勇者と魔王の宴
すべての力を消耗させて、強制回復のための気絶中だというのに。
「これが僕の叶えたかった夢?」
うるさい。黙って寝かせろよ。脳内に響いてくる小さな呟きが呼ぶ。わかってるよ、あと5分待てって。本当に。どいつもこいつも、堪え性ってものがない。意識は暗闇。時間は無限。だというのに無意識にまさぐる手がくしゃりと音に辿り着く。力が入らない指先が不自由で飴玉一つも満足に摘まめない。馬鹿にして悪かったよ。今では信頼も信用も尊敬もしてる。だから力を貸せよ。待てねえよ。
クラウは目を開けた。全然動ける。イケる。
体力は半分も回復していない。それでもだ。
魔王の城。対峙するには最高の舞台で、魔王と勇者が向かい合う。
本当は
伝えたい想いがあった。
言葉を紡げなかった頃の無念を
今ならば晴らせる。
だがそれに、はたしてどれだけの意味があるのか。クラウは静かに剣を抜いた。鞘から一度放たれればその刀身は魔法を発動しクラウの肉体を常にベストなコンディションへと自動的にウォーミングアップする。いつでも。準備万端だ。
熱の帯びた視線を向ければ、嬉しそうに小さく舌舐めずりしたキルが見える。歓喜。まるで戦い合うが宿命の魔王と勇者の、待ちわびた決戦の時。
剣と剣が弾ける音に、ティアがガバッと半身を起こした。ピイが転げ落ちたがそれどころではない。
「やめてよ! どうかしてるわクラウ!! どうして貴方がキルと戦うのよ!」
ティアが必死に叫ぶ様子が浮かぶけれど、すべての神経を相手に集中する二人にはもうそんな声はどこか遠い世界の出来事だ。聞こえてはいる。だが頭のなかでしか返答はできない。
戦う? 違うな。これは戦いなんかではない。勝敗を求めてなどない。ましてや倒したい敵でもない。
剣を交えることでしか語れない己を、剣を交えることでしか読み取れない相手に、ただぶつけたいだけなのだ。
「──行くぜ?」
真っ直ぐに飛び込んだ。迷いない剣を振り翳す。叩き込まれた剣技は少しも褪せてはない。どんなに素早く強烈な一撃をお見舞いしても確実にかわされ反撃をされる、──のを防ぎながら次の一撃を
魔王が育てたその勇者が、いかに強くなったか。魔王はその成長を喜ぶだろう。魔王と対等に戦えるほどの力を身に付けたのだと。証明したい。望んだものがここに完成した──と。
目が光を描く。汗が珠を結び皮膚をひとつ、またひとつと離れる。激しい動きに雫はついてこない。
あちこち剣の切っ先が擦り、服や皮膚が裂けた。だというのに。嗤ってしまう。まるであの頃に戻ったような錯覚と、だがあの頃より強い自分。なりたかった自分。これは最高の時間に違いない。
一切の魔力を削ぎおとされ弱体化した魔王だというのにこの強さとは。最盛期はどれほど恐ろしかったのか。
純粋に剣技が好きだった。それは例えば「山登りが好き」とか「球技が好き」とか。そういったありふれた感情だ。体を動かすことが好きでその手段として最たるが剣技だった。しかし剣技は一人ではなく誰かとするものであり、力量の差に心が折れた相手との試合は途端につまらないものであった。負けるにしても最後まで全力でぶつかってくる幼子との遊びに付き合うほうがまだ楽しかった。いつしか彼は手加減をし、相手を勝たせることを選択した。勝利よりも相手が真剣勝負を続けてくれる時間を取ったのだ。特に母エデンと兄には、本気で挑んで来て欲しかった。
しかし剣がひとを傷付けるものだということも知っていた。相手を傷付けないように細心の注意を払いつつ振るう剣がより一層スリリングであった。
そんな折、だ。魔神がミゼラドを襲来した。それまで相手を傷付けない剣技を楽しんでいた彼にとっては初めての敵となった。ミゼラドの戦士たちが一丸となり戦う姿‐戦場‐は試合などと比べ物にもならない異様な空気に満ちていた。劣勢になってもけして退かない誇りを掲げる魔神を目の当たりに、心が揺さぶられた。自分が求めていたのはこんな相手ではないのか──?
魔属に問うたことがある。助かりたくはないのか、と。しかし返答は皆同様、魔王の命こそが絶対。当時の魔王の器は次々に代わり勇者もまた大勢いた。魔属とはしかし、誰になろうと魔王を崇めた。不思議な集団に思えた。
共生共存の道はなく、和解という選択肢などないのだと理解すると、彼はミゼラドの国を離れ勇者になった。思う存分に剣技を楽しんでいた。しかしまもなく魔王の座に就くと、またしてもつまらない戦いだけになった。勇者たちの心が呆気なく折れていく様に失望した。
戦ってもいい相手、いつまでも本気でかかってくる相手、手加減をしなくてもいい相手、強い相手、この剣で死なない相手、──そんな相手とただ純粋に剣技がしたい。
「僕の夢は勇者になることでも魔王になることでも魔属を殲滅することでもなかった。ほんとはただこうしていつまでも試合をしていたかった」
勇者になったからには魔王を倒すものだと思い、魔王になりその苦悩を知ったからには他の誰にも背負わせてはいけないと思い、無駄に長生きするからには世界のためにあろうと思い、──だがいずれも、この想いには届かない。
「すげぇ嬉しそうな顔になってるぞ。最後の魔人を倒した時よりずっと」
「彼らと戦えば僕の夢は簡単に満たされたと思うんだ。僕が傷付けるほど彼らは強くなる。満足に戦えただろう。だけど世界がうける代償を思うと僕は彼らに剣を向ける気にはなれなかったよ。世界を滅ぼそうかと、内心何度も考えた」
永きに渡る忍耐。葛藤。
それらを解放できる今を喜ばないはずもない。
「壊さなくて良かったって、心の底から思えるのは。全部君たちのおかげ」
「俺が生まれてきたことに価値を付けたのはお前だ」
遠い前世に受け継いだもの。
神速の剣技で想いを交わす二人を茫然と見つめて、ティアはハラハラとただ涙を流していた。頭上に飛び乗るピイに慰められながら。
「やっぱり私なんかじゃ到底入り込む余地がない。それでも。もっと知りたい。理解したい。見ていたい。世界が何の犠牲の上に回っているのか」
キルは思わず嗤う。
「違うよティア。世界は生けとし生きるすべての下に。平等に回っているのさ」
「俺達のことなんて知らずに生きてる奴らのほうが大半なんだぜ?」
「犠牲なんて何もないよ。何人たりとも世界には敵わない」
世界には神様がいて最初から最後まで見ているの。何を求め何を憂い何を得るかはわからない。神様もまた、一度動き出した世界には指をくわえて見ているしかないのだ。
「……そうね
そういうことにしておいてあげる」
「ぴ!」
デルタという世界には、自分に正直な嘘つきが三人いて。求めるものを諦めない‐小さな幸せ‐を描くだろう。
『壊そうと思えば壊せた。投げ出そうと思えば投げ出せた。逃げ出そうと思えば逃げ出せた。だが彼らは自らの意志でそれをしなかった。
さてはて』
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