第147話 かくして火蓋は切って落とされり

「ウキャー!」

「はっ!」


 角麗は鋭い手刀を横一閃に振り抜き、洞窟の暗闇から不意に飛び掛かって来たエンマの首を撥ね飛ばした。首を失くした猿の魔獣は断面から血を撒き散らしながら角麗の前に沈み、暫くすると身体に纏われていた炎も水を浴びせ掛けたかのように一瞬で掻き消えた。


「また不意打ちかいな、連中も諦めが悪いのォ」

「ええ。ですが、数による暴力を嗾けられるのに比べれば優しいものですけどね」

「しかし、こうもチマチマと襲われると嫌がらせにも似た苛立たしさを覚えるな。纏めて一掃したい気持ちに駆られる」

「やめーや、纏めて襲われたら俺っち達の身がもたへんわ」


 この洞窟に入ってからというもの、相手側が得意としていた人海戦術はパッタリと途絶えた。その代わりに不意打ちや奇襲といった此方の虚を突く戦術がメインとなり、今のを含めて既に五度もの奇襲を凌いでいる。

 恐らく洞窟のような狭所では数の利を活かせないどころか、返って一網打尽にされてしまう可能性を危惧したのだろう。暗闇に紛れた奇襲戦法ならば少数でも効果を出せる上に、小回りが利くコエンマやエンマならば狭所での戦闘に持って来いだ。

 しかし、悲しいかな。私のソナーによって伏兵の尽くを見付け出せる上に、この暗闇の中では向こうのトレードマークである体に纏った炎が居所を教えてくれるも同然なのだが。


「……あっ、明かりがあるよ!」

「ああ、せやな」


 アクリルが前方から差し込む光を指差しながら口に出すが、既に全員の視線は彼女が指摘した場所に釘付けられていた。それも前方の光は外界へ通じるような白ではなく、灼熱で煮え滾る赤を連想させる色合いに染まっている。


「漸く目的地に到着っちゅー事か。アソコに何が待ち受けているのやら……。ガーシェル、お前のスキルで向こうがどうなっているか分かるか?」

『少々お待ち下さい』


 ヤクトが尋ねながら此方に振り返り、それに釣られて残りの全員も私に向けて気掛かりな視線を投げ掛ける。貝殻に貼り付く仲間の視線を意識しないよう己に言い聞かせつつ、ソナーのセンサー及び併用しているマッピングに意識を注ぎ込む。

 マッピングによって精緻な地図が脳裏に描き出され、次いでソナーでキャッチした敵の反応を意味する点が地図上に閃く。だが、ハッキリ言ってコレは無意味に等しかった。無数の点が密集し過ぎており、脳裏の地図を埋め尽くしていたのだ。

 大体の魔獣は点の大小によって脅威か否かの判別が可能なのだが、こうも密集されていては判別出来ない。例え判別出来たところで、この先に待ち受けているのが地獄である事に変わりはないが。


『……この先はエンマ達の居住区になっていますね。無数の反応を感知しました』

「やっぱり居住地域になっとったか……。さて、どないしようか」

「ガーシェルちゃんが地面を掘って進めば良いんじゃないの?」


 アクリルが小首を傾げながら提案をするが、ヤクトは「いや」と強めの懸念を込めてソレを否定した。


「ここら一帯は活火山や。下手に掘り進んで火道……つまりマグマの通り道に出てしまう恐れがある。せやから、今回の場合は下手に潜らん方がええな。おまけに猿達が坑道を作っているとなれば、掘った先に奴等の坑道が無いとも限らへん」


 確かに私も流石に溶岩の中を泳ぐ自信はありませんね。あっというま蒸し焼きになるどころか、跡形も無く溶けてしまうオチしか見えない。そんな悲惨な最期は絶対に迎えたくないものだ。


「ならば、以前の地下街みたいに姿を消して遣り過ごすしかないな」

「それに入り口が此処だけとは限りませんし、運が良ければ他のルートを見付けて、此処から脱出出来るかもしれません。それから此処の事実を知らせるのが最善かと」

「ほな、その可能性に賭けて……いざ、エンマの居住区にお邪魔するとしますかっと」



「想像以上やないか」

「想像以上だな」

「想像以上ですね」

「そーぞーいじょーだね」


 アクリルさん、舌足らずで言えてませんよ。とまぁ、個人的な突っ込みはさて置いてだ。確かにコレは想像以上だ。

 眼前に現れたのは、地底火山と呼ばれる火山地帯の地下に偶然出来上がった自然の空間であった。しかも、自然が生み出した産物でありながら、地底火山の空間は王都にあるハンターギルドの本部を丸ごと収納しても尚余裕がある程の広大さだ。


(もしかしたら猿達が手を加えた可能性もあるが)。


 そして左手の壁を伝って流れ落ちる溶岩流の滝からなる灼熱の大河こそ、この広い空間を照らす紅蓮の正体であった。この大河は地底火山の約3分の1を占めており、鍾乳洞にも似た地底の風景と相まって地獄に存在する煉獄を連想させる。

