第55話 不意打ちをするのは悪党だけではありません

 黒ローブの男達が燃え盛るテントを見詰める中、ルシードだった男は自分の腕の中に居るアクリルに視線を落とした。見事任務をやり遂げたからか、それとも予想以上に簡単に事が運んだからか、その口元にはにんまりと弧が描かれていた。


「ふふふ、漸く手に入ったぞ……! これで偉大なる我が―――ん?」


 勝利を確信して酔いどれる中、微かにチッチッチと時を刻む機械仕掛けの音が男の鼓膜を突いた。何処から聞こえてくるのかと音源を探す内に、自分の腕の中に居るアクリルから音が聞こえてくるのだと気付いた。


「何だ? この娘、時計でも持っているのか?」


 こんな子供に高価な時計を持たせるのだろうかと疑問に思いつつも、男は寝袋のファスナーに手を掛けた。と、そこで彼は我が目を疑った。ファスナーの下にアクリルの身体が無かった。いや、そもそも寝袋に収まっているのがアクリル当人ではなかった。

 安らかに眠っているかにしか思えない顔は精巧なマスクであり、顔以外は木製の骨組みが組み込まれ身体の輪郭を作っていただけに過ぎなかった。

 そしてチッチッチと時を刻む音の源は、偽アクリルの心臓に当たる部分からだった。無論、人形の心臓代わりという無意味なものではない。そこには懐中時計サイズの時計と真鍮の歯車が複雑に積み重なり、それぞれが秒を刻む毎に歯車を噛み合わせて動いていた。


「何だ、これは? 一体何の意味があって、こんな仕掛けを―――」


 壮大な機械仕掛けにルシードだった男が眉を傾げるも、直ぐに彼の視線は歯車の奥……偽アクリルの大部分を占める物体に釘付けとなった。秒単位で赤く点滅する小さい魔石、それを埋め込まれた黒曜石にも似た爆裂石――頑丈な岩盤を発破する際に使用される強力な爆薬――だった。

 時計……魔石……爆裂石。そこで男の中でバラバラだったピースがカチリと嵌り、一つの答えを見出した。


「逃げ―――」


 しかし、男が答えを告げる直前で時計の短針と長針が12の数字で重なり合う。そして偽アクリルから眩い閃光が解き放たれたかと思った次の瞬間、彼等が放った火球とは比べ物にならない程の強力な爆発が黒ローブの男達を飲み込んだ。

 熱気を纏った爆風で残りのテントが紙のように軽々と吹き飛ばされ、爆炎に嬲られた幌馬車は文字通り一瞬で火の車と化す。

 馬車馬達は車体に搭乗した炎の熱気に耐え切れず、嘶きを上げて走り出す。が、馬と車体を繋ぐ接続具が災いして火元から離れる事が出来ず、狂乱したかのように火の車と共に走り回るばかりだ。

 最終帝に一台は馬車馬諸共炎に呑まれる運命を歩み、もう一台は狭い出入口を見付けて全速力で疾走するも、そのまま勢い余って深い谷底へと転落してしまった。

 そして残されたのは物言わぬ死体と、掴み所の無い踊り子のようにユラユラと揺れ動く炎だけとなった。煌々とした灯かりが先刻まで居座っていた夜闇を追い払い、まるでそこだけが世の理に反しているかのように見えなくもない。

 最早、この場における生存者など絶望的……かと思われた矢先、爆発で黒焦げた地面に亀裂が走り、ボコンッという岩砕音と共に真っ白い貝殻に身を包んだ巨大貝ガーシェルが姿を現した。



「突然やけど何か色々とヤバい気がするさかい、作戦会議するでー」


 時は遡って数刻前、テントの中で就寝の準備に差し掛かっていた私とアクリルに対し、ヤクトは唐突にそう言い放った。

 間延びで呑気さすら感じられる口調だが、その内容は全然穏やかじゃない。不穏過ぎる。いや、ハッキリ言って不穏しかない。だが、幼いアクリルは台詞に込められた不穏の「ふ」の字にすら気付いていないらしく、可愛く小首を傾げながらヤクトに問い返した。


