第78話 ガーシェル は ことば を おぼえた!

 従魔試験が始まってからあっという間に五日が経過したが、その間にもアクリルは多忙で目が回りそうな日々を過ごしていた。

 午前中は講習所で従魔の一般常識や人間社会に暮らす際の注意事項を学び、それが終わったら午後からはクロニカルドとマンツーマンで魔法の勉学に励むという、五歳児にしては中々にハードスケージュールだ。

 オーバーワークで倒れやしないかとヒヤヒヤしたが、幸いにも当人は多忙さの苦痛よりも学びの喜びに夢中であり、また飽くなき好奇心と無垢な探求心の後押しもあって此方の不安そっちのけで勉学に励み続けた。

 乾いた砂地が貪欲に水を吸い取るかのように、アクリルはクロニカルドから与えられた知識や魔法技術をドンドン吸収していき、遂にはクロニカルドとのマンツーマン指導が始まってから五日目にして炎魔法を体得してしまった。

 炎魔法と言ってもアクリルの掌に乗る程度の小さい火の玉だが、初めて自分の魔力で魔法を繰り出せたという事実もあって、その喜びは一入大きかった。が、その喜びに比例して火の玉が大型化し、危うく訓練場で小火ぼやが発生するところだった。まぁ、私の水魔法で迅速に鎮火したので大事には至らなかったですけどね。



「従魔契約が誕生した経緯は偶然とも言われますが、それはあくまでも現時点で考え得る説の一つに過ぎません。その他の一説には今から400年~500年以上も前に、遥か彼方の外海からクロス大陸へ渡来した異国の民族が魔獣を制御する魔法を齎し、これが従魔契約の前身となったという説もあります。

 この民族は異国での権力闘争に敗北した王族とその一派、もしくは王族に準ずる高い身分を有した一族だとも言われておりますが、当時の状況を書き記した資料や文献が乏しい為に存在が明白にされておらず―――」


 従魔試験が始まって六日目、この日も私はアクリルと一緒に従魔教習所の授業を受けていた。此処で行われる授業は契約者人間のみならず、従魔も随伴という形であれば参加が可能となっている。

 主に参加するのはフェアリーやアルラウネと言った、人間と同程度かソレに準ずる程に高い知能を誇る魔獣ばかりらしいが、種族制限は特に設けていないので、私みたいな知性とは無縁そうな魔獣が参加しても問題なかった。まぁ、私が授業に参加したのは幼いアクリルの補佐が目的なのだが。

 だけど、それにしても凄い広さだ。北側一階にある大ホールの講義堂は従魔を収容しても尚余裕があり、また擂鉢状の円形劇場みたいな作りにしたおかげで私みたいな図体のデカイ魔獣のせいで後ろに座る人の視野が遮られるという心配も無い。

 そしてホールの中央にはキューラ女史が立ち、従魔契約の歴史を語りながらタクトを振るかのように何もない虚空に指を躍らせている。が、意味なく指を振っている訳ではない。赤外線のような薄い光に包まれた指先を走らせた後には、赤い光で描かれた文字が虚空に刻まれていた。

 そう、彼女は魔法で何もない虚空に文字を描いていたのだ。文字だけでなく大昔に描かれた絵や写真がホログラムのような映像魔法で再現されていた。魔法が万能なのは分かり切っていたが、ここまで行くと最早言葉が出て来ない。

 因みに異世界の言語は英語を堅苦しく角張らせて、更に上から押し潰して引き延ばした感じだ。前世にも数多の言語が存在したが、どれかに似ているようでやはり共通する部分は見当たらない。これで発音さえも異国風になっていたら御手上げだが、幸いにも耳に入る言葉が日本語に変換されているので、大体どれが何を指す言葉なのかは分かる。

 授業の内容は歴史学にも似た難しい内容だが、アクリルは目を輝かせながら授業に夢中になっていた。だが、厳密に言えば授業に夢中と言うよりも、大昔にあった噂や伝承に夢中と言う方が正しいと言うべきか。


(それにしても、この世界の歴史も興味深いよなぁ。今のクロス大陸を統治するラブロス王国もあれば、クロニカルドさんが忠誠を誓ったゾルネヴァ帝国もあれば、今の話に登場した異国の王族達の話もあれば……。というか、クロニカルドさんの一生を本にしたら売れそうな気がする。当人が既に本になってるけど……なんてね)


 そう呑気に考えながらキューラの授業を眺めていたら―――懐かしくも聞き覚えのあるメロディが、脳内で唐突に鳴り響いた。


【異世界の言語を会得しました】


 え、ええええええ!? い、今更になって異世界の言語を会得したのー!? でも、よくよく考えたら言語……と言うか、この世界の文字を学ぶ機会なんて全く無かったしなぁ。でも、言語を理解してもどうすれば良いんだ? 貝の構造上、声帯なんて持っていないからアクリル達と会話するのは不可能だ。

 これはひょっとしたら、異世界ファンタジーあるあるのハズレスキルと呼ばれるものだろうか? ステータスが大幅に下がるような残念スキルでないだけマシだが、やはり貰えるんだったら役立つスキルの方が断然良いと思ってしまうのは贅沢だろうか?