 そんな地底火山を見渡すとも猿・猿・時々ゴリラ……と、いった具合に限りの無数のエンマ達――パッと見の目算でも三千……いや、四千は下らないであろう――が寄り集まっており、それこそ足の踏み場も無い程に密集していると言っても過言ではない。

 地面だけでなく岩壁に設けられた棚状の溝――高熱で刳り貫いたかのような痕跡からして、独自に作ったものだと思われる――にもエンマ達が身を寄せ合っており、その膨大な数たるや最早コミュニティ群れの域を超越しており、彼等を駆除する立場にある人間からすれば絶望的な光景であった。

 点が密集したイメージだけでは、大群が犇めき合っていると理解しつつも実感こそ湧かなかった。しかし、実際に彼等の居住区に変わり果てた地底火山を目の当たりにして、初めて実感すると共に『これは想像以上だ』と驚愕した。

 今は此方に意識を向けていないので無事だが、もしも私達の存在に気付いたら数で押し潰されるのは容易に想像出来る。しかも、この中を通り抜けるというのだから文字通り命懸けだ。


「ガーシェルちゃん、通れそうにないよ?」

「いや、よく見ろ。僅かにだが通り道がある。あそこを通り抜けて向かい側の壁に辿り着けるかもしれん」


 そう言ってクロニカルドは猿達で埋め尽くされている地底火山の一角を指差す。

 よくよく見ると猿達はある程度のグループ――大体一つのグループに付き、ダイエンマ一匹・エンマ三十匹・コエンマ五十匹という配分――で纏まっており、そのグループ間に蟻の門渡りを彷彿とさせる細径が設けられていた。

 細径と言ってもアクリルやヤクトみたいな人間サイズならば余裕で通れるだろうが、巨体を有する私にとっては狭い道幅という印象を覚える。そこにホイールの幅も含めれば猶更だ。兎に角、此処を通るだけでも四苦八苦するのは避けられそうにない。


「ここを通るしかあらへんな。せやけど、先ずは俺っちとカクレイが先行して抜けられそうなルートを探すさかい、姫さん達は此処で待っててくれるか?」

「うん、分かった!」

「では、魔法をかけるぞ。透明化クラルテ


 クロニカルドが魔法をかけると、ヤクトと角麗の姿が陽炎のように歪み出した。かと思いきや、徐々に揺らぎが大きくなるにつれて二人の姿は透き通っていき、最終的には完全な透明人間となって目前から消えてしまった。


「わー、見えなくなっちゃったー」

『凄いですね』

「ほな、ちょっと行ってくるわ」

「此処で待っててくださいね」


 何処からかやってきた二人の言葉に碌な返事も返せぬまま、二人の気配は私達の傍を離れてエンマ達の方へと向かっていく。

 地底火山で屯していた猿達の何匹かは、野生の勘とも言うべき感覚が何かを感知したらしく、不思議そうな面立ちを浮かべながら周囲を見回す。しかし、怪しげな姿が見えないと分かると、気のせいだと自己完結させて伸ばした首を縮めて正面に向き直った。

 バレないでくれと祈りながら、ハラハラドキドキの時間はあっという間に経過していき、十分近くが経過した頃だった。再び私達の目前で陽炎のような歪みが起こり始め、徐々に二人の姿を形作ったのは。


「お待たせしました」

「どうだった?」


 クロニカルドが首尾を尋ねると、ヤクトは鷹揚に頷いてから答えた。


「ああ、一個だけあったで。せやけど、ちょーっと面倒な道則を歩まなあかんけどな」


 そう語りながらヤクトは肩越しから親指で背後を差し、向かい側にある岩壁を示した。そこには私達が入って来たのと同じ――要は高熱で刳り貫いた――大きめの穴があった。

 しかし、問題なのは向かい側に辿り着くまでの道筋だ。此処から向かい側までの道則は脳波を描いたかのような細かいジグザグが続いており、更に道の両脇には無数の猿達で埋め尽くされている。

 下手をすれば一触即発……いや、それさえも通り越して済し崩しで戦闘に突入してしまうだろう。しかし、此処を通る以外に道も術もないのが現実であり、覚悟を決めて通るしかない。


「兎に角、我々にも魔法をかけるぞ。念の為に無関心オールスルーもかけておこう。ヤクト達が通った気配に勘付いた奴が何匹か居たからな」

「ああ、ほな頼むわ」


 そう言ってクロニカルドの魔法が全員にかけられたところで、私達は慎重に細道に踏み込んだ。ヤクト達が難無く細道を進むのに対し、私は細心の注意を払いながら亀のような速度で進まざるを得なかった。

 少しでも車輪の操作を誤れば泡の車輪が狭い道幅から呆気なく脱輪してしまい、エンマにぶつかる恐れがある。特に鋭いV字を描いた極端な曲道に差し掛かった時が困難を極め、細かなバックと慎重に慎重を重ねて車輪操作で何とか切り抜けた。

