第8話 旅立ちの日
いよいよお世話になった海溝での暮らしに別れを告げる時が来た。当初、数百匹以上は居たリトルシェルも半数近くが命を落とし、更にシェルへと進化出来たのは百匹余りしかいない。その少なさが同族同士の生存競争の激しさ、弱者が淘汰される自然界の過酷さを物語っていた。
此処での暮らしは一ヶ月という決して長いとは言えない期間ではあったが、この世界で生きる過酷さを知るには十分過ぎる日々だった。それを生き抜いたおかげで今の私があると考えると、此処で暮らした価値はあったと言っても過言ではない。
話は戻って今の私は同族のシェル達が順次上昇し、海溝を後にするのを見送っている。生憎
そしていよいよ私達の番となり、深海特有の暗闇が支配する天井目掛けて上昇を開始した。暗視のおかげで周囲の光景は鮮明に見えるも、どれだけ上がっても生まれて最初に見た色鮮やかな海の色が中々見えてこない。まるで懐中電灯を付けて暗闇のトンネルを只管走っているみたいだ。
こりゃ目的地に到着するまで時間が掛かるかもしれないな。そうだ、この間に色々と手に入れたスキルを調べてみよう。ステータスを開示し、新たに手に入ったスキルに矢印を合わせれば説明文が掲載された。
【共食い:同族種を食らう事で発動するスキル。同族が持っていた経験値をそのまま自分のものにするのでレベルが上がり易い。また共食いによってしか得られない特殊な攻撃技やスキルも存在する】
【自己修復:ダメージを負ったり貝殻が破損した時、動きを止めて安静にしているとダメージが自動的に回復する。一時間につき10%の割合で回復していく。また状態異常も回復する】
【溶解針:相手に突き刺し、溶解液を注入する。ダメージを負わすだけでなく、相手の防御力をダウンさせる効果が含まれている】
ふむふむ、共食いって禁断の攻撃じゃ……って心配していたけど、説明文を読む限りでは『絶対にしてはいけない』と言う注意書きは書かれていないな。寧ろ共食いをする事で特殊な攻撃技やスキルを獲得出来るという利点があるとなれば、率先してやるべきなのか?
いや、それは駄目だ。無暗に共食いして子孫を減らしてしまえば、この世界の生態系に悪影響を与えかねない。例えレベルが上がり易いからと言って、利己的な真似はなるべく避けるべきだろう。
それに同種族という事は、大まかに言えばシェル以外の貝類でも共食いスキルは発動するという訳だ。例えば狼が犬を食らえば共食いになるし、ライオンが猫を食らえば共食いになる……といった具合だ。
それでも一応共食いは出来る限り控えるとして、他の二つも中々に使えそうだ。特に自己修復は例え瀕死の状態でも、10時間もあれば全回復出来るという回復系スキルだ。但し、その間身動きが取れないという弱点もあるが、回復魔法を持っていない今の私には有難いスキルである事に変わりはない。
そして溶解針……麻痺に毒と続いて、遂に溶解液まで獲得してしまいましたか。何て恐ろしい技なんでしょう。もしかして相手を麻痺らして溶解液を体内に注ぎ込めば、どんな強敵でもコロリと倒せるんじゃね?
まぁ、それで倒した相手を食う自信があるのかと聞かれれば、正直無いけどさ……。何にせよ針を通せない硬い相手などには有効かもしれない。今後の活躍に期待大だ。いや、私が使うのだから活躍出来るかは私次第かな。
そこで視野の映像に意識を向けると、天井に微かな青空色の光点が見えてきた。どうやら海溝の出口が目前に迫っているようだ。他のシェル達も光に吸い寄せられるかのように、その一点を目指して泳いでいく。
そして光点に飛び込んだ途端、長いトンネルを抜けたのと同じように真っ白い光が一瞬だけ視界を満たし、次の瞬間には明るさに慣れて色鮮やかな光景――生まれて最初に目にした、あの美しい海が目に映し出された。
透き通った青い海中に神々しい太陽光の柱が幾つも建てられ、サンゴ礁や低地の海底を照らす日光は水面の動きに合わせて揺れ動き、常に違う輝きを齎している。
そんな天然のシャンデリアの下では、様々な魔魚達が泳いでいた。マンボウと同じサイズの巨大フグ、骨だけのアンデット系の魚、海底の地べたを這い泳ぐ蛇みたいなタツノオトシゴ……どれもこれも自分が居た世界には存在しない怪魚ばかりだ。
やっぱり此処は自分の住んでいた世界ではないのだ。そう改めて実感するのと同時に、ふと向こうの世界で死んでしまった自分はどうなってしまったが気になった。何せ銃殺という
……でも、待てよ。私が勤めていた会社はブラック企業な上に色々と隠し事も多かった。まさか私の死体が世間の目、ひいては警察に注目されるのを恐れて、こっそり処分していないだろうか?
