幕間 あったかいスープに死の接吻を



 かつては優雅にそびえただろう立派な古城が、今は寂れた場所にひっそり佇んでいる。


 草木が生い茂り、路は途切れ、辿り着ける気もしない。


 不気味な馬車に揺られ、複雑な面持ちの老若男女が数名、だんまりと古城をみつめていた。



 彼らは皆、新しい職場を求めてやってきたが、どうやらまともな働き口ではなさそうだと早くも失望していた。


 だが口を開いて嘆く者はいない。それぞれが、今更まともな働き口を期待する身分ではないと自覚もしていた。衣食住が保証されるだけで御の字なのだ。



「さあさ皆様、到着しましたよ」



 馬車が止まると御者が扉を開けた。しぶしぶと重たい腰を上げて外に出ると、案外古城は手入れされていて誰かが暮らしているようだった。


 門扉もしっかりしているし、庭は少し荒れてはいるが最低限の路は確保されている。


 何より、料理の臭いが漂ってきた。



「遠いところをようこそ」



 出迎えた若い男もきちんとした身なりだ。



「お疲れでしょうがまずは食事にしよう」



 温かなスープ。やわらかいパン。色とりどりの新鮮な野菜。けして多くはないが肉や魚もある。


 皆がほっと一息つく頃あいを見計らって城の男はおもむろに言った。



「今日わざわざ集まってもらったのは、ここで働いてもらうためなのだが。この城ではさる高貴なお方をお育てしている」



 男は自身も使用人の一人にすぎないと語った。


『さる高貴なお方』がどういった身分かは明かされなかったが、話の流れからまだ子供であるらしいことが伝わった。



 話を聞くうちに若い女がカタカタと震えだした。


 老いた男は俯いて目を閉じている。


 骨格が歪んだ小男はそもそも歪んだ顔をしているため、表情から感情は読めないが。まるで彼らを代表するかのように深くため息をついてから静かに挙手をした。




「あっしはね、旦那。生まれてはじめて手紙ってもんを受け取りやした。こんな容姿みてくれなもんでそりゃ大層気味悪がられて来やして、ツレの一人もいたためしがないんでさ。あっしに誰かが手紙を書いてくれるなんざ思いもしやせん。でも旦那。聞いてくだせぇ。手紙をもらったあっしの感想は正直『不気味』でやした。嬉しいとか驚いたとか、他にいくらでもあったか知らねえが、とにかく一番強い気持ちは不気味。毎日野良犬以下のその日暮らしのあっしに、職の誘い。誰からも必要とされたことのねえあっしに。見ればそっちのあねさんも爺様も何か訳ありくせえ顔をしなさっている。一体あんたは何者なんでい旦那。親もいねえ天涯孤独なあっしのよな、根なし草に手紙を寄越した。この世に生きている人間のなかに、どうしてあっしの名を知るものがいるんで?」



 酷く落ち着いた殺気。目だけがギラギラと光っていた。


 対する城の男はふむ、と一度間をおいた。



「不信感をいだかれるのも当然だ」



 ふむふむ、と考えてやがて言った。



「とくに気のきいた言い訳は浮かばないな。多分、何を言っても君たちは納得しないだろうし」


「あの……それでも。納得できないものであっても。何も言われないよりはマシです。私も。誰かから必要とされるような人間ではないです。どうして」



 若い女はたどたどしい言葉を必死に繋ぐ。



「私は。私は。小さなお子様のお世話をしていい人間ではありません」


「くたばりぞこないの老いぼれもまた然りですぞ」



 それまで沈黙していた老人がか細い声で悲痛な囁きをこぼした。



「それはあれか。君たちの経歴の話か。知っている、だがここでは問題ない。いや違う。むしろそれこそが君たちがここにいる理由だろう。君たちがこれまで何人死なせてきたか、どんな評価を受けてきたか、気にすることはない。ここではそれこそが求められている」



