第125話 クロニカルドVSハイン

「むぅ、二人との連絡が取れん……」

「ヤーにぃとカクねぇ、大丈夫かな……」


 ヤクトとアクリルとの連絡が遮断された頃、塔の近くで待機していたクロニカルドとアクリルは互いに顔を見合わせた。片やどう動くべきかを迷い、片や中に入った二人の安否を気遣う不安気な表情だ。


「クロせんせー、二人とも大丈夫かな……?」

「……そればかりは己にも分からん。しかし、突然通信が途切れたという事は只ならぬ事態に陥ったという事だろう」


 そう言いつつクロニカルドは自分自身に問い掛けた。

 仮に敵に発見されたとしたら、何が原因なのか? ヤクトと角麗が敵陣でうっかりしていたという可能性は考え難いし、かと言って自分の魔法がチンピラ風情に見破られたとも思えない。幹部クラスならばまだしも……と、思ったところでクロニカルドは一つの可能性に思い当たった。


(幹部クラスが最初から出向いていたとしたら? そして逆に彼等を罠に嵌めたとしたら? まさか……我々の存在はとうの昔に気付かれていたのか?)


 二人がそれぞれの目標を発見したタイミングで、同時に通信が遮断されるなんて不自然だ。しかし、そこへ罠という可能性を置くと不自然が一転して自然という形に変換される。となると、自分達の存在も相手に気付かれていると見るべきだろう。


「アクリルよ。我々も塔に向かうぞ」

「え? ヤー兄を待たなくて良いの?」

「うむ、寧ろヤクト達が危険に晒されている可能性が高い。我々が助けに向かうのだ」


 当初は此処からの撤退も考えたが、直ぐにソレはクロニカルドの中で棄却された。既に自分達が目を付けられたとすれば、向こうも自分達の逃走経路を把握して出入り口を固めているに違いない。

 仮に防衛網を突破して出られたとしても、そこから先は広大なロイヤルガーデンの中を突っ切らなければならない。偉大な魔道士と言えども、アクリルを守りながら王都まで向かうのは流石に困難だ。

 ならば、いっそのこと塔に向かって観客達に紛れた方が発見され辛いかもしれない。それに運が向いていれば、二人を救出して逆転する事も不可能ではない。寧ろ、そちらの方がまだ現実的だ。


「これから塔に向かうに当たって貴様に透明化の魔法をかける。今の状況で何処まで通用するかは分からぬが、それでも無いよりかは―――」


「あらぁん、それは駄目でありんすよぉ?」


 何処からともなく響き渡った甘ったるい艶声にクロニカルドの表情が強張り、バッと辺りを見回す。姿は見えないが、自分達以外の声という事は十中八九敵と見做して良いだろう。

 二人が居る場所は、ヤクト達と別れる直前まで言葉を交わしていた塔の付近にある建物群の路地裏だ。人通りが少なく敵の目に付き難いが、もし敵に見付かったとしても地下街の大通りへ出て、人込みに紛れる事も出来るという理由から待機場所として選択したのだ。


「アクリル! 逃げる―――!?」


 大通りへ逃げるべくアクリルの方へ振り返るクロニカルドだったが、そこに先程まで居た筈の彼女の姿は消えて無くなっていた。

 突然の教え子の消失にクロニカルドは一瞬頭が空白になったが、「うー!」と口を封じられてもがくような声が頭上から降り注いだ。

 反射的に見上げると建物の屋上から深紅のドレスを着飾った六本腕の獣人が此方を覗き込んでおり、その右脇には細い糸で口から足首に至るまで何重にも巻かれ、中途半端な繭と化したアクリルの姿があった。


「アクリル!」

「うー! ううー!!」

「おほほほほ、アンタ達が連中の仲間でありんすね? 初めまして、わっちはアレニアと言いんす。以後よろしゅうに……まぁ、以後なんて無いかもしれんせんけどね」

「貴様、アクリルを返せ!!」


 クロニカルドが殺気を込めた視線をアレニアにぶつけるが、向こうは彼の殺気を受け流しつつ鈴を鳴らすように優雅に笑い飛ばすばかりだった。


「おほほほほ、そう怒りんせんで。返して欲しければ自力で奪い取れば済む話でありんしょうに。それともわっちから、この可愛いお子さんを奪い返せる自信が無いでありんすか?」


 まるで子供がお気に入りの人形を抱き締めるかのように、アレニアはアクリルを持ち上げると彼女の柔らかな銀糸に顔を埋めてグリグリと擦り付けた。その仕草にアクリルは嫌そうに眼をギュッと瞑り、クロニカルドも可愛い弟子の危機に怒りの炎を燃やした。


