第161話 それは紛れもなくヤツだ

「此処が受付の場……ですよね?」

「ああ、そうやけど……」

「これまた凄いな……」

「わー、ひろーい!」


 翌日、ゲイルから推薦状を受け取った私達はダンジョン攻略に参加する旨を伝えるべく会場を訪れていた。会場と聞けばギルドの管轄下で開催されるのが通常かもしれないが、今回は王家預かりのダンジョンクエストなのだ。

 その為、会場は王都クロイツの中央に聳え立つ王城――と言っても城内に踏み入れる訳ではなく、その近隣に広がる広大な敷地の一角――に設置される事となった。

 しかし、皆々の反応を見れば分かるように、誰もが敷地の広大さに度肝を抜かれていた。唯一喜んでいるのは、神聖不可侵なる王城へ足を踏み入れる事の重大性を理解していないアクリルだけだ。

 王城を囲う城壁を潜り抜ければ、何処かの平原に飛び出したかのような見渡す限りの草原が私達を出迎えてくれた。その地平線の中央には天を突き刺す山のような、巨大にして美しい純白の王城があった。

 それを目にした途端、此処へ足を踏み入れた(私達を含めた)人間の反応は二通りであった。圧倒的な巨大さと創造性に思わず息を飲むか、芸術的な造形美と穢れを知らない純白に恍惚の吐息を漏らすかだ。

 そんな王城に意識を奪われている私達を現実へと引き戻したのは、敷地の片隅にポツンと建てられた質素なモノポールテントだった。恐らくハンター達の受付を行う会場なのだろうが、美しい王城をバックにサーカスのようなテントを張るという構図は、アンバランスを通り越して不敬極まりないような気がしてならない。


「取り合えず、受付に並ぼか」

「うん!」


 敷地内に設けられたテントの前には大勢のハンターが詰め掛け、既に長い行列が作られていた。私達が最後尾に並べば他のハンター達も慌てて後に続き、まるで延々と繋げられるプラレールの線路みたいに長蛇の列があっという間に築かれる。

 その線路に交じってゆっくりと進む中、クロニカルドは周囲を注意深く見回しながら感心したかのように呟いた。


「しかし、流石と言うべきか……警備も万全だな」

「当たり前やないか。此処はラブロス王家が住まう王城の敷地やで? 王族を守る要である警備で手を抜ける筈があらへんやろ」


 ヤクトやクロニカルドが指摘する通り、敷地の至る場所では王家直属の近衛兵達の姿が見受けられた。長蛇の列を織り成すハンター達に沿って等間隔に配置されており、あくまでも交通整理が目的なのだろうが、万が一の事態に備えて目に見えて立派な武装を施している。

 フルフェイスの鎧兜の隙間から覗いている鋭い眼差しは警戒を意味するのか、それとも今回のダンジョンに参加するに足る人間か品定めしているのか。どちらにしても、彼等も只ならぬ興味を寄せているのは確かなようだ。

 やがて行列が進むにつれて、受付を終えて帰路に就くハンター達の姿もチラホラと現れ出した。やはりと言うべきか、その殆どが腕に覚えのある猛者ばかりであり、彼等を見送るヤクトと角麗の目は好奇心と興奮で輝いていた。


「おお~、流石は王家が号令を掛けただけあって強者ばかりが集まりおるなぁ」

「そうですね。武器や防具だけでなく、皆々の立ち振る舞いを見るだけで力量がヒシヒシと伝わってきます」

「せやけど、此処に足を運んだ全員がダンジョンに行ける訳やあらへん。恐らく何かしらの形で篩いに掛けられて、数を減らされる筈や」

「何で数を減らすのー?」


 何だかんだで気に入ったのか、前方に突き出した火山型の貝殻に跨ったアクリルが疑問を投げ掛けた。


「先ず一つ目の理由は犠牲者の数を極力抑える事やな。知っての通り、今まで北方ダンジョンの攻略に成功したハンターは皆無……つまり、誰一人として居らんわけや。過去には千人規模で挑んだ事もあるらしいけど、結局はあかなんだみたいやしな」

「確かにダンジョン攻略は大勢で詰め掛ければ良いと言うものでもない。何が起こるか分からないのが当然とも言うべきダンジョン内で、見ず知らずの人間と慣れない連携を組むのは却って自分の首を絞めかねない。そう考えると手心知れた者同士であり、尚且つ少数精鋭を送り出すのは必然……と言う訳だな?」

