第47話 まさかの兄弟でした

 火の付いたかのように夜通し泣き続けていたアクリルだったが、夜空が白ばみ始めた頃には泣き疲れ、私の貝殻の上でスヤスヤと眠っていた。無理もない、この24時間の内に起こった出来事の数々を考えれば、幼児の肉体や精神には酷としか言い様がないのだから。

 また今後の事とかを考えると不安と問題が目に見えて山積みだが、今はこれで良しとしよう。と、思考に残る問題を後回しにすると何処からか聞き覚えのある声がやって来た。


「おーい! 大丈夫かぁー!」

『あれは……ヤクトさん!』


 朝焼けに照らされた霧の向こうに人影が見え、暫くするとヤクトが実態の無い霧のベールを突き破るかのように現れた。彼の背後には見知らぬ大人が数人同行しており、手には鍬やピッチフォーク(干し草等を持ち上げる巨大なフォークに似た農具)を持っている。

 どれもこれも初対面だが、オークションの為に子供を攫っていた連中に比べれば無害且つ実直そうな感じだ。信頼云々はさて置き、安心ぐらいはしても良いだろう。


「遅うなってスマンなぁ。そっちも姫さんを無事に救出したみたいやな」


 チラリと貝殻の上で眠るアクリルを見て、万事が上手く行ったのだなとヤクトは判断した。すると泣き疲れて眠っていたアクリルがパチリと目を開け、騒がしくなり出した周囲を寝惚け眼で見回した。

 そして見知らぬ大人達を見るや慌てて私の上から降りるや、大人達の視界に入らぬよう私の後ろへと隠れてしまう。どうやら人攫いの一件で、人見知りを発症してしまったようだ。


「何やエラいビビられとるけど……もしかして勘違いされてへん?」


 アクリルの過敏なまでの反応に何かを察したヤクトは、少し複雑そうに苦笑いを浮かべながら私に向けて愚痴を零した。うん、「もしかして」ではなく「もしかしなくても」ですね。だけど、このままじゃ話が進まないし一先ずアクリルを安心させよう。


『安心して下さい、アクリルさん。此方の黒マントのお兄さんは、アクリルさん達を助けようと私に協力してくれた方です』

「……ほんとう?」

『ええ、本当です。私を信じて下さい』


 私がそう言って促すと、アクリルは私の背後から恐る恐る前へと踏みでた。誤解が解けた軽い溜息を鼻から吐き出しながら安堵したヤクトは、彼女の前に片膝を着いて視線を合わせた。


「初めましてやな。俺っちの名前はヤクト。このシェルには俺っちの仕事を色々と手伝ってもろたんや。おかげで人身売買の犯人は捕まえたし、嬢ちゃん以外の子供も助けられた。魔獣がやって来るのは計算外やったけど、結果だけを見ればめでたしめでたしや」

「みんな、たすかったの!?」

「せやで、皆無事や。これも全部シェルのおかげや。ほんま、お嬢ちゃんの従魔は良いヤツやな」


 自分が閉じ込められていたのと同じ牢屋――と呼ぶには狭過ぎるケース――に閉じ込められた子供達の姿がアクリルの脳裏に過る。そしてヤクトから全員無事救出されたと聞かされると、自然と彼女は綻み笑顔が生じた。


「良かったね! ガーシェルちゃん!」

「ガーシェル? それがコイツの名前かいな?」

「うん! この子はガーシェル! アクリルの大事な従魔で友達だよ!」

「ほー、そうなんかぁ。ガーシェル、おおきになぁ。こっちも仕事が捗ったわ」


 私の活躍を称賛するかのように大小の手が親しみと感謝を込めて貝殻に触れ、心地良い人肌の温熱が貝殻越しに伝わって来る。いやぁ、こんな風に褒められると逆に恥ずかしさすら覚えてしまいそうですね。


「おーい! どうじゃった! その子は居たのか!?」


 その場に一際野太い男性の声が響き渡り、正面に密集していた大人達の壁がサッと左右に分かれて道を作った。そして拓かれた道から急ぎ足で登場した男性を見た瞬間、私はギョッと我が目を疑った。それはアクリルさんも同じ立ったらしいが、彼女の場合は疑うよりも先に身体が動き出していた。


「バルドーのおじいちゃん!!」


 丸太のような腕に大樽のような身体、そしてサンタクロースにも勝るとも劣らぬ長い髭。その姿は何処からどう見てもバルドー本人だ。

 しかし、彼もまたパラッシュ村から私達を逃がす為にガーヴィン共々犠牲になった筈では……と疑問に駆られる私の心中なんて知る由もなく、アクリルは懐かしい顔触れに出会えた事に安堵の極みに達し、感涙を流しながら彼の出っ張った下腹部に抱き付いた。

 バルドーに似た老人はアクリルの突然の行動に少し目を見開いたものの、直ぐに老人特有の穏やかな眼差しを浮かべ、年季の入った無骨な手で彼女の頭を優しく撫でた。


「バルドーという事は、やはりお前さんはパラッシュ村のアクリルと――」チラリと私の方へ目を向ける「――その従魔じゃな?」


 その口振りに私は違和感を覚えた。私だけでなく抱き付いているアクリルも同様の違和感を覚えたのか、腹部に押し付けていた顔を持ち上げ、不思議そうな面持ちで老人を見上げた。

 他人行儀過ぎる口調は、私達の記憶に残っているバルドー像から懸け離れていたからだ。そして私達が覚えた違和感に対する答えは、あっさりとバルドーに似た老人の口から告げられた。