「良いだろう、そこまで言うのならば己の力を以てして貴様を八つ裂きにしてくれるわ!!」

「あらあら、怖いでありんすねぇ~」アクリルに顔を擦り付けるのを止め、クロニカルドに視線を移すアレニア。「だけど、その力はわっちではなくハイエナに披露してあげてくんなまし」

「何?」


 クロニカルドが怪訝そうに尋ね返した直後、背後に広がる路地裏の影から微かにだが何者かの気配を察知して咄嗟に横へ退いた。すると狂気混じりの殺意の塊が影の中から飛び出し、先程までクロニカルドが存在した場所に躍り掛かった。


「こいつは……!!」

「グルルルル!!! 敵ぃぃぃぃ!! 敵だぁぁぁぁ!!!! コイツを倒せばぁぁぁぁ!!! グルルルル!! ドロップが一杯ぃぃぃぃ!! 一杯手に入ぃぃぃぃる!!!!」


 殺意の塊の正体は幹部の一人であるハインだった。部屋の隅に蹲るのがお似合いな枯れ木のような体躯だったのが、現在では銅角に勝るとも劣らぬ逆三角形を描いた筋骨隆々の立派な体躯となっている。

 ちょっと見ない内に生まれ変わったかのような豹変振りだが、一方で思考の破綻は相変わらず……いや、大幅に進んでいるらしい。ギラギラとした眼は殺気一色で覆われており、口元からダラダラと涎を溢すさまは狂犬病に冒された犬のようだ。

 そして本来ならばクロニカルドを背後から殴り付ける筈だったハインの拳は、標的が横へ飛んだことによって難無く躱され、そのまま硬い石畳の地面を殴るという残念な結果に終わった。

 しかし、その拳は石畳を容易く打ち砕くだけに止まらず、そのまま手首まで陥没するほどの威力を秘めていた。さしものクロニカルドも冷や汗が背筋に沿って流れ落ちるような感覚を数世紀振りに味わった。


「それじゃハイン、あとの事は任せんしたよ。くれぐれも大事おおごとにせず、可及的速やかに始末するでありんす。わっちはこの可愛い子ちゃんを闘技場に連れていきんす」

「待て!!」

「グルアァァァァァ!!! 影牢シャドーケージ!!」


 一足先に立ち去ろうとするアレニアを追い駆けようとするクロニカルドだったが、刹那の差でハインの影牢が発動し、地面から競り上がった影の壁がクロニカルドの行く手を遮るように周囲を取り囲む。

 そしてポッカリと開いていた頭上の空間もカメラのシャッターを絞るように閉鎖され、完全に両者は影の牢獄に閉じ込められる形となった。


「影牢……か。本来ならば相手のみを暗闇に閉じ込め、恐怖から来る精神的苦痛を与えるのが目的の影魔法だが、自身も一緒に閉じ込めたという事は真の目的は己を始末することだな?」

「グルルルゥゥゥ!!! ドロップゥゥゥゥ……!!! ドォロップゥゥゥゥゥ!!!!」

「……どうやら尋ねても意味が無いみたいだな」


 頭のネジが飛んだハインの反応にクロニカルドは呆れた風に溜息を吐き出すが、すぐに気を取り直して意識を切り替える。


「まぁ、良い。目的云々よりもアクリルを追い駆けるのが重要だ。さっさと貴様を倒して、無駄な戦いを終わらせる事に専念しようではないか」

「グルァァァァァァ!!!!」


 凶暴な野獣のように吠えながらハインが駆け出す。今の彼は薬物の影響で理性が崩壊しており、その奥で押し止められる筈の野生に拍車が掛かっている危険な状態だ。

 だが、この暗闇の中ではソレが逆に功を奏し、恐怖や怯懦とは無縁と思わせるような迷いの無い攻撃を繰り出せる無謀な勇気を彼に齎してくれた。しかも、ハイエナと同じ鋭い嗅覚を持っているおかげで、暗闇の中でも相手の位置を的確に把握出来るという強味も持っていた。


「暗視! 速度増強!」


 対するクロニカルドは暗闇の中でも視野が効く“暗視”を発動し、此方に向かってくるハインの姿を肉眼で捉えた。そして自身に速度増強の魔法をかけて、ハインが繰り出す拳を回避する。

 とは言え、クロニカルド自身の身体能力(本の体に身体能力が必要なのかという疑問はさて置いて)は御世辞にも高いとは言えず、速度増強の恩恵を受けても紙一重で攻撃を躱すのが精一杯だった。

