第79話 休日に再会を

「お買いもの~♪ お買いもの~♪」


 従魔教習所の勉強会も毎日続く訳ではなく、週に一度は休日を挟む。その休日を利用して、私達はテラリアの商店通りへと足を運んだ。

 この町には幾つかの通りがある。人の往来が最も激しい大通りの他、様々な店が建ち並ぶ商店通り、人間が寝泊まりする宿が並ぶ宿通りなどだ。

 そして今回私達が足を運んだのは、その中の一つである商店通りだ。従魔契約によって栄えた町と言うだけあって、立ち並ぶ店の種類と数はパラッシュ村の比ではない。中には珍しい魔石を取り扱っている店もあり、初めてソレを目にするアクリルだけでなく、クロニカルドやヤクトでさえも興味津々に視線を張り巡らしていた。


「わー、綺麗な石だねー!」

「ほぉ、これは珍しい魔石やないか。値段は……あー、ちょいと今の俺っちの手じゃ届かへんなぁ」

「魔石か、懐かしいものだ。私も昔は帝国を脅かそうとする不遜な魔獣共を蹴散らし、数多くの魔石を皇帝陛下に献上したものだ」

「せやけど、ここまで上質なモンは中々見られへんで。これはきっと上位種や。因みに今のガーシェルがやられたら、中の中ぐらいの魔石を落とすやろうな」

『私を引き合いに出した挙句に不吉な事を言わんでください』


 ヤクトの呟きに遺憾の意を込めて突っ込んだものの、吹き出しは使わず内心に留めておいた。このような人間が大勢集まっている場所で私が誰かと言葉を交わせば、暗闇に光を放り込むかの如く人々の注目を集めてしまうのがオチだ。なので、文句はあっても表に出す事は出来なかった。


「ねぇねぇ、ヤー兄。お買いものは何を買うのー?」

「せやな。とりあえず試験が終わったら即座に街を出るから、そろそろ旅路に備えて食材を買っておかなあかんなぁ」

「まだアクリルが合格するのかも分からんのにか? それは些か早計というものではないのか?」

「大丈夫やって。子供でも合格出来るって、あのキューラが言うんやで。それにガーシェルも頭がええって事が判明した事やし、何の問題もあらへんやろ」

「そうそう! ガーシェルちゃんは頭良いし研究のし甲斐があるよね!」

「ほらな、当人もこう言うて……んん!?」


 噂をすれば影が差すと言うが、まさか名前を出した直後に私の背後から残念エルフキューラがひょっこりと現れるとは思いもしなかったのだろう。それまで気楽な笑顔を浮かべていたヤクトのかんばせに深刻な罅が入り、クロニカルドもやれやれと首を左右に振りながら諦めがちに目を伏せた。


「あっ! キューラおねーしゃんだ!」


 唯一アクリルだけは彼女の登場を喜びと共に出迎えてくれた。何の疑問も警戒も抱かずに彼女の傍へと駆け寄ると、キューラも親戚の子供に再会したかのようにアクリルを軽々と抱き上げた。


「こんにちは、アクリルちゃん!」

「こんにちはー! おねーしゃん、どうしてここにいるのー?」

「ふふふふ、ガーシェルちゃんの居る所にキューラ女史の姿在り。即ち、何時何処にガーシェルちゃんが居ようとも、従魔研究の権威ともなれば様々な方面に張り巡らしたパイプと情報網を駆使して直ぐに見付け出せるのよ!」

「わー、おねーしゃんすごーい!」


 アクリルさん、キューラ女史の言っている事を要約すると地位と権力と人脈をフル活用したストーカー行為に他なりませんからね? とどのつまり全然凄くありませんからね? 寧ろ犯罪行為で褒められる点なんて一個もありませんからね? ヤクトとクロニカルドも私と同意見らしく、冷めた眼差しを彼女に向けていた。


「何しょーもない事に力を注いでるねん。他にも使い道っちゅーのがあるやろ」

「全くだ。権力の使い方を誤れば、我が身の破滅を招く事になるぞ」

「何を言うんですか! 先日の出来事もあってガーシェルちゃんの存在価値は一気に高まったんですよ! ここで権力を駆使せず何時使うと言うのですか!! それに先日だって碌にガーシェルちゃんに触れる事も出来なかったんですから、今日はずーっと付いて行きますからね!」

