私は貝になった

黒蛹

プロローグ 前世の私は警備員だった

 突然だが、『私は貝になりたい』という話を御存じだろうか? 第二次世界大戦後、戦争犯罪で死刑を言い渡された気弱な日本人が、生まれ変わるのなら人間ではなく貝になりたいと遺書を書き残して処刑の日を待つという戦争の物悲しさを訴える物語だ。

 私こと貝原かいばらまもるも同じ心境だ。生まれ変わったら人間ではなく貝になりたいと思っている。別に戦争犯罪を犯した訳でもなければ、人間としての一生に絶望したからでもない。只々疲れ果てたからだ。


 私はとある警備会社に勤めていた。警備会社と聞くと大抵が施設警備や交通整備のアレを思い浮かべるだろうが、私の所はそんな真っ当な警備会社ではなかった。

 何があるのか分からない怪しげな建物を一晩中守ったり、明らかに裏社会に足を踏み込んでいる人間の護衛をしたりする如何わしい警備会社だった。しかも給料なんて碌に支払われなければ、休憩時間すら無い……立派なブラック企業だ。

 辞めようにも今まで守った建物や人物を見た以上、勝手に抜けるのは許さないという訳の分からない脅しを上司から突き付けられ、結局辞める事も訴える事も出来ずにズルズルと仕事を続けていたのだが、そんな苦渋の日々から遂に開放される時が訪れた。但し、誰もが予期せぬ結末でだが。


 ある日の事だ。その日も私は胡散臭い建物の警備を行っていた。繁華街の奥まった場所にある築何十年もするボロボロのビルで、中で何が行われているか分からないが所々に電気は付いており、人影も右往左往するのが窺える。

 しかし、私の思考は好奇心による深追いを許さなかった。この会社で何を守っているのかを知るのは、自分の命を縮める事に繋がると理解していたからだ。

 夜中1時を過ぎた頃には全ての階が消灯されて、建物内から人の気配が無くなった。だからと言って警備員の仕事が終わる訳ではなく、寧ろ誰も居なくなってからが警備の本領だ。眠い頭を何度も左右に振って眠気を追い払い、疲労から来る足腰の震えに喝を入れながら銅像のように立ち続ける。

 こんな過酷な仕事をしながらも給料は割に合わないのだから、世の中は世知辛いものだ。そんな文句を内心で垂れ流しながら警備を続けていると、建物の方からガチャンッとガラスが割れる音がした。

 チラリと腕時計に目を遣ると、短針が夜中の二時を指していた。こんな夜更けの時間帯にガラスが割れる音……明らかにおかしい。私はすぐさま無線で警備している建物に異変が起きた旨を伝え、物音の正体を探るべく建物内に足を踏み入れた。

 足音を殺しつつ一階と二階の階段を駆け上がり、三階へと続く階段の踊り場に辿り着いた時、上階の通路に懐中電灯と思しき細い光の道筋が見えた。誰かが居ると確信した私は再度無線で侵入者が居る事を伝え、万が一に備えて警察を寄越して貰うよう本社に要請した。

 しかし、真っ当な応援要請に対し無線から返って来たのは、まさかのNOという返事だった。「何故!?」という純粋な叫びが喉から出掛かったが、よくよく考えれば答えは明白だった。

 警察沙汰にしたくないのだ。自分が勤めているブラックな警備会社も、警備を任せた胡散臭い依頼者も。そして警察沙汰にしたくないとなれば、最初に侵入者を発見した私に解決を一任した。いや、この場合は責任を押し付けられたと言うべきか。

 何が何でも侵入者を建物から追い出せ。それが出来なければ給料を天引きする。無論、本社からの応援も寄越さない。無理難題ばかりを告げられ、無慈悲だと訴える暇もなく無線が切れた時は、怒りを通り越して呆れるばかりだった。

 しかし、上司からの命令に逆らえないのが平社員の悲しいさが。荒っぽい方法は可能な限り避け、平和的に追い返すしかない。そう考えて三階へと続く階段に向いた矢先、眩い懐中電灯の光が私を照らした。

 侵入者が踊り場に居た私の存在に気付いたのだ。だが、これはこれでチャンスだ。警備服を着ている私の姿を見れば、向こうは警察に通報されるのを恐れて逃げ出すかも―――


パンッパンッパンッ


 ―――しれないという甘い考えは、数度の乾いた銃声と肉体を貫く衝撃によって呆気なく打ち砕かれた。この銃規制が厳しい日本社会で、不法侵入者が銃を持っているとは誰が想像出来ようか。

 この事態を予測できず、もろに三発の銃弾を受けた私は立っている事もままならず、埃っぽい踊り場に倒れ込んだ。

 大量の血が私の身体から流出し、まるで血の池に浸かっているかのようだ。身体中が熱を帯びた痛覚を訴える一方で、手足の先から急速に熱を奪われ凍っていくような感覚に襲われる。

 やがて冷たいという感覚すら無くなり、血が足りないと遠回しに訴えているかのように思考の働きが鈍くなっていく。視界がボヤけ、世界が暗がりの中に沈んでいく中で、私を撃った張本人が此方を見下ろしながら銃の引き金に指を掛けた。

 その時に私は思った。人間として精一杯頑張っても報われないのならば、次に生まれてくる時には人間ではなく別の生き物……そう、例えばあの物語の主人公が言っていた貝になって静かに暮らしたいと。

 そう願うように内心で呟いた直後、パンッと火薬の爆ぜる音と共に、私の意識を根こそぎ刈り取った。


 貝原守、享年25歳。生真面目な人柄ながらも報われる事の少ない、薄幸な短い人生に幕を下ろした……。

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