 まるで一昔前に一世を風靡したイライラ棒の命懸けバージョンを経験しているみたいだ。並々ならぬ緊張感と不安で心臓がサンドバッグにされているかのように、バクバクと早鐘を打っているのが手に取るように分かる。

 アクリル達も私の苦労を理解しているらしく、急かすような言葉を掛けてこないのは幸いだった。と、そこで私はふと猿達が妙に静かな事に気付いた。此方の存在に気付いて警戒しているという意味での静けさではない。

 彼等は皆、雁首揃えて同じ方向を見据えていた。直視するだけで目が焼けてしまいそうな赤熱の輝きを放つ、溶岩で満たされた大河を。まるで何かを待ち望んでいるみたいだが、魔獣に向かって『何を?』と尋ねる訳にはいかない。

 そして漸く折り返し地点に差し掛かった時だ。私達が目指していた穴の向こうから、重々しい足取りを豊富とさせる間の置いた足音が聞こえてきた。それもガシャガシャと金属の掠れる音も一緒だ。恐らく鎧を身に纏った人間……つまりはハンターだ。

 その音を耳にした途端、ヤクト達は足を止めてゴールである穴に注意深い視線を投げ掛けた。それは彼だけでなく、音を聞き取った猿達も同じだ。そして穴の向こうから人影が浮かび上がり、やがて溶岩の輝きに満たされた地底火山に飛び出した。


「あれは……貴族のボンボン?」


 ヤクトが独り言のように小声で呟く。彼の言う通り、穴から現れたのは漆黒の牙のリーダーを務めていたオービルであった。

 しかし、此処に足を踏み入れたのは彼一人だけで、他の仲間達の姿は見当たらない。やられてしまったのか、それとも途中で逸れてしまったのだろうか? どちらにせよ、登場するタイミングの悪さにヤクトの口から舌打ちが零れ落ちる。

 此方の姿が見えない上に気配も消しているので、ヤクトの悪態は猿達の耳に届かなかったが、それは穴から出て来たばかりのオービルにも当て嵌まる事であった。

 そのオービルは目前に広がる光景――地底火山に無数のエンマが居ること――が信じ難いのか、しとどに濡れた顔の汗を払い落とすように頭を左右に振って意識をリセットする。だが、どう足掻いても現実は変わらず、見開かれた目に衝撃と驚愕が浮かび上がる。


「くっ、コレほどのエンマが居ようとは……! 私の命運は尽きたと見える……! しかし、圧倒的に不利だと分かっていても諦める訳にはいかん! 散っていった仲間達の無念を晴らす為にも、一矢報いらせて貰う!!」


 と、そこでヤクトの表情に焦りと危機察知が閃いたが、既にオービルはエンマ達に向けて弓を引いていた。明確な敵意を感知した猿達がキーキーと甲高い雄叫びを上げて威嚇し、まるで風船が膨らますかのように空間全体に一触即発の不穏な空気が張り詰める。


「オービル・フォン・エディールの意地を見よ!!」

「バカ! やめろ―――」


 ヤクトが咄嗟に制止の声を張り上げるも、此方の姿が見えない上に彼の声は猿達の奇声に埋もれてしまいオービルに届かなかった。そしてオービルが番えていた矢はヒュンッと空を切り、エンマ達に向かって一直線に向かっていく。


ガギィンッ!!


『嘘……』

「え?」


 ……が、矢は手前のエンマ達の頭上スレスレを素通りし、彼から距離を置いた場所で立ち止まっていた私の貝殻に命中した。

 美しい鐘の音を聞いているかのような甲高い金属音が地底火山に木霊し、矢を放ったオービルも思わず呆けた顔を浮かべたまま硬直してしまう。そして彼に意識を向けていた猿達も、唐突に響き渡った異音に引っ張られて此方へ振り返る。

 だ、だけど此方の姿は見えていないから大丈夫の筈……と思っていたが、此方を見据えるエンマの目を鏡代わりにして凝視すると、透明化されていた私の巨体に虹色の揺らぎが走ったかと思いきや、みるみると姿が暴かれていく。


 こ、これは一体どういう事だと内心で動揺していると、私の前を進んでいたクロニカルドが瞠目しながら叫んだ。


「いかん! 今の攻撃で透明化の魔法が解けた!」

「何やと!?」

「じゃ、じゃあ……今のガーシェルは!?」

「敵に丸見えだ! おまけに此処は敵の陣地だ! こうも注目されれば無関心オールスルーの効果も失われたに等しい!」


 クロニカルドの言葉は概ね正しい。私の姿が露わになった途端、猿達の目線が私に釘付けになったからだ。それは入り口に差し掛かったオービルよりも、中枢に入り込んだ私を脅威と見做している証拠だ。


「ウキャァァァァァ!!!」


 無数に居る内の一匹が歯を剥き出しにした威嚇の表情から、興奮と敵意を混ぜたかのような耳を劈く雄叫びを上げる。それに呼応するかのように他の者達も一斉に叫び始める。

 それが戦いの火蓋を切って落とす号令となり、猿達は私に……もとい私達に雪崩れ込むかのように襲い掛かって来た。

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