第46話 ごめんなさいと仲直り

「ギギギギギギ!!!」

『ぐぬぬぬぬぬ!!』


 デスサイズ・マンティスボスカマキリの鎌と私の貝殻が激突し、鍔迫り合いにも負けぬ鋭い音が廃村に鳴り響く。但し、傍から見ると鍔迫り合いと言うよりも鋭利な矛と頑強な盾が意地を張り合っている風にしか見えない。

 ところで何の関係も無いし脈絡も無い突拍子な話になってしまうが、矛盾という諺の由来を御存じだろうか。

 遥か遠い昔、ある商人がというキャッチコピーを売りにして武具を売っていたところ、一人の客が「その矛で盾を突いたらどうなる?」と質問して答えに窮したのが始まりだとされている。

 仮に実践して矛が勝れば盾の主張が過ちとなり、その逆ならば矛の主張が過ちとなる。要するに自分が述べた主義主張の道理を一貫出来ず、辻褄が合わなくなってしまう事を意味するのだ。

 今の私とデスサイズの戦いも、そんな矛盾の遣り取りに近い何かを感じさせる。流石にと自信を持って豪語するのは憚れるが、どちらも互いに自慢する矛と盾を持っているのは確かだ。

 既に各々の矜持を賭けて何度もぶつかり合ってはいるが、どちらか一方が有利とも不利ともならず、悪戯に時間だけが過ぎていく。良い表現で言っても五分と五分の膠着状態、悪い表現で言えば目立った結果も成果も表れない不毛な争いが繰り広げられるだけだ。

(このままじゃ埒が明かないな……。幸い、相手の取り柄は鋭い鎌だけだ。その鎌も私の貝殻を切り裂けぬと。となれば、そろそろ此方から仕掛けてみるか)

 相手の出方を窺うだけから積極的攻勢へと路線を切り替えた私は、貝殻に押し付けられていた曲刀を彷彿とさせる巨大鎌を、全身を用いて跳ね除けた。

 その衝撃でデスサイズは数歩後退するも、すぐに体勢を立て直すや馬鹿の一つ覚えのように三度鎌を振るい上げて襲い掛かって来た。しかし、私の精神に動揺や驚きの類は一切なく、至って物静かな水面を思わせる冷静そのものだった。


『その攻撃は、とうの昔に見抜いていますよ!』


 デスサイズの攻撃動作は余りにも単調過ぎる上に、この戦いで飽きる程に見て来た。最早、私に通用する程のものではなかった。それを物語るかのように私は鎌の動きを見計らって急速後退し、難無く相手の攻撃を回避した。


「ギィ!?」


 呆気なく空振りに終わったデスサイズの一撃は、私が避ける可能性すら考慮に入れないまま思い切り振り下ろされたらしく、雑草が埋め尽くす大地に突き刺さった。

 すぐさま鎌を地面から引っこ抜こうとするも、思いの外深く刺さったのか何度引っ張っても鎌はビクともしない。


『今だ!』


 これを好機と捉えた私は、溶解針を覗かせた触手をボスカマキリ目掛けて突き刺そうとした。だが、向こうも攻撃されるのを恐れてか思わぬ行動に出た。


「ギィィイイ!!」


 硬質な雄叫びを上げると、自由の利くもう片方の腕で地面に刺さった腕を関節ごと切り落としたのだ。切断面から青紫色の体液が噴出し、貝殻に数滴の返り血が降り掛かる。それを機に私が追撃の足を止めると、向こうも私から離れて距離を置いた。

 何はともあれ、デスサイズが片腕を失った事により膠着していた状況に漸く進展が生まれた。戦いの最中において片腕を失うという致命傷によって私が有利に立った……筈だ。

 しかし、だからと言って深手を負ったデスサイズを完膚なきまでに倒す気は起らなかった。あくまでも私の目的はアクリルを守る事であり、向こうが大人しく身を引いてくれれば今はそれで十分だった。


(去れ、私達の前から去ってくれ……!)


