第50話 二通のメッセージ 後編

【私達は―――アクリルと血が繋がっていない。実の親子じゃないの】

『………え? あ? え、ええ!?』


 その秘密の告白に、アクリルではなく私が動揺を露わにしてしまった。あれだけ仲睦まじい理想のような家族を傍で見て来ただけに、今更になって血の繋がりが無い偽りの家族だったという事実が信じられなかった。

 チラリとアクリルの方を見ると、彼女の表情には感情の欠片が微塵も残されていなかった。というか、魂そのものが逃げ出して人間の形をした抜殻が残されているかのような見事なまでのショック状態だ。私が触手を眼前でヒラヒラと動かしても反応が無い。こ、こりゃ重傷だ……。主にアクリルさんの精神が!!


『あ、アクリルさん! お気を―――』

【ごめんなさい、アクリル。この事実を今まで内緒にしていて……】私の言葉をメリルのメッセージ音声が遮る。【今更こんな事を言っても言い訳にしかならないかもしれないけど、出来ればアクリルに聞いて欲しいの。私達の過去を】


 そう話すメリルの表情には悲壮感が満ちていた。それは自分の苦しい過去を打ち明けるからというよりも、アクリルを傷付けはしないかという危惧の割合が遥かに大きいように見える。

 茫然としていたアクリルも母親の声で意識を取り戻したらしく、瞳に輝きを取り戻していた。その時の目の潤いが通常よりも2割増しになっているのは、決して気のせいではない筈だ。


【お母さんは昔、王都で働いていたの。町医者の一人としてね。そこで騎士として働いていたお父さんと出会い、私達は恋に落ちて結婚したの。

 でもね、私達にはある問題があったの。子供が出来ないという問題が。それが病気によるものなのか、体質の問題なのかは分からないけど……王都の医者や専門家ですら匙を投げられた挙句に言われたわ。子供は諦めなさいと。それを面と向かって言われた時は、何度涙した事かしら】


 私が人間だった前世でも、子供を儲けられないという悩みに苦しみ夫婦は存在した。只、其方前世では医学の発展に伴い不妊治療や体外受精という方法が編み出されており、そのおかげもあって出生率は幾分か向上している。

 だが、この異世界における医療技術は前世と肩を並べる程に発展しているとは思えない。現にメリルの言う様に王都の医師や専門家ですらあっさりと匙を投げるのだから、そっち方面の技術は未成熟と見るべきだろう。


【医者に言われても私達は諦めなかった。ううん、諦め切れなかったと言うべきかしら。様々な方法を試したわ。親友から得た噂話から、眉唾や信憑性に欠ける方法に至るまで。でも、結局駄目だった。もう子供は手に入らないかもしれない。そう思っていた私達の下に思わぬ奇跡が訪れたの】


 俯き加減で喋っていたメリルが徐に顔を上げ、真っ直ぐに見詰めるような視線を飛ばした。まるで自分のメッセージの前にアクリルが居ると確信しているかのように。


【アクリル、貴女が私達の下へやって来たの】

「アタシが……?」

【今でも覚えているわ。雨風が激しかった寒冷期の真夜中、ガーヴィンが……お父さんが布に包んだアクリルを連れて来てくれたの。その時はお父さんが何処かから赤ん坊を誘拐したんじゃないかって思わず疑っちゃったわ。まぁ、結局は私の誤解だったんだけどね】


 クスクスと鈴を転がすように一頻り笑うと、陰のある微笑を携えたまま話を続けた。


【正直に言うと最初は迷ったのよ。突然やって来たアクリルを私達が育てても良いのかってね。ううん、違うわね。子供も碌に作れない二人に育てられるのかと言うべきね。らしくなかったけど、当時はかなり弱気になっていたしね。

 それに自分達の子として育てても、何かの拍子で本物の両親という存在に気付けば、私達が夢見た家族は一瞬で瓦解してしまうんじゃないのか……。そんな抵抗や葛藤、恐怖も少なくはなかったわ】