「クロニカルドの言う通りや。そして二つ目の理由は節約の為や。これだけ大人数を雇おうとすれば何千万掛かるかも分からへんけど、数を減らせば大幅に雇用料も省ける」

「王様ってお金持ちじゃないのー?」

「まぁ、世間一般の感性からすれば金持ちなのは確かやろうけど、その金も本を正せば国民が納めた税金……御国をより良くする為の金や。それを個人的な理由で無駄遣いしたら、国民の信頼を失ってしまうのがオチや。まっ、要するに金は有るけど、余り好き勝手に使えへんって事やな」

「ふーん、王様も大変なんだねー」


 アクリルが他人事のような意見で締め括ると、ヤクト達の表情に似たり寄ったりの苦笑いが浮かび上がった。もしかしたら『そういうアナタも王家の血筋に連なる一人なんだよ……』と内心で突っ込みを入れているのかもしれない。

 しかし、ヤクトは直ぐに笑みを引き締め、自分達が並ぶ列の先――行列のゴール地点である受付会場テントのトンガリ頭を見据えた。


「何にせよ、今直ぐにって訳やあらへんけど……選抜試験を受けて、それに合格した者のみがダンジョンに行ける。つまり、此処に居る全員がライバルみたいなもんやな」

「ええ、気を引き締めていきませんとね」



「次の方、どうぞ」


 流れ作業をしているかのような淡々とした声がテントの奥から響き渡り、いよいよ列の先頭に差し掛かった私達はソレに導かれて会場(テント)の中へと足を踏み入れた。

 午前中の明るい時間帯だった事もあって、外から入り口を見ると洞窟のような底無しの暗闇で満たされているかのようだった。だが、その中は各所に設けられた光水晶ライトクリスタルの照明で照らされており、昼間と変わらぬ明るさが保たれていた。

 テントの内部は想像していた通りの広さだったが、期待していた程の空白スペースは無かった。複雑な文様を描いた魔法陣のマットや、ソレを発動させる為の魔道士達が空白を圧迫していたからだ。

 しかし、これによく似た風景を以前にも見た覚えがあるような……。そう思って過去の記憶を遡らせれば、テラリアの従魔試験の時に受けた身体検査とほぼ同じ風景である事に気が付いた。


(成る程、どうりでデジャブを覚える訳だ)


 そして入って直ぐの左手には、少々キツい印象を覚える几帳面そうな女性職員が横長の折り畳みテーブルに腰を下ろしていた。私達と目線を交わしたものの、挨拶もしなければ笑顔も浮かべず、愛想の感じられない冷淡な声色で不躾に尋ね掛けてきた。


「推薦状はありますか?」


 女性の質問に応じるかのようにヤクトが懐から封筒入りの推薦状を取り出すと、女性は「失礼します」と前置きしてから封筒を受け取った。

 封筒に翳した彼女の右掌には青白く輝く魔法陣が張り付いており、まるで危険物を探す金属探知機のように念入りにスライドさせていた。恐らくトラップなり魔法なりが仕掛けられていないかを探知しているのだろう。

 やがて検査を終えた封筒は机上に置かれた携帯用の転移魔法陣にぽとりと落とされたかと思いきや、次の瞬間には光のベールを纏って何処かへと転送されてしまった。そして女性職員は私達に向かって先へ進むよう促しながら、左手でテントの奥を指し示した。


「では、彼方へ御進みください。そして各係の指示に従って身体検査を受けて下さい」

「ああ、分かったで。おおきにな」


 女性の指示に従い奥へと進むと、魔法陣の周りで待ち構えていた魔道士達の視線が私達に突き刺さる。先程の女性と比べれば幾分か温情の籠った眼差しだが、その根底には魔道士らしい探求心が込められていた。

 当初、彼等の注目は(見た目的にも奇異な上に、特殊な魔法で存在が成り立っている)クロニカルドに集まっていた。しかし、いざ身体検査が始まると彼等の好奇心のベクトルはアクリルとヤクトに傾いていった。

 アクリルに関しては言わずもがな無尽蔵に限りなく近い魔力の豊富さで、もう一方のヤクトに関しては彼女の真逆に当たる理由……魔力ゼロという特異体質に興味を惹かれたみたいだ。