 そもそも中距離~遠距離からの攻撃や後方支援をメインとする魔法使いや魔道士からしたら、身体能力なんて二の次、三の次と捉える者が圧倒的に多い。よってハインのような身体能力に長けたインファイター系の敵と遭遇した場合、大抵が苦戦を強いられるのだ。しかし、決して手の打ちようが無い訳ではない。


閃光フラッシュ!」


 鉤爪のように曲げて掲げた右人差し指の先から眩い閃光が放たれ、暗闇に支配された牢獄の中を一瞬だけ白で満たす。しかし、一瞬とは言え相手の目を眩ませるには十分だ。現に強力な閃光を間近で浴びたハインの目に純白が焼き付き、膨大な光量を処理し切れなかった脳が頭痛というアラームを鳴らして彼の動きを止めさせた。


雷電サンダーボルト!!」


 その隙を見逃さなかったクロニカルドは右掌から電撃の蔦を撃ち出し、ハインに追い打ちを掛ける。青白い電流の蔦がハインの肉体に絡み付き発光する様は、まるで彼自身が発電しているみたいだ。

 本来ならば電流を浴びせ続けて相手を気絶に追い込む予定だったのだが、中々にハインもしぶとくて一向に倒れる気配を見せない。威力を上げて勝負を決めようかという考えがクロニカルドの脳裏に過った時、彼は一つの異変に気付いた。


(何だ……? ヤツの体が大きくなっている?)


 最初は自分の見間違いかと思っていたが、時間が経つにつれてハインが着ていた服が内側から盛り上がる筋肉の膨張に耐え切れずビリビリと破れ始めるのを見て、漸くクロニカルドは確信に至った。


「まさか、こやつ……狂戦士バーサーカーか!!」


 狂戦士バーサーカー……魔道士や格闘家という数ある職業センスの中でも、一際異彩を放つ職業だ。戦士や格闘家並みに優秀な攻撃力とズバ抜けて高い生命力を有する反面、防御面はかなぐり捨てていると言っても良いほどの極端ピーキーなステータスを有している。

 しかし、狂戦士の真骨頂はハイリスク・ハイリターンにある。自身に掛かる負担が大きければ大きいほどに、それと引き換えに強大な力を得る。例えばダメージを負えば負うほどに攻撃力が増し、理性を失い暴走する代わりに身体能力が劇的に上がると言った具合に。

 相当リスキーな能力であるが故にパーティーに組み込み辛いという難点こそあるが、その効果は極めて絶大であり、切り札として期待出来る役職でもある。


「グオオオオオオオオオオ!!!!」


 身体に纏わり付いていた電流の蔦を強引に引き千切るように吹き飛ばすや、ハインはクロニカルド目掛けて駆け出した。しかも、狂戦士の恩恵によって飛躍的に強化された身体能力の速度は今までの比ではなく、流石の大魔術師もコレには目を見開いて驚きを露わにした。


障壁バリア!!」


 回避出来ないと咄嗟に判断したクロニカルドは、自身の前に魔法陣を描いた障壁バリアを張り巡らす。だが、ハインが繰り出した拳はガラスを叩き割るかのように意図も簡単に障壁を突破し、クロニカルドを殴り飛ばした。


「ぐぬぅ!!」


 数百年振りに殴られる感覚に思わず呻き声が漏れるが、狂戦士の効果で思考がぶっ飛んだハインは御構い無しに次から次へと拳を繰り出す。障壁が破れた時点でクロニカルドは自身に防御魔法をかけていたが、その効果すら帳消しにしてしまう程にハインの拳は重かった。


影沼シャドーマーシュ!」


 クロニカルドが次なる魔法を唱えると、ハインの足元に広がる闇が沼状に変質してズブズブと音を立てながら彼の肉体を飲み込み始めた。そして膝上まで飲み込んだところで沈下は止まり、ハインの機動力を封じ込めた。

 これは一種の足止め用の魔法であり、ハイン程のレベルならば十秒足らずで抜け出せるに違いない。しかし、ハインから必要以上の距離を置き、自身に回復魔法をかけて立て直すには十分だった。

 そしてクロニカルドの予想通りにハインは影沼を6秒きっかりで脱出し、グルグルと唸りながら頭を左右に振って相手の匂いを追い始めた。やがてクロニカルドの居る方角に当たりを付けると、暗闇に潜む野獣のように眼をギラギラと輝かせながら彼を睨み付ける。