「私の名前はヨルドー。バルドーの実兄じゃよ」


 そう言ってヨルドーはバルドーの豪胆さを差し引いたかのような控え目の笑みを、アクリルに差し向けたのであった。



 その後、私達はバルドーの兄にあたるヨルドーの計らいで、彼が居住を構えて生活している村――ガダン村へと案内された。廃村から北北西へ7~8kmほど進んだ先に、その村はあった。

 私達の居たパラッシュ村みたいな自然の湾岸を利用した漁村とは異なり、山間に作られた村には人の手が多く付け加えられていた。

 切り拓かれた左右の山の斜面は階段のように盛土と整地が施されており、その上には様々な野菜を植えた畑が設けられている(俗に言う段々畑)。それが稜線の端まで延々と続き、前世の日本史で紹介された豪農という単語が脳裏に閃いた。

 そして斜面を下った先には異世界の平民にしては立派な木造家屋が――土地の高低差が多少あれど――軒並みを連ねていた。パラッシュ村も立派な漁村だったが、ガダン村も農村として見れば間違いなく規模の大きい部類に入るだろう。


「わー、すごいねー! ガーシェルちゃん!」

『ええ、そうですね。私は此方に足を踏み入れた事が無かったので、凄く新鮮に感じられます』


 アクリルもパラッシュ村以外の村へ入るのは初めてらしく、目をキラキラと輝かせながら辺りを見回している。落ち込んだり悲しんだりと昨日は散々な目に遭ったが、少しでも気を紛らわせてくれれば何よりだ。

 そしてアクリルを乗せたまま村の中枢に向かって進んでいると、何処からともなくワッとガダン村の人々が私達の周りに殺到した。まさか魔獣が来たと勘違いして討伐しようとしているのではと危惧したが、人々の表情が感謝と喜びに溢れているのに気付いて「あっ、違うなこりゃ」と安堵感を抱いた。そして私の予想は見事に的中した。


「貴方達のおかげで娘が……子供達が救われた! 有難う!」

「これで子供達が誘拐される心配も無い! これで事件は解決だ!」

「有難う御座います! 孫を救って下さり、本当に……!」


 後々でヤクトから聞かされた話によると、私達の周りに集まった人々は例の違法オークションを取り仕切っていた三人組によって誘拐された子供達の親や親族関係者だそうだ。

 どんな説明を受けたのか詳細は定かではないが、大まかに言えば私やアクリルの働き(後者は偶然だが)によって子供達が救出されたと聞かされており、直に恩人と会って御礼と感謝の言葉を告げたいという一心で私達の元へやって来た……という訳だ。

 うーむ、感謝されるのは嬉しいけど、こうも寄って集られた挙句に人混みが生まれるとなぁ……ぶっちゃけ動き辛くて面倒です。

 因みに私達と同行しているヤクトにも村人が殺到しているが、此方は持ち前の甘いマスクをフル活用しながら、次から次へと途切れる間もなく感謝を述べてくる村人達と上手く向き合っている。正しく神対応と呼ぶに相応しい捌きっぷりだ。


「ねぇ、アナタ!」

「え? あっ! あの時のおねーちゃん!」


 のろのろ運転をしていた傍らからアクリルと然程変わらない年頃の声が聞こえ、右手に目を向ければアクリルよりも2~3歳ほど年上の少女が、純朴な眼差しで貝殻の上に乗るアクリルを見上げていた。アクリルと知り合いだったのか、互いに交わす言葉は軽く弾んでいた。


「おねーちゃん、ぶじだったんだね!」

「ええ、私だけじゃないわ。他の皆も無事よ。これもみんなアナタ達のおかげ! 本当に有難う!」


 成程、彼女もまたアクリル同様に誘拐され、売られそうになった被害者の一人なのか。そりゃ大喜びするのも当然だわな。それでも少女は興奮冷めやらぬ様子で、頬を紅潮させながら歓喜を爆発させた。


「あの時はダメかと思ったけど……また家族に会う事が出来るなんて、本当に奇跡みたい!」

「あ……」


 家族という単語が出て来た途端、私は内心で「あっ!」と叫んでいた。だが、一度外に出てしまった言葉を回収して無かった事にするのは不可能だ。故意ではなかったとはいえ、家族を失ったばかりのアクリルの心に少女の一言は剣同然に深く突き刺さり、瘡蓋も出来ていない傷口を広げた。


「あれ、どうかしたの?」


 幸いにも泣いたりはしなかったものの、しょんぼりとあからさまに落ち込んだアクリルの表情は注目の的となるには十分だった。私はどうにかして追及の手を止めさせないといけないと思いながらも、どうやって場を切り抜ければ良いのか悩んだ。だが、そんな私の悩みに応えてくれるかのように、先を進むヨルドーが救いの手を差し伸べてくれた。


「これこれ、感謝や御礼を言うのは結構だが客人自身も色々あって疲れておるんじゃ。そういうのは後にして、今は道を空けてやりなさい。向こうさんも身動きが取れずで困っておるではないか」


 パンパンッと手を叩いて注目を集めた後、そう言って軽く嗜めると村人達は一定の理解を示したらしく、左右に別れて道を譲ってくれた。視界が開けてホッと胸を撫で下ろすと、先導に立ったヨルドーの後を追って村道を進み始めた。

 家族の話題について深い追及が無かったおかげで、一時は落ち込んでいたアクリルにも幾分か笑顔が戻ったが、それでも微かに表情を強張らせるは隠しようがなかった。

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