「「帰れ」」


 折角の休日を邪魔されてたまるかと、男二人はブリザートのような拒絶のオーラを背負いながら御引き取り(と言えるほど丁寧な物腰ではないが)を迫ったが、それに対しキューラは動じるどころかニコリと悪戯っ子のように笑うと奥の手を繰り出した。


「ねぇー、アクリルちゃ~ん? キューラおねーさん。ガーシェルちゃんと一緒に居たいんだけど駄目かしら~?」

「いいよー!」

「キャー! やっぱり私の理解者はアクリルちゃんだけだわー! 大好き!!」

「アクリルもおねーしゃんのことすきだよー!」

「ありがとー!」


 じゃれ合うように抱き締め合う二人の姿は違和感を感じさせず、何も知らない人から見れば只の親子か年の離れた姉妹のように見えるだろう。だが、それを一番近くで見ていたヤクトとクロニカルドは「これはマズい」と苦々しい顔を露骨に曝け出した。


「コイツ、姫さんを抱き込みおった!」

「何と言うヤツだ! 人を見る目が育っていない幼子の弱点を突くとは! 卑怯だぞ!!」

「へへーん! こういうのは早い者勝ちなんです~!!」


 何だろう、この大人げない会話の遣り取り……。キューラの腕の中に居るアクリルに至っては、両者の間で言葉が飛び交う度にテニスのラリーを見守る観客のように首を左右に振って追い掛けているが、内容までは理解していないのは気の抜けた表情を見れば明らかだ。


『やれやれ……うん?』


 目の前で繰り広げられる低次元の遣り取りに飽きれて意識を外へ広げると、敏感な聴覚が助けを求めるような、苦しみに塗れた女性の声を拾い上げた。それらの声は左手にある、路地裏へと繋がる薄暗い道の先から聞こえてくる。


「どうしたの、ガーシェルちゃん?」


 声に惹かれて無意識に左へと向くと、私の異変に気付いたアクリルが不思議そうに尋ねてくる。彼女だけでなく、大人げない会話をしていた三人もアクリルの言葉に反応し、此方へ意識を振り向けた。


『いえ――』触手で左手の路地裏を指差す。『彼方から女性の呻き声が聞こえるんです』

「ガーシェルちゃんが、あっちから女の人の声が聞こえるってー」

「あっちって……」路地裏の方角を見るや、ハッと表情を引き締めるキューラ。「あんまり彼方に関わらない方が良いわよ」


 心成しか早口で語るキューラの口調には先程までの砕けた感じは無く、腫れ物に触れたくないかのような拒絶に近い硬さが含まれていた。

 大抵の人ならば空気を呼んで素直に従うだろうがしかし、空気を読む術を身に付けていないアクリルは真っ直ぐにキューラを見据えながら理由を尋ねた。


「何でー?」

「あっちの裏通りは貧困通りと呼ばれる場所に繋がっているの。大っぴらには言えないけど、この町では踏み込んではいけない場所の一つなの」

「貧困通り……スラム街っちゅー事かいな?」

「そんな所ね。あそこには犯罪者紛いの人間も住んでいるから、旅人や余所者が入ったら酷い目に遭うわよ」

「ほう、そんな場所があるのか。やはり、どのような街や国にも陰と陽があるものだな……む?」


 興味深そうにクロニカルドが独り言ちたのも束の間、突然彼は鋭い剃刀のように目付きを細め、左手の道を睨み付けた。どうやら彼も気付いたようだ。此方に向かってくる何かを。


「気を付けろ、何かが此方に向かってくるぞ」


 クロニカルドが冷静に警告を発した途端、微かながらも緊張の糸が私達の間を交差した。流石に危険な魔獣が路地裏から飛び出すという心配は無いだろうが、それでもキューラが言うような犯罪者紛いの人間の可能性もある。

 キューラはアクリルを抱き締めたまま私の影へと避難し、代わってクロニカルドが私達の前に、そして先頭にヤクトが躍り出た。

 路地裏の先は隣接する建物同士の影が折重なり、朝方にも拘らず暗闇の影響力が遥かに勝っている。特に日差しの当たる場所に立っていると猶更影が濃密に見え、昼行性である人間の肉眼では役立ちそうにはなかった。