 そこで言葉を切ると、それまでの薄暗い雰囲気から徐々に明るい雰囲気へと持って行くかのようにメリルの言葉に活気が含まれ始めた。


【でもね、そんな私の不安を拭ってくれたのは他ならぬアクリルよ。その時は赤ん坊だったから覚えていないでしょうけど、お父さんの腕の中からジッと私の顔を見て、小さい手を必死に伸ばして私を求めてくれたのよ。私が恐る恐る手を伸ばせば、その指先をしっかりと握って貴女は私に笑い掛けてくれた。

 赤ん坊ならば誰もが見せる反応かもしれない。けれど、子供を作れなかった私達にとっては物凄く感動的な事だった。そして理解もしたわ。この小さな赤子は私達を必要としてくれている。それに応えないのは親として生きる資格も覚悟も無いと自ら放言するも同然だって。

 それに気付いた途端、自分が悩んでた不安や葛藤が、些細で小っぽけなものに思えたわ。あとはアクリルの知るようにパラッシュ村へと移転し、私達の生活が始まったのよ】


 そこでメッセージの言葉が一旦途切れ、漸く私はアクリルの様子を窺う事が出来た。血の気の良かったかんばせは寒水を浴びせられたかのように蒼褪めており、母親に向けている瞳の焦点もぶるぶると小刻みに揺れ動き、明らかな動揺と困惑が見て取れる。


「が、ガーシェルちゃん……」

『大丈夫ですか、アクリルさん?』


 漸く絞り出せたアクリルの声は今にも砕けてしまいそうな程に罅割れており、彼女の精神状態が大丈夫ではない事を明白に物語っていた。しかし、私は安請け合いにも似た気休めの言葉を投げ掛けるのが精一杯であった。そしてアクリルはポツリと不安を漏らした。


「何で?」

『え?』

「何でアクリルは本当のおとーしゃんとおかーしゃんから捨てられたの? もしかしてアクリルが、あの黒い人達に狙われるから? だからアクリル捨てられたの?」

『あ、アクリルさん……!』

「アクリルを拾ってくれたおとーしゃんとおかーしゃんは、アクリルを拾ったからこうなっちゃったの? もしアクリルを拾わなかったら、おとーしゃんとおかーしゃんは死ななかったの?」


 アクリルの口から大量の水分を含んだ汚泥のような不安が溢れ出し、歯止めを掛けようと思いつつも彼女に掛けるべき言葉を見出せなかった。

 下手な気休めを言えば彼女の逆鱗か感情の琴線に触れかねないと、良く言って空気を読んで、悪く言えば怖じ気付いてしまったからだ。私が小心者であるという事実を鑑みると、後者の念が強いだろう。

 だが、そんな優柔不断な消極的姿勢が災いを呼び寄せようとしていた。彼女の髪の毛がブワリと逆立ち、魔力が溢れ始めたのだ。

 感情の暴走に伴う魔力の放出、そこで私は魔力封じのブレスレットを返して未だ貰っていない事実を今更になって気付き、内心で舌打ちを飛ばした。


(くそっ! アクリルさんの魔力が! このままじゃ廃村の二の舞だ!)


 何とか止めなければという思いに駆られてアクリルの名を呼ぼうとした声は、無意識に飲んだ息と共に喉奥へと押し込まれてしまった。

 アクリルの澄んだ目が絶望色に濁り、そこからボロボロと彼女の不安を体現したかのように涙の滴が柔らかな頬の輪郭に沿って流れ落ちて行く。この世の終わりを直視したかのような表情を子供にさせてはいけないと思う一方で、彼女の胸中を察すると掛けるべき言葉が見当たらなかった。


「だったらアクリルが居ない方が良かった! アクリルが居なかったら、おと-しゃんとおかーしゃんは死ななかった! こんなことになるんだったらアクリルは捨てられたまま死んじゃった方が―――!!」

『アクリルさん!!』


 パチンッと乾いた音が空気中に響き渡る。私が繰り出した触手が彼女の頬を叩いたのだ。小さい羽虫を倒せるかもどうかも怪しい程度にまで威力は弱めておいたが、それでも彼女の自暴自棄を止めるには十分な効果を発揮してくれた。

 アクリルはまさか私に頬を叩かれるとは思っていなかったのか、驚いた表情のまま茫然としていた。やってしまったという後悔は無かったでもないが、それでも彼女に言わなければならない。


『突然の無礼をお許し下さい。そして出過ぎた真似かもしれませんが、敢えて言わせて貰います。アクリルさん、自分が死んだ方が良いなんて言ってはなりません。アクリルさんのお父さんとお母さんは、アナタと出会えた事で救われたのです。もしアナタと出会えなかったら、二人の人生は悲惨極まりない結末を迎えていたかもしれないんですよ?

