第三章 旅立ち編

第36話 ピクニック

 パラッシュ村襲撃事件から早三ヵ月余りが経過し、悲しみに暮れた雰囲気も大分薄れ、平和な日々を実感するのと同時に人々は活気を取り戻しつつあった。協力関係にある近隣の村からの応援もあって復興作業は順調に進み、山賊によって付けられた傷跡が表面上は見えなくなる日も遠からず訪れるだろう。

 因みに重傷を負っていたガーヴィンだが、襲撃から一ヶ月が経過した頃には包帯を取って仕事に復帰していた。確かにこれぐらいは何とも無いと豪語してはいましたけど、流石に何とも無さ過ぎではありませんかね? というか、この世界の人間は極めて頑丈な作りをしているのだろうか?

 それはさておき、先に述べた人々の頑張りによってパラッシュ村の復興も一段落付き、それまで働き詰めだったガーヴィン共々久方振りの休暇が振り分けられた。

 前世ならば休日を取るのも困難な上に、会社の雰囲気的にも気まずかった。だが、今世では周囲が無理をするなと暖かな温情を差し伸べてくれるおかげで、何の気兼ねも無く休日を謳歌する事が出来る。


 嗚呼、素晴らしきかな異世界暮らしライフ……。


「シェルちゃん! ピクニックにいくよー!!」

『うぃっす』


 ……まぁ、休みだろうが何だろうが従魔契約上の御主人様に当たるアクリルからの御願いは拒否出来ませんけどね。でも、可愛いから許しちゃう。

 それに今回のピクニックは単なる遠出ではなく、アクリルの誕生パーティーも兼ねている。本来ならば三カ月前にやる予定だったのだが、運悪く例の襲撃事件が起きてしまったせいで誕生パーティーそのものが御流れになってしまった。

 またガーヴィンとメリルも復興作業に追われて娘に構ってやれる時間を作れなかったという負い目もあり、その償いも兼ねて家族総出でピクニックに行くことになったのだ。ピクニックはアクリル達ての希望という事もあり、本人は頗る上機嫌だ。

 一度は山賊に焼かれたものの、復興で立て直されて新築同然となった家の前でアクリルは私の上に乗りながらピクニックの出発を今か今かと待ち構えていた。はしゃぐのは分かりますけど、私の上でジャンプするのは危ないですよ? つるっと滑って転んでも知りませんよ?

 傍に居たガーヴィンも興奮冷めやらぬアクリルを横目で見遣り、「ははっ」と軽い苦笑を零した。


「アクリル、少しは落ち着けって。ピクニックは逃げやしないぞ?」

「だってシェルちゃんと初めてのピクニックだもん!」

「ああ、そう言われると一家とシェルで遠出するのは今回が初めてか……。しかしまぁ、アレだな。シェルと一緒にピクニックって、言葉にすると珍妙な響きだよな」


 ええ、それは私も同意します。貝と一緒にピクニックなんて、この世界に居る人間(パラッシュ村在住を除く)が聞いたら「何だそりゃ」と聞き返し、神経を疑われること間違いなしでしょうし。

 と、そこでガチャリと音を立てて扉が開き、視線を其方に向けると遠出に備えて鍔の広い帽子を被ったメリルが現れた。手にはラタンを編み込んで作られた大型バスケットの取っ手を握り締めており、そこから微かにだか食欲をそそる匂いが漂ってくる。


「おかーしゃん! はやくはやく!」

「こらこら、そんなに燥ぐとシェルちゃんの上から落ちるわよ」私と同じ考えを口にすると、メリルは私の前に立ち手にしていたバスケット籠を差し出した。「それじゃ、シェルちゃん。荷物運びをお願いしても良いかしら?」


 勿論ですともと言わんばかりにバスケットを受け取ると、それを貝殻の中――私の体内へと押し込んだ。念を押して言っておくが、バスケット籠を飲み込んだ訳ではないぞ。体内にあるセーフティハウスの空間へ仕舞い込んだだけだ。

 襲撃事件の後でセーフティハウスのスキルを改めて調べてみたのだが、私が想像していた以上に便利な機能を有していた。このスキルは人間を守るだけではなく、道具や食材をも収容する所謂RPGで言うところのアイテムボックスに匹敵する役割を果たせる事が判明した。

 その中でも特筆すべき点は、収容したアイテムの鮮度を落とさず、そのまま保管する事が可能な点だ。簡単に言えばセーフティハウスの空間に氷を放り込めば、その氷は溶ける事無く凍ったままの状態で維持され、加熱した料理ならば数時間後に外に出しても出来立てのように熱が持続するという訳だ。