「……何だ、これは?」

「どないしたん?」


 当初は警戒を厳にした険しい表情を見せていたクロニカルドだったが、気配が近付くに連れて戸惑いが滲み出し、最後の方は困惑に満ちた顔色になっていた。その表情の変化に釣られてヤクトも訝し気に眉を顰め、クロニカルドの方へ意識の大半を傾けながら次の言葉を待っていたが―――


「きゅー!」

「は!? うぶっ!!」

「ぐ、グリーンワーム!?」


 ―――クロニカルドが口を開くよりも先に、一匹のグリーンワームが路地裏から飛び出し、鳴き声に反応して振り返ったヤクトの顔面にベタリと張り付いた。意識を他所に預けていた事もあり、不意打ちを喰らったヤクトは思わず尻餅をついてしまう。


「成る程、小型の魔獣であったか。どうりで気配が小さ過ぎる上に、人間とは異なる違和感があった訳だ」

「納得しとる場合か! つーか、もう少し早く言えや!!」


 腑に落ちた表情で冷静に分析しているクロニカルドに文句をぶつけつつ、ヤクトは顔面に張り付いたグリーンワームを強引に引き剥がした。苛立ちで目付きを険しくするヤクトだったが、何かに気付いたのか「んん?」と呟くと眉間の皺を和らげ目元を丸くした。


「何や、コイツ。従魔の印があるやないか」

「え? 本当?」

「ああ、ホンマや。ほれ、此処を見てみい」


 ヤクトは鷲掴みにしたグリーンワームを翻し、身体の右側面に五芒星のマーク――従魔である事の証――を見せ付ける。


「きゅきゅ!」


 相手がグリーンワームだと分かった時点で警戒を解いていたキューラは、従魔の紋様をよく見ようと私の前へと踏み出した時だ。鷲掴みにされていたグリーンワームが身を捩らせてヤクトの手から抜け出すと、口から白い粘着糸を放射した。

 操糸スキルを持っているのか、緩慢な弧を描きながら落下していく糸はキューラの目前で一回だけ波打つように跳ね、彼女の腕の中に居るアクリルの手首に優しく巻き付いた。

 糸そのものは脆弱なイメージを与える程に繊細で、アクリルの力でも容易く引き千切れてしまいそうだ。しかし、グリーンワームは糸を長時間吐き続ける事により、糸の太さを徐々に増し、最終的には靭性に富んだ頑丈な紐へと至る。


「きゅきゅー!」


 そして紐を口に銜えたままグリーンワームが駆け出すと、紐と繋がったアクリルの腕がぐんと引っ張られる。まるでリードをグイグイと引っ張り、御主人を急かそうとする散歩好きな小型犬のようだ。とは言え、このグリーンワームが求めているのは散歩ではないだろうが。

 アクリルを抱き上げているキューラは一瞬どうするか悩んだが、無理して足を止めればアクリルを負傷させてしまうと考えたらしく、グリーンワームの引っ張る方向に従って付いて行った。


「おいおい」ヤクトがキューラの背中に手を伸ばしながら呼び掛ける。「そんな簡単に付いて行っても大丈夫なんかいな。そもそも、コイツは一体何がしたいんや?」

「少なくとも敵意は無さそうだがな」

「ひょっとしたら、助けを呼びに来たのかも」

「助けやて?」


 キューラの仮説にヤクトが怪訝そうな眼差しを差し向けると、彼女は真剣な面持ちで頷いた。


「ええ、貧弱な従魔は主人が危機に陥ると仲間を助けを求めようとする傾向があるのよ。大抵が同族だけど、同族が居なかったら契約者と顔見知りの人間を連れて来たりするのよ」

「顔見知りって……つまり、こいつの御主人様と俺っち達は何処かで会った事があるって訳かいな?」

「私達を選択したって事は、その可能性が十分に高いわね。」


 そこでヤクトとクロニカルドは互いの顔を見合わせ、面倒事の前触れを悟ったかのような重苦しい溜息を地面に向けて吐き出した。


「折角の休日なのに、何でこうも面倒事に巻き込まれるんやろうなぁ。かと言って、何処かで顔を合わせた事があるかもしれへん人間を無視するのも後味が悪いしなぁ」

「乗り掛かった舟……という事だな。それに二人だけで路地裏へ行かせるのも不安だ。付いて行く他あるまい」


 グリーンワームの契約者の事も気掛かりだが、私としてはアクリルの身が優先事項だ。そして私達はグリーンワームに導かれるという形で、危険と称されるテラリアの路地裏に足を踏み込むのであった。