 懇願を込めながら睨み(貝殻越しなので向こうには見えていないだろうが)続けていると、デスサイズがゆっくりと身体を反転させ、私に背を向けた。


(去ってくれるか……)


 一歩ずつ確実に遠ざかっていくデスサイズの背中を見送り、私はホッと内心で安堵の溜息を吐き出した。

 まだ周囲には奴の下位互換とも呼べるサイズ・マンティスチビカマキリが居るが、彼等はオークションに参加していた顧客達の死体を貪るのに夢中だ。これで腹を満たして大人しく帰ってくれれば御の字なのだが、それは彼等の空腹具合にもよる。

 もしかしたら飢えた狼よろしく無節操に襲い掛かって来るかもしれないが、彼等のボスでさえ私の頑丈な貝殻の前に歯が立たなかったのだ。その下位互換である彼等が、私に勝てるとは到底思えないが……。

 この時の私は、そんな風な呑気で甘い考えを抱いていた。だが、身を引くかに思えたデスサイズがサイズ・マンティス達を襲い始めた途端、一気に酔いが覚めたかのように能天気な思考は何処かへと吹っ飛んでしまった。


『何……!?』


 思い掛けない突然の行動に私は目を丸くし、デスサイズを注視した。周囲のマンティス達は捕食を中断し、慌てて廃村から脱兎のごとく逃げ出したが、既に五匹以上のマンティスがデスサイズの手によって切り捨てられ、胃袋に納められていた。


『一体何を……!?』


 デスサイズの凶行に少なからぬ理由がある筈だと勘繰ろうとした矢先、奴自身が切り捨てた腕の切断面から緑色の肉が盛り上がった。そして盛り上がった肉の中から鎌が突き出すように生え、みるみると元の大きさへと戻っていく。


『まさか共食いのスキルが発動したのか……!』


 サイズ・マンティスはデスサイズ・マンティスの進化前にあたる魔獣だが、広義で見れば同族と見做されてもおかしくない。そしてあっという間に再生した鎌は更に肥大化し、最終的には元の曲刀寄りの鎌を大幅に通り越し、中世の処刑人が扱う禍々しい斧のような角張った刃へと変貌を遂げた。

 ちょ、ちょっと! これは流石に聞いてませんけど!? どうなってるんですかねと思ったら即座に鑑定スキル発動!!

 

【種族】デスサイズ・マンティス

【レベル】26

【体力】2200

【攻撃力】490

【防御力】190

【速度】310

【魔力】370

【スキル】研磨・暗視・自己修復・空中飛行・居合い・共食い

【攻撃技】鎌攻撃・噛み付き・大鎌攻撃

【魔法】風魔法


【デスサイズ・マンティス:サイズ・マンティスが通常進化した姿。鎌は凶悪な形状になり、攻撃力や鋭利さが格段と上昇している。手足を失っても暫く時を置けば自然と再生する。またマンティスを始めとする昆虫型魔獣は、同族を捕食すると再生を早めるだけでなく、より強固な部位を作り出す事が出来る】


 へー、昆虫系の魔獣って共食いスキルの効果が目に見えて現れ易いのかー……って、言ってる場合じゃない。マジですか!? てっきりコレで戦いが終わるかと思ったら、実は既に第二ラウンドのゴングが鳴っていたというオチですか!? 勘弁して下さいよー!


「ギィィィ!!」


 如何にも「復讐するは我にあり」と言わんばかりに刺々しい荒波を描いたような両目の模様が朱色に染まり、巨大化した方の腕を振り上げた。


『やばっ!』


 一目見て明らかにヤバいと確信するや、私は横へ飛び退いた。その刹那、私の居た場所に鎌が勢いよく振り下ろされ、先程と同じように刃が地面に食い込んだ。

 だが、刃が地面に触れるのと同時に斬撃を纏った衝撃波――風魔法カマイタチ――が布地を裂くように一直線に大地を駆け抜け、その先にあったオークション用の御立ち台が真っ二つ切断され、直ぐ後ろにあった大きい住宅にも衝撃波が襲い掛かり文字通り半壊した。


『あ、あんなの受けたら一溜まりもない!』


 被害の大きさに現を抜かす間も無く、デスサイズはすぐに身を翻して私に肉薄してきた。最早接近戦で演じていた互角の戦いが期待出来ない以上、私も魔法を駆使して応戦する他無かった。


