第96話 厳戒態勢
舗道以外は人の手が一切入っていない長閑な平地を延々と走り続けること丸二日、漸く私達はバタン地方にある人間の街に辿り着いた。街と言っても大部分は商人やハンター向けの宿で埋め尽くされた宿街であり、実際にこの地に住んでいる人々は宿街に隣接する小さい集落程度の規模しか居ない。
此処は沼地が大部分を占めるバタン地方において平凡な人間が暮らせる数少ない土地であり、クロス大陸で尤も人口密度の少ない場所として知られている。
だが、この地方でしか取れない薬草などを求めて商人の馬車が休む間もなく四六時中行き来を繰り返しており、テラリアのような都会とは違う意味での喧騒に満たされている―――とヤクトが事前に教えてくれたのだが、今回ばかりは違う様相を呈していた。
「おい! 何時になったら商品が卸されるんだ!!」
「こっちは一ヶ月も待っているんだぞ!! 納品が遅れたら大赤字になるんだぞ!!」
「これ以上遅れるようなら訴訟を起こすぞ!!」
何時もなら大量の馬車が行き交う筈の街道には馬車の姿は殆ど無く、それによって埋め尽くされる筈だった賑わいも、大勢の商人達が織り成す罵声と怒号と非難の嵐に取って代わられていた。
それも商人達が押し競まんじゅうさながらに詰め掛けている場所は、街の奥まった場所にある商業ギルドが置かれた建物だった。その数の多さたるや、一部の商人――約四十人余り――が建物に入り切らず街道に溢れる程だ。
「あれは一体なんだ?」
『物凄く揉めているみたいですね』
「どうやら商品の卸しに不備があったみたいやな」
彼等の話というか怒号に耳を傾けてみると、どうやら売れ筋商品であるバタン地方でしか採れない薬草の入荷が遅れているらしい。
言葉にするとたったそれだけなのだが、あの剣幕っぷりを見るからに相当希少価値の高いものに違いないとヤクトは彼等のすったもんだを密かに盗み見ながら独り言ちた。というか、本当に金銭の話になると目の色変わりますよね、アナタ……。
「商人の揉め事など興味ない。我々の目的は一つのみだ」
「せやな、今は姫さんを助けるのが最優先や。ほな、ハンターギルドに行こか」
ハンターギルドは主に狩人や冒険者、そしてヤクトのような賞金稼ぎに仕事を紹介及び斡旋する組合だ。無論、狩人や賞金稼ぎに紹介する仕事の内容の大部分は命懸けと呼んでも大差ない荒仕事ばかりだ。
しかし、その分保障手当は充実しており、また得られる褒賞の高さも相俟って根強い人気を博している。そう、強い人気を博している筈なのだが、それは決してすべてが全てではないようだ。
「……しかしまぁ、此処は商人ギルドとの落差が激しいなぁ」
私達が目指すハンターギルドは商人ギルドの向かい側にあった。背の低い寸動鍋に傘を被せたかのような立派な作りは商業ギルドと同じだが、彼方が商人達の恨み節の的になっているのに対し、此方のハンターギルドは開店休業と言わんばかりに閑散としている。それは外だけでなく、中に入っても同じだ。
炒めたピーナッツのような豆をツマミに小ジョッキを煽っている四十代と思しきハンター三人と、カウンター席で黙々とグラスを拭くバーテンダーの四人しか居ない。室内の広さが千平米以上もあるので、その空虚さが強調されているかのように感じられる。
因みにハンターギルドは身長制限こそあれど従魔の入店もOKらしいので、堂々と上がらせて貰っている。しかし、どちらにせよ従魔の入店は珍しいのか、店内に入るや三人のオジサンの珍妙な視線が私にべったりと貼り付いたが。
「こういう場所では何処に話を持って行けば良いのだ?」
「そうやな。大抵は受付嬢が居るんやけど、それが居なかったらバーテンダーに話を聞くのがルールやな」
そう言うとヤクトは慣れた足取りで店内を進み、カウンター席を挟んで御淑やかな雰囲気が似合うバーテンダーに話し掛けた。
「いらっしゃいませ」バーテンダーがヤクトに微笑み掛ける。「御用件は何でございましょうか?」