 あの二人にとって、アクリルさんは大切な宝物であったことは確かです。そんな二人の想いを無下にするのは、例えアクリルさんでも許しませんよ』


 ソッと二本の触手を伸ばし、アクリルの顔を優しく挟み込む。感情が昂っているせいか温度が高く、触手に当たる涙に熱が籠っているみたいだ。


「でも……アクリルのせいで……」

『そもそも、お二人との出会いはアクリルさんの責任ではありません。御二人は赤子を望んでおり、そこに偶々赤ん坊だったアクリルさんと出会われたに過ぎません。このような未来になるなんて誰にも想像出来やしませんし、成す術なんてありません。それに未来が分かっていたとしても、二人がアクリルさんを手放すとは思えません』


 そうきっぱりと告げてやると、アクリルの瞳から悲哀の色が幾分か薄れた。子供というのは単純で無邪気なように見えて、結構自分の内面に様々なモノを溜め込む節がある。それを見極めて上手くガス抜きしないと、すぐにパンクしちゃうから気を付けないとね。


「じゃあ、何で本当のおとーしゃんとおかーしゃんはアクリルを捨てたの?」

『それは―――』


 何故アクリルの実の両親が彼女を手放したのかについては、私も『謎である』の一言に尽きる。どのような経緯で本当の両親がアクリルを手放したのかが分からない以上、私がどんな言葉を述べても可能性や憶測にしかならない。

 そして言葉に詰まらせ掛けた時、再びシャボン玉のメッセージからメリルの音声が流れ始めた。


【このメッセージを聞いているアナタが、もし大人ならば事実を受け入れられるかもしれない。でも、そうでない時はもう一つのメッセージを御覧なさい】

「もう一つの?」

【もう一つのメッセージには、お父さんの言葉が込められているわ。全ては難しいかもしれないけど、ご家族の話を多少は聞ける筈よ】


 その一言が出た途端、アクリルのかんばせに刻まれた感情はハッキリと二分化した。家族の話を聞けるという期待と、家族に捨てられた理由を聞かされる恐怖とにだ。しかし、これを聞かない事には先にも進めない。アクリルに選択肢なんて無いに等しいのだ。


【私のメッセージはこれで御終い。今更だけど、このメッセージは私の身に万が一の事が起こった場合を想定して作ったの。私の口から真実を語れればメッセージに残す必要は無かったのでしょうけど、これが流れているという事は私の身に何かが起こってソレは叶わなかったと見るべきね】


 そう言ったメリルの表情は悲しさよりも無念さが前面に出ており、実の娘同然であるアクリルの成長を見届けられなかった母親の寂寥を物語っていた。


【これを見ている頃、アクリルが何歳なのか、どんな風に育っているのかは、私にも全然見当が付かない。でも、これだけは覚えていて頂戴。私達にとって貴女は大切な娘よ。血は繋がっていなくても、私達の間には確かに家族の絆があった。それは私とガーヴィンにとって、何物にも代え難い大切な宝よ】

「おかーしゃん……」

【だから、アクリル。希望を捨てないで。健やかに、そして幸せに生きて頂戴……。それが私の唯一無二の願いよ。可愛いアクリル。私達の為に生まれて来てくれて、有難う】


 メリルがニコリと微笑むのと同時に映像が途切れると、泡はパチンッと音を立てて弾け飛んだ。泡が弾け飛んだ後も暫し何も残っていない空を眺めていたが、意外にもアクリルの方から静寂した雰囲気を破ってきた。


