第56話 転落

 休憩所を飛び出し、山岳を抜けるべく私達は北を目指した。まだ夜中の静寂さが際立っており、自分の走る車輪の音以外の物音は一切関知出来なかった。

 だが、暫く走り続けているとバサバサと羽毛の無い翼で力強く羽搏く音が微かに聞こえ、何処から聞こえてくるのかと私達が辺りを見回していると、最初に発見したのはアクリルだった。


「ヤー兄! ガーシェルちゃん! アッチから何かきた!」


 肩越しに首を回しながら、向かいの山へ指と視線を向けるアクリル。彼女の指摘した先へ視線を寄越せば、黒ローブの男達がコブラの頭とプテラノドンの胴体を持った魔獣の背中に乗って此方へ飛来してくるのが見えた。

 もしかして、アレが山岳で行き交う人々を襲っていた魔獣なのだろうか? 試しに魔獣の方を鑑定していると『ガラージャ』と言う名前が判明し、毒攻撃や毒魔法を主体とする翼竜ならぬ翼蛇という種族らしい。そして性格は狡猾で凶悪と蛇顔にピッタリだ。

 ガラージャ達のレベルは軒並み低いが、距離が離れているので此方から手出しは出来ない。かと言って魔法が届く距離にまで接近を許せば、黒ローブ達の魔法攻撃が襲い掛かって来るのは目に見えている。

 今は攻撃するよりも逃げに徹した方が良い。その判断は我ながら間違っていないと思う……が、だからと言って攻撃の手段が無い訳ではない。少なくともには。


「はっはーん。こりゃまた御誂え向き丁度良い相手が出てきたやん。ガーシェル、三番の武器と弾を出してくれや!」


 実はセーフティーハウスに預かっているのは旅路に必要な道具や食糧だけではなく、ヤクトが作った武器及び弾薬の類も預かっているのだ。今回みたいな非常事態になった場合を考慮し、ヤクトが自家製武器の保管を提案したのだが、まさか早々に非常事態が発生するとは思いもしなかった。

 セーフティーハウスから武器を取り出す間に、ヤクトは水の座席から立ち上がって敵の方へと体ごと振り向ける。敵も魔法を放てる距離に達していないのか、私達との距離を詰める事に専念しているみたいだ。

 水の椅子を片付けて彼が動けるスペースを確保し、万が一に落ちても大丈夫なよう命綱代わりにバブルチェーンをヤクトの腰に巻き付けた。そしてヤクトから頼まれた三番の武器と弾薬を触手に巻き付けて取り出すと、彼は喜々とした表情でソレを受け取り武器を構えた。


「よっしゃ! 派手にいったろやないか!」


 ヤクトが手にした武器は、前世の記憶から例えるとしたらスナイパーライフル狙撃銃のソレに該当する。長方形の箱に覆われたかのようなSFチックな銃身の側面には、魔法陣が刻み込まれており、私の知る――と言っても私自身も銃火器の知識は無いが――狙撃銃と比べて多少の差異がある。

 文字の溝に沿って淡い桃色の光が後部から前部に向かって走り出し、全ての文字に光が満ちるとヤクトは引き金を引いた。ガウンッと轟音を奏でるが、それは撃鉄が雷管を叩く音とは若干異なっていた。何というか……そう、アレだ。レールガンみたいに火薬とは別のエネルギーで撃ち出されているかのような音だ。

 狙撃銃から発射された銃弾は肉眼では捉えられない速さで空を貫き、先頭を飛んでいたガラ―ジャの頭部を木端微塵に粉砕するだけに留まらず、その背に乗っていた黒ローブの男の身体を極端な『く』の字に折り曲げた。

 突然仲間の一人が蹲ったかと思いきた、魔獣共々谷底に向かって真っ逆さまに落下していく。周囲の黒ローブ達は何が起こったのか分からず、辺りを引っ切り無しに見回しているのが遠目からでも見えた。相変わらず顔はローブに隠されて見えないが、恐らくその下では恐怖と驚愕が相席を作って表情に居座っているに違いない。