『ウォーターマシンガン!』


 微かに開いた貝殻から2本の触手を覗かせ、デスサイズ目掛けてマシンガンのような勢いで発射された水の弾丸を浴びせ掛ける。しかし、向こうは巨大な鎌を盾代わりにして弾丸を難無く受け止めたばかりか、背中の羽根を広げて地面スレスレの超低空飛行で一気に間合いを詰め、もう片方の普通の鎌を下から上へと振り抜いた。

 もう片方の鎌に関しては然程怖くはない。それは先程の戦いで貝殻と競り合った経験から断言出来た。しかし、その経験が油断を招くきっかけになってしまった。

 てっきり私本体に襲い掛かるかと思われた鎌は、ほんの僅かだが横へと逸れ、私の移動と回避を賄っていた泡の車輪を切り裂いたのだ。


『しまった!』


 それに気付いた時にはバンッとタイヤが破裂する音にも似た甲高い破砕音が響き渡り、私の身体はガクリと斜めに傾き地面に接触していた。急いで車輪を再生しようとするも、既にデスサイズが巨大鎌を振り上げて好機を我が物にせんとしていた。


『硬化!!』


 車輪の再生は間に合わないと判断した私は、再生と並行しながら硬化スキルのオーラを纏った。硬化スキルを併用すれば、あの凄まじい一撃を凌げる……のではないかという期待と願望を強く抱きながら。

 だが、実際に事はそう単純ではなかった。巨大な鎌が振り下ろされたのと同時に襲い掛かる衝撃が不可視の重圧と化し、貝殻を押し潰さんとする。

 ギシギシと衝撃の圧力に耐えようとする必死な音が貝殻の至る場所……いや、全体から聞こえてくる。まるで築半世紀以上も経過したトタン小屋が強力な台風に晒され、今にも崩壊しそうな悲鳴を上げているかのようだ。

 本当に硬化スキルは発動しているのかと疑念すら抱いてしまいそうなまでに、貝殻の中に本体を置く私の精神に不安が鎌首を擡げていだ。

 そして不安は最悪の形となって実現する。バキンッと嫌な音が鳴り響き、貝殻の表面に一筋の亀裂が走っていたのだ。その亀裂は圧が強まるに連れてバキバキと不協和音を奏で、更に亀裂の範囲を拡大していく。


『や、やば……!』


 このままじゃ本当に死ぬ―――と最悪の結末を抱いた所で、幸か不幸かデスサイズの重い一撃は終了した。葉脈の模様にも似た複雑な亀裂が自慢の貝殻に刻み込まれ、真後ろを振り向けばデスサイズが放ったカマイタチの衝撃の凄まじさを物語るかのように、直線状に走る深い堀が出来上がっていた。

 アレをもう一度喰らえば、今度こそ一巻の御終いだ。アクリルを守る為にも、私はデスサイズから距離を置こうとした。しかし、デスサイズはそれを許さなかった。厳密に言えば、私の車輪さえ封じてしまえば容易に仕留められるという事実に気付いて味を占めたのだろう。

 通常の鎌を横薙ぎに振るい、風の斬撃を飛ばしてきた。それは巨大な鎌から繰り出す斬撃と比べて威力は格段に劣るが、速さに関しては数段上だった。目にも止まらぬ速さで迫る斬撃を辛うじて捉えた時には、先に割られた方とは反対側の車輪がバンッと音を立てて消滅していた。


『!』


 再び身体が片側に傾き、地面に擦りながら走行不能状態に陥ってしまう。その時を待っていたと言わんばかりにデスサイズは高らかに空へと舞い上がり、巨大で重々しい鎌を振り下ろしながら私の方へ急降下してきた。

 直ぐに車輪の再生を始めるも、相手の動きがコンマの差で勝っている。このままでは先に巨大な鎌が振り下ろされ、私の身体は一刀両断されてしまう。

 そうなったら中に居るアクリルはどうなる? 私と一緒に死んでしまうのか、それともセーフティーハウスの効果が切れて外に追い出されてしまうのか? どちらにせよ、このままではアクリルを守るという亡き彼女の両親との約束を果たせないまま終わってしまう。それだけは避けなければならない。


(くそっ、どうすれば―――!?)