「ガーシェルちゃん」私の方へ頭を振り向けるアクリル。「次のメッセージも見よう」

『え、ええ。分かりましたが……アクリルさんは大丈夫なんですか?』


 アクリルのような幼子に連続して難解なメッセージを聞くのは頭が痛いだろうし、何よりも思わず真実の連続で精神が持ち堪えられるかどうかが不安だった。けれども、そんな私の不安を一掃するかのようにアクリルは満面の笑顔で断言した。


「アクリルは本当のおとーしゃんとおかーしゃんのことを知りたい。それに大丈夫だよ。どんなことを言われても、アクリルには今のおとーしゃんとおかーしゃんが居てくれた。それで良いもん」

『……分かりました』


 アクリルの笑顔はそれまでの不安を吹き飛ばす破壊力を秘めており、私を安堵させるには十分であった。そして次の記憶魔法メッセージを発動させると、シャボン玉にはメリルの言った通りガーヴィンの姿が映し出された。


【アクリル、元気にしているか? お父さんだぞ】

「おとーしゃん……」

【お父さんもこうしてメッセージを残した訳だが、もう既に大まかな話はお母さんから聞いている筈だ。俺から話せるのは、どうしてアクリルが私達の下へやって来たかだ。しかし、これだけは先に言っておきたい。お父さんもアクリルの両親とは顔を合わせていない。だから、両親がどういう人物なのかは知らないんだ】

「『え!?』」


 まさかのカミングアウトに私とアクリルの驚きの一声が思わずハモッてしまう。いやいや、そりゃないでしょう。折角期待していたのに、両親の事に付いては分かりませんって……。

 チラリと横目を向ければ、アクリルがしょぼんと落ち込んじゃってるじゃありませんか。どうしてくれるんですか!


【だけど、勘違いしないでくれ。決してアクリルの両親は、喜々と望んでお前を手放した訳ではない。彼等もまた危険の真っ只中に身を置く存在であり、止むを得なかったんだ】


 そう語るガーヴィンの表情に必死さはなく、只々事実を述べようとする真剣さだけがあった。ここでもし必死さが前面に出ていれば言い訳を取り繕っているだけではと疑念を抱くが、それが無かったことが返って真実味を増していた。

 そしてガーヴィンは一息吐き出して間を置くと、自分とアクリルが出会った時について語り始めた。


【既に聞いているだろうが、俺とメリルはラブロス王国の王都で出会い、恋に落ちて結婚した。しかし、夫婦の身でありながら俺達は子宝に恵まれなかった。その時のメリルは酷く憔悴し切っていてな、子供が出来ないのは全部自分のせいだと思い込んでいた。

 挙句には別れを告げて来た事もあったよ。多分、俺の身を思っての事だったのだろうけど、俺は突っ撥ねたよ。子供が出来ないからと言って、それを理由にメリルと別れる気なんて更々無かったからな】


 フッと明るく笑ったのも束の間、直ぐに何処か寂し気な影を顔に落とした。


【でも、正直に言えば子供は欲しかった。メリルがどう思っていたかは知らないが、俺個人としては血は繋がっていようがいなかろうが構いやしなかった。只、俺達の手で子供を育てられれば、それで十分だった。

 そんなある日のことだ。自分が勤めていた銀の槍シルバーランス……ラブロス王国の王都防衛部隊の事だが、そこの大隊長補佐官に呼び出しを受けたんだ。嵐が近付いていて、雨風の激しい日だった。

 補佐官が待つ庁舎に行くと、そこに補佐官だけじゃなく大隊長も居られた。そして大隊長の腕には……まだ赤子だったアクリルが後生大事に抱えられてたよ。俺はその光景に目を丸くしていたら補佐官が仰られたんだ。

“ガーヴィン、キミに頼みがある。銀の槍を抜け、キミの生まれ故郷でこの赤子を育ててくれないか?”……ってな!