「デスフレイムボール! ライトニングアロー! クリスタルシャードショット!」


 クロニカルドが掲げた掌から、赤黒い獄炎の火球、光を纏った光速の矢、槍に匹敵するほどに長い水晶の鏃が次々と打ち出されて、影牢の暗闇を照らしながらハインに襲い掛かった。

 どれもこれも当たれば致命傷を免れない危険な攻撃ばかりだが、ハインは敢えて避けずに全ての攻撃を肉の鎧で受け止めた。獄炎が皮膚を炭のように黒く焼き、光速の矢が肩を易々と貫き、水晶の槍は脇腹に深々と突き刺さる。常人ならば苦痛の悲鳴を上げている所だろうが、ハインは逆に笑みを絶やさなかった。

 攻撃を受けて傷付く度に筋肉の鎧は巨大化し、矢で貫かれた肩の傷口も肥大した筋線維であっという間に埋まってしまう。脇腹に刺さった水晶の鏃に至っては、内側から込み上がる筋肉の圧で外へ押し出されてしまう程だ。

 気付けば彼の肉体は筋骨隆々を通り越し、格闘漫画やその道を極めた世界でしか見られないようなモンスターボディとなっていた。これでは本物の魔獣と遜色ないなとクロニカルドが内心で独り言ちていると、ハインのハイテンションな声が暗闇の中に木霊した。


「無駄無駄無ぅぅぅぅ駄だぁァァァァ!!!! お前にィィィィィィ!!! 勝ち目など無いィィィィィ!!!!」

「ふむ、確かに今のままでは勝つのは難しいな」

「ゲハハハハハハぁぁぁぁぁ!!! オレの勝ちだぁぁぁぁぁぁ!!! そしてぇぇぇぇ!!! 大量のドロップをォォォォォォ―――――」


「ならば、今の状況を此方の有利に変えるまでだ。強制初期化オールリセット


 クロニカルドが掲げた掌が薄らと光を帯びたかと思いきや、次いで突風のような風が吹き抜けた。最初は突風を平然と受け流していたハインだったが、やがて目に見える形で自身の肉体に異変が現れ始めた。

 受けたダメージに反比例する形で増強された筋肉の鎧がみるみると萎み始め、クロニカルドに出会った時を通り越して本来の痩せ細った骨と皮だけの貧弱な体躯となってしまう。更に薬物の影響でハイになって吹っ飛んでいた思考が徐々にクリアになっていき、正常に戻るのと同時に形容し難い苦痛と底無しの飢餓感がハインを襲った。


「ぐおぉぉぉぉ……!!!」

「ほぅ、それが貴様の本来の姿が。狂戦士という立派な肩書きこそ持っていても、当の本人が薬物依存者では豚に真珠……哀れと言う他あるまい」

「き、貴様ぁぁぁぁ!!! 俺に何をしたぁぁぁ……!?」

「簡単だ。全てをリセットしたのだ」


 飢餓に耐え切れず跪いたハインが怨嗟の声で問い掛ければ、暗闇の向こうからクロニカルドの淡々とした口調が返って来る。


強制初期化オールリセットは文字通り、全てをリセット……即ち初期状態本来の姿に戻す魔法だ。肉体や精神を蝕む状態異常は無くなり、弱体化魔法や強化魔法で付与されたプラマイ数値もゼロになる。とは言え、流石に中毒症状を無かった事にするのは無理だがな」

「ぐぅぅぅぅ……!!」

「確かに狂戦士の力は凄まじいが、それは諸刃の剣とも言える不安定さを孕んでいる。高いリスクを冒すことで爆発的な力を得られるが、今みたいな魔法で相殺されてしまえば一転して窮地に陥る。

 立ち直るには魔力が必要だが、狂戦士職は総じて膨大な魔力を要する攻撃魔法を会得する割には魔力の保有量が少ない。これは戦士や格闘家と同様、魔法はあくまでも補助サブであり、肉体や得物で戦う事をメインとしているからだ」


 そこでクロニカルドは一呼吸置いて、この戦いにおける要を断言した。


「そう、この戦いの勝敗を決めるのは個人の戦闘力ではない。個人の魔力量だ。それに関して言えば、素人でもない限り魔術師が狂戦士に後れを取ることは万に一つもない。即ち、貴様はクロニカルド・フォン・ロイゲンタークに戦いを挑んだ時点で敗北していたのだ」


 狂戦士の弱点――燃費の悪さと諸刃の剣的な強さ――を指摘した上でクロニカルドは勝利宣言を告げるが、ハインとしても己の意地や目的の為にも此処で負ける訳にはいかなかった。