 とは言え、魔道士達も流石に己の内にある好奇心を率先させるほど無邪気ではない。これが仕事の一つである事を弁えているし、何よりも王家預かりとなったダンジョン攻略において重要な指針の一つとなる事も理解していた。

 それ故に何人かの魔道士はヤクトに色々と質問を投げ掛けた。本当に魔力は存在しないのか、如何にして金ランクにまで上り詰めたのか、そもそもどうやって戦うのか……と根掘り葉掘りに聞く様は、個人のプライバシーを度外視しているようにも見受けられる。

 そんな彼等から投げ掛けられる疑問の数々に対し、ヤクトは論より証拠を提示した。即ち、自分が愛用している銃や武器の類をだ。

 単純な魔法武器とは一線を画す銃火器の数々を披露した途端、たちどころに彼等の目の色が変わった。その態度から、彼等もまた銃火器を軽視していた事実が窺える。しかし、その事実も今この瞬間に切り替わった。

 ヤクトの手によって合理的な洗練化が施され、尚且つ彼自身が考案した独自のギミックによって大幅な強化を成し遂げた銃は、最早脅威のテクノロジーと呼んでも過言ではない領域に到達していた。尤も、魔法至上主義が蔓延したせいで銃火器の発達が停滞してしまったという理由もあるのだが。

 それでも凝り固まった過去の常識に縛られた魔道士達の認識を根底から覆すには十分過ぎる衝撃を与えたらしく、現に銃を目の当たりにした彼等の間では動揺と感動が入り交じった不可思議な騒めきの波が起こっていた。

 中には銃への興味に目覚めたのか、『銃を撃ってくれ』と懇願を口に出す者も現れた。念の為に言っておくが、『』ではなく『』だ。流石のヤクトも、その申し出は丁重に断ったが。

 そして身体検査は恙無く終了した後、私達はテントの反対側から外へと出た。それほど時間も経っていない筈なのだが、まるで長時間に渡ってテントに居続けたような不思議な気分だった。それは私だけでなく他の皆も同じらしく、特にヤクトの表情には疲労の色が浮かんでいた。


「やれやれ、何だかエラく疲れてしもうたわ。個人的な事だけでなく、まさか俺っちの武器にまで興味持つとはなぁ」

「しかし、彼等の態度は少し明け透けではありませんか? ヤクト殿やアクリル殿を物珍しい実験動物のように見るなんて……」


 唯一好奇の目線に晒されなかった角麗は、そう言いながら眉間に襞を寄せて憤りを露わにした。好奇心旺盛な魔道士の性格に一定の理解を抱きつつも、やはり仲間がモルモット扱いされるのだけは我慢ならないようだ。だが、そのモルモット扱いされた本人は剽軽に笑い飛ばしてみせた。


「何、気にする事あらへんよ。そもそも、実験動物扱いなんて幸運マシな方やで? 中には魔力を持っていない言うだけで人間扱いせん奴も居ったしな。こんなことを言うのは変かもしれへんけど、とうの昔に慣れてしもうたわ」

「ヤクト殿……」

「それにや。魔力が無くても、俺っちなりの戦い方を見出す事が出来た。何も出来ずに泣いていた、過去の弱い自分とは決別したんや。せやさかい、そう言った嫌な思い出も今となっては鼻先で笑える程に下らない……取るに足らへん出来事に過ぎへんのや」


 ヤクトが角麗に向けた笑顔には様々な意味合いが含まれていた。自分の為に怒ってくれた角麗への感謝、そして過去に受けた不遇な仕打ちに悔恨も後悔も無いという彼なりの意思表示だ。

 その笑顔によって角麗は怒りの感情を見失い、かと言って次にどんな顔をすれば良いのか分からず戸惑いにも似た表情を浮かべてしまう。

 しかし、やがて彼の強い意思に関心を覚えたような和らいだ笑みを浮かべ、角麗は今度こそ怒りの矛を収める事に成功した。それを見届けたヤクトは気を取り直して、城下町へと続く城門を見据えた。


「ほな、そろそろ帰ろうか。戻って選抜試験に向けた準備をせなあかんしな」


 ヤクトが帰路を促し、私達もソレに応じて歩み出そうとした……正にその時だった。「おーい……!」と誰かの呼び声がやって来たのは。

 最初は自分達以外のハンターの遣り取りかと思って見向きもしなかったが、その声は徐々に大きくなり、しかも私達の方へと近付いてくる。これはもしや私達を意識したものでは……そんな可能性に気付き始めた直後、決定的な一言がやって来た。


