第37話 命名
私の記憶に残っている前世――現代社会――では異常気象を始めとする天災の増加に伴い、外出を好むアウトドア派は激減し、代わりに室内での遊びを主とするインドア派が急増していた。
なので、ガーヴィンから「草原でピクニックをする」と聞かされた時は、正直ピンと来なかった。ソレの何処が面白いのかと言う意味で。まぁ、ブラック企業に働き詰めで休む余裕すら無かった私に、インドアもアウトドアも関係ありませんでしたけどね!
だが、丘陵に辿り着いた途端、私の抱いていた疑問や概念は音を立てて180度転換した。草原の上を走る風が運んでくれる空気の何とも言えぬ美味いしさ。草の絨毯にアクリルと一緒に身を投げ出して自然の一部と化すような爽快感。そして広大な草原を丘の上から見下ろす絶景に心が震える。
最先端技術の粋を掻き集めて作り上げられたゲームも面白いが、こうして古き良き自然を五体で感じるのも悪くない。惜しむらくは、それを
やがて太陽が直上に昇った頃、草原を舞台に元気一杯に遊び回っていたアクリルのお腹からクゥと可愛らしい鳴き声が上がった。どんなに楽しくても、やはり空腹には敵わないようだ。それを耳にしたメリルはあらあらと微笑みながら昼食を提案した。
「アクリルもお腹が空いたみただし、そろそろご飯にしましょうか」
「はーい!」
元気盛りで食い盛りなアクリルは真っ先に母の下へと駆け寄っていき、その後ろから娘の遊び相手として付き合わされたガーヴィンと私が付いて行く。子供って元気だなぁとガーヴィンは口を零すが、その表情には疲れは見えず、娘の成長をしみじみと実感する喜色が殆どを占めていた。
昼食の場として選んだのは草原の片隅にある、腰掛けには打って付けの小岩が立ち並ぶ場所だった。しかも御誂え向きに丁度三人が囲んで座れる配置の小岩を見付けると、三人はそれぞれに腰を下ろし、私はその真ん中のスペースに入ってテーブル役となった。
「それじゃシェルちゃん、バスケットを出して頂戴」
メリルに言われて取り出したバスケットを貝殻の上に置くと、メリルはバスケットから色取り取りの野菜やハムを挟んだ大き目のサンドイッチを取り出し、それをアクリルとガーヴィンに手渡した。
「はい、アクリル。落とさないように気を付けてね?」
「いただきまーす!」
空腹だったアクリルは手渡しでサンドイッチを受け取るや、食欲に取り憑かれたかのように一心不乱にサンドイッチに齧り付いた。一口目で口周りにドレッシングソースの髭が出来上がるが、本人は気に留めるどころか御構い無しだ。
「アクリル、急いで食べると喉を詰まらすわよ」
「だっておかーしゃんのサンドイッチおいしいんだもん!」
「そう? それなら作った甲斐があったわね。はい、これを飲んで喉を詰まらせないようにしなさい」
「はーい」
メリルはバスケットから水の入った水筒を取り出し、それをコップに注ぐとアクリルに手渡した。メリルとアクリルの遣り取りをガーヴィンは感慨深そうな眼差しで見詰め、そしてサンドイッチを大事に味わうように少しずつ噛み千切った。
その後も楽しい昼食は穏やかに過ぎていき、それに伴い家族間の会話も増えていった。ゴム毬のように会話は弾み、草原の片隅に明るい笑顔の花が咲き乱れる。そして家族の会話は何時しかアクリルに纏わる話へと移行していった。
「そう言えばアクリルに魔力の扱い方や魔法を教える先生だが、来月から来てくれるとバルドーさんが教えてくれたよ」
「もう話が決まったんですか? 早いですね」
「まぁ、バルドーさんもアクリルの魔力に関して興味津々だからな。良い先生を付けてやるって本人が俺達以上に張り切っていたよ」
「あらあら、バルドーさんったら……まるで孫を可愛がる御爺ちゃんみたいね」
「ははは、本人も相当高齢だしなぁ。当人は認めちゃいないが」
ふむ、アクリルが魔法を覚えるのか。山賊達を撃退する時に凄まじい魔力を発揮したのだ。今の内に、その人の持つ可能性という名の原石を磨いておくのは悪くない。寧ろ今だからこそ伸ばしておけば、絶対にその力は後々になって役に立つに違いない。
「まほう? アクリル、魔法を使えるの?」
両親の間で交わされる会話の内容に付いて行けず、二人を交互に見遣るだけだったアクリルも、自分に関係する話だと理解するやすぐさま会話の輪に飛び込んだ。アクリルの期待の籠った目にメリルは優しく微笑み、ガーヴィンは苦笑いを浮かべながら頬を掻いた。
「直ぐに魔法を使えるようになる訳じゃないけど……まぁ、地道にコツコツと頑張れば立派な魔法使いになれるかもしれないな」
「そうね。アクリルが真面目に勉強して、そして魔力の使い方を間違えなければ、きっと素敵な魔法使いになれるわ」
「うん! アクリル! 白の魔法使いになる!」
アクリルの言う『白の魔法使い』とは、メリルがアクリルに読み聞かす童話や御伽噺に登場する魔法使いの事だ。弱き人々を助け、悪を打ち倒す―――謂わば白馬の王子様や救世主の勇者に匹敵する正義の味方であり、アクリルの中では憧れの
すると、そこでメリルが何かを思い出したようにハッと表情を変え、自身の両手を口前でポンッと重ね合わせた。そこでアクリルとガーヴィンの目線が彼女に向けられる。
「いけない! アクリルにアレを渡すの忘れてたわ!」
そう言って彼女はバスケットの中に手を突っ込み、何かを探すかのように腕を忙しなく動かした末にある物を取り出した。可愛らしいピンクのリボンでラッピングされた、掌に収まる程の小さい箱だ。