「ははっ! 中々ええやないか! この調子で行くでぇ!!」


 ヤクトは狙撃銃に備わったスコープを覗き込みながら、立て続けに引き金を二度引いた。一発はガラージャの左翼を付け根から捥ぎ取り、背に乗せた主人共々奈落のような谷底へと吸い込まれる。もう一発は黒ローブの一人を頭ごと吹き飛ばし、主人を背に乗せていたガラージャはハッと我に返ったかのように目を瞬かせ、慌てて逃げるように飛び去って行く。

 そこで漸く向こうもヤクトが手にしている武器の仕業だと気付いたらしく、十人程で構成された部隊を半数に分けて左右に分散させた。分散させている最中にもヤクトは更に二発撃ったが、これは大きく旋回して躱されてしまう。

 流石に手品のがバレてしまうと対処され易くなってしまうが、それでも狙撃銃の威力を見せ付けたのは極めて効果的だった。特に精神面における揺さ振りは抜群であり、その証拠に敵は分散したまま近付こうとして来ない。これは狙撃銃を恐れている証拠だ。


「近付いて来おへんか。まぁ、丁度ええわ」


 そこでヤクトは一旦敵から目を離し、狙撃銃を下した。淡い輝きを放っていた銃身は今では弱々しい光が点滅しており、見るからに力が不足しているという印象を他者に与える。

 ヤクトは空になった弾倉に弾丸を込めると、最後部の銃床に備えられたボックスを開いた。中には無属性の魔石――この世界では役立たずと言う意味を込めてナードと呼ばれている――が満載されていたが、外気に触れた途端に砂粒よりも細かい塵芥状へと崩れてしまう。

 ヤクトは狙撃銃を引っ繰り返してボックスを満たしているナードだった塵芥を廃棄し、出来上がったスペースに予備のナードを素早く詰め込む。そしてガチンッと金属質の音を立てて蓋を閉じると、再び文字の溝に力強い光が蘇った。


「一発一発が強力なのはええけど、魔力の消費量が半端ないのが難点やなぁ。まぁ、ナードは数も多いから困る事もないけど、やっぱり一々充填させるのが面倒やしなぁ……」

「ヤー兄、何かむずかしいこと言ってるね?」

『まぁ、彼にしか分からない世界とやらがあるんでしょうね』


 ブツブツと口ずさみながら武器考察を始め、自分の世界にのめり込んでしまうヤクト。その様子にアクリルは不思議そうに首を傾げるが、此方に害は無いので放置しても良いだろう。

 それよりも問題は追っ手の方だ。幸いにも狙撃銃を必要以上に警戒しているのか、遠巻きに監視するかのように距離を置いたまま付いてくるだけだ。このまま敵を撒きたい所だが、流石に限られた一本道ではソレも不可能だしなぁ。

 と、そんな事を考えていると上り坂と下り坂の境目を意味する、藍色の夜空と灰色の岩肌の地面の境界が見え始め、貝殻の上に居るヤクトが狙撃銃から正面へと目線を移し「よし」と呟いた。


「アソコを乗り越えてしまえば、この山岳の一番険しい山場を乗り越えたも同然や! 出口までは多少の紆余曲折はあるけど、安定した下り坂が続くからゴールも夢やあらへん!」


 ヤクトが口にするゴールとは単に山岳を抜ける事ではなく、そのすぐ先にある街への到達を意味する。街にはヤクトのような腕利きの賞金稼ぎも居れば、魔獣退治を専門とするハンターや魔法使いも居るし、何よりも国家権力の末端とも言えるナイツが居るのだ。

 彼等の協力さえ煽げれば、助かる可能性は大きく跳ね上がる。その期待が胸中で過度の熱を持ち、私の胸をこの上なく焼き焦がす。私は期待から生じる逸る気持ちを車輪の原動力に回し、周囲の風景を置き去りにする勢いで加速した。

 みるみると空と大地の境界線が近付き、希望が現実と化すのも時間の問題かと思われた矢先、突如地面から巨大な岩壁が競り上がり、私達の行く手を遮った。

 これには胸中で燃え上がっていた期待も冷や水を浴びせ掛けられて鎮火させられ、湧き立った希望は泡沫のように儚く崩れてしまう。


『なっ!?』

「ガーシェル!! 止まれ!!」


 ヤクトの言葉に前後し、私は咄嗟に急ブレーキを掛けた。流石に加速からの急ブレーキは車輪に堪えたらしく、車がスリップしたかのような横滑りが生じてしまう。


「きゃあ!」

「うお!」


 アクリルはバブルチェーンをガッシリと握り締め、ヤクトも片膝を着きながら彼女の座っている椅子にしがみ付いて横滑りが止まるのを耐えた。激しい砂埃を巻き上げながら漸く止まってみれば、岩壁まで残り3mを切っていた。

