幕間 希望と絶望の姫君

「お前は本当にどんくさいな。取り柄と言ったら無駄に育った乳だけかよ」


 背の高い男が目の前で涙ぐむ少女の双丘を教鞭の先でつついた。か弱いという表現が似合う色白の少女。まだ幼い世間知らず。うっすら色付く桃色の白髪。肌の方が白い。


「ごめ、ごめんなさいアル。もっとがんばるから、ゆるして」


 少女が見上げる先には唐紅の白髪。冷たい眼差しを細くして笑う。


「頑張っても無駄だ。お前は才能がない」

「そんな……見捨てないで、おねがい」


 グズグズと鼻を鳴らして本格的に泣き出してしまう少女に、男はますます飽きれたようだ。そこに小さな塊が転がり込んできてちょうど男の膝にタックルしてきた。


「こりゃー! あるへらっちゅ。ひめねーちゃまをいちめて、わるいやちゅりゃ!」

「あ?」


 そんな攻撃ごときでは膝カックンにもならない。


「お前また潜り込んで来たかよクソガキ。ここは遊び場じゃねえって言ってんだろ」

「しぇくはらちょうしめ、えい!えい!」


 痛くも痒くもないパンチを繰り出す小さなクリームパンみたいな拳をつねると、幼い女児は男をめっさ睨み上げた。涙目だが戦う気でいる目付きだ。


「言えてねえ。つうかお前みたいなガキんちょがどうしてそんな言葉知ってんだ」


 幼児は尚も何かを捲し立て男に文句を言ってきたが、感情が呂律を上回ってるので何を言っているか最早記号。男は愉快になって小さく笑った。


「お前も虐めてやろうか」

「やめてアル。この子は関係ないじゃない!」


 さっきまでさめざめと泣くだけだった少女も文句を言い始めた。やれやれだ。


「うるせえよ。お前よりこのガキの方がまだ見込みがある」

「バカ言わないで。この子はまだこんなに小さいのに」

「関係ねえ。ガキだろうがなんだろうが魔属にとっちゃ」


 男が呟いた魔属という単語に少女は一瞬でザッと青ざめた。ガクガクと震えもう言葉は発しない。


「……お前は戦えない。臆病者に用はない」

「わるものはやっちゅけちぇやる!」


 幼児はまた果敢にクリームパンチをお見舞する。全力のぽすぽす。


「そうだよな? だが戦う相手は俺じゃねえ。俺よりもっとずっと悪いやつがいて、そいつが勇者王子を殺しにくる」

「ゆーしゃおーじ?」

「お前らがよく読んでる絵本の王子様だよ」


 幼児の前に腰を落とし、目線を合わせる。


「王子を守るために、億さず戦える女だけが希望の名を冠する資格があるんだ」


「ビビってる暇なんかねえんだ。お前らは。ガキだろうがなんだろうが死に物狂いで強くなれ」


「次は必ず守り抜け。二度と殺させるな」


「魔属なんかに、屈してたまるか」


 幼いまんまるの目が真っ直ぐに男を見ていた。


「お前はいい目をしてるなクソガキ」

「ちぇくはりゃ」

「だから全然言えてねえって。あとここはロリコンが正解だろ」


 男から幼女を遠ざけ少女がうろたえた眼差しを向けた。


「違う。誤解だバレッタ。俺はロリコンじゃねえ」


 本気で狼狽えている少女バレッタの様子に、アルフェラッツもにわかに内心焦りを覚えた。


「いやマジで。ロリコンじゃねえし、セクハラ教師じゃねえし、ドSでもねえから」


 この際だから全部否定しておいたが、逆効果だったみたいだ。少女が無言でふるふると首を横に振る。日頃の口の悪さと態度の悪さが災して信頼度は低かった。


「わかった。ドSと多少のセクハラがあったことは詫びる。けどロリコンはマジで違う」


「自分で正解って」

「それは言葉のあやだろ。ツッコミとしてのボキャブラリーのチョイスでの正解だ。俺はロリコンじゃない」


「りょりこん」

「違え」

「あるへらっちゅはりょりこん」

「絶対外で言うな。誰にも」


 大人の男の掌は大きい。幼児の顔面など簡単に覆われてしまう。


「ティアに乱暴しないで!」

「躾だ。口は災いのもとなんだよ」


「いやあ、誰か来て!」

「何でだよ! ちょっと落ち着けバレッタ」


 冗談も通じない。男は二人からちゃんと離れて少女を説得した。


「いいか。希望の姫君教育係は俺以外やれねえんだから、変な容疑で話をややこやしくすんな。お前らなんかなんの魅力もねえし興味もねえよ」

「ひめねーちゃまをいちめる」

「わかった。バレッタにはもう厳しくあたらないから安心しろ。約束する」


 鬼の教育係として畏れられた男が一人の幼女に従う。しかしながら疑惑は完全に拭い去ることは出来なかった。



 ***


「今日は特別な場所へ連れて行ってあげる」


 幼い姉がそう言って四歳の誕生日を祝ってくれた。無邪気にただ嬉しかった。


「希望の姫君のお部屋があるの。認められた者しか近付けないお部屋よ。当時のまま、後継者をと聞くわ」


 ファンダリア城は広大で、複雑な造りだった。日頃自分が出入りしない場所は何があるのかさっぱりだ。だから初めての場所はいつも、誰かが連れて行って教えてくれる。この日バレッタがティアの手を引いて長い廊下を進み扉の前で微笑んだ。


「鳥の絵がついているでしょう? ここから先は希望の姫君の場所なの」


 ノブに手をかけ回す。他の誰かじゃ開くことも出来ないドア。バレッタは誇らしげにティアに教えた。


 扉の向こうにまだ廊下があって、中途半端な間取りの広間の壁にまた扉。さっき見たのと同じ鳥の絵だ。


「今はまだ私にも開けない二番目の扉」


 だから今日はここまでよ、とバレッタが告げるより早く。ティアの小さなてのひらがのびた。鍵はもともと付いていない。しかし魔法のロックがかかっていて、希望の姫君に認められた人間にしかそれは開けない。普段はバレッタがどんなに頑張ってもびくとしない。それなのに今目の前で簡単に開け放たれ、その先の知らない景色を目にし、息を飲む。


 パッと駆け出したティアに、愕然とした。


「待ってティア!」


 無邪気に笑って駆けていく。夢であってほしい。招かれない自分が足を踏み入れていいのか。恐る恐る進む。部屋の中だが花畑と半分融合したような非現実的な場所。魔法の部屋だからそれも頷ける。


「ティア。どこ?」


 進んでいくと幻想書斎に見知った顔の男がいた。


「アル」

「お前、どうやってここまで来たんだ」


 読んでいた本をパタンと音をたてて閉じた。


「ティアを……追いかけてきたのよ」

「へぇ? あのガキやっぱり素質あるのか」


 しばらくしてティアが両腕に抱えきれない一冊の本を抱きしめながら戻ってきた。


「ティア」

「魔本じゃねえか。どこから拾ってきた」


「アルフェラッチュ」

「いい加減ちゃんと名前呼べ。アルフェラッツ先生だ」

「あっちのお部屋でねー綺麗なお姉さんがティアにくれたのー」


「他にも誰かいるの!?」


 自分が入ることの出来ない場所に。入ることの許された者が何人いるのか。バレッタは泣きそうだった。


「あっちの部屋にいるとすれば、答えはひとつしかない。お前が会ったのは希望の姫君の云わば亡霊だ。……何か言ってたか」

「んとねー。忘れちゃた」


 アルフェラッツはため息をついた。


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