流石にそれはないだろうと思いたいところだが、絶対に違うと断言も出来ない。寧ろ私の死によって暴かれる不都合な事実を隠すべく、色々と暗躍しているのではないだろうか。そう考え出すと次から次へと嫌な予想しか浮かび上がらず、やがて私は不穏しかない前世の予測を切り捨てて今の現実に向き直った。
未だにシェル達は悠々と海中を泳ぎ、大移動を続けている。ジェット噴射と遊泳による移動スキルの恩恵もあるが、かなりの速さだ。目的地がある場所は分からないが、太陽の位置と角度からして北東に向かっているのだけは確かだ。
そして暫く泳ぎ続けていると、正面方向から此方に向かってくる魚影群が見えた。目を凝らして見ると、それは最初に出会った天敵の群れだった。
その時の記憶が脳裏に再生されるや、私の背筋に氷が張り付いたような寒気が襲い掛かった。稚貝達をスナック菓子感覚でバリボリと食べていた光景が印象的で、今でも頭に焼き付いている。
まさかシェルとなった私達を襲いに来たのだろうか。そんな不安が頭に過るも、シェル達の移動経路は直進――天敵の群れと正面衝突するコースを保ったままだ。
大丈夫なのか。襲われないだろうか。緊張のせいで心臓がバクバクと早鐘を打ち鳴らし、それを抑えるようにギュッと貝殻を閉ざしながら只管にシェル達の後を付いて行く。そして天敵の姿が目前に迫った瞬間、私はギョッと顔色を変えて叫んでしまった。
「小っちゃ!」
天敵達の姿はシェルと対比しても遜色ないか、尾鰭一つ分勝っている程度の大きさしかなかった。最初はリトルシェルを一口で食っていただけに超巨大魚に見えたが、進化した今となっては只の怪魚にしか見えない。ついでだから、この天敵を鑑定しておこう。
【グリン:この世界ではポピュラーな部類に入る肉食の低級魔魚。強靭な顎を持っており、硬い骨や鱗を有する小魚や、殻を持った稚貝程度ならば容易に噛み砕ける。自分よりも遥かに小さい魚しか捕食せず、それ故に小心者と言うあだ名が付けられている】
ほうほう、グリンという名前なのか。しかも強面な顔に似合わず小心者って……そう考えるだけでクスッと笑えてしまう。だけど、最早彼等が天敵ではないと分かっただけでも有難い。今後は気にせず横を素通りする事が出来る。
やがてシェルの群れとグリンの群れが交差し合い、そして何事も無く互いに素通りしていく。彼等の姿がセンサーに捉え切れない距離にまで達しても、シェル達の旅は終わらなかった。その後も色彩豊かな海中を渡り続け、温もりに詰まった太陽光の支柱の中を幾度も通り抜けた。
旅の途中で初めて目にする珍魚達に驚き、そして戸惑いも隠せなったが、鑑定スキルと他のシェル達の動きのおかげで、どれが天敵でどれが餌なのかの区別は大体付くようになった。というか、先程のグリンがシェル達の餌になっていたのは驚きだった。まるでオタマジャクシとヤゴが、カエルとトンボに成長して食物連鎖が逆転したみたいだ。
やがて日が暮れて夜が顔を覗かせ始めた頃になって、漸く旅は一段落した。あくまでも一段落だ。旅が終わった訳ではなく、今後も続くと言う意味だ。
夜の海もまた中々に乙なものだった。優しい月明かりが海中を照らし、深海の暗闇にはなかった安らぎを私に与えてくれる。夜行性の魚達がネオンの輝きにも似た光を放ちながら、素早く泳いでいく姿は流れ星か、美しい花火のようだ。
忙しい都会生活では絶対に見られない光景だ。便利なものに満たされた人間暮らしも悪くはなかったが、こうして自然に満たされた暮らしも悪くはない。
そう言えば、この世界にも人間は居るとステータスに書かれてあったな。仮に居たとしたら、どのような国家を形成しており、どの程度の技術力を持っているのだろうか。そんな好奇心が沸く一方で、出来れば人類とは会いたくないと願う自分が居た。何故かと言うと……。
【堅牢な貝殻は並の魔獣でも噛み砕けぬ程に硬く、それ故に人間達の間では防具や盾として重宝されている】
そう、この世界の人間はシェルの貝殻を利用するという事実が確定しているのである! 道具や何やらで生きたままバラされるなんて只の拷問です、有難うございますだからそれだけは勘弁しろ下さい!
此処で私は寿命を全うする為に新たな目標を立てた。絶対にこの世界の人類と遭遇しないという目標を……。
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