「はい、アクリル。遅れてごめんなさい。誕生日プレゼントよ」
「ほんとう!? やったー! ねぇ、開けても良い!?」
「ええ、良いわよ」
母親からの許可を得るや、アクリルは素早くラッピングの紐を解いて箱を開けた。中に入っていたのは、数珠のように小さい鉱石の球が連なったブレスレットだ。只単に同じ鉱石が連なっているのではなく、一定間隔で違う色や種類の鉱石が組み込まれており、職人の技を感じる逸品だ。
「わぁー! きれーい!」
太陽に向かってブレスレットを翳すと、磨き抜かれた鉱物の色に染まった輝きがアクリルの顔に滑り落ちる。まるでステンドグラス越しに差し込む光のような美しさだ。
「これはねぇ、お母さんの妹にプレゼントされる筈だったブレスレットよ」
「おかーしゃん、妹が居たの?」
「ええ、でもアクリルぐらいの年頃で亡くなってね……。このブレスレットは私にとって形見であり、そしてアクリルを守ってくれる貴重な御守になってくれる筈よ。大事に持っててね」
「うん!」
そう言うとアクリルは早速喜々として利き腕の手首にブレスレットを嵌めた。すると薄っすらとだが白いオーラがアクリルの身体の表面を滑り、あっという間に彼女を包み込んでしまう。
このブレスレットの効果か? そう思って鑑定スキルをこっそりと使ってブレスレットを見てみるとステータスに説明文が表記された。
【魔封じのブレスレット:膨大な魔力を有している人間が発症する『
成程、これは魔力を過剰に出させないようにする安全装置みたいなものか。確かに毎回毎回膨大な量の魔力を放出していたら、そりゃエラい事になりますわ。
しかし、これが形見という事はメリルの妹さんも膨大な魔力を持っていたのだろうか? そんな疑問が脳裏に浮かび上がったが、それを聞く口を持たないし誕生日で浮かれているアクリルの気持ちに水を差すような真似もしたくない。なので、何時も通りに沈黙に徹した。
「それとアクリル。そろそろアレを発表したらどう? シェルちゃんの……―――」
「あっ! シェルちゃんの名前!」
メリルに促され、アクリルもそこで思い出したと言わんばかりに目を見開いた。あー、そう言えば言ってましたね。私の名前を付けてあげるねーって。襲撃事件やら復興やらで引っ張りダコになっていたおかげで、すっかり名前の件を忘れていた。
するとアクリルは腰掛けていた岩の上でスクッと器用に立ち上がると、まるで演壇で発表会をする幼稚園児のように胸を張って宣言した。
「それじゃシェルちゃんの名前をはっぴょうします!」
パチパチパチとガーヴィンとメリルが拍手を送って場を盛り上げる。私も拍手したいのも山々だが、骨のない触手で拍手するのは実質不可能なので大人しくする他なかった。
「シェルちゃんのお名前は――――ガーシェルちゃんとします!」
ガーシェル……中々に良い響きじゃないか。そんな風に関心していると、私の脳裏に礼のステータスが表示された。
【名前】ガーシェル(貝原 守)
【種族】シェル
【レベル】23
【体力】2950
【攻撃力】275
【防御力】497
【速度】115
【魔力】290
【スキル】鑑定・自己視・ジェット噴射・暗視・ソナー(パッシブソナー)・土潜り・硬化・遊泳・浄化・共食い・自己修復(成長修復)・毒無効・研磨・危険察知・丸呑み・大食い・修行・白煙
【従魔スキル】セーフティハウス
【攻撃技】麻痺針・猛毒針・溶解針・体当たり・針飛ばし・毒液
【魔法】泡魔法(バブルボム・バブルチェーン・バブルバリア・バブルホイール)・水魔法(ウォーターバルーン・ウォーターマシンガン・ウォーターショットガン・ウォーターカッター)
あっ、本名が()扱いになってる。これからは前世の名ではなく、アクリルに与えられた名で生きなさいという意味かな? まぁ、私の前世の名前なんて貝となった今では使い道もないですけどねー。
「ガーシェルか……良い名前じゃないか。で、どういう意味なんだ?」
「えーっとね、ガーシェルのガーは……何だっけ?」
名前の由来を尋ねられ、あっさりと言葉を詰まらせたアクリルは母親の方へ向き直る。メリルはクスッと笑いながらもアクリルの為に助け舟を出してやった。
「ガーシェルのガーは
「だってさ!」
「だってさって……おいおい、アクリルが名前を付けたんだから、そこはアクリルがきちんと説明しなきゃいけないんじゃないのか?」
「良いもん! アクリルとおかーしゃんが一緒に考えたんだから!」
アクリルの言い分にガーヴィンは脱力気味に苦笑し、メリルは二人の遣り取りを見て鈴を鳴らすように楽し気に笑った。私も彼等の遣り取りを見て内心で笑い、改めて自分の名前を噛み締めた。
(ガーシェルか……この世でたった一匹のアクリルの守護者であり、従魔か。ふふっ、意外と悪くないものだ)
これから私はガーシェルとして一生を歩み、アクリルを守りながらパラッシュ村で平穏な暮らしを送るのだろう――――そう思い込んでいた。
だが、もしもこの世界に運命の女神が居るとしたら、きっと彼女は相当底意地が悪い性格をしているのだろう。何故なら、ささやかな幸せを体現したかのような家族団欒の一時を台無しにしてしまう残酷な運命を用意していたのだから……。
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