 結局この世界の言語を覚えても、宝の持ち腐れって訳か……んっ、待てよ。別に声に出さずとも、別の形で文字を表現すれば良いのでは? その考えに辿り着いた途端、失意という暗闇を切り裂くように一筋の閃きが脳裏に舞い込んだ。


(そうだ、この方法ならいけるかもしれない!)


 内心で密かにガッツポーズを作ったのと同時に、授業の終了を告げる予鈴が鳴り響いた。



 朝目覚めた時には肌にこびり付くような薄ら寒い空気が蔓延していたが、昼下がりを過ぎた頃には陽気な日光に緩和され、人間のみならず全生物にとって過ごし易い適温となっていた。

 温かな空気と穏やかな日差しというコンビは実に厄介な難敵だ。微睡という名の抗い難い誘惑を囁き掛け、一度嵌ってしまうと抜け出すのが至難の業だ。だが、まだまだ育ち盛りなアクリルは誘惑にも負けず、本日もクロニカルドの指導の下で魔法の特訓に励んでいた。


「では、本日は先日習得した炎魔法の種類を広げていくぞ。炎魔法は攻撃魔法の中でも威力が高く応用も広い。多数覚えておいても損は無いぞ」

「はーい!」


 訓練の為とは言え流石に六日も立て続けに訓練場に足を運べば顔も知られるらしく、既に其処に居た数人はアクリルの姿を見付けるや、「頑張ってるなぁ」というほっこりした優しい面立ちを浮かべていた。

 中にはハァハァと息を荒げながら、すさまじい眼差しを幼女に投げ掛ける人も居ましたけど、そう言った方達はヤクトさんが丁寧な対応をして追い返してくれました。激しい打撃音が聞こえたり、ヤクトさんの外套に返り血が付いていたりするのは気のせいです。気のせいったら気のせいです。


「いや~、齢五才にして魔法を使えるなんて滅多に居ないわよ?」

「せやなぁ……って何でアンタが居るねん」


 世間話のような軽い雰囲気に呑まれヤクトは無意識に相槌を打ってしまったが、暫くすると今の声に聞き覚えがある事に気付いた。そしてアクリル達に向けていた視線を隣に切り替えれば、そこには笑みを浮かべながらアクリル達を見守るキューラの姿があった。

 彼女の服装は試験官のまんまだが、首元までキッチリと留めていたボタンが外されており、明らかに仕事モードから休憩モードに移行している事を物語っていた。

 ヤクトから注がれる白い眼差しに気付いたキューラは悪びれる様子も見せず、ケラケラと笑いながら彼の方へと振り返る。


「まぁまぁ、良いじゃない。私だって最近は従魔試験の本試験の準備やら何やらで忙しいんだから、少しは息抜きをさせてよぉ~」

「何が息抜きやねん。少し前までガーシェルを好き放題に弄ったり、公私問わず散々我儘し放題やった癖に」

「何言っているんですか。アレだけの触れ合いで私が満足すると思ったら大間違いですよ?」

「真面目な顔で断言するなや」

『キューラさんとの触れ合いは、もうお腹一杯かなぁ……』

「ほれ、見てみい。ガーシェルやって触れ合いは勘弁やっ……て……」


 私の方を指差すヤクトが言葉を失わせていくのと同時に、表情筋から力が抜け落ちたかのような呆然とした顔となる。それに釣られてキューラも此方に振り返り、私の頭上に浮かんでいる物を見てヤクトと同じ顔を作った。

 二人が注目しているのは私が編み出した泡の吹き出しだ。漫画で見受けられる吹き出しを泡魔法で作り、その内部に文字を模った泡を入れて文章とする。こうすれば声を出せずとも、自分の意思を他人に伝える事が出来る。