 刻一刻と鎌が迫り、何かしらの手立ては無いのかと思考を高速回転させていた最中、噴火山が爆発したかのような膨大な魔力が不意に私の中で湧き上がった。

 まるで何かがきっかけとなってセーブが掛けられていた魔力の箍が外れたような感覚だが、これは私の魔力ではないと無意識に理解した。そして湧き上がる魔力の中心は、私の中に設けられた異空間からだ。


(まさか!?)


 意識を体内にある異空間セーフティーハウスへと向けると、既に泣き止んでいたアクリルが両腕を天に突き上げながら叫んでいた。


「シェルちゃん、まけるなー!!!」


 私に対する声援と共に膨大な魔力が彼女の身体から放出され、それが私の身体に吸収されていく。これも従魔契約の影響なのだろうか? いや、その手の疑問を紐解くのは後回しだ。兎に角、これだけの強力な魔力が与えられれば逆転も不可能じゃないという事実が見えて来ただけで十分だ。


『泡魔法バブルバリア!!』


 膨大な魔力の一端を借りてバブルバリアを発動すると、泡の壁が私を中央に納める形でドーム状に展開した。そして私に向かって襲い掛からんとしていたデスサイズは通常の三倍以上の範囲にまで広がったバリアに阻まれた挙句、泡の壁に押し出されて獲物から離されてしまう。


『ウォーターカッター!』


 今この瞬間が最大のチャンスだと確信した私は、貝殻の口先にアクリルから得た魔力と私が持つ魔力の大部分を凝縮させ、清らかな水の青々さと刃の鋭利さを併せ持つウォーターカッターを作り上げる。

 今まで私が使っていたウォーターカッターが精々大型のフリスビーぐらいだとしたら、今私の目の前に出来上がりつつあるのは、前世の製材所などで見受けられる丸太を切断する巨大丸鋸に匹敵する大きさを有していた。

 どのぐらいの威力を秘めているのかと想像に馳せるだけで固唾を飲み込む想いに駆られるも、敢えて私は即座にソレを発射せず正面に待機させた。まだ撃つには早い。撃つとしたら、確実にデスサイズを仕留められる距離に引き寄せてからだ。


『バブルバリア、解除!』


 私が解除を命ずると泡の防壁はシャボン玉のように呆気無く割れて消滅し、その壁に阻まれて近付く事すら出来なかったデスサイズは檻から解き放たれた飢えた猛獣の如く、一直線に突っ込んでくる。

『それで良い! 来い! 間合いに飛び込んで来い!!』

 警報のようなけたたましい虫の羽音をたてながら、デスサイズは私との距離をあっという間に詰めていく。当初は100m近く離れていた筈なのに、数秒足らずで残り20mという所にまで迫っていた。

 そして残り10mを切った所でデスサイズは重厚感のある巨大鎌を持ち上げ、攻撃の準備に移った。けれど、私はまだ撃たなかった。

 無理もない、この一撃が当たるか否かで私の生死が左右されるのだから。心臓に悪いこと甚だしいが、勝利と生を掴み取る為にも、この命懸けのチキンレースに勝たねばならない。


『よし……今だ!!』


 漸く私が発射に踏み切ったのは、デスサイズとの距離が3mを切り、尚且つ相手が自慢の鎌を振り下ろさんとした時だった。特大のウォーターカッターは霧雨のような水飛沫を撒き散らしながら高速回転し、デスサイズに襲い掛かった。


「ギィ!!」


 単に回避に間に合わ無かったが故の苦肉の決断だったのか、それとも最初からソレとぶつかる気でいたのか。デスサイズは飛来してくるウォターカッター目掛けて、巨大な鎌を真っ向から振り落とした。

 光さえも飲み込んでしまいそうな漆黒と、生命の源とも呼べる透き通った青がぶつかり合い、文字通り激しく火花が散る。鎌と丸鋸の間で生まれた火花がささやかながらも光源となり、私とデスサイズに纏わり付いた暗闇を払い除けて鮮明な姿を映し出してくれる。

