第54話 バートン山岳

 裏門を通ってから暫くの道則にはささやかながらも緑が生えていたが、見るからに若い草木ばかりが目立つ。恐らく観光客の来訪に向けて、少しでも見栄えを良くしようと緑化を試みたのだろう。けれども思うように客が来ず、その緑化計画も現在は停滞中と言ったところか。

 やがて山岳地帯の半ばに差し掛かった辺りで植えられた木々も無くなり、バルドゥ山岳の本来の姿が見え始めた。木はおろか植物のしの字も存在しない禿山が山岳一帯を支配しており、最早殺風景を通り越して世界の果てを思わせる無の境地となっていた。

 剥き出しのまま放置された灰色の岩壁と斜面の至る場所に残った人気ひとけの無い坑道入口が、ドルクが歩んだ栄枯盛衰の歴史を物語っている。そんな鉱山業の代償とも言うべき光景を目の当たりにし、アクリルは「ふわー」と気の抜けそうな驚嘆の声を上げた。


「ここのお山、木が一本もないねー」

「鉱物を求めて山を掘り進めた代償やな。元々は緑豊かで穏やかな魔獣ばかりが住んでいたんやけど、禿山となった今では此処に住んでいるのは何の価値も無い岩や土を喰う岩石系の魔獣ばっかりらしいで」

「へー、そうなんだー」


 岩石系の魔獣……ですか。やっぱり岩石魔獣の代表格であられるゴーレムとか出るんですかね? それともポケ〇ンみたいな身形をした独特な魔獣とか? どちらにしても相対せずに穏便に済ませたいものです。

 そんな風にアクリルに説明をすると、ヤクトはふと何かを思い出したかのようにルシードの方へ顔を向けた。


「ところで、オタクが言っとった最近この山岳で発生している魔獣の襲撃って、やっぱり岩石系の魔獣なんか?」

「さぁ、どんな魔獣だったのかまでは情報が不足していて詳細は判明していません。ですが、可能性としては十分に有り得ます」

「ふーん、そうなんかぁ」


 ルシードの台詞にヤクトは大した興味を抱かなかったらしく、つまらなそうにつぶやくと胡坐を掻いた格好で頬杖を突き、私の貝殻をトントンッと指先で二度ノックした。

 その後も坂あり谷ありと言った具合に起伏の激しい山道を進んで行き、遂に一行は剣のような鋭い山が連なる山脈の麓に差し掛かった。

 ここから先は急激に道幅が狭くなり、一台の馬車が通るのもやっとだ。その上、右手には剥き出しになった山肌の絶壁が天に向かって聳えており、左手には直角90度の断崖が光の届かない深淵に向かって延々と伸びている。

 恐る恐る断崖を覗き込んでみると、生まれて最初に住み着いた海溝を思い出させる暗闇が谷底に満ちており、まるで滑落者を待ち受ける地獄の口のようだ。断崖が何処まで続いているのかは見当も付かないが、うっかり落ちてしまえば二度と這い上がれないの必至だ。


「わー、下が全然みえなーい。落ちたら危ないね、ガーシェルちゃん」

『ええ、アクリルさんも濫りに下を覗き込んだらいけませんよ。誤って落ちたら元も子もありませんからね』

「うん、分かった!」


 断崖を前にして呑気な会話を交わしている私達とは対照的に、ヤクトとルシードは窄まった山道を前にして、通る順番に関して真剣に話し合っていた。


「どないする? ここからは一列に並んで進むとして、俺っち達が先へ行って様子を窺った方がええか?」

「いえ、先頭から私の馬車・ヤクトさん達・そしてもう一台の馬車という順番で行きましょう」

「俺っち達が先頭やなくてええんか?」

「もし魔獣が最後尾から現れた場合、ヤクトさん達が先頭に居たら後続の馬車が皆さんを妨害する形になってしまいますからね。少しでも臨機応変に対応するのならば、ヤクトさん達を真ん中に置くのが得策かと」

「……分かった。それで行こか」


 そして話し合いが終わるとルシードは手綱を操り、馬車を細い道に滑り込ませるように進ませた。ヤクトは先頭を進む馬車を見送ると、私の貝殻に飛び移りコソリと小声で囁いた。


「姫さん、ガーシェル。気ぃ付けや。魔獣の件もあるし、姫さんを襲った連中の件もある。何が起こっても不思議やあらへん。用心するんやで」


 ヤクトの忠告に流石のアクリルも理解出来たらしく、キュッと表情筋を引き締めた硬い表情を浮かべながらコクリと頷いた。私も内心で『了解』と呟いたところで、ルシードの馬車を追って狭い山道に突入した。



 ソナーを用いながら慎重に山沿いの道を進んでいるが、彼是一時間以上が経過しても魔獣の気配は感知出来ない。感じるのは私達の前後に居る馬車の人間ぐらいだ。

 もしくはソナーの範囲外に居るのか、もしくは地面に潜んでいるのか……。どちらにしても、地中やソナーの範囲外から奇襲されれば流石の私もお手上げだ。

 既に天上に上っていた日は西の彼方へ沈もうとしており、眩い残陽が山々の隙間から鋭いレーザーのように差し込んでいる。一日では登り切れないと聞いていたが、何処で休むのだろうか? まさか、こんな狭い場所で休むなんて事は言いませんよねぇ?

