魔王
このところ野宿が続いていたが、久しぶりに人里の宿にて夜を迎えていた。
キルと一緒に旅していた時は宿に泊まる時は当たり前に三人同室だった。それが当たり前だった。気にもしなかった。そう、今までは。
(クラウと、二人だけで同室かあああぁぁぁ)
ティアは頭を抱え込んで身悶えた。
「ピ!」
「あ、うんごめん」
ピイもいるので二人きりではないのだが。一度意識してしまうともう平常心ではいられない。よりによってクラウがシャワーを浴びに浴室に入っているときに気付いてしまった。まだまだ自分たちはこども。だがしかしまぎれもなく男と女。
(おっふ。ちょっと待って。どんな顔でクラウと話せばいいの)
普通通りに接するなんて芸当ができるのだろうか。きっと挙動不審になる。
(いえ。落ち着くのよティア。相手はあのクラウよ。色恋や女心なんて遠い次元に違いない。それにティアちゃんはグラマラスな姉と違って色気も皆無)
「ピイ?」
「なんでもないわ。自分の言葉に打ちのめされてなんかないわ」
間もなくカラスの行水から帰ってきたクラウが髪を拭きながら部屋に来た。
「ああああ相変わらず早いのね! お風呂くらいゆっくり寛げばいいのに」
「別に必要ない。」
本当に必要なさげだから困る。クラウはいつも無駄を嫌う。必要最低限の最短。どもりまくるティアにもスルーだ。なぜなら無駄が嫌いだから。気にもしていない。
逃げるようにティアも着替えを手に浴室へ駆け込んだ。
ティアの場合はクラウと違って髪が長い。洗うのも乾かすのもそれ相応に時間がかかる。そういえばキルもお風呂が大好きで、一緒に乾かしあいをした。いつも大人に囲まれて希望の姫君の修行と勉強に勤しんできたティアにとって、キルはまるで気心の知れた友達だった。はじめての友人だ。綺麗で可愛くて可憐でどこかぼんやりしてて、いつもにこにこしてるのに。ふとした時に豹変する。ああ、キルは男の子だったっけと、頭を鈍器で殴られたような衝撃があとから来る。
考えたら確かにキルは謎多き人物といえるのだろう。それでもティアにとっては最高の友人であることにかわりない。
熱めのお湯を頭から浴びて汚れを落とす。キルもお風呂入りたいだろうな。早く助け出してあげないとな。そしてまた三人で一緒に旅をしたい。
丁寧に髪を洗い、身体を洗い、顔を洗う。長湯はせずティアも早々に上がり着替えた。長い髪から雫が滴らなくなる頃合になって部屋に戻るとクラウはとっくに床に入ってスヤスヤと眠っている。ですよね。クラウはいつも寝付きがいい。横になると秒で眠りにつく。本当に無駄がない。
(何か私一人だけ余計な心配してたのが恥ずかしいんですけど……)
ピイもティアの寝床の枕元でもう眠っていた。
クラウの無防備な寝顔を見てちょっと魔が差した。こっそりほっぺにチュウとかしてももしかしたら今ならいけるんじゃないかとか、ほんの一瞬頭をよぎった。もう少し異性として意識してくれてもいいんじゃないかという不服申立ての意味で。しかし次の瞬間寝ているはずのクラウが口を開いた。
「寝込みを襲うつもりなら諦めろよ。気配でどの距離にいるか常にわかってるからな」
「ぴぎゃあっ!?」
世にも不思議な悲鳴をあげたティアに驚いてクラウが目を開けた。
「ぉぉおおお襲うだなんて」
「じっとこっちを見てたから」
「寝てると思って!」
「寝てても視線はわかる。夜になるとメイドのミザリーが俺を殺しにくるから」
「なんで急にそんなオカルトホラーの話するの!?」
「いや。ワイバンの他にも俺を暗殺するよう仕向けてたから」
そういう幼少時代からの特訓の成果で、寝ている間も一切隙がない。
(危なかったぁああ、チュウしなくてよかったぁ!!)