「ガーシェルちゃーん!!」

「は?」

「え?」

「うん?」

「あっ!」


 ヤクトと角麗とクロニカルドは怪訝そうな表情を浮かべながら、一斉に声の方へと振り返る。そして皆に先駆けて声の主を発見したアクリルの口から嬉しそうな呟きが上がった。

 私もそこで巨体を反転させて振り返れば、学者のような白衣を纏った女性が此方に向かって一心不乱で駆け寄って来るのが見えた。

 腰ほどの長さもある焦げ茶色の三つ編みは背中を離れ、気流の波に乗って揺れ動いている。チャーミングな雀斑が添えられた端正な顔立ちは、単なる息切れか、それとも興奮の表れか、薄らと朱色に染まっていた。

 そして更に距離が詰められると眼鏡の奥に広がる青空色の瞳が私達を映し出し、やがて達は抜け落ちて私一匹だけとなり―――(あれ? 何か近くね?)と疑問に気付いた頃には、既に彼女は私に向かってダイブして抱き付いていた。


「ガーシェルちゃーん!!」

「貴様は……キューラ!?」



「ガーシェルちゃんガーシェルちゃんガーシェルちゃん……。ちょっと見ない内に立派になったねというか進化してますよね? しかも、ヴォルケーシェルなんていう極めてレア中のレアに等しい魔獣になってるじゃありませんか。ヴォルケーシェルと言えば海底火山に生息する魔獣だから調査しようにも今の魔法技術じゃ海底まで行けないしね。というか、凶暴な魔獣が多くて行くのも不可能だと言うのに、まさかこういう形で出会えるとは! 何たる僥倖! そして重畳! この絶好の機会を逃す訳にはいかない……スーハースーハー」

「あの……この人は一体何ですか?」


 私の貝殻に顔を埋めながら自分の世界に没入するキューラを目の当たりにし、角麗は何とも言えない――敵意や恐怖の感情は無いが、己の語彙力では言い表せない不気味で気持ち悪い何かを見ているような――複雑な面持ちでヤクト達に問い掛けた。

 しかし、そのヤクトとクロニカルドもまた彼女に比べれば幾分かマシではあるが、現実逃避にも似た遠い眼差しを浮かべながらキューラを見据えていた。


「あの人はキューラ女史や。テラリアっちゅー従魔契約発祥の地で魔獣研究をしている学者や。珍しい魔獣には目が無くってな、ガーシェルがロックシェルだった頃から首ったけや」

「……ああ」


 『どうして知り合いなのか?』『そんな凄い人なのか?』という質問が飛び出てもおかしくはないのだが、角麗が絞り出した言葉は全てを悟ったような呟きだけであった。まぁ、私に対する愛情(白目)を見れば一目瞭然なのも頷けるが。


「キューラおねーちゃんはどうしてココに居るのー?」

「ふふふっ、よくぞ聞いてくれました!」


 私の貝殻に乗っていたアクリルがキューラを見下ろしながら尋ねれば、女史は貝殻に埋めていた顔をガバッと持ち上げて嬉々とした眼差しを幼女に向けた。


「アクリルちゃん、昨日従魔許可証の更新……つまりガーシェルちゃんが進化した事を王都のハンターギルドで報告をしたよね? 実はその手に関する情報は全てウチに流れ込む仕組みになっててね。それも最先端の通信魔法を使ったものだからリアルタイムでね。

 それでアクリルちゃんの報告を見た瞬間、興奮が最高潮に達して居ても立ってもいられなくなっちゃって。だけど、テラリアでの仕事もあるしどうしようかと思ってた矢先に私は思い出したの。王都にある研究機関に頼まれていた用事があったから、それを片付けるついでにガーシェルちゃんに会いに行こうと。そして職権濫用……じゃなくって個人的な伝手を当たって、転移魔法を使って王都にやって来たって訳よ!」

「気のせいか? 仕事を出汁ダシにしてガーシェルに会いに来たと言っているように聞こえるが?」

「奇遇やな、俺っちも同じように聞こえたわ……ってか、ちょい待ち。王都に来た経緯は分かったけど、それやったら何で王城に居るんや? 研究機関は王城内にはあらへんで?」

「ああ、そっちの仕事は昨日来た内に片付けちゃったわよ。で、此処に居るのは王都に居る情報筋から貴方達の事を聞いたからよ。でも、流石に単独で王城に入るのは至難だから身内に協力してもらったの」