「さくせんかいぎってなーに?」

「まぁ、分かり易く言えば色々と意見を交わして大事な事を決める話し合いってやっちゃ。重要な事やさかい、姫さんも参加せなあかんで?」

「はーい!」


 うーん、元気なのは良いことなんですけどねぇ……。出来ればヤクトの言う危険に気付いて欲しいというか、もう少し鋭い勘を持って欲しいというか……。まぁ、幼い子供にそこまで期待するのは少々無理があるか。見た目は子供で頭脳が大人ならば話は別だけど。


「ほな、姫さんの許可も貰ったところで……ガーシェル、おたくの腹の中をお借りするで」

『了解しました』 


 ヤクトが私のセーフティーハウス腹の中に足を踏み込み、彼に続いてアクリルも貝殻の中へと飛び込む。そして二人の身体が瞬間移動するかのように真っ白いセーフティーハウスの空間に飛ばされると、ヤクトは空間の中心に腰を据えながら自身が述べた「ヤバい」と感じた理由に付いて語り始めた。


「まず俺っちがヤバいと感じたのは、あの商人の言動や」

「どこかおかしかったの?」

「ああ、違和感ありまくりや。あの商人……俺っち達と会った時は素人だの山岳を詳しく知らん言うておきながら、熟練者のように山岳のルートを進むし、何よりも休憩所のある場所も知っとった。こりゃ山岳の全てを把握しとかな無理な話や」


 そう言われれば、確かに初対面の時に山岳登山は初めてだとか言っていた気がする。だけど、いざ実際に山岳を登り始めたら初心者のように緊張するどころか熟練者のように慣れた雰囲気だったし、幾つか分かれる道に面しても既にルートを把握しているかのように迷わず進んでいた。

 それにルシード本人は山岳で魔獣に襲われる事件があって不安だと言っていたのに、山岳を進む最中に怯えた素振りを一切見せていなかった。これもまた変だとしか言い様がない。


「そんでもって、もう一つ……疑わしいと思う理由がコレや」


 そこでヤクトはズボンの後ろポケットに手を回し、多角形にカッティングされた水晶を主体としたブレスレットを取り出した。それはヤクトが製作した魔道具であり、強力な状態異常攻撃を一度だけ完璧に防いでくれるという代物だった。

 バルドゥ山岳へ出発する前夜に見せて貰った時には、水晶は純水のように無色透明だった筈なのだが、今は墨汁のような黒色に塗り潰されており、水晶を光に翳しても向こう側が全く見えない。


「これって……!」

「出発前に姫さんにも同じもんを握らせたやろ? 試しに見せてみ?」


 ヤクトに促されてアクリルが左腕の裾を捲り上げると、やはり彼女の手首に巻かれていたブレスレットは黒一色に染まっていた。


「色が変色するっちゅー事は、俺っち達が状態異常攻撃を受けた証拠や。この山岳を登っている間に毒持ちの魔獣と遭遇しとらんし、姫さんを狙う連中ともうてへん。となれば、俺っち達が食した夕飯に毒が混ぜられてた以外に考えられへん」


 ヤクトの推理は概ね正しいだろう。しかし、よくよく考えるとヤクトが居てくれたおかげで判明したも同然だ。私だけならば何も出来ないままどころか、毒を盛られた事実にすら気付かぬままだったに違いない。

 もしも一歩でも間違えていればアクリルを失い、毒耐性スキルを持つ自分だけが生き残る未来も十分に有り得る。その事実を認識した途端、私の胃袋に氷塊を放り込まれたかのような重みと悪寒が襲い掛かった。

 私は駄目ですね。アクリルを守らないといけないのに、こうも簡単に敵の策略を許してしまうだなんて。これでは彼女を育ててくれた御両親に合わせる顔もありませんよ。


「そんなことないよ! ガーシェルちゃん!」


 と、急にアクリルが宙に向かって声を上げた。ヤクトは突然のアクリルの言動に驚き、私は自分が無意識に今の呟きを洩らしていた事実に驚いた。けれども彼女は気にせず、私に言葉を掛け続けた。