「まだだぁぁぁぁ!!! 俺はまだ戦えるぅぅぅぅ!!!」


 生まれたての小鹿のように足腰を震わせながらどうにか立ち上がる。デコピン一つ食らわせればあっという間に倒れてしまい、本格的な攻撃を受ければ呆気なくやられてしまいそうだが、彼には奥の手とも呼べる切り札があった。

 ダメージに応じて戦闘力が増大する“代償変換ダメージコンバージョン”、ダメージに比例して魔力が回復する“代償交換ダメージチェンジ”、そして体力の残量が五割を切ったら攻撃力と速度が五割増しになる“狂戦士の怒りレイジ オブ バーサーカー”。

 特に狂戦士の怒りと代償変換の併用コンボは強力で、そこから一発逆転に持ち込む事も夢ではない。だが、自身の体力を大幅に削るというリスクがあるので無暗な乱用は出来ず、正に狂戦士職ならではの切り札とも言える。

 そうした計算の末に覚悟を決めたハインは密かに魔法を発動させた訳だが、その計算には一つだけ肝心な点が抜け落ちていた。それは敵対者の力量……即ち、クロニカルドの実力を計り切れていないという点だ。そしてクロニカルドもまた彼の魂胆を見抜いていた。


「ふっ、貴様の魂胆など分かっている。敢えて攻撃を受ける事でリスクを高め、一発逆転のカウンターを仕掛けるのだろう? 追い込まれた狂戦士ならば誰もがやることだ。いや、この場合はそれ以外に勝機は見込めないと言ったところか」

「何だとぉぉぉぉぉ!?」

「だが、せめてもの情けだ。貴様の一か八かの賭けに乗ってやろう。己の魔法が勝るか、それとも貴様の生命力が勝るか。正々堂々と勝負しようではないか」


 そう言うとクロニカルドは手術オペをする主治医のように手を掲げ、自身に魔法をかけ始めた。

魔力強化マジックブースト魔力増強マジックドーピング魔力超過オーバーマジック防御力無効ノンブロッキング、そして一点突破ピンポイントアタック


 次から次へと魔法をかけ、やがてクロニカルドの準備が整うとハインに向けて手を掲げた。


「では、行くぞ。炎魔法“燃え盛る憤怒ラースの裁き”」


 クロニカルドが魔法を唱えた瞬間、暗闇の中に突然太陽が出現したかのような高熱の光がカッと降り注ぎ、見上げれば炎のように煌々と輝く魔法陣がハインの真上に陣取っていた。やがて魔法陣の表面がボコボコと沸騰する溶岩さながらに弾けだし、ついには人間の拳を模った灼熱の溶岩が魔法陣を突き破る勢いで飛び出した。


「ま、待って―――!!」


 燃え盛る巨拳を目の当たりにした途端、ハインの脳裏に鮮明な死のイメージが駆け抜ける。一度抱いた死のイメージは抗い様のない恐怖へと繋がり、それに支配されたハインは勝負とプライドを捨ててクロニカルドに降参を願い出ようとしたが時既に遅しだ。

 燃え盛る巨拳が地面を激しく穿ち、その場に立っていたハインを虫けらのように叩き潰す。約十秒ほど経過すると拳は魔法陣に吸い込まれるように退くが、その拳の下敷きとなったハインの肉体は、原型はおろか骨片も残っていなかった。


「はて、最後に何か言っていた気がするが……まぁ良い。どうやら決着は着いたみたいだな」


 ハインの言い掛けた懇願に気にも留めず周囲を窺うと、墨汁のような影牢の暗闇がみるみると薄れていき、やがて本来の鮮やかな風景が暗闇の向こうから現れた。

 そして視界に映される風景を注意深く見回し、チラリと通りに目を向ければ人々の賑わいが溢れていた。見る限り異常が無いと分かるや、クロニカルドは密かに安堵の吐息を溢した。


「路地裏だったのが幸いしたか。どうやら今の戦いに目を付けた野次馬は居ないようだ」


 あとハインが所属する組織の構成員と思しき者達の姿も見当たらず、恐らく幹部クラスならばクロニカルドを倒せるだろうと踏んで、敢えて待ち伏せなどの準備をさせなかったのだろう。

 クロニカルドからすれば舐められたも同然で不愉快極まりない事だが、その詰めの甘さのおかげで何の不自由もなく行動出来るという意味では還って都合が良かった。


「急がねばならん、アクリルが危険に晒される前に助け出さねば……!」


 そう言って塔に向き合ったクロニカルドの背後では、地面に張り付いた人型の黒い焦げから悪臭を纏った白煙を燻らせていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る