第49話 二通のメッセージ 前編

 その日の夜、ガダン村の広場である宴が催された。人買い屋に連れ去られた子供達を救った恩人達に感謝と御礼を込めて開かれた宴には、ガダン村の住人全員が参加していた。

 最初は明るい祭りのような雰囲気だったが、やがて酒が入ると彼方此方で無礼講にも等しいドンチャン騒ぎが繰り広げられていった。

 アクリルは同年代の子供達に囲まれながら食事を楽しみ、ヤクトも年若い村一番の美女と言われる女性から御酌を受けて上機嫌だ。

 そんでもって私の前にはガダン村で取れた大量の野菜が、供物のように積み上げられている。その野菜を触手で器用に掴んではヒョイパクヒョイパクと次から次へと貝殻の中へ放り込む姿に、周囲から驚き混じりの歓声が上がった。

 恐らく貝である私が野菜を食べるかどうか不安だったのだろう。しかし、私が平然と野菜を食べた事によって不安が払拭されるや、一転してコレもどうぞアレもどうぞと言わんばかりに野菜がエンドレスで出され続けた。こういう時に大食いスキルがあって本当に助かりました。

 やがて満腹になった頃には宴も佳境に入り、アクリルを含めた子供達は家へと戻り、そして広場は大人だけの宴会――という名の飲み会――へと移行していく。ヤクトはそれにも参加する気らしいが、私は満腹になったので獣舎に戻る事にした。というか、この体で酒を飲めたとしても浄化スキルで無意味になりそうな気がする。

 村の片隅にある獣舎には農業に従事させる為に飼い慣らされた使役動物ならぬ使役魔獣達――ウサギのような垂れ耳を持つ毛深い馬や、緩やかなカーブを描いた一本角の牛――が暮らしており、その突き当りに空けられたスペースが私のお借りする寝床だ。

 流石に他の魔獣のように干し草を敷き詰める時間が無かったらしく、地面が剥き出しになった無骨な更地が置かれてあるだけだが、雨風を凌げるだけで十分だった。それに貝の身故に柔らかな布団もベッドも要らず、横になる必要すら無いのは中々に便利なものだ。

 これ以上やる事もなく、健康優良児顔負けの早寝をしようかと思った矢先に獣舎に誰かが入って来る気配を感知した。他の魔獣達もそれを感じ取って一旦出入口の方へ目を向けるが、すぐに興味を無くして蹲るように眠ってしまう。

 獣舎に入って来たのは子供だった。他の魔獣達には関係のない事ではあるが、私にとってはこの世でたった一人の主だ。


『アクリルさん! どうしたんですか、もう子供は寝る時間ですよ?』

「今日はガーシェルちゃんとあんまりお話出来なかったから、来ちゃった!」


 態々私と話す為に来てくれるなんて、この子の優しさと可愛さに私の心がギュンギュンと唸りました。可愛さの前には語彙力なんて無意味なんだと悟る一方で、アクリルに言われて今日の出来事を振り返ってみれば確かに話す機会はあまり無かったかもしれない。

 アクリルもヤクトも村人達に構われっ放しだったし、私の方も無邪気な子供達に囲まれて碌に身動きが取れなかった。そりゃ山間の村に海産の魔獣が生きたまま来る事自体が珍しいですしね。

 そして私の前にやって来てくれたアクリルの召物が獣舎の土や泥で汚れぬよう、腰掛け程度の泡を作りソコにアクリルを座らせた。


『今日は楽しかったですね、アクリルさん達の為に開かれた宴だったと言えば当然かもしれませんが』

「うん、たのしかったー! アクリルの知らない食べ物や果物もいっぱい食べれたし、お友達もいっぱい出来た!」

『そうですか、それは何よりです』


 アクリルの傷付いた心を少しでも癒せるのならば、それに越した事はない。だが、彼女が喜びを見せたのはその時だけで、直ぐに迷いと悩みを半々にブレンドしたかのような深刻な表情を浮かべて俯いてしまう。


『どうかしたんですか、アクリルさん?』

「……あのね、ガーシェルちゃん。アクリル、ヤクトのおにいちゃんやヨルドーのおじいちゃんが話しているのを聞いちゃったの」

『どんな話です?』

「アクリルをこれからどうするかって話……」


 そこで彼女が何について悩んでいるのか手に取るように……いや、触手に取るように分かってしまった。

 確かにヨルドーとヤクトは、アクリルの身に起こった出来事を知り、その上で彼女を守る為の手立てを必死に考えてくれた。しかし、結局どれもこれも決定打に欠けるものであり結論には至らなかったが。

 そんな二人の真剣な話を小耳に挟んだだけで、ましてや幼いアクリルが全てを理解出来たとは考え難い。だが、その遣り取りの中で頻繁に自身の名前が出てくれば、自分が話題のタネだと嫌でも理解するというものだ。

 噂の良し悪しはさて置き、誰だって他人同士が自分を題材にして盛り上がっているのを耳にして、良い気分になる筈がない。そしてヤクトとヨルドーの会話は悪い意味ではないが、だからと言って良いとも言い難い。


「アクリルがこのまま居たら、またあの黒い人達が襲ってくるかもしてないの。だから、アクリルは直ぐに村から離れた方が良いと思うの。此処に居たら、また多くの人がおかーしゃんみたいな目に遭っちゃうから……」

