永久の黎明

 キルが魔王の咬み痕にそっと口づけると、たちまちクラウの全身に変化が駆け抜けた。


 フラッシュバック。そんなどころではない。これはもはやバックドラフト現象だ。記憶が大爆発を起こし激しく燃え盛る。


 すべて自分は知っていた。



 これまで何でも知ったふうな顔で生きてきたのに。何にも知らずにいたことを知らされてしまう。


 遠い日の魔王が、姫が。鮮やかに見えた。



 あの日交わした数々の視線や言葉や、世界を飲み込んだ嘘。思い出。


 真実とは、今までの認識を塗り替えるもので、一概には信じがたく、とてつもない衝撃だ。それらすべてを受け入れたとき。


 カルチャーショックより唯一勝った感情に、うち震えた。



 何故あんなにも、ティアが拘ったのか。今では合点がいった。誰よりも愛しいひとがいた。親兄弟よりも近く強く固い絆で結ばれた愛しいひとがいた。そのひとの為ならば何だって出来た。そのひとが望むなら何だってする。仮に世界を滅ぼすというなら迷わず荷担した。そうだ、世のためひとのため‐正義のため‐なんて、ほんとは欠片も存在しない。唯一人。たった唯一人のそのひとのためだ。あまりにそれまでの認識とは違う実情に驚きもしたが、愛しいと思う感情以外のすべては瞬時に霞んでいった。


 彼は望む。魔属の殲滅を。


 彼は願う。この勝利を。




 すっくと立ち上がるクラウにもう迷いはなかった。視線の先には待ちわびるユーヴィ。アイツは知っている。前にもいた。


 魔王に群がる魔属は皆嫌いだったが、中でもアイツは格別に嫌いだ。魔王を崇拝し愛している。



 睨み合う二つの視線が交差する。殺意。互いに交わす言葉など皆無。わかっているのだから必要ない。ただ排除すべき敵‐似た者同士‐。



 クラウの背中を見送り。ティアはキルの手を取る。



「言って、あげなかったの?」


「喋らないで」


「人間以外の治癒にかかる、魔力の消費は。比じゃないでしょ」


「喋らないで」


「魔人、神鳥……今までどれだけ経験して。ティアはわかっているのに」


「もう。お願いだから喋らないで」


「魔人より魔神。魔神より魔王。その負荷は大きい」


「……っキル……!」


「ましてこんな」



 死にかけの魔王。それを甦らせるには人間の命では足りない。それを知っていてティアはクラウに約束した。



「魔王は。このまま消えてしまえば本望なんだ」


「違うわ。私たちが助けたいのはキルよ」



 繋いだ手から吸われるようにガンガンと魔力の供給をし生命を回復させようと試みるが、まるでブラックホールだ。まさに死の淵。



「そのためにティアの命が尽きるっていうなら、僕はそんなの願い下げだよ」


「現代に限った話なら。貴方は私の下僕で私の持ち物よ。主人である私には貴方を管理する責任があるわ。貴方を死なせない。貴方に拒否権なんて自由はないの」



 まったく困ったお姫様だ。キルは静かに目を閉じた。たくさん言葉を続けたことの疲労に、もう返す言葉が浮かばない。どんなにティアが魔力を注いでも、魔王の生命力ははたして回復しているものかさえわからない。


 霞む視界の先に戦う二人がいる。まぶたを閉じても浮かぶ。もはや人間の織りなす戦いでは到底ない。永年夢見た神話が繰り広げられているのを肌で感じた。



 きっと命を落とす前にティアは力尽きて意識を失うだろう。だからティアが死ぬことはない。わけてもらえる命の欠片で精一杯クラウの戦いを目に焼き付けよう。そして見届け、魔王を葬ろう。すべて思い通り、うまく行くんだ。


 ここまで尽力してくれたクラウとティアには些か酷い仕打ちになるのだろうけれど。僕の描いた精一杯の不出来なシナリオはいつだってたくさんの犠牲を産んで来た。


 いつだって愛するものこそ犠牲となってしまった。


 ミゼラド、エデン、クラウ、ティア……。


 こんな僕に。君たちがくれたもの。──希望。



 絶望の魔王に、いつだって希望をくれたんだよ。



 だからね、僕はたくさんの幸せを知っているよ。



 特にクラウ。


 闇に溺れ何度世界を滅ぼそうかと思った頃に。出逢ったんだよ。僕より闇の中にいた君に。君は僕を唯一の光だと信じて、わき目も振らずに僕だけを見た。



 前世の記憶さえなければ、逃げ出してしまうことも出来たはずなのに。どうしてか君は、それでも逃げ出す道を選ばなかった。



 本当はね。魔王の咬み痕というのは人間にすることじゃあないんだ。魔王の寵愛を受けた魔人が魔神に成るためのものなんだよ。だからユーヴィはどうしたってクラウを憎む。わかっていた。


 魔神になれないユーヴィは、他の魔人を取り込んで魔神に近い強さを自ら手に入れた。そこまで追い詰めたのは確かに僕なんだ。結果的に自分から望んで最後の魔人となったユーヴィも、やはり僕のために動いてくれた。



 お願いだから、勝って、クラウ。



 最初で最後のチャンスなんだ。





 気が付けば数秒──もしくは数分、意識を手放していたようだった。繰り広げられる戦いが再び意識に飛び込んで来た。ユーヴィの大剣を受けたクラウの剣はずいぶん小さくさえ見える。しかし。クラウの剣はユーヴィの攻撃を凌ぐ楯として充分に機能した。両手を塞がれてもクラウは戦える。それはかつて魔王が少年に教えた剣術や体術だけではなく。魔王の咬み痕によってもたらされた魔力の恵み。



 魔人への攻撃に一切の情けをかけないクラウのそれは。徐々にユーヴィを追い詰めていく。



(さっきより、僕の意識もずっとすっきりしている……)



 二人が戦う最中、キルはぼんやりと思う。ティアはもう気絶しただろうか。



 がり、がり、ぼり、ぼり!


 キルの耳にそんな音が届いた。戦いの効果音にしてはあまりに雑多な音だ。まだダルい視線をゆっくり向けるとティアが何かを頬張っていた。



 がり、がり、ぼり、ぼり!



「…………何食べてるの?」



 この場面でのそれはそぐわない行為にも思えたが、違った。ティアが次々口に放り込んでいるのはティアの魔力の抽出で産み出された魔法の飴。


 ティアはティアで必死に戦っていた。



「……そんなに食べたら、虫歯になるよ?」



 睨まれた。涙目だ。ふざけてごめんなさい。



「ありがとうティア。もう大丈夫、ここまで回復したら、あとは自己回復が働くから」



 すっかり目の下にクマが出来ているティアの頬を撫でキルは柔らかく笑った。



「小さな鳥くん、君もありがとう」


「ぴい!」



 ティアとキルの上をピョンピョンと跳ねて歩く神鳥の雛に今さらながら不思議な気分になった。



(神鳥は太古の神話の時代に悪魔と戦い、選ばれた人々に魔法を与えたといわれている『Δ世界で最も神に近しい存在』なのに。どこでみつけてきたんだろう)



 腹に刺さったままの剣を引き抜いて捨てる。再び傷が出来るがどうせすぐに治る。せっかくのチャンスだったのに、また魔王は復活してしまった。ぐったりと力尽きたティアの寝顔を見て微笑む。



「下僕だからご主人さまのわがままに付き合うのは仕方ないか」


「ぴい」


「君もペットにされちゃったの? 神鳥なのにね」


「ぴいぴい!」



 本当に。とんでもないお姫様なんだ。


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