手腕によってラブロス王国は平和を取り戻したっちゅー訳や」


 ヤクトが言葉を切るのと同時にマリオンは紅茶に口を付け、長話で乾いた舌の根に潤いを与えてから再び言葉を綴った。


「この一件を機に王国は権力の一極集中を考え直し、そしてアレクサンドル王の決起に協力してくれた貴族達を政治の場に迎え入れたのです。こうした経緯で協議制が幕を開けたのですが、今や政治の中枢に食い込んだ彼等の要求を訴える場となりつつあります」

「成る程な、そういう経緯では致し方あるまいな……。」


 クロニカルドが顎に手を添えながら嘯いた矢先、彼はふとある事に気付いて両目の灯火を揺らめかした。


「話は変わるが、王位継承の資格を有するのはラブロス王家のみのはず。となれば、この場合は第二王子と第三王子だけであり、赤の他人にも等しい貴族が口を挟む余地など無いのではないのか?」

「いえ、そうとは限りません。実は貴族派の代表であるガルタス・フォン・ヴァルシュタインもラブロス王家の縁戚なのです。

 そして王位を継ぐのに実子である必要はありません。治世に関する知識と力量さえあれば、縁戚でも立候補は可能なのです。只、これまでの王位継承は国王直々の指名でしたので、必然と実子が選ばれる可能性が高かっただけです」

「しかし、現在は王位継承者を明かさぬまま事態が進行している。となれば、自然とガルタスとかいう貴族派の頭領も、王位継承者として名を連ねる……そういう訳か」


 マリオンは短く首を振った。


「もしも王が王位継承者を明らかにしなかった場合には、各政治勢力による協議が行われるでしょう。そして今勢いに乗っている貴族派が有利に事を進めて、ガルタスが新たなラブロス国王として選ばれるでしょう」


 そこまで聞いてクロニカルドは漸く得心した。第二王子がアクエリアスを求めるのは単なる自分の地位を確立する為だけかと思いきや……成る程、中々どうして劣勢に追い込まれているではないか。


「……では敢えて踏み込んだ事を尋ねるが、仮に王家が王位を継承した場合はどちらが王位継承の権利を手にするのだ? 保守派か? それとも改革派か?」


 マリオンはティーカップを両手で包み込みながら答えた。


「恐らく保守派でしょう。改革派を支持していた夫は既に亡くなり、その後釜として期待されているイーサンもまだ子供です。私がイーサンの補佐……即ち摂政を務めるという手もありますが、元一般人である私が権力を握っていると見られてしまえば、民主主義の思想や姿勢に誤解を与えかねません」

「そこまで理解しているのならば、いっそのこと保守派に迎合してしまえば良いものを……」

「確かに。貴族に対抗する手立てとしては、それが最も有効かもしれません。ですが、改革派には現国王の思想に賛同した上で参加している人も居ます。そう簡単に人の決意は捻じ曲げられない、そこは御理解下さい」

「やれやれ、その理屈は分からんでもないが……人の柵とは何時の時代も面倒なものよの」


 クロニカルドが呆れた口調で愚痴を溢せば、マリオンは苦笑しながら困った風に頭を傾げた。

 その後は差し障りのない話題――ヤクト達の今後のことや、この王都へやって来た経緯――などで時間を潰していき、そして正午の時刻を知らせる鐘の音を機にヤクト達の茶会は御開きとなった。



「おおきに、有難うございました。しかも、態々見送りまでしてもろうて……。王家の人に此処までされると、却ってバチが当たらへんか不安になりますわ」

「いえいえ、とんでもありません。寧ろ、此方が御礼を言いたいぐらいです。久し振りに肩筋の張った堅苦しくない会話に興じられて、丁度良い息抜きになりました」


 茶会を終えた後、私達は王城を後にすべく街通りへと続く城門に差し掛かっていた。そんな私達を見送るべく、ラブロス親子と近衛兵達も態々城門の近くまで同行してくれた。まぁ、近衛兵の場合はラブロス親子を守るのが主目的だろうが。

 因みにマリオンから昼食の誘いを受けていたが、ヤクト達はコレを丁重に御断りした。既に茶会で気力を使い果たした今、これ以上は精神的に耐えられそうにないというのが主な理由だが、それを素直に口にするほどヤクト達も馬鹿ではない。


「アクリルさん、またガーシェルを連れて遊びに来てくださいね」

「うん、また会おうね! イーちゃん!」

「ひ、姫さん! 王家の人にそんな馴れ馴れしい呼び方をしたらあかんやろ……!」


 もしかしたら国を動かす大物になるかもしれない人に対して、アクリルが慣れ親し過ぎる呼び方をするや周囲の人間がギョッと目を見張った。しかし、当の本人と母親は嬉しそうにニコニコと笑っていた。


「いえ、構いませんよ。寧ろ、イーサンに親しい友人が出来て嬉しいです」

「そ、そうですか……?」


 ヤクトは恐々とマリオンとイーサンの顔色を窺い、やがて二人の表情に不快や怒りの類が見受けられない事を確認するとホッと安堵の溜息を密かに吐き出した。


「ここだけの話ですが、イーサンにはもっと大勢の友人や仲間を作って欲しいのです。しかし、第一王子亡き後に第三王子として急遽選出された事によって、友人を作る時間はおろか、誰かと接する機会にすら恵まれなくなってしまったのが実情なのです」