 果たしてアクリル以外の他人に伝わるかどうか不安だったが、二人の反応からして大成功のようだ。大成功の筈なのだが……何故か反応が無い。


『あの、どうかなさいました?』


 恐る恐る泡吹き出しを吐き出した途端、目の前が闇に覆われた。否、キューラが身体全体で抱き付いていた。


「ガーシェルちゃん凄いいいいい!!! 人間の言葉を理解するだけなら兎も角、あまつ言語を繰り出せる魔獣なんて滅多に居ないわよ!! まさかシェル系は総じて知識が高いとか? いや、その可能性は低いわね。今まで多くのシェルを見て来たけど、こんな反応を見せたのは一匹も居なかった。となれば、もしかして特異種!? 嘘、マジで!? 生まれて初めて特異種と出会っちゃうなんて幸運ラッキー……いいえ、奇跡ミラクルよ!!」

「な、何や良く分からんけど……こりゃ凄いのを見させてもろうたわ。おーい! クロニカルド! 姫さん! 一旦こっちに来てくれや!!」

「む? 急に大声を張り上げて我々を呼ぶとは……一体何かあったのか?」

「どうしたのー?」


 ヤクトに呼ばれるがままに集まった二人に、先程の吹き出し泡を披露すれば驚きを持って受け止められた。が、直ぐにアクリルは自分の事のように喜び、クロニカルドも興味分深げに泡の吹き出しを眺めた。


「わー! ガーシェルちゃん、すごーい!」

「ほほう、魔獣が言葉を繰り出すとは……珍しい事もあるものだ。して、他の魔獣では見られるのか?」


 クロニカルドは問い質すような視線をキューラに差し向けるが、彼女は首を何度も横に振って否定すると、興奮冷めやらぬ勢いで自身の意見を繰り出した。


「いいえ! それは先ず有り得ない! 人間並みに頭脳が発達している魔獣なら喋る事なら兎も角、私達の言語を十分に理解するのは極めて難しいわ! もしかしたらガーシェルちゃんは特別な……特異種と呼ばれる存在かもしれない!」

「「「『特異種?』」」」


 私達が一斉に声をハモらすと、キューラは「そう!」と活き活きと目を輝かせながら答えた。


「魔獣の中には通常進化を繰り返すだけの正統種、育った環境によってスキルや属性が変化した亜種、そしてスキルや能力が同族に比べて頭一つ分以上も抜き出ている特異種が居るの。

 特異種は単に他の個体に比べて強いだけと捉える人も居るけど、正直言ってコレのランク分けは困難よ。何故なら、それは伝説種から下位種に至る幅広い種族から何の前触れも無く誕生する……謂わば突然変異体みたいな存在だからよ」

「じゃー、ガーシェルちゃんは他のシェルと違うってことー?」

「少なくとも、その可能性が高いわ。現に人間の言葉を理解し、言語さえ操る。こんな芸当をしてみせたシェルは過去に居なかったわ」


 おお、覚えたばかりの言語を披露しただけだと言うのに、何だか話がどんどん大きくなりますな。しかも、特異種とか異種転生者に有りがちな強者つわもの展開になってまいりましたよ。

 強くなれるのは有難いですけど、正直に言うとアクリルを守り切れる程度の強さで十分です。仮に伝説種以上の存在になれる可能性があったとしても、そこまでの力は今の所は欲していないし、手に入れたら入れたで面倒事になりそうなのは火を見るよりも明らかだし。


「ほう、それは興味深いな。して、特異種だと他にどんな特徴があるのだ? やはり強いのか?」


 クロニカルドから期待の籠った質問を投げ掛けられると、キューラは私の方をさり気無く盗み見た。


「残念だけど、それに関しては現時点では不明のままよ。さっきも言ったけど、特異種は突然変異みたいなもの。それでいて見た目は他の個体と全く同じだから、正統種か特異種かの見分けが非常に困難なの。そもそも、どうして特異種が発生するのかすら謎よ。だから、特異種の学術調査は微塵も進んでいないのが現状よ。

 あと他の同族と一線を画す特異種だからと言って、順当に行けば必ず強くなれるという保証は何処にも無いわ。もしかしたらガーシェルちゃんの進化は此処ロックシェルで打ち止めかもしれない」


 そこでキューラは暫し考えを逡巡させるように一息入れた。


「兎に角、ガーシェルちゃんが他の魔獣とは少しばかり異なるという点だけは心に留めておいて。あと無闇にこの事を他言……他人に言い触らすのは駄目よ。もしかしたら悪い人がガーシェルちゃんを奪いに来るかもしれない。良いわね?」