 岩壁と激突するという失態は未然に防げられたものの、唯一無二の逃走経路を潰されしまった。寧ろ、私達を取り巻く危機は倍増したも同然と言えよう。現にガラージャ達は動きを止めた事をチャンスと見たのか、それまでの慎重路線から方針転換し此方との距離を詰めに掛かった。


「くそっ! 伏兵が居ったんか!!」ガラージャ達の方へ銃口を向ける。「ガーシェル! 姫さんを腹ん中へ避難させるんや!」

『分かりました! アクリルさん! 失礼します!』


 彼女を傷付けぬよう配慮しながら触手を巻き付け、そのままセーフティーハウスへと避難させる。敵の狙いがアクリルだと分かっている以上、彼女をみすみす手放す訳にはいかない。

 そして避難を完了させてヤクトと同じ方向へ向けば、ガラージャ達が踊り狂うように空を舞いながら襲い掛からんとしていた。ヤクトが彼等の一体に狙いを定め、引き金を引こうと指を動かし掛けた瞬間、天空に光が瞬いた。

 雷? いや、空は晴れている筈―――と思った直後には膨大なエネルギーの轟音と共に青白い稲妻の槍が降り注ぎ、ガラージャ達を焼き払った。


『な、何ですか!?』

「これは……只の雷やあらへん! 魔法攻撃によるものや! せやけど、一体誰が―――」


 緊迫した面持ちで辺りを見回していたヤクトが、競り上がった岩壁の方に顔を向けた途端に何かに気付いて訝し気な表情へと変化させた。それに釣られて私も岩壁の方へ振り返ると、黒ローブの男達がまるで物体無効の幽霊の如く岩壁を擦り抜けて現れた。それを見てヤクトはチッと舌打ちを零した。


「最初っから待ち伏せしとったって訳かい。用意周到やな」

「もう逃げられんぞ。貴様達は既に袋の鼠だ」


 岩壁から離れようとするも、別の黒ローブ達が来た道を塞いでいた。マジで袋の鼠じゃないですか。単なる脅しならば『こなくそっ!』て反骨心に満ちた気持ちになっただろうけど、事実として指摘されるとグゥの音も出ませんね……。


「アンタ達が姫さんを狙っていた敵さんかいな。揃いも揃って辛気臭い格好しおってからに……。せやけど、何で空を飛んどった仲間を撃ち落としたんや?」

「アレは我々の仲間ではない。あの魔獣に乗っていた連中は、我々が雇った盗賊崩れだ。この仕事で貴様達を此処まで追い込んだら金をくれてやると言えば、二つ返事で了承してくれたのだ」

「そんでもって仕事を果たしたら用済みってか。ホンマに人情もへったくれもあったもんやあらへんな」


 ヤクトが皮肉を込めて言えば、彼と言葉を交わす老人はハッと鼻先で笑い飛ばした。


「奴等は最近までは山岳地帯を登る商隊を襲っては、金品や物資を略奪していたのだ。我々のやった行為は寧ろ感謝されるべきものであろう。違うか?」


 あっ、やっぱり今のガルージャが山岳を登っていた人達を襲撃していた魔獣犯人だったのか。確かに悪党と言えば悪党かもしれないが、こうもあっさりと切り捨てられるとは思いも寄らなかっただろう。


「そんなに褒められたいんやったら、向こうの街へ行ってナイツに報告して、褒賞なり賞状なり貰えばええやろ」

「生憎、我々が欲しいのはそんなものではない」


 ヤクトの辛辣な言葉に対し、老人は真面目な口調で言葉を返すと片腕を持ち上げた。それに合わせて黒ローブ達が動き出し、私達との距離を詰めていく。ヤクトは私の上に飛び乗り、狙撃銃を構えるも左右どちらを狙うべきか考えあぐねているみたいだ。