「ふむ、王子の身に万が一が起こっては一大事だからな。それを危惧する者の気持ちも分からんでもないが……」


 嘗てゾルネヴァ帝国で重鎮を務めていたクロニカルドも思い当たる節があるのか、腕を組みながら本の体を前後に振って頷いていた。そしてマリオンはイーサンの頭を優しく撫で、それから私の上に居るアクリルへ感謝の眼差しを向けた。


「だから、アクリルちゃん。これからもイーサンの友達で居てあげてね?」

「うん、分かったー!」


 そうして私達は今度こそ王城を後にした。手を振りながら私達を見送ってくれるラブロス親子に対して、アクリルもまた貝殻の上で背伸びをしながら彼等の姿が見えなくなるまで元気に手を振り返した。

 そして王城の人々が踵を返して王城へと消えた途端、緊張で堰き止められていた肺の空気を解き放つかのように、ヤクトを始めとする面々は一斉に溜息を吐き出した。


「はぁぁぁぁ……!! 疲れた~! まさか単なる受付で予想外の出来事が起きるとは思わなんだわぁ」

「フンッ、あれぐらいで音を上げてどうする。神経の細い奴め」

「そう言うクロニカルド殿は逆に図太い気がするのですが……」

「図太いだと? 違うな、己は慣れているのだ。何せ嘗てはゾルネヴァ帝国の重鎮達と顔を合わせるなど日常茶飯事だったからな。今更王族の一人や二人、顔を合わせた所でどうと言う事はない」

「あー、はいはい。そりゃ凄いでござんすねー」

「適当に流すではない!! 不敬であるぞ!!」


 予想外の道草――それも王族と顔見知りになるという前代未聞の道草だ――を食ってしまったが、この国の事情を一層深く知れたのは好都合だったかもしれない。そんな事を考えていると私達(厳密には私にだが)に同行していたキューラがべったりと貝殻に凭れ掛かって来た。


「それでどうするの? 確かダンジョンの準備がどうこうって言ってたよね? 準備はヤクト君達だけで、ガーシェルちゃんは暇だよね? だったら、このまま一緒に……」

「はははは、何を言ってるんかな~? 姉貴よ」


 と、何処か底冷えしそうな笑顔と共にキューラの肩を掴んだのはジルヴァだ。その後ろに立っているヘルゲンも嵐の前の静けさとも言うべき厳かな静寂を身に纏わり付かせていた。しかし、キューラは二人の反応に気付かぬ振りを貫こうとした。


「うん? どうしたのかな? さっきも言ったけど私の仕事はとっくに終わったよ~? あとはガーシェルちゃんと気が済むまでのんびりと―――」

「そりゃ姉貴個人の仕事だろう? まだ僕達シルバーランスが依頼した仕事は済んでないよ? でしょ、ヘルゲン?」

「その通りです。因みに依頼内容は我がシルバーランスが所有する従魔の健康調査並びに身体検査でございます」

「なん……だと?」


 その時、私達の目には落雷の直撃を受けたキューラの姿が見えた。とどのつまりは、それだけショックがデカかったという事だ。そしてショックを受けて放心状態となった隙を見計らい、ジルヴァとヘルゲンはキューラの両脇を掴んで罪人の如く引き摺って行く。


「あー! 待って! 明日やるから! せめて今日は! 今日だけはぁぁぁぁ!!!」

「申し訳ありません、キューラ博士。我々も暇ではないのです。しかし、御安心下さい。既に準備は整えてありますので、直ぐに依頼を行えますよ」

「無駄に有能!」とヘルゲンの働きっぷりに突っ込んだキューラの視線が、偶然アクリルを捉えた。「あ、アクリルちゃん! 助けてヘルプ! 私を助けてヘルプミー!」


 大の大人のエルフの助けに対し、アクリルは困った表情で私を見下ろした。


「えっと……どうすれば良いかな?」

『向こうにも事情があるみたいですし、取り合えずバイバイって言っておけば良いのではないでしょうか?」

「そっか。キューラお姉ちゃん、バイバーイ!」

「いやああああ! 私を見捨てないでぇぇぇぇ!!!」


 キューラ女史の必死な叫びも空しく、そのまま二人に引き摺られて何処かへと連れ去られてしまうのであった。やがて彼女の遠吠えが町の喧騒に掻き消されると、角麗は全員を見回しながら尋ねた。


「それでこれからどうします? 宿に戻って準備を始めますか?」

「いや、その前に寄りたい場所があるねん」


 クロニカルドと角麗は不思議そうに眉根を寄せ、提案者であるヤクトを見遣った。


「行きたい場所だと? それは何処なのだ?」

「俺っちにとっての理解者に会いに行くんや」


 そう言ってヤクトは嬉しそうに口角を釣り上げ、今日一番の笑顔を咲かせた。

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