「何か用か」
「びっくりしすぎて忘れたわよ!」
ティアが涙目で抗議するとクラウは興味無さそうに寝返りを打って背を向けた。
「お前もさっさと寝ろよ。明日には魔王の城のエリアに入りたい」
「あと三日はかかる距離じゃなかった!?」
「だから。早くしっかり寝ろ」
多分ここがゆっくり休める最後のポイントだ。魔王の城付近に宿屋のある町や山小屋が都合よくあるとは思えない。クラウは目を閉じ再び眠りについた。
(早っ。もう寝息立ててる)
仕方なくティアも急いで寝支度をしてクラウに背を向けて寝た。
その夜、ティアはキルの夢をみた。クラウは虹色の魔人の夢をみた。
『ティア。早くクラウを連れてきて。最後の敵を倒すんだ』
ティアの夢の中で確かにキルはそういった。『最後の』とはどういう意味なのか。ティアがキルに問いかけようとした矢先。
「ふざけるな!!!」
そんなクラウの怒号が飛んできたのでティアは飛び起きた。ピイもパニックを起こして走り回って最終的にティアの懐に潜り込んだ。
窓の外は明るくなっていた。朝だ。半身を起こし両手で顔を覆うクラウが怒りで肩を震わせているのが見えたのでティアは口から飛び出しそうな心臓を一旦呑み込んで自分を落ち着けた。落ち着こう。そうしよう。
心臓はいつまでもバクバクと早鐘のようだ。
「どうかしましたかクラウさん」
緊張の面持ちで遠慮がちにティアが問えば深いため息を返された。
「……だいじょうぶ?」
「わりぃ」
一応理性はあるらしい。安堵した。
「本当に悪かった。ただの夢だがあんまり腹立たしい内容だったからつい」
「夢。そういえば私もなんか夢見てたけどびっくりしすぎて忘れたわよ」
「お前それ昨日も言ってた」
「起き抜けびっくりは反則だと思うの」
疲れた顔のクラウが手を離して顔を上げた。「まじクソ気分悪い」とか呟いていたが、殺気立ったクラウもなかなかどうしてイケメンだった。ティアは悶えながら傍らの枕をぼふぼふと殴った。
そのティアの手首を突然クラウが掴んだ。びっくりして見上げるティアのすぐ横になんとクラウがいた。これは心臓が持たない。
「なあ、教えてくれ」
クラウは真剣な目でティアに食ってかかる。これは心臓が持たない。
「なんでアイツ、俺のことを魔王子って言うんだ」
「お前、なんか知ってるだろ」
「魔王は今どこにいる」
「誰が魔王だ」
「魔王を倒したやつが次の魔王になるって言うなら、千年魔王を倒した、勇者の、」
「生まれ変わり」
「俺が魔王なのか!?」
矢継ぎ早に繰り出されたのが心からの悲痛な叫びだったから。ポカンと口をあけたままのティアの目からはやがてぽろぽろと涙が転げ落ちた。
「ク……ラウ……?」
思考回路が完全にフリーズした。
世界から魔王が途絶えることはない。それは千年魔王によって世に広められた事実。それまでは勇者たちがただ魔王を倒せば平和になると誰もが夢をみていた。どんなに勇者たちが挑んでも、勇者たちが無事に帰って来ることはなかった。魔王のいない平和な時代は訪れなかった。次々に魔王が代替わりしただけだ。何故か。勇者たちに千年魔王は問う。
どの勇者も、千年魔王には敵わなかった。強すぎた。死に損なって、帰された彼らは、千年魔王の言葉を広めた。魔王を倒した勇者は、呪いによって次の魔王になる。魔王は決していなくならない。平和な時代など来はしない。人々の夢は砕かれた。そうして誰も勇者にならなくなった。
魔王軍に脅かされた国が次々降伏し、生け贄を捧げる道を選んだ。グラシアもファンダリアもそうして滅亡を免れた。
「なあ、」
希望の姫君は魔王の城で、全てを見届けた人類唯一の生き証人として、その物語を語ったのではないのか。グラシアの勇者王子が千年魔王を倒し、無事にファンダリアへ、希望の姫君を送り届けた。そんな勇者伝説は他にはない。魔王を倒せば皆等しく魔王になった。何故グラシアの勇者王子だけ違う末路となった。
「千年魔王を倒してなんかいないのか、本当は次代の魔王であることを隠しているか、」
「真実を」
「希望の姫君だけは」
「知っていただろ!」
希望の姫君の書いた物語が嘘にまみれているのなら、真実はどうなのか。
呪いの王子だと親元を離れ、勇者の生まれ変わりだと持て囃され、魔属は敵だと教えこまれ、過ごしてきた過去のすべては。一体何を信じて、これからどこへ向かい、誰のために、何を成すのか。突如真っ暗闇に落ちた。今まで見ぬふりをして素通りして来たツケだ。多少の思い当たる節はある。
魔王子。クラウンハイド。
ティアは無意識にクラウを抱きしめていた。
「クラウは、魔王なんかじゃないわ」
「千年魔王と希望の姫君は、もう誰も哀しい魔王になんかさせないって」
「一緒に」
「世界を守ったのよ」
ティアの言葉に。今度はクラウがフリーズした。
魔王が世界を守った。聞き間違いでなければ確かにティアそう言った。
「魔王子。クラウンハイドは、魔王によって育てられた、グラシアの姫の」
「魔王のこども???」
「ではないわ」
「ではない」「ではない」
魔王の血はひいていない。
「グラシアの姫がこどもを残して自害してしまったから、千年魔王が代わりに育てたって手記には記されていたわ」
「千年魔王は、世界の呪いに反逆した。すべての魔属を排し、平和を作ろうと自ら罪を被ったの。魔王では魔属を屠れないから。クラウンハイドを、勇者を育てて」
「魔王でありながら、人類のために尽力した──」
クラウの肩から次第に力が抜けていった。勇者は魔王を倒すためにいるのだと、ずっと思い込んでいた。反逆の魔王? それではまるで世界は反転だ。魔王こそが救世主だ。
ならば自分はその千年魔王に再び会って、千年魔王のために、剣となり魔属を討つことこそが宿命ではないのか。
「そうだわ。思い出した。今夢でキルが」
ティアはガバッと抱きしめていたクラウを引き剥がしその目を見て訴えかける。
「最後の敵を倒し、て、って……」
そして我に返った。近い。クラウの目が驚いた形ですぐそこにある。
「わかった。すぐ出発だ」
(いや。そういう意味じゃなくて。最後の敵ってとこ。)
テキパキと仕度を始めた切り替えの早さに色々言いたいことはあったが、心臓が心配だったのでティアは口を噤んで大人しく従った。
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