 突然の申し出に俺は反論はおろか、目を白黒させるので精一杯だったよ。だけど、補佐官はこっちの疑問なんて見て見ぬ振りをしてスラスラと真面目に説明を続けるし、大隊長殿も俺が首を縦に振る事しか認めないっていう頑固な眼差しを注いでくるし、下っ端の俺がおいそれと口を挟めるような安易な空気じゃなかった】


 その時の遣り取りを思い出したのか、ガーヴィンは肩を竦めながらやれやれと諦めがちに首を振った。上司との遣り取りは、ガーヴィンにとっては余り良い思い出とは言えないようだ。


【補佐官の話によれば、アクリルの父親は王家と所縁のあるやんごとなき御人であり、世界各国を旅する冒険者だったようだ。そして彼はある国を訪れた時、そこで出会った一人の女性と恋に落ちた。そして誕生したのがアクリルだ。

 しかし、アクリルが生まれた年に隣国からの侵略を受けてしまい、瞬く間に戦火が広がってしまった。しかもアクリルの母親は国家の要職を担う重鎮だったらしく、彼女と結婚した父親も隣国に標的として睨まれてしまったそうだ。

 そんな二人の間で生まれた子供を隣国が見逃してくれる筈がない。そう考えた父親は我が子を戦火から逃がす為に命辛々国を脱出した後、ラブロス王国へと逃げ延びてアクリルを信頼出来る王家の関係者に託したという訳だ。その後の彼の行方は分からないが、恐らく妻を救う為に戦火に呑まれた彼方の国へと舞い戻ったのだろう。

 そして王家の関係者から大隊長殿の手に渡り、丁度子供を欲していた私の手に渡ったのだ。因みに王都ではなく、俺の生まれ育ったパラッシュ村で育てたのは、王都だと人混みの中にアクリルの命を狙う暗殺者が紛れる恐れがあり、敢えて守りの薄そうな田舎に送り出す事で敵の目を欺くという補佐官の考えに寄るものだ】


 成程、段々と話が見えて来たぞ。アクリルの本当の両親は我が子を戦火に巻き込みたくないという理由で彼女を他人に託したのか。実の子を手放すのは心苦しい事だろうが、我が子を守る為ならば血の滲む決断も辞さないという覚悟が見え隠れしている。


【アクリルの父親は我が子を託す際、こんな伝言を残した。

“自分は我が子に直接愛情を注いでやれない。この子の為に何かを成してやれる事も出来ない。自分に出来るのは、この子が平穏で健やかに育ってくれるよう祈るだけだ。それさえ叶えば、この子が私や妻の存在を知らなくても構わない。いや、それがこの子の幸せに繋がるのならば、寧ろそうすべきだ”――と】


 娘の幸せの為ならば、実の父親や母親を知る必要はない……か。どうやらアクリルの両親が好き好んで実子を手放したという可能性は極めて低いようだ。同時に、父親にそう言わせる程の危険が迫っていたのも事実という訳か。

 すると映像に映っているガーヴィンが腰辺りに手を回し、ある物を徐に持ち出した。それは山賊襲撃の際に大活躍したホーリーベルであり、アクリルも見覚えのあるソレを見るや「あっ!」と驚きに満ちた反応を示した。


【この鈴だが……実は魔法具と呼ばれる特殊なアイテムでな、アクリルの本当のお父さんから預かった物なんだ。娘が物心付いたらコレを渡して欲しい、そう言ってな】

「アクリルの、本当のおとーしゃんが……」

【これを見ているお前が魔法具の価値をどの程度理解しているかは分からない。だが、これだけは断言出来る。アクリルに与えられたこの魔法具は、この世界でも数点しかないと言われる貴重な聖魔法具の一つだ。

 そんな貴重な物を我が子の身を案じて惜し気もなく渡すんだ。お前の本当のお父さんは、きっと離れ離れになっても何かしらの形でアクリルを守りたかったに違いない筈だ。それだけは確かだ。だから、今後も大事に持っていなさい】


 一瞬だけフッと柔和に口角を釣り上げたかと思うと、直ぐに表情の筋肉を厳格に引き締めたガーヴィンは重要な情報を語り始めた。


【アクリルの本当の両親に関する安否は今となっては分からない。だが、もし何かしらの情報が欲しかったら王都に行きなさい。そして王都に居る『銀の槍』の大隊長ジルヴァ、もしくは大隊長補佐官ヘルゲンを頼りなさい。俺の名前を出せば、きっと向こうも何かしらのアクションを示してくれる筈だ】