『ですが、アクリルさん。離れると言っても、向かう当てはあるんですか?』

「……ううん」


 私の問い掛けにアクリルは素直に首を横に振った。アクリルの言う事も分からないでもないが、だからと言って行く当てもなく彷徨うのは危険だ。世界の広さを知らぬ私達が見知らぬ土地へ足を踏み入れるなんて、自殺行為と呼ぶには大袈裟かもしれないが、危険行為である事に変わりはない。

 せめて両親どちらかの親戚筋を頼る事が出来れば良いのだが、アクリルはどちらの親戚とも顔合わせした事はないみたいだ。となれば、何処に住んでいるかさえ知る筈がないと見做すべきだろう。

 ううむ、これは弱ったぞ。このまま座して時間だけを費やす訳には―――と思考が出口の見えない袋小路に入り掛けた矢先、不意に脳裏に蘇ったある記憶が待ったを掛けた。


『そうだ。アレを見たら何かヒントがあるかもしれない』

「アレって?」

『実は私の記憶魔法はメリルさんから授けられたものなんです』

「おかーしゃんから!?」


 今は亡き彼女の母親から貰った魔法だと教えてやれば、アクリルの表情が驚きで満たされる。


『はい、そして記憶魔法と一緒にアクリルさん宛てと思しきメッセージも預かったんです』

「アクリルにメッセージ? どんなの?」

『さぁ、私も預かっただけですので……まだ内容は見ていません。見てみますか?』

「うん! 見る! 早く見して!」

『只今準備しますので少々お待ち下さい』


 予想通りの食い付きを見せるアクリルを宥めるように落ち着かせ、私は記憶魔法を発動させてメッセージの再生を選んだ。

 貝殻の隙間から少々大きめのシャボン玉が撃ち出され、天井と地面の中間で制止するまでは今まで使って来た記憶魔法と同じだ。しかし、唯一違うのはシャボン玉に映し出された映像には、私の記憶には無い―――メリルの姿が映し出されていた事だ。


【こんにちは、アクリル】

「おかーしゃんだ!」


 シャボン玉の中に居るメリルが娘の名前を告げると、アクリルは飛び跳ねんばかりに喜んだ。実物でないとは言え、どんな形でも母親との再会を喜ぶのは当然と言えば当然の事だ。

 シャボン玉に浮かび上がった母の姿を矯めつ眇めつして喜ぶアクリルを尻目に、私は彼女の映像を見て疑問を抱いた。メリルから記憶魔法を授かった時は状況が状況だっただけに直ぐに思い至らなかったが、よくよく考えるとやはり妙だ。

 上手く言い表せないが、それでも敢えて言葉を絞り出すとすれば『準備が良過ぎる』の一言に尽きる。あの切迫した状況でメッセージを作れる余裕なんて無かった筈だ。なのに、彼女は二つのメッセージを私に預けてみせた。


 何時メッセージを作ったのか?――恐らく事前に作っていたのではないのか。

 何故メッセージを作る必要があるのか?――こういう出来事が起こる可能性を予期していたのではないのか。


(まさか……最初からアクリルに何かを打ち明ける為に用意していたのではないだろうか?)


 問題はという点だが、今は映像から流れるメリルの言葉に耳を傾ける他なかった。


【この映像を見ているという事は、その時がやって来たという意味ね。叶うことならば、ずっと内緒にしておきたかった。真実から目を背ける生き方も可能だけど、だからと言って真実から逃れられないし、真実を無かった事に出来る訳でもない。それに、どんな生き方をするかはアクリルの人生次第。私に口を挟む権限なんてないわ】

「うーん、おかーしゃんの言ってることむずかしい……。ガーシェルちゃん、分かる?」

『まぁ、分かり易く言えば……アクリルさんに隠していた秘密があって、それを打ち明ける為にメッセージを残したと告白している――という感じですね』

「へー、そうなんだ! でも、秘密ってなんだろうね?」


 アクリルは秘密と聞いて期待に胸を躍らせて表情を輝かせるばかりだが、私は映像のメリルの口調からある事実を読み取った。

 恐らく、メリルが語り掛けているのは今のアクリルではない。もっと後……一人前の女性として自立しているアクリルにだ。だから、アクリルぐらいの子供じゃ理解が難しい言葉を並べているのだ。

 逆を言えば、メリルはアクリルが自立出来るぐらいの精神年齢に達するまで秘密を明かす気は無かったという事か。それだけ秘密に関する理解が難しいのか、はたまた今の幼いアクリルで受け止めきれない程に秘密が衝撃的なのか……。


【この秘密はアナタに様々な影響や衝撃を与えるかもしれない。もしかしたら残酷とすら思えるもしれないけれど、アナタの出生を語る上で避けては通れない。だから……心して聞いてね】


 母親(メリル)の真剣な表情と、それでいて娘を思い遣る慈しみの籠った眼差しにアクリルも釣られて真面目な顔を浮かべてジッと直視していると、シャボン玉に映し出された彼女は重々しく――躊躇いがちにも見える――口を開き秘密を暴露した。


【私達は―――アクリルと血が繋がっていない。実の親子じゃないの】

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