第一章 生誕編

第1話 私は貝になった

 プクプクプク……コポコポコポ……


「んん? 此処は何処だ?」


 次に私が意識を取り戻した時、そこは水の中だった。いや、水にしては広大過ぎる。それに魚が泳いでいる所から察するに、海の中か? しかし、どうして海なんかに―――いや、待て。益々おかしいぞ。何で水の中に居るのに息苦しくないんだ?

 不思議に思って手を伸ばそうとするも、手が出ない。と言うよりも腕の間隔そのものを感じない。どうなっているんだ?


【誕生ボーナス 視野スキル:自己視を獲得しました】


「うおっ!? な、何だこりゃ!?」


 び、ビックリしたぁ。何だ? この目の前に現れた文字と言うか画面は? スキル? 一体どういう事だ? というか自己視って………え?


「え、えええええええ!!?」


 それまで前を見据えていた視界が、突然自身を天頂部から見下ろすような映像に切り替わった。これには驚いたが、それよりももっと驚いたのは自分の姿だ。真っ白い二枚の貝殻に挟まれた己の姿は、紛れもなく稚貝そのものだ。

 どうやら私は本当に貝に生まれ変わってしまったみたいだ。いやいやいや、確かに貝になりたいとは願いましたよ。願いましたけどさぁ!


「こんな姿でどうしろって言うんだよ……」


 稚貝の姿という事は、恐らく生まれて間も無いのだろう。泳ぐ術も分からず、海中の流れに身を任せるばかりだ。そう言えば周囲を見渡す事とかって出来るのかな? うーん、稚貝の目に相当する部位がどうなっているか分からないからなぁ。まっ、やるだけやってみよう。

 周囲を見回したいというイメージを持ちながら……よっ! ほっ! おお! 貝殻の隙間から目が飛び出した感覚だ! 成功したのか!? そうだ、さっきの自己視を見てみよう。……うん、貝の隙間からカタツムリのような触角が二本出てる。成功っぽいな。

 そして周囲を見遣ると、私と同じ姿形をした稚貝達が何十匹、いや何百匹と海中を漂っていた。一つ一つの大きさは小さいが、こうも大量の稚貝が群がる光景は圧巻的だ。

 それにしても綺麗な海だ。汚れてもいなければ、水面から差し込む太陽の光が透き通っている。それに海底にあるサンゴ礁も綺麗だ。沖縄やオーストラリアの海も美しいが、そういった海とは一線を画す清らかさがある。


「本当に綺麗だ……」


 海の美しい光景に現を抜かしていると、視界の半分に影が落ちた。何の影なのかと気になって視線を横に向けると、自分よりも遥かに巨大な魚――と呼ぶには凶悪なドラゴンのような顔立ちをしている――が同族の稚貝を噛み砕きながら悠々と泳いでいた。


「え?」


 仲間が食われている事実に一瞬思考が停止したが、周りを見れば似たり寄ったりの巨大な海獣達が稚貝達をスナック感覚でバリボリと貪っていた。そこで漸く貝に生まれ変わった自分が、この美しい海の中ではヒエラルキーの最底辺に位置する存在なのだと理解した。


「ひ、ひええええええ!!!」


 何てこった! 美しい海に現を抜かしていたせいで、此処が危険地帯である事に気付けなかった! というか、何だあの魚みたいなバケモノ達は!? あんな生物、見た事ないぞ!?

 いや、今は他の生物に付いて彼是考えている暇なんてない! 急いで逃げないとヤバい!……って思っている矢先に背後から迫って来た影に飲み込まれ、振り返れば仲間を食らったのと同じ魚のバケモノが私の背後に!!


「ぎゃああああああ!!」


 逃げろ!――と思っても稚貝じゃ上手く動けない! パカパカと貝殻を上下に動かすばかりで思うように泳げない! だ、駄目だ! このままじゃ馬鹿デカい怪物に食われる!!


【誕生ボーナス 移動スキル:ジェット噴射を獲得しました】


「へぇ!? おおお!?」


 目の前のステータスにスキルが表示されたと思ったら、ボシュンッと貝の付け根辺りから空気が勢いよく噴き出た。噴射時間は短いが、その分噴射に必要となる海水を貯め込む時間も短い。その特性を活かしてジェット噴射を小刻みに使って速度を稼ぎ、背後から迫って来ていた海獣の進路から外れる事に成功した。


「よ、よし! この調子で……って何処に向かえば良いんだ!?」


 いくら海中で素早く動けるようになったからと言って、海獣から逃げ切れるという保障はない。何れ捕まって食われる可能性だって、今でも十二分に存在するのだ。

 素早く辺りを見回せば、同様にジェット噴射を覚えた稚貝達が海底へ逃れていくのが見えた。成程、海獣達の巨体じゃ海底に身体を這い蹲らせるのも楽じゃない。それに貝の身体ならば海底の水圧にも耐えられる可能性がある。

 それを見て悟った私は、稚貝達に倣って海底に向かって進み始めた。逃げ切れなかった稚貝達が食われていくのを横目に、私は只管深い場所を目指して泳いだ。

 中には逃げるのではなく、海底に広がる砂に隠れて海獣達を遣り過ごそうとする知恵者も居た。が、最初から砂中に身を潜めていた鰈と蛙を足して割ったような捕食者に食われたのを見て、隠れるという選択を放棄せざるを得なかった。

 色鮮やかなサンゴ礁のリーチや岩場の谷を潜り抜け、やがて此処ら辺では一番深いと思しき海溝に逃げ込むと、私を含めた稚貝達を追っていた海獣達は諦めて上昇していった。


「やれやれ、何とか生き延びたか……。しかし、暗いな」


 暗いと文句を言うが、当たり前だ。此処は太陽の光も届かない海底だ。昼も夜も関係ない暗闇が、自分を含めて何もかもを呑み込んでしまっているかのようだ。それでも目を凝らして辺りを窺っていると、ピロリンという音が頭の中で鳴り響いた。


【誕生ボーナス 視野スキル:暗視を獲得しました】


「おおっ、暗闇の中でも見える」


 タイミング良く手に入った暗視のおかげで、暗闇の中でも視野を確保する事が出来た。絶壁に挟まれた海溝の中を、自分と生き延びた稚貝達が海底に向かって自由落下している。

 水の中という事もあって落ちる速度がゆっくりなのは良いが、暗視を用いても海の底が見えないというのが、また別の恐怖を駆り立てる。どうやら暗視が利くのは、自分の肉眼で捉えられる距離までのようだ。

 何処まで落ちていくのだろうか。このまま落ち続けるばかりじゃないのだろうか。そんな不安が頭に過るも、すぐに別の問題に意識を囚われる。


くきゅるるる……


「あぁ~、腹減ったなぁ~……」


 生き物である以上、腹が空くという生理現象は逆らえない。だが、貝となった自分は何を食すのだろうか。そして前世の記憶を引き継ぐ自分は食事に有り付けるのか。そんな疑問を頭に宿らせたまま、私は海底へと真っ逆さまに落ちていった。

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