 前世の頃から自然界の暗闇を目の当たりにすると、闇の奥底に何かが潜んでいるかもしれないという得体の知れない恐怖に駆られる事がある。この姿にってからは自然の闇も見慣れたが、その考えと恐怖は未だ心の何処かに健在中だ。

 だが、テラリアの路地裏に広がる暗がりには恐怖は無い。あるのは都会の暗部を象徴するかのような退廃的な雰囲気と、不完全燃焼にも似た鬱屈した空気だ。また廃墟の一歩手前のような寂れた建物群と相俟って、まるで街から排斥されたか取り残されたかのような悲愴さが漂っている。

 浮浪者の格好で路地裏の片隅に腰を下ろす老人や、薄暗い影と長年の汚れや落書きで塗装された古い建物内から此方を見下ろす娼婦の恰好をした女性。容姿や年齢に異なりはあれど、彼等の瞳に浮かぶ感情は共通していた。

 希望も絶望もなければ、この世に未練も興味もない―――生きる事そのものに意義を見失い、疲弊し切っているかのような淀んだ瞳だ。以前にも彼等の眼を何処かで見た覚えがあると記憶を巡らし、ブラック企業に勤めて窶れきっていた頃の自分だと気付いたのは程無くしてからだった。


「何や、スラム街言う割には建物もしっかりしとるし、浮浪者の数も然程多くあらへんやん。こんなんまだまだ序の口やで」

「その口振りからすると、貴様の国にもスラムがあったのか?」

「あったも何も、元々俺っちはスラムで生まれ育った身やで」


 その意外な告白にクロニカルドだけでなく、二人の間に挟まれていたキューラとアクリル、そして最後尾に居る私も彼の方へ視線を注ぐ。


「ヤクトちゃん、そんな過去があったの?」


 キューラの口調には意外さは勿論ながら、先程までスラム街の住人を毛嫌いするきらいがあるような口振りで話していただけに、何処か後ろめたい引き攣った声色が混ざっていた。だが、ヤクトは敢えてそれに気付かぬ振りをして、ニッと場違いなまでの爽やかな笑顔を見せた。


「まぁ、人間誰しも過去には明暗が付き物やろ。それにスラムでの生活の悪い事だらけやあらへん。今の俺っちに繋がる恩人と出会えたし。もしあの人に出会えへんかったら、俺っちは今頃此処に居らへんかったろうし、最悪あそこで朽ち果ててたかもしれへんなぁ」

「ヤー兄のおんじんって、どんな人なのー?」


 キューラの腕の中に居るアクリルが、若干前のめりになりながらヤクトに尋ね掛ける。それに対しヤクトは顎に指を沿え、宙を軽く見上げながら思案する素振りを見せた。


「うーん、せやなぁ。一言では言い切れん程に、俺っちにとっては存在の大きい人やな。世話になったのは言わずもがな、親身になって彼是と教えてくれたり支えてくれたりしてくれたし……ある意味で、親と呼んでも過言ではあらへん。そんな人や」

「じゃー、アクリルにとってヤー兄とクロ先生がおんじんだね!」

「はははは、気長に姫さんからの恩返しを待ってるでー」

「あっ! じゃあ、私も! 私も今回の一件で色々便宜測ったから恩人リストに入れて下さい! そして恩返しはガーシェルちゃんとのイチャイチャでオネシャス!!」

「自分から恩を売り込むでないわ」


 クロニカルドの本体から黒い腕が現れ、キューラの後頭部を軽くチョップする。恩返しと言うよりも、それって自分の欲求の為に私を売ってくれと懇願している風にしか聞こえないんですが。そしてクロニカルドさん、私の代わりにツッコミを入れて下さって有難う御座います。