 小男に負けじとたくさん喋ったことで疲れたのか。小さく息を吐いて小首を振った。



「今日はもう休んでいい。部屋は用意してある。明日、あの方に紹介しよう」



「貴方は……私が恐くないのですか?」


 若い女は信じられないと食い下がる。


「ええ。ちっとも」


「人を死なせたのに? 私がいたら貴方も死ぬかもしれない」


「では貴女は彼らが恐ろしいか?」



 言われてはじめて女は戸惑った目で小男と老人を見た。


 自分のことで頭がいっぱいで気が回らない。しかしこの二人も誰かを殺めてきたらしい。



 何も答えられなくなった女に、老人が言った。



「今日は、休むとしようじゃないか」


「まぁあっしなんざいつ死んでも問題ないんで。姉さんや爺様に対する嫌悪や恐怖は特にありゃしやせん。旦那には多少あるってだけで」



 あからさまな不信感をぶつけられても、平然と振る舞う男にますます疑念が募る。


 小男は早々に与えられた個室へ退散した。



「なんなんでい、一体。あっしらに殺し合いでもさせんでしょうかい」


「そんなことしないよ」



 飛び退いた。いつから、勿論最初からいたのだろう、部屋の片隅に子供がいた。子供? いや背丈は子供のそれだが目付きが尋常ではない。



「さすがいい動き」

「いやいやいや、ちょ、」



 小男は必死に自分を落ち着かせる。



「自慢じゃねえですが、あっしは気配には人一倍気を配って」

「そうだね」

「坊っちゃん。あんたは生きてそこに実在して?」

「いるよ」



 そう、そこに実在している。その姿は視覚が、声は聴覚が捉えている。しかし。それでもなお気配がない。



「ころしやっていうの? おじさん強いんでしょ」

「あっしは。多分坊っちゃんの足許にも及びやしやせん」

「ふーん……でも、」



 子供らしくない子供はゆっくり首を傾げる。



「あの中では一番、おじさんが強いよね?」



 ど。


 っと嫌な汗が吹き出し小男は狼狽えた。今まで何度もピンチになったがこんなに切羽詰まったこともない。



「よろしくね」



 にこりともしない抑揚のない声。これははたして人間の子供なのか。悪魔か何かそうしたものではないか。



「へぇ。なんなりと」



 絶体服従を余儀なくされたような、いつでも急所を掴まれているような、死と隣り合わせの空気がまとわりつく。


 ただそこにいるだけなのに、畏ろしい。



「手紙……ごめんね。魔法で探したから」

「魔法。名前まで?」

「うん」

「それは──随分と強い魔法でさね」



 誰もが知っていることならば簡単な魔法でも探れる。だが誰も知らないことについては余程の術者でなければ暴けない。


 まともな魔法を使うだけでもじゅうぶん稀少。



 まさかそんな高等魔法が用いられ自分に手紙が届くとは。小男は今更になって急に手紙が大事に思え胸を熱くした。



「坊っちゃん。あっしをみつけていただき、ありがとうごぜやす」

「変なの。必要だから呼んだだけなのに。お礼を言わなきゃいけないのはこっちなのに」


「へぇ。こんなあっしが坊っちゃんのお役にたてるんで?」

「うん」



 たとえ相手が神でも悪魔でも。仕えてみようという気になる。上からでも下からでもない、さながら『対等』であるかのような空気に小男は自ら平伏した。


 カリスマ性。あえて理由をあげるならばそれだ。



「おじさん、どこの地方のひと?」



 言語は世界共通で、どの国の生まれででも話は通じるが。土地柄で訛りがでる。


 自分の知らないイントネーションで喋る相手がいたなら他所の出身だといえるが。



「坊っちゃん。これは内緒でさ。どこの出身かわからせないためにわざと訛りを作るんでさ」

「じゃあ……ほんとは普通に話せる?」

「勿論」


「ワイバン。俺のこと殺せる?」



 小男は耳を疑った。こころなしかそれまでとは空気がかわった気もした。目の前の子供の姿形をした者が、子供のふりをやめたからか。



「そこは『勿論』って言わないんだ」

「坊っちゃん。からかうのはよしてくだせえ」



「ふざけてなんかない」


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