 そうなる原理はさっぱり分からないが、兎に角言えるのはファンタジー様様であるという事だ。但し、これはあくまでもアイテム――道具や料理を始めとする物体――に分類されるものだけであり、生物はその恩恵を受けられないようだ。

 当然と言えば当然だ。もしそんな事が可能なら、セーフティハウスの中で暮らしている限り不老だという事になってしまう。そんなのは最早セーフティハウスではなく、精神と時の部屋と同格のチートだ。

 他にも欠点があり、道具を多く収容すれば人間を収容するスペースは削られ、その逆もまた然りだ。流石に万能という訳ではなく、寧ろこういう一長一短の特性を持っていることに安心感すら覚えた。

 また襲撃直後にセーフティハウスの真骨頂が発覚したのもタイミング的に幸いした。家を焼失して寝る場所を無くした人達を一時的に受け入れる仮住居となり、集められた食材を預かる保管庫としての役割を担うなど、スキルを遺憾なく発揮してパラッシュ村の復興に貢献出来た。

 因みにこの時に食材を始めとするアイテムを置くスペースと、人が暮らすスペースを私の意思で別々に分離させる事が可能だと判明した。

 こうした活躍によってパラッシュ村における私の存在感は爆上がりし、益々ご利益のある何かとして崇められるようになった。うーん、人の役に立つのは嬉しいけど、御神体として奉られるのはちょっとなぁ……。


「シェルちゃん! 出発だよ!」


 アクリルの元気な掛け声と共に貝殻をポンポンと叩く軽い衝撃が走り、それまで独自の思考に嵌っていた私の意識は現実に引き戻された。既にガーヴィンとメリルは数歩前へ進んでおり、肩越しから私に向かって微笑みを投げ掛けていた。


「どうした、シェル。のんびりしてると置いていくぞ?」

「ふふ、初めてのピクニックに緊張しているのかしら?」


 二人の穏やかな言葉と不思議そうな視線に恥ずかしさと焦りを覚え、慌てて二人の下へ駆け出そうとした。が、直ぐに頭上にアクリルを乗せていることを思い出し、急く気持ちを抑えて緩やかなスタートを切った。

 ……うん、やっぱり私はこっちの方が好きだな。御神体だの神獣だのと崇められるよりも、家族に飼われるペットのように少々雑っぽくも気軽に扱われる方が性分に合う。

 そしてアクリルを乗せたままメリルとガーヴィンの間に入り、歩調(私の場合は速度)を合わせながら復興がほぼ完了したパラッシュ村を抜け、裏山へと続く道則へと進んでいた。



 小風で囁くようにそよぐ木ノ葉の音をBGMに、木漏れ日のシャワーを潜り抜ける。空を見上げれば木影の隙間から海よりも新鮮な青を拝む事が出来、正に絶好のピクニック日和だ。

 そして緩やかな山道を抜けると、眼前に緑の絨毯が現れた。そこは緑緩やかな背の低い草原が生い茂る丘陵地帯であり、風が吹き抜けると草の群れがうねって反射光のウェーブを描き、自然が生み出す芸術アートに好奇心旺盛なアクリルの感性は刺激された。


「うわー! きれーい!」


 案の定、アクリルは居ても立っても居られなくなり「とうっ!」と私の上から勢いよく飛び降りると、草原の斜面を駆け下りていく。背後からガーヴィンが「走ると転ぶぞ!」と注意を呼び掛けるが、目の前の光景に夢中になっている彼女の耳に父の言葉は入らなかった。

 急ではないとは言え斜面である事に変わりなく、おまけに発展途上である五歳児の体はまだまだバランスに欠いていた。その結果、ガーヴィンの危惧が見事に的中した。


「あっ!」


 短い悲鳴を上げてアクリルの体は前のめりに倒れ、そのまま緩やかな斜面をごろんごろんと転がっていく。おいおい、おむすびころりんじゃあるまいし!

 幸いにも斜面の距離は数mばかしと然程長くなく、また生い茂る草が転がり続ける彼女の体を優しく受け止めてくれた。

 それでも打ち所が悪ければ大怪我は勿論のこと、最悪命に関わるかもしれない。私とガーヴィンは不安そうに斜面に転がり落ちたアクリルを覗き込むが、私達の不安に反してアクリルはケロリとした表情で起き上がると此方に元気に両手を振った。


「おかーしゃーん! あたし泣かなかったし自分で立ったよー!」

「偉いわよー! アクリルー!」


 それは母と交わした約束――泣かないこと、そして自分の力で解決すること――を実践した証明であり、母も素直にアクリルの努力を褒め称えた。その様子にガーヴィンは何のこっちゃと眉を顰めたが、後でメリルから事情を聴くと嬉しそうに笑ったのであった。

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