「悪いのは向こうの人達だもん! それにガーシェルちゃんだけじゃなくって、アタシやヤー兄も騙されたからガーシェルちゃんだけのせいじゃないよ!」

「ああ、そういう事かいな。せやな、ガーシェルの責任やあらへん。悪いのは俺っち達を騙そうとしている連中や。この仕返しはキチンとせなあかんな」

『皆さん……!』


 アクリルの台詞でヤクトも私が何を考えているのか察したらしく、ニッと笑いながら私をフォローしてくれた。二人の励ましは情けなさと不甲斐なさで萎れていた私の心に活力を与え、心の底から強い感動が湧き上がる。

 けれども、その感動を口にするどころかに浸る間も無く、ヤクトはニヤッと悪巧みを思い付いた悪党のような笑顔を浮かべた。あっ、これはアカンやつですわ。


「向こうは俺っち達を嵌めたと思って良い気になっとる。なら、連中の思惑を利用して、逆に此方も仕返ししてやらんとなぁ。無論、倍返しで……な」


 そう言ってクックックと笑い始めたヤクトを見て、私は内心で十字を切りながら『ご愁傷様です』と一足早いお悔やみの言葉を述べたのであった。



 ヤクトが仕掛けたのは魔石を用いた時限爆弾であり、アクリルに似せた人形を持ち上げてから、きっかり一分後に起爆するという中々にエグい仕掛け武器だ。

 私が見せた記憶魔法から相手がアクリルを狙っているのは明白であり、ならば奴等の目的を逆手に取れば上手い具合に大打撃を与えられるのではないかという考えを元に作ったのだが、本人も「こうも早くに出番が来るとは思わんかった」とのことだ。

 因みにテントの中で横たわっていたヤクトも実は偽物であり、本物はアクリル共々私のセーフティーハウスに避難済みだ。

 彼方は偽アクリルのような爆発物を搭載していない只の案山子ではあるが、それでも敵の目を誤魔化す偽装としては十分過ぎる作りをしている。もしかしてヤクトって、拘ったらとことん追求するタイプの人間なのだろうか。

 兎にも角にも、ヤクトの倍返しは見事なまでに成功し、敵は一人残らず天国の門を潜り抜けた。私自身も敵の攻撃を受けないよう地中に潜って攻撃を遣り過ごし、全てが終わってから漸く顔を出せたという訳だ。


「ひゃー、こりゃ凄い有様やなぁ」

「わー、全部吹っ飛んじゃったね~」


 貝殻の隙間から這い出てきたヤクトとアクリルが地面に降り立ち、周囲に広がる惨劇を見渡した。

 黒ローブの男が放った炎は依然として私達の居たテントを焼き尽くそうとしており、他のテントも爆発の衝撃のせいで支柱が拉げたり骨組みが折れたりと、テントの体を成していない。

 そして爆発が起こった周囲には黒ローブの男達が横たわっており、遠目から見ても殆どが息絶えているのが分かる。休憩所と呼ばれていた場所に地獄が降臨したかのような変貌っぷりに私は暫し言葉が出なかった。

 だけどヤクトさんや、他人事のような素振りで驚きを露わにしてますけど、この惨劇の6割はアナタの仕業だと思うんですけどねぇ……。なんて内心で突っ込んでいると、微かにだが人間の呻き声が聞こえ、パッと振り返ると黒ローブの男が俯せの格好で肩を微弱に震わしていた。


「どうしたの、ガーシェルちゃん?」

『アソコにまだ生きてる人間が居ます』

「ヤー兄! ヤー兄!」アクリルがヤクトの名を慌てて連呼し、倒れている男を指差す。「あっちに生きてる人が居るって!」

「姫さん、余り騒ぎ過ぎると敵に勘付かれるで。静かにしぃ。……俺っちが男の様子を見てくるさかい、二人はそこで待っとき」


 大声を上げるアクリルを小声で嗜めると、ヤクトは飄々としていた表情をスッと仕舞い込み、物音一つ立てない慎重な足取りで倒れている男の傍へ歩み寄っていく。

 その最中、呻き声を上げていた人物が地面に向かって激しく咳き込み、弱々しく顔を持ち上げた。爆発による炎を諸に浴びたらしく、顔面だけでなく頭髪や頭皮さえも焼き払われ、赤く焼け爛れた皮膚だけが取り残されていた。