 そして一分余りが経過した頃、漸く決着の瞬間が訪れた。


 バキンッ


 剣が砕け散るような破砕音と共に折れたのは……デスサイズの巨大鎌だった。自分の鎌が敗北した事実が信じられないのか、表情の変わらぬカマキリ顔に驚愕が一瞬刻まれたような気がした。だが、それが本当かどうかを確かめる間も無く、その一瞬後に特大のウォーターカッターがデスサイズを襲った。

 水の丸鋸は巨体を容易く切り裂いて背後から飛び出すが、刃が細いせいか切れ目が見当たらなかった。しかし、暫くすると袈裟掛けを受けたかのような傷がデスサイズの上半身に浮かび上がり、刹那の後に青紫色の血と同色に塗れた臓物を撒き散らしながら、肉体そのものが斜めに崩れ落ちていく。


【相手の体力がレッドラインを越えました。丸呑みが可能です。標的を丸呑みしますか?】


 と、そこで懐かしい表示が目の前に映し出された。というか、上半身が真っ二つに切断された状態でも生きているのか……。魔獣だからと言われれば納得しそうかもしれないけど、幾ら何でも生命力が強過ぎやしませんかね? まぁ、『おまいう』と逆に突っ込まれる可能性は大有ですけどね!

 どちらにせよ、それもこれまでだ。地に堕ちる運命を待つしかないデスサイズ・マンティスなんて寿命が尽きた羽虫同然だ。戦うどころか抗う力すら残されていない者が、この過酷な異世界で生き抜ける道理なんて有る筈がない。

 瀕死の相手にトドメを刺すのは人間であった頃ならば躊躇しただろうが、魔獣として生を受けた今は違う。何よりも無力なアクリルを守る為にも、私はこれからもっと強くならねばならない。その為ならば強者だろうが毒だろうが何でも喰らってやるという意識が、心の奥底に芽生えていた。


『いただきます!』


 せめてもの情けで食前の――生命を頂く事への感謝を意味する――挨拶を告げ、私はデスサイズ・マンティスの上半身と、残りの下半身を一口でバクンッと平らげた。それが胃袋に収まって大人しくなると、脳裏に例の如くレベルアップを告げる軽やかな音とステータスが表示された。


【経験値が規定数値に達しました。レベルがアップして24になりました。各種ステータスが向上しました】

【経験値が規定数値に達しました。レベルがアップして25になりました。各種ステータスが向上しました】

【経験値が規定数値に達しました。レベルがアップして26になりました。各種ステータスが向上しました】

【従魔契約スキル:魔力共有を会得しました】


 一気にレベルアップした上に傷も『成長修復』の恩恵で完治したぞ! そして新たな従魔契約スキルを獲得した! 魔力共有……か。今回はアクリルの魔力を借りていたけど、その逆も可能なのだろうか? まぁ、私の持つちっぽけな魔力なんて必要ないだろうが。


『……っと、そうだ。安全の確保が出来た事だし、アクリルさんを出さないと』


 貝殻の蓋をパカリと開け、そこから触手を巻き付けた格好のアクリルを丁重に取り出した。そして彼女をゆっくりと地面に下ろし、服に付いた汚れを払い落としながら優しく声を掛けた。


『もう大丈夫ですよ、アクリルさん。怖い人や魔獣はもう居ませんから』

「…………」

『アクリルさん? どうしました?』


 私が何度か呼び掛けをするも、アクリルから何一つ反応が返って来ない。もしかして未だに自分が両親を守れなかった事に臍を曲げているのだろうかとも思いながら不安げに視線を這わすも、彼女は顔を俯けたまま此方を見ようとしない。


『アクリルさん?』

「ガーシェルちゃん……」

『はい』


 漸く私の名前を呼び、アクリルはゆっくりと顔を持ち上げた。私を罵倒した時のような感情の激流は嘘だったかのように消え失せ、代わりにちょっと触れただけで泣き出してしまいそうな重い悲しみが表情全体に刻まれている。それでも何とか涙を流すまいと耐えようとして、それが返って強烈な不安を抱いているかのような印象を此方に与える。

 けれども私は言葉の続きを促さなかった。恐らく、この子は何かを言おうとして必死に幼い頭脳を働かせている。それを無駄に急かして、彼女の心や想いを乱すのは良くないと考えたからだ。そして何度か言葉を告げようとしては空気を吐き出すという動作を数度繰り返した末、漸く彼女は言葉を振り絞った。