「身内?」


 と、ヤクトが怪訝で歪ませた顔を浮かべながら、キューラの言う『身内』の話題に踏み込もうとした時だった。聞き覚えのある中性的なバリトンボイスが、私達の会話に割り込んで来たのは。


「やれやれ、どうして急にこっちの仕事を引き受けたのか不思議に思っていたけど……そういう理由だったのか」

「ジルヴァはん!?」


 その声に反応して振り返れば、数あるナイツの中でも精鋭で知られるシルバーランスの大隊長ことジルヴァの姿があった。その傍には彼の補佐を請け負うヘルゲンも付き従っている。


「どうして御二人が此方に?」


 角麗も驚きを隠し切れない面持ちで尋ね掛ければ、珍しく苦笑いを浮かべたジルヴァは私へ……いや、私に貼り付いているキューラへ目線を遣った。


「いやね、姉貴が急にこっちへやって来るって聞かされたモンだから、急遽護衛に就いたんだよ。こんな奇人変人だけど国家においては重要な人だからさ。面倒だけど守ってやるしかないじゃない」

「むーっ、奇人変人って何さー! ジルちゃんだって麗しき戦闘狂だの可愛い顔した暴君だのと言われてるじゃない!」

「あははは、僕にとっては最大にして最高の誉め言葉だよ! 但し、麗しいだの可愛い顔だのは余計ですー」

「あ、あのー……ちょっとええやろか?」


 慣れ親しいと言うべきか、勝手知ったる仲のように軽口の応酬を微笑ましげに交わし合う二人。その遣り取りを目の当たりにして呆気に取られていたヤクトが恐々と沈黙を破れば、二人は会話を中断して彼の方へと振り返る。


「確か……キューラはんは身内から聞いて此処にやって来たって言うてたけど、まさか……その……」

「ああ、そう言えば言ってなかったわね」キューラがジルヴァを指差す。「ジルヴァは私の弟なのよ」

「そして――」彼女に対抗するかのようにジルヴァもキューラを指す。「――キューラは僕の姉だ」

「……はぁぁぁぁ!!? 嘘やろ!?」


 次から次へと急激に推移する事態に食らい付いていたヤクトだったが、情報収集整理を担う脳内キャパシティが許容範囲を超えたらしく、堪らず驚愕の悲鳴を上げた。クロニカルドや角麗は悲鳴こそ上げなかったが、彼と共通した驚愕の色が表情に見て取れた。


「まぁ、姉弟と言っても完全に血が繋がっている訳じゃないよ」キューラはあっけらかんと言ってのける。「異母姉弟ってヤツだね」

「いぼしてい?」


 知らない単語にアクリルが小首を傾げて反応を示すと、ジルヴァは微笑を閃かせながら彼女に説明した。


「父親は同じだけど、母親は異なる姉弟のことさ。知っているかどうか分からないけど、エルフ族は亜人種の中でも子孫を残し辛い体質なんだ。だから、一夫多妻ハーレム……即ち一人の夫が複数の妻を持つことが許されているんだ。因みに僕の父は普通のエルフだけど、母は近接戦闘を得意とするダークエルフなんだよ」

「へー、そうなんだー」


 ああ、成る程。よくよく姉弟を見比べれば、顔立ちこそ似通ってはいるが髪色とか瞳の色とか細部に渡って異なる部分も見受けられる。というか、ジルヴァの母親ダークエルフだったんですね。道理で腕が立つ訳だ。


「成る程な。キューラが我々の居場所を知ったのは弟のジルヴァのおかげと言う訳だな。しかし――」ジルヴァを見遣るクロニカルドの目付きに微弱な同情が籠る。「――身内とは言え、アレに振り回される事を思うと何とも不憫だな」

「まぁね」ジルヴァは肩を竦める。「慣れたと言うのも変だけど、姉貴に振り回されるのは今に始まった事じゃないしね。それに本人も悪気がある訳じゃないという事は分かってるよ。でも、まさか其方と知り合いだったとは思いもしなかったよ」

「それはこっちの台詞や。まさか二人が姉弟だったとは思いもせぇへんかったわ」


 そう言いながらヤクトはさり気無く周囲を窺った。一塊となったまま立ち話に興じる集団私達の存在は想像以上に人目を集めているらしく、先程までチラチラと忍ばれていた視線が、今やジロジロとした大っぴらなものに変わりつつある。