 そんな疑問を抱いている内に夕日は瞬く間に山の合間に沈んでいき、星の煌めきを鏤めた夜の蚊帳が頭上に広がり始めた。ヤクトも暗い夜中に動き回るのを良しと考えていないらしく、前方を進むルシードの馬車に向かって大きな声で呼び掛けた。


「おい! どないするんや!? 夜中の移動は危険やで!」

「ええ! 知っています!」前方の馬車越しにルシードの声が返って来る。「ですが、もう少し先に拓けた場所があるんです! そこで休息としましょう!」


 そう宣言してから更に10分掛けて進んでみると、ルシードの言う通り休憩所として打って付けの場所があった。

 一方通行だった細い山道の脇に、これまた馬車がギリギリ通れる程の狭い脇道があり、そこを潜ると山そのものが円柱状に刳り貫かれたかのような拓けた場所に辿り着いた。分かり易く言えば、頭上から見るとΩを横倒しにしたような地形をしていると言った所か。

 確かに此処ならば広い上に出入り口も狭いから、魔獣や外敵も迂闊に侵入出来ないだろう。それに私自身も動いてさえいなければ、地面に針を突き刺しながらのソナーによって地中の魔獣を探知する事も可能だ。

 その後、魔獣を近付けさせない特殊な魔法陣が描かれたテントを張ったり、そこで夕食を取ったりして一日が終了した。

 因みに私の中からテントを始めとする道具やら食材やらを取り出す光景に、ルシードを始めとする商人達は驚いて目を丸くしていた。そして主であるアクリルがえっへんと胸を張って私を自慢してくれた。うん、相変わらずの可愛いさに眼福です。



 群青の絵具を水に溶かしたかのような薄い夜から本格的な真夜中へと移り変わり、辺りは心地良い夜闇に覆い尽され、藍色の夜空では星々の大海が窮屈そうに犇めき合っていた。

 円形の地形に沿って設けられたテント群の中央には焚火が置かれてあるが、既に燃やす物を失って焼炭と同じ色の煙を細々と天に向かって吐き出しているだけだ。とは言っても、殆どの人間が寝静まった今では無用の長物だが。

 あとは大人しく日の出を迎えるのを待つだけかと思われたが、暗闇の中でソレは動き出した。数人の人影が音も無く走り抜け、一つのテントを半包囲する形で集まる。

 そこはアクリルとヤクト、そしてガーシェルと呼ばれる貝の魔獣シェルも一緒に寝泊まりしているテントだ。そして人影――ヤクト達と同行していた商人の一人が恐る恐るテントの入り口の布に手を伸ばし、そっと捲り上げる。

 テントの中央に置かれたランタンが薄明りを灯し、微かに肉眼が利く程度にテントの内部を照らしていた。手前に寝袋に全身をすっぽりと包んだヤクトと思しき物体が転がっており、最奥にはガーシェルがドンッと鎮座している。そして一人と一匹に挟まれる場所に、寝袋に包まれたアクリルが居た。


「ちゃんとアトロスの毒を飲ませたな?」


 テントを覗き込んでいる男にそう尋ねたのは、商隊を率いる立場にあるルシードだった。彼の問い掛けに対し、尋ねられた方は口元に薄い笑みを携えながら自信を持って頷いた。


「ええ、連中は我々の出した食材を喰っていました。念の為に睡眠薬も混ぜましたので、連中は単なる眠気だと勘違いした事でしょう。どちらにせよ、対状態異常の魔道具を持たない限り、抗いようがありません」


 そう答えると男は袖下から紫色に輝く魔石を埋め込んだ金のブレスレット――状態異常を無力化する魔法具――を見せ付けるように覗かせた。

 夕飯に出された食事にはアトロスと呼ばれる魔獣から抽出される特殊な毒が仕込まれており、これを体内に摂取した人間は暫くの間は仮死状態となって身動きが取れなくなるのだ。

 一方で毒を仕込んだ側は状態異常を無効にする魔道具を持っていた為に、同じ食材を食べても毒の影響を受けず、自由に行動する事が出来たのだ。仲間の説明を聞いてルシードは満足気に頷き、次なる命令を下した。


「よし、彼女を連れ出せ」

「はっ……!」


 男がこっそりとテントに忍び込み、寝ているヤクトを大股で跨ぐ。薬で眠っていると分かっていても、物音を立てないよう細心の注意を払う辺りに彼等の入念さが窺える。

 男は眠っているアクリルを寝袋ごと恐る恐る抱き上げるや、入った時と同様の慎重な足取りでテントから抜け出した。


「標的を確保しました」

「うむ。この子供に並の幻覚魔法が効かないと聞いていたので、幻覚魔法の最上位に当たる変身魔法を掛けておいて正解だった」


 男が抱えるアクリルの寝顔を一瞥した後、ルシードの姿がグニャリと歪んだ。まるでルシードが何か別物に作り替えられるかのように歪みは続き、やがて歪みが治まった時、そこには彼の姿はなく黒ローブの魔導士の姿があった。

 ルシードの変身に釣られて、他の商隊の面々も姿を変えてく。いや、正確には元の姿に戻っていくと言うべきか。そしてルシードだった男は部下の手からアクリルを受け取ると、ヤクトとガーシェルが残っているテントに冷徹な眼差しを注ぎながら顎をしゃくった。


「世界の調和の為だ。禍根は絶たねばならない」


 男の台詞と共に他の魔導士達がテントに向けて広げた手を掲げる。手の先に集中した魔力が紅蓮の炎へと変質し、やがて掌に収まり切らない程の火球と化す。そして―――


「全ては世界の調和の為に―――」


 ――ルシードだった男の掛け声と共に火球は放たれ、テントに襲い掛かる。動かぬテントに火球を避ける術などある筈がなく、命中するのと同時に瞬く間に広がった炎がテントの布を舐め尽くす。

 遂にはテントを支えていた支柱が焼け落ちたらしく、ガシャンッという音を立ててテントだった物体は崩れ落ち、火に勢いを与える為の燃料へと成り果てたのであった。中に取り残された一匹と一人を巻き添えにして……。

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