「なぁ、少し聞きたい事があるんやけど。グリュン湿地帯に行きたいんやけど、何かクエストを受注してへんか?」
ヤクトの口からグリュン湿地帯の名前が出た途端、バーテンダーは眉を八の字に曲げてあからさまに困った表情を浮かべた。
「残念でございますが、現在グリュン湿地帯への通行は見合わせております」
「見合わせやって!? 一体何があったんや!?」
「はい。グリュン湿地帯に濃密な瘴気が発生し、現在厳戒態勢が敷かれているのです」
「それは何時頃からや?」
「一ヶ月と半月程前です。瘴気自体は、その年の気象条件次第で発生する事もありますので珍しくはありませんが、大抵は一週間足らずで自然浄化されるものです。しかし、ここまで長続きするのは今回が初めてです」
そこでヤクトはハッと何かに気付き、肩越しから向かいにある商業ギルドへと振り返る。
「……もしかして
「左様でございます。この瘴気の影響で条約を結んでいるアマゾネス族との貿易流通が途絶えてしまったのです。それ故に貿易の品が滞ってしまい、卸先である商人達もああして慌てふためいているのです」
「慌てふためいていると言うよりも、文句や怒りをぶつけているだけのようにしか見えへんけど……」そう言いながらヤクトは視線をバーテンダーの方へ戻す。「せやけど、商人達も何の手も打たず、指を咥えて黙って見ていた訳やあらへんのやろ?」
「はい、何人かの商人は大金を叩いてハンター向けにクエストを出しましたが……」
途端にバーテンダーの表情が芳しくなくなり、遂には耐え切れなくなったかのように重苦しい溜息を吐き出した。その反応だけでクエストの結末が粗方予想出来るが、ヤクトは敢えて結末を声に出した。
「失敗したんやな?」
「ええ。瘴気対策を万全にして湿地帯に向かったのですが、結果は惨敗でした。瘴気が濃密過ぎて浄化薬を切らしてしまい、更に湿地帯で何者かに襲われて重傷を負ってしまったのです」
「何者って……一体誰やねん?」
「生憎、瘴気の霧に覆われていたせいで姿はイマイチ見えなかったとの事でした。只、アマゾネス族でなかったのは確かだと」
人型でアマゾネス族じゃない? ならば、他の種族が住んでいるのだろうか? しかし、ヤクトも私と同じ考えに基づいた質問を投げ掛けるが、バーテンダーは困り顔で首を左右に振るだけで明快な情報は得られなかった。
湿地帯には人体に害がある程の危険な瘴気が蔓延している。しかも、人型だがアマゾネスではない何かが暗躍している。これは容易に踏み込めないのは明白ですが、私達の目的は湿地帯にある。つまり、そこを目指す事に変わりはないという訳だ。
ヤクトは上唇を人差し指で叩きながら考え込み、やがて何か閃いたようにパッと表情を持ち上げた。
「なぁ、その商人が出した
☆
結果から先に言えば、ヤクトの目論見は見事に的中したの一言に尽きる。通常の往来はギルドの手によって制限されているが、クエストという立派な大義名分を得た事によって、グリュン湿地帯に進む理由と権利を獲得したのだ。
当然これには自己責任が必然と発生するものの、此方には聖魔法と聖水があるのだから無問題だ。しかも、私が持つ聖壁スキルによって毒は無効化されており、どれだけ濃密な瘴気でもへっちゃらだ。流石にこのスキルや魔法に関しては内緒だが。
そしてクエストを受注した私達は、集落の裏手にあるグリュン湿地帯へと続く道に出た。まだ遥か先ではあるが薄らと瘴気のスモッグが湿地帯の空を覆い隠しており、あのバーテンダーの言っていた言葉が強ち間違いではない事を証明していた。
「見るからに不吉な空模様やな。蛇が出るか鬼が出るかどころか、蛇も鬼も両方一遍に出てきそうな感じがヒシヒシと伝わって来るわ」
「今更弱腰になってどうする。さっさとアクリルの呪いを解きに向かうぞ」
「せやな。ガーシェル、頼んだで」
『了解しました!』
ヤクトが私の貝殻を叩いて号令を出し、私はグリュン湿地帯に向けて出発したのであった。
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