「きゃっ!」


 重度の火傷を負った人間の姿を初めて見たアクリルは短い悲鳴を上げ、私の後ろにサッと飛び込むように隠れた。幼い子供が直視するには些か過激過ぎたようだが、彼女とは対照的にヤクトは重度の火傷に覆われた男の顔を目の当たりにしても微動だにしなかった。

 それどころか男の前にしゃがみ込むと、まるで親しい隣人に向けるような微笑みを投げ掛けながら手にした銃を相手の眉間に突き付けた。ここまで一切台詞は無いが、「少しでも下手な真似してみろ。何時でも命を奪えるぞ」と言外に告げているのは明らかであった。


「さて、アンタに聞きたい事がある。拒否権なんてあらへんのは、分かっとるわな?」


 爽やかな笑顔とは裏腹に、敵愾心を浮かべた眼差しから放たれた容赦ない視線の矢が男を貫く。向こうも多少の脅しには屈しないつもりだったのだろうが、流石にヤクトの殺気に嘘偽りが無い事を悟ったらしくゴクリとぎこちなく固唾を飲み込んだ。


「俺っち達が知りたいのは二つ。一つはアンタ達の正体。もう一つは何故アクリルって子供を狙うのかや。もし素直に答えてくれたら見逃してやってもええ。せやけど下手な真似しようもんなら――」ガチリッと撃鉄を親指で起こし、銃口と眉間がピッタリと隙間なく引っ付く。「コイツでアンタの頭をブチ抜くで?」


 ヤクトの底冷えした声色に男はヒュッと息を飲み、焼け爛れた瞼の下にある瞳が左右にブレ始めた。言葉に出さずとも、その動揺は男の胸中で渦巻く迷いを如実に表していた。

 暫く頼り無さげに視線を彷徨わせていたが、不意に男は鋭さを増した覚悟の眼差しを浮かべ、ヤクトの顔に焦点を結んだ。結局、男が行き着いた答えは自身の意地とプライドを死守する事だったようだ。


「甘く見るなよ……! 若造! 我が故国の為ならば……私の命は捨て石の一つに過ぎんのだ! 私が倒れても……仲間はお前達を諦めないぞ……!」


 そう言って男が人差し指と中指を立て、口元に寄せて何かを唱えようとしたが――


ズドンッ


―――口走るよりも先にヤクトが持っている銃が火を噴き、男の額を貫いた。額から鮮血が噴水のように噴き出し、男は物言わぬ死体となって大地に倒れ込んだ。

 チラリとアクリルの方を見たが、彼女は先程の火傷顔のショックが大きかったのかビクビクとしながら私の背後に隠れたままだった。それを見てホッと私は安堵の溜息を密かに吐き出した。流石に無邪気な幼子に、今際の際――それも他人が手を下す瞬間――をまざまざと見せたくはない。

 そしてヤクトは銃を懐に仕舞い込むと、急いで私達の下へと駆け寄って来た。


「急いで此処から脱出するで! 他にも仲間が此処に居る可能性が大や! 急いで逃げへんと俺っち達がヤバい! ガーシェル! 全速力で逃げるんや!」


 ヤクトの言葉を受けてアクリルの身体に触手を巻き付けて貝殻の上に乗せると、それから間を置かずしてヤクトも貝殻の上に飛び乗った。二人が貝殻から落ちないよう、水魔法で作った椅子に二人を座らせ、更に泡魔法のバブルチェーンをシートベルト代わりにして固定すると全速力で休憩所を後にした。

 まだ夜更けの闇が山岳の表面に張り付き、魔獣達も寝静まっているのか聴覚が痛さを訴えそうな程に周囲は静寂に満ちていた。けれど……いや、だからこそと言うべきか。私の第六感は良くない事が起こると囁いていた。

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