 これ以上の悪目立ちを望まないヤクトは角麗やクロニカルドとの間でアイコンタクトを交わし、早急にこの場から離れる事を決定した。


「ほな、そろそろ俺っち達も行きますわ。此方も選抜会に向けて準備をせないかんので」

「ええー! もうちょっと良いでしょー!? 折角ガーシェルちゃんに会えたのにー!」

「馬鹿を言うでない。此方もやるべき事があるのだ。其方の我儘に付き合えるだけの暇など無いのだ」

「うぅー……」


 キューラは縋るような懇願の眼差しを、唯一無二の理解者であるアクリルに向けようとした。だが、その直前で私が身を翻した事によって、キューラの目線はアクリルに届かぬどころか阻まれる結果に終わってしまった。


「ほな、俺っち達はこれで。ジルヴァはん、キューラ女史、また何処かで御会いましょ」


 これを好機と見做したヤクトが一気に畳み掛けて、そそくさと立ち去ろうとした――その時だった。


「あれ、あそこに男の子がいるよー?」

『え?』


 貝殻の上に乗っていたアクリルが指差して指摘する先に目を向ければ、彼女よりも僅かに年上と思しき少年が遠巻きに此方を見据えていた。強者が大勢集まる場にアクリルみたいな子供が居るだけでも奇妙だが、その少年もまたアクリルに勝るとも劣らず奇妙だった。

 何より目を引いたのは、少年の周りを取り囲む王家の近衛兵だ。猫の子一匹近付けさせまいという数人体制による厳戒態勢が取られており、そこから少年が最重要の護衛対象者である事実が窺える。

 私達の目線に気付いた少年は傍に居た女性――近衛兵ではなく、家庭教師が似合いそうな小洒落たドレスを身に纏った淑女――を見上げながら一言二言の短い言葉を投げ掛ける。

 少年の言葉に応じるように、女性も私達に目線を暫し張り付けた。やがて許可を出すかのように無言で頷くと、少年はパッと笑顔を浮かべて此方に駆け寄って来た。その後ろからは少年の足取りに合わせて四人の近衛兵も小走りで追走する。


(え、これ……大丈夫なんですか? というか、どうなってしまうんですか?)


 そんな不安を抱きながら周囲に目線を巡らすと、アクリルとクロニカルドを除いた誰も――あの魔獣にしか興味を持たないキューラや、常に飄々としたジルヴァでさえもだ――が目を皿のように見開いたまま固まっていた。まるで予期せぬ有名人との出会いに驚くかのように……。


「キューラ先生!」


 私達の輪に飛び込むのと同時に、少年は尊敬の念を込めた眼差しをキューラに投げ掛けた。ついでに先生という目上の人に付ける肩書きまで添えて。しかし、その当人は驚きで舌を縺れさせながら言葉を返すので精一杯だった。


「い、イーサン王子!? ど、どうして此処に!?」

「キューラ先生が居ると聞いてやって来ました! それと先生がお気に入りにしている魔獣も耳にしました!」


 少年の無垢な眼差しがキューラから私へと移行する。アクリルみたいな無邪気な視線とは異なる、一種の憧憬とも言うべき尊敬の念が籠った眼差しは今までに経験が無く、それ故に背中を擽られるような思いに駆られてしまう。


(あれ、ちょっと待って。今イーサンって言ったよね? まさか、この子は……)

「これ、イーサン」少年の後を追ってやって来た淑女が窘める。「いきなり挨拶もせずに話し掛けては皆さんに失礼ですし、驚かれてしまうでしょう。先ずは自己紹介をするのが礼儀ですよ」

「も、申し訳ありません。母上」

(え、母上? って、ことは……まさか!?)


 母親に窘められ、申し訳なさそうに眉を傾げるイーサン。しかし、直ぐに私達の方へと振り向いた時には一片の曇りもない無垢な表情を取り戻していた。


「申し遅れました。僕の名前はイーサン・ラブロスと言います。ラブロス王国の第三王子です」

「そして私が母のマリオン・ラブロスと申します。以後、お見知りおきを」


 ラブロス王家に連なる人々の自己紹介に対し、驚愕の悲鳴を上げる者は誰一人として居なかった。只、ヤクトは空気を求める金魚のように口をパクパクと上下させていたが……。

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