「ガーシェルちゃんは……アクリルを嫌いにならないの?」

『はい?』


 思わずと言うか、反射的に間の抜けた返事を返してしまったものだと我ながらにして不覚を覚えた。そんな事を考えている間にも、アクリルはポツリポツリと胸の内を打ち明けていく。


「アクリル、ガーシェルちゃんにきらいって言っちゃった。ガーシェルちゃんにいっぱい、ひどいこと言っちゃった。どうしてガーシェルちゃんはアクリルを嫌いにならないの?」


 そこで漸く私は彼女の言わんとしていること、そして彼女の考えていることを理解した。アクリルは感情任せに放った私への暴言を後悔し、そして私が自分から離れてしまわないか不安に駆られているのだ。

 確かに普通の人間同士ならば、仲良くなるのは容易いが一度拗れてしまった仲を修復するのは難しい。最悪、仲が拗れたまま離れ離れになるという事だって珍しくない。

 しかし、私は魔獣であり、自分の意思で決めたアクリルの従魔となる事を決めたのだ。今更彼女から離れて一匹で行動するなんて論外だ。やろうと思えば可能かもしれないが、だからと言って実践すれば後味が悪くなるのは目に見えているし、そんな真似はしたくない。

 何よりも『アクリルを守ってほしい』という彼女の両親の遺言を無下にする訳にはいかない。


『ええっと、アクリルさん。ご安心下さい、私はアクリルさんを嫌いにはなりませんよ』

「ほ、ほんとう?」


 まぁ、確かに『大嫌い』と言われた時は心がざっくりと抉られましたけど、それだけで彼女を嫌いにはなれなかった。あの時のアクリルは大好きな両親を唐突に失い、精神の支えを失った恐慌状態にあったと言っても過言ではない。

 深い悲しみから来る子供の怒りや癇癪を無理に抑圧したり、拒絶すれば、その子の人格を歪めるきっかけになってしまう。なので、私に出来る事は私なりの母性愛を以てしてアクリルの全てを優しく受け止めるだけだ。いや、私の性別が(多分)♂だから父性愛かな? まぁ、どっちでも良いや。


『それにアクリルさんの言う通りです、私はアクリルさんのお父さんとお母さんを守る事が出来ませんでした。アクリルさんに悲しい思いをさせてしまったという点は、拭い切れない事実です』

「ち、ちがう! ガーシェルちゃんはわるくない! わるいのは、あの黒い服をきた人達だもん!」


 必死に否定した瞬間に、あの時の記憶がぶり返したのかアクリルの目からポロッと一滴が零れ落ちた。一度零れてしまった涙に歯止めを掛けるのは至難の業であり、それを証明するかのようにアクリルの目から締りの悪い蛇口のように涙がポロポロと溢れ出てくる。

 本当は悲しみを爆発させたい筈なのに、きっと私に対する後ろめたさがソレを邪魔しているのだろう。私は彼女を触手でそっと抱き寄せ、頭から背中に掛けて優しく撫でた。少しぎこちないのは御愛嬌として見逃して欲しい。


『有難う御座います、アクリルさん。自分の言動に反省して、素直に謝るのは良いことですよ。偉いですね』

「ふぇ……」

『それとアクリルさんが無事で何よりです。一人ぼっちで怖かったでしょう? 寂しかったでしょう? もう大丈夫ですよ、私が居ますから』

「うぅ……うあああああああああん!!!」


 私の言葉によって不安で煮固められた感情が溶け、鉄砲水のような怒涛の勢いでアクリルの感情が一気に表へと噴出した。


「ごめんねぇ! ごめんねぇ、ガージェルちゃん! アグリル! もうガージェルちゃんのこときらいなんて言わないからぁ!!」

『ええ、アクリルさんを信じていますから大丈夫ですよ』

「うあああああああああああああん!!!」


 盛大に泣き叫びながら時折「ごめんね」とアクリルは言葉を挟む。改めて彼女の優しさを噛み締めるのと共に、絶対に彼女を守ろうという決意が再燃する。そしてぎこちない手付きならぬ触手付きでアクリルを抱き締めながら、滝のように流れる涙が止まるまであやし続けるのであった。

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