「わかった! アクリル、絶対いわない!」


 素直に返事をするアクリルだけでなく、ヤクトとクロニカルドもキューラからの警告に無言で頷く。私も自分の身は自分で守るつもりだが、この世界では急に何かが起こってもおかしくありませんからね。今の内から警戒を払うのは、決して悪い事ではない。

 そして話が終わるとキューラはニコリと何時も通りの笑みを浮かべるが、その笑顔の影から滲み出ている欲望のオーラは隠し切れていなかった。それを見た途端、アクリル以外の面々は思った。知ってた――と。


「そういう訳で!! ガーシェルちゃんを調べさせて!! 特異種に出会えるなんて一遇千載のチャンスに他ならないんで!! 良いですよね!? 良いですよねぇ!? 良いですよねぇぇぇ!!?」


 美人の鬼気迫る表情は怖いとは前世でも聞いていたが、百聞は一見に如かずという言葉の通り、噂以上に怖かった。整った髪は乱れまくり、何かヤバい薬をやったかのように極限にまで開いた眼は血走ってて完全にホラーです。美貌で他を魅了するエルフが見せちゃいけない顔面の一つですよ、ソレ。

 だが、裏を返せば自慢の美貌をかなぐり捨ててでも研究したいと言う、彼女の持つ知的欲求と熱意の表われとも言える。私にしがみ付きながら必死に縋ってくる以上、ここは正直に言わねばなるまい。


『お断りします』

「やだァァァァァァ!!!」

「ほれ、ガーシェルが拒否しとるんや。良い年したエルフが駄々を捏ねるんやないわ」

「やだやだやだぁぁぁぁぁ!!!」

「いい加減に諦めろ。というか、貴様はこれから従魔試験の本試験の準備とやらに励まねばならんのだろう? だったら、そっちを先に頑張るべきではないのか?」

「それでもやぁぁぁぁだぁぁぁぁぁ!!!」


 その後もキューラ女史は私にしがみ付いたまま激しい抵抗を見せたものの、ヤクトとクロニカルドの手によって引き離され、最後は彼女を探しにやって来た教習所の職員に引き渡されたのであった。魂の叫びとも取れる絶望の悲鳴を上げながら彼女は強制退場させられたが、それに同情する人間は皆無だった。


「ええか、姫さん。あんなみっともない我儘で他人を困らせるような人間になったらあかんで?」

「うん、分かったー!」


 そしてキューラが居なくなった後、ヤクトは彼女をダシに使ってアクリルに道徳教育を施していた。確かにあんな大人にはなって欲しくはないが、あれでも一応従魔研究の権威なんだよなぁ……と考えると、複雑な感情が胸に渦巻いたのは何故だろうか。



「はぁ……はぁ……!」


 またこれだ―――胸に襲い掛かる痛みに堪えながら、エマの脳裏にはうんざりにも似た嫌気が蔓延っていた。これが単なる一過性の痛みならば耐えられたが、日を追う毎に痛みは強まり、また発発作の頻度も増すばかりだ。

 これまでは騙し騙しで頑張っていたが、とうとう屋敷での職務中に発作が起きしてしまった。無論、発作自体は自分のせいではないが、病気を隠し通そうと決めたのはエマだ。そのせいか少なからぬ罪悪感が彼女の中に芽生えていた。

 不幸中の幸いと言うべきか、自分が発作を起こした時は周囲に人は居らず、自分が三階通路の真ん中で蹲るという不自然な場面を見られずに済んだ。もしも今みたいな姿を見られてしまえば、仕事をクビにされてしまう。どんな雇い主であっても、病人を雇うよりは健康人を雇った方が良いと考えるに違いないからだ。

 しかし、だからと言って医者に掛かる余裕なんて彼女には無かった。特に自分が住んでいるテラリアは名医こそ数多く存在するが、その分掛かる金額も一般人からすれば腰を抜かす程でもないが、それでも家計に響く程に重い。

 だから彼女は苦痛を耐える道を選んだのだ。いや、選ばざるを得なかったと言うべきか。しかし、医者に通えるだけの大金が仮にあったとしても、それを自分に使う気なんて更々無い。それだけは断言出来た。

 数分程で痛みが鎮まり始めると、完全に痛みが消えるのを待たずして彼女はゆっくりと立ち上がった。改めて前後を見回し、第三者の存在が居ないと分かると彼女はホッと胸を撫で下ろして職務に戻った。


 だが、彼女は気付いていなかった。背を向けた先にある曲がり角の影で、シュターゼンが不敵な笑みを浮かべながら僅かに覗き込んでいた事に……。

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