 と、そこで語るべき話が尽きたらしく、ガーヴィンは続いて何を言おうか迷っているのか後頭部をガシガシと掻きながら「あー……」と明後日の方向に目を泳がせていた。やがて言うべき言葉を頭の中で纏めたのか、はぁっと緊張の籠った溜息を吐き出すと映像の向こうに居るアクリルを真っ直ぐと見据えた。


【アクリル、お前がコレを見て何を思っているのかは俺には分からない。もしかしたら俺達と喧嘩して嫌いだと思っているかもしれない。事実を知ったショックで打ちひしがれているかもしれない。

 だけど、俺はアクリルの父親になれて本当に幸せだったよ。お前のおかげでメリルは母としての喜びを味わい、俺も父として我が子を守る尊さを学ぶ事が出来た。何よりも家族という夢を果たせたんだ。この上なく嬉しいってもんさ。

 最後になったけど、アクリル……本当に有難う。俺とメリルの為に生まれて来てくれて。血は繋がっていなくても、お前は俺達の自慢であり宝だよ。それだけは覚えておいてくれ。じゃ、元気でな】


 そこで泡がパチンッと弾け、メッセージは終わりを告げた。何もない虚無の空間を暫し見上げた後、ゆっくりとアクリルの方へ目を遣れば、彼女は肩を震わせていた。嗚咽は漏れていないが、今にも決壊しそうなまでに目の内にため込んだ涙と赤らんだ頬は彼女の感情を露わにしていた。


『アクリルさん? 一体どうなさいました……?』

「あ、アクリルは……おかーしゃんと約束したもん……! もう泣かないって……! 我慢するって……!」


 ああ、そういうか。この子は亡き母との約束を守らんとして耐えているのだ。それが家族の繋がりであったという証明になるのかもしれないのだろうがしかし―――


『アクリルさん、違いますよ。アクリルさんのお母さんが言った“我慢”は“諦めない”という意味です。今、アクリルさんがしているのは感情を殺し、心を死なせているだけです。そんな事してもアクリルさんの御両親は喜びませんよ?』


 しゅるりと触手を伸ばしてアクリルの身体を抱き締めてやれば、彼女の口から食い縛るような嗚咽が漏れ始めた。震えた背中を優しくトントンと優しく叩けば、くしゃりと顔が歪んで涙が零れ始めた。


『誰かが死んだ時は悲しいですし、涙を流すのは当然なんです。ですので、アクリルさん。我慢しなくても良いんです。きっとメリルさんとガーヴィンさんも、今日ばかりはソレを許して下さる筈ですよ』

「うっ……うああああああああん!!」


 我慢しなくても良いという言葉が引き金となったのか、アクリルは盛大に声を上げて泣き出した。実の両親に捨てられた訳ではないという安堵感もあるだろうが、何よりも自分を育ててくれた両親との決別を改めて認識したのが想像以上に堪えたに違いない。

 私は触手を器用にくねらせ、彼女が泣き止むまで延々と背中を摩り続けた。主人であるアクリルもまた私の貝殻に幼い顔を押し付けて、感情を吐き出し続けた。

 やがて30分ほどそうしていると、アクリルは漸く私の貝殻から顔を離した。目元をゴシゴシと擦って涙を拭い取るも、泣き腫らした目はボンボンに腫れ上がっており見ている者に痛々しさを訴える。


「ガーシェルちゃん」

『何ですか?』

「……ありがとうね」

『どういたしまして』


 小さい声ではあるが、感情の籠った一言は私の鼓膜にハッキリと焼き付いた。もし私に表情があれば、思わず頬が弛んでいたに違いない。だが、すぐにアクリルが子供には似合わぬ決意に満ちた眼差しを浮かべると、それに釣られて私の表情も引き締まった。


「それでね、ガーシェルちゃんにお願いがあるの」


 お願いとは何ぞや――なんて質問は無粋だ。先程のメッセージからの会話、そして今のアクリルの表情が全てを物語っているも同然だ。


「アクリル、王都に行って本当のおとーしゃんとおかーしゃんのこと知りたいの」


 その一言が私とアクリルを取り巻く運命に一つの道筋を付けた―――後に私はそう語る事となる。

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