「きゅきゅー!」


 それまで大人しく進んでいたグリーンワームが突然ラストスパートで駆け出し始め、全員の意識はあっさりと其方へ向けられた。急にグリーンワームが速度を上げた事に付いて言及したり、疑問を口にする人間は当たり前ではあるが皆無であった。これで分からなかったら無粋としか言い様がない。

 やがてグリーンワームは20m程進んだ先にある、曲がり角で身を止めた。人一人通るのもやっとな程の幅狭な路地で、暗がりも今居る路地裏の比ではない。

 此処から先に進むのだとすれば、流石に私の大きさでは入れそうにない。と不安に思っていたら、グリーンワームが口に銜えていた紐をパッと放し、芋虫と言うよりも兎のようにピョンピョンと小刻みに飛び跳ねながら路地に入ってしまった。


「あ、おい!」


 急いで追い掛けなければという逸る気持ちに背中を押さえれ、ヤクトは路地に足を踏み込んだ。が、幸いにもグリーンワームは路地の最奥にまで進まなかった。入って直ぐに置かれてあるゴミや不用品の山の前で立ち止まり、私達から死角となっている物影に向かって鳴き声を上げる。


「きゅきゅー!」

「う……エル…ピー……?」

「人の声がするよ!」


 真っ先にアクリルが声を上げるが、彼女他に言われずとも全員の耳に今の呟きはしっかりと届いていた。一足先に路地へ足を踏み入れていたヤクトと、そしてアクリルを地面に降ろしたキューラがグリーンワームの後を追って物影へと近付く。


「おい、しっかりせぇ! 大丈夫か!?」

「大丈夫ですか!?」


 ヤクトとキューラがしゃがみ込み、それぞれの肩を貸して物影に蹲っていた人物を持ち上げる。ぐったりと力無く項垂れてはいるが、撓垂れた髪の毛の合間から僅かに覗く口元が呼び掛けに応じて動いていた。どうやら命に別状はないようだ。

 そして二人掛かりでその人物を路地裏へ運び出すと、クロニカルドが「ん?」と片眉を傾げながら指摘した。


「こやつ……あのドラ息子に仕えていたメイドではないのか?」

「「え?」」


 そこで二人が相手の顔をまじまじと覗き込むと、以前の髪型とは異なるものの、その顔立ちは間違いなくキューラの研究所で出会ったメイドのエマ本人であった。



 気付けばエマは例の夢を見ていた。あの悪夢だ。しかも、今回はベッドの中ではなく、個人的な用事があって貧困通りへ向かっていた最中にだ。彼女としては最悪としか言い様がない。

 発作の痛みは日に日に増していると自覚していたが、今日のは一際だった。何せ激痛が走った瞬間に意識を刈り取られて、谷底へ転落するかのように悪夢へ一直線なのだから。

 そして夢の中の自分は何時もと同じように白黒の森を抜け、赤い鉄格子の前に立っていた。相変わらず鉄格子からガンガンと音が鳴り響き、何かが自由を求めている。普通ならば何もせずに後ろへ振り返るのだが、ここで彼女は違うアクションを起こした。


「アナタは誰なの?」


 エマが問い掛けた途端、それまで鉄格子を殴り壊さんとしていた音がピタッと止めたが、中に居るソレはエマの問い掛けには答えてくれなかった。しかし、エマも最初から答えを期待していなかったので、落胆は抱かなかった。寧ろ、この反応が当然のものとして受け止めた。

 そして彼女が鉄格子への直視を辞めて後ろへ振り返ろうとした矢先、頑丈に思えた格子にピシリと亀裂が走った。えっと気付いた時には亀裂は薄氷を踏み付けるように一気に拡大していき、あっという間に鉄格子の意義を無に還す。

 追い打ちを掛けるように中に居る何かが罅にまみれた鉄格子をガタガタと震わし、鉄が拉げる悲鳴を上げて鉄格子は砕け散った。直後、檻に閉じ込められていた暗闇の中から現れたのは眩い光だった。

 その光は周囲の風景を掻き消し、エマを包み込んだ。しかし、この予想外の出来事を目の当たりにしながらも、不安や恐れの類は微塵も湧かなかった。寧ろ、この光に身を委ねても良い―――そんな確信すらエマは抱いていた。

 

 やがて光が薄れると、そこには自身の顔を間近で覗き込む彼女の従魔と、何日か前に出会った人々の顔があった。

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