機械仕掛けの人形劇のように、動き出したらもう


 ティアが、ようやく駆け付けた。他に敵がいたかもしれないのに、そういえば一人にしてしまって悪かったという冷静な判断も今は無理だった。


 謝るべきはクラウのほうであるだろうに、「遅れてごめんなさい」などと本気で思っている。しかしキルのあまりの惨状にティアは悲鳴を飲み込んで、青ざめた顔で口元を覆う。



「何て酷いこと……! すぐ治療するから剣を──」



 剣を抜いて、とティアが口にするのを遮るように。キルはやんわりと小首を傾げた。長い髪がこぼれてキルの笑顔をさらけ出す。



「ダメだよ、ティア。わかるでしょ?」



 優しくたしなめられ、ティアは思わず「え?」と動きを止める。数秒、世界は沈黙した。


 じんわりと。ティアの瞳に哀しげな色が滲む。わかるでしょ、といったキルの言葉の通りにティアは理解をしたのだろう。だがそんなことクラウには耐えられなかった。



 半ば強引。力任せにティアのニの腕を引いて。乱暴に進むクラウの必死の形相に、ティアは口を噤んだまま引きずられるようについていく。キルから離れ、話し声が届かないだろう所までくるとクラウはティアを壁際に立たせ腕で進路を塞いだ。



「ティア。ティア。頼む、ティア。……キルを、キルを助けてくれ。頼むから……!」



 ティアを逃がさないためではない。その両腕がクラウを辛うじて支えていた。今にも膝をついて崩れ落ちそうなクラウはがくりと頭を垂れ、もう何も見ていない。足元には大粒の涙が次々に落ちる。


 ティアはクラウの震える肩を見つめていたが、躊躇いがちに手を伸ばしそっと抱き締めた。まるで腫れ物に触るようにそっと。



「大丈夫よクラウ。大丈夫。何も心配いらないわ」



 魔王を終わらせようとするキル。キルを失いたくないクラウ。


 そんな図式は大昔に決まっていたのだろうか。希望の姫君とはいかなるときも最後まで決して諦めない者、勇者と魔王を全力でサポートする者。クラウが誰かにすがれるとすれば、そんな希望を絶やさない人物だけだ。



「キルのことは私に任せておいて」



 小さなこどもを慰めるように背中をぽんぽんと静かに叩く。



「とにかくクラウは最後の魔人とやらを倒してあげて。貴方がずっとしてきたこと。魔属の殲滅こそ、キルが永年抱いた夢だわ」


「…………夢、?」


「そうよ。貴方はキルの為に。私は貴方の為に。すべてを捧げるのだわ」



 今度はティアがクラウの手を引いた。



「さぁ。キルの所へ戻りましょう?」


 ずしり。ティアの手に加わるのはクラウの重い気持ちそのものだ。手を引かれてもクラウは石のごとく動かない。


 見届けたら死ぬといった。それに虹色であるあの魔人にクラウが敵う保証もない。ネガティブな思考が溢れた。



「クラウ。」



 ティアの口からはついにキツめの声音。



「大丈夫だから。私を、キルを信じて」


「あぁ、」



 口ではそんな返事をしたがクラウの心はすでにここにあらず。朦朧とする足取りのクラウをティアは無理矢理キルの所まで連れていった。



「キル。クラウに前のクラウを解放してあげて。きっと戦うから」



 前世のクラウならば、キルの想いもよく知っている。どんな状況でも最優先に戦うことを選ぶだろう。クラウの知らないクラウを、だが二人は疑わない。キルは懐かしそうにクラウを見た。



「そうだね。今のクラウには何も。伝えてすらなかった。それなのに。よくここまで来てくれたね」



 もうまぶたすらやっとの思いで開けている。キルの声は掠れていた。


 何か呟いた。それは聞き取れなかった。鉛のような重たい体に力を入れてクラウがキルの口元へ耳を近付ける。



「──大丈夫。君には出来る」



 クラウの肩に額を落としキルは目を閉じた。キルの髪がクラウの肌をくすぐる。


 クラウのぬくもりとキルの冷ややかな肉体がまるで対照的だった。クラウの身体はますます熱を増していく。



「魔王の咬み痕を」



 云われ、クラウは戸惑いがちにハイネックの襟を下げた。禍々しい痣が浮かぶ首筋にキルが再び目を開ける。



「痛かったよね、」

「覚えてない」


「今から思い出すよ」



「構わない」



 クラウの返答にキルは小さく笑った。


 嘘だよ。もう咬みつく元気はないよ。ただ、思い出す記憶に痛みが残っているかはわからない。どちらにせよ。



 ──すごく愛しいよ。



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