 彼の迷いを見抜いた老人はくつくつと喉元で絞ったような笑い声を立て、此方が優勢だと言わんばかりに余裕の富んだ言葉を投げ掛けた。


「その魔道具は確かに強力かもしれないが、所詮は人一人殺すのでやっとな玩具だ。このように囲まれてしまえば、役にも立たん鉄屑同然よ。おまけに我等の使う魔法と比べれば、天と地ほどの歴然とした差がある」

「はんっ、アホ抜かせや。俺っちの自信作にケチ付けるのは勝手やけど、それを否定する権限はお前等には無いやろ。第一俺っちは魔法が好かんのや。ましてや、その魔法をひけらかして見下すようなヤツは輪を掛けて大嫌いや」

「ふふっ、減らず口を叩きおってからに……。だが、貴様達が子供を寄越せば見逃してやっても良いのだぞ?」


 これがヒーロー番組ならば、悪党が提示した交換条件を拒否した上で打開するという輝かしい逆転劇を見せて茶の間をわかすのだろう。だが、残念ながらヒーローでもない私達には逆転の策なんて持ち合わせていない。唯一共通しているのは、敵に対して膝を屈するのは嫌だという意地だけだ。


「生憎やけど、俺っちは後悔するような生き方はしたくないねん。ましてや子供を売って助かるなんて、人の道を踏み外すような真似は以ての外や」

「ならば、我々の要求を拒むというのだな?」

「拒むも何も、こっちは最初から腹ぁ決めとるんや! おどれら外道に姫さん渡すぐらいなら、命投げ捨てる覚悟で抵抗したるってな!」

「そうか、ならば貴様を殺してから、ゆっくりとシェルの中を改めるとしよう」


 黒ローブ達は一斉に腕を持ち上げ、その先端に魔力を集めて黒い雷電の球を作り上げる。黒魔法だ。それを見たヤクトは右手で狙撃銃を持ち、もう片方の手には拳銃を握り、両方の銃口を左右の敵に突き付けた。


「ガーシェル、何かええ手はあるか?……って聞いても、俺っちにはお前の言葉は分からへんけどな」

『でしょうね。例え口が利けたとしても、『何も思い浮かびません』と答えるのが精一杯だが』

「こいつら全員をブチ倒して突破するには厳しそうやし、この山を掘って逃げるのは流石に無理がありそうやしな」

『ええ、休憩所での一件も実はギリギリでしたしね。精々身を隠す程度が精々で、それ以上深く潜るのは無理です』

「俺っちは魔法を超える魔道具を作るっちゅー夢があんねや。こんな所で死ねへん。かと言って、姫さん渡して生き恥を晒すような真似はしたくあらへん」

『私だってアクリルを守り通すという育て親との約束があるんです。こんな所で死ぬのは真っ平御免ですし、アクリルを渡したくありません』


 けれども状況は八方塞、成す術も逃げ道も無い。万事休すという言葉が、恨めしい程にピッタリと当て嵌まる。少しでも相手から離れようにも、気付けば自分の真後ろには断崖絶壁の谷が底無しの口を開きながら待ち構えている。

 こうなったらヤクトを見倣い、一か八かの背水の陣で敵の包囲網を突破する可能性に望みを託す他ないのか。そう考えて水魔法を唱えようとした時だった。


「む?」

「何や?」


 私達の足元に落ちている何の変哲もない石ころが小刻みに踊るように跳ね出し、その場にいる全員の視線を一身に集めた。だが、その動きは収まるどころか徐々に激しさを増し、遂には山岳全体を震わせる程の巨大な揺れへと繋がった。


「じ、地震や! デカいぞ!」


 ヤクトが地震を告げた直後、私の足元に幾重にも枝分かれした亀裂が走ったが、肝心の私は周囲の様子を窺う事に夢中でソレに気付けなかった。そして亀裂は地震の揺れに合わせて瞬く間に罅の範囲を広げていき、遂にはバゴンッと破砕音を立てて砕け散った。


『「あっ!」』


 亀裂が崩壊した途端、体の重心が急に後ろへ引っ張られるかのような感覚に襲われたかと思いきや、次の瞬間には視界と肉体が宙に投げ出される浮遊感が襲い掛かった。

 そして私達は山岳で最も深いと称されている谷底に向かって、文字通り転げ落ちていったのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る