幕間 スケープゴート5+

 千年魔王が君臨していたあの時代。ついにファンドリアにも魔王の軍勢が差し向けられた。降伏すれば国が滅ぼされることはない、ファンドリア姫は知っていた。あのグラシアのように。生贄の姫を魔王に差し出せばいい。姫一人と引き換えに、国は生き延び、民は日常を守られる。およそ迷いなどなかった。


 ファンドリアの姫君が自ら生け贄に名乗りを上げた。国民たちはそれに猛反発し、騎士も王家も姫君の説得にあたったが。



「さてはてどうするお姫さま。このままお姫さまを浚って軍を引き上げるのは簡単だが?」



 ファンドリア城の塔の一画。魔人クアルと姫が風に吹かれていた。民衆の叫び声が方々の建物に反響しこだましてくる。とかく人間は群れでうるさい。片耳に小指を突っ込みクアルが肩を竦めた。



「前に。グラシアの姫を生け贄として連れ帰ったこともある」


「知っています。その勇気ある姫君のおかげでグラシアは今も平和です」



 凛とした眼差し。ファンドリア姫の言葉にクアルは大笑いをした。


「勇気ある姫! 何言っちゃってるの」


 腹を抱え嗤うクアルにファンドリア姫は固唾を飲んだ。



「グラシアは可哀想なを犠牲にした。魔王の慈悲のおかげで人間は生き延びる」


 それは決してグラシア姫の功績ではない、と魔人は言うのだ。


「……ああ? でもアンタは確かに『勇気ある姫』だ。自ら望んで生け贄だもんな? 頭がおかしーんじゃない?」



 下でわーわー騒いでる民衆のほうがまだわかっている。夢を見ているお姫さまじゃあちょっと自分のしでかそうとしている意味がわからないみたいだ。



「グラシアの姫はどうなりましたか」


 ファンドリア姫の気丈な声が微かに震えていた。


「死にましたよ。自分で舌を噛み切り、自害したんだよ」


 さも意地悪そうに大袈裟に長い舌を出してクアルが言うと、ファンドリア姫の身を案じた民衆が悲痛なざわめきをあげた。魔王の生贄となればただでは済まない。


 しかし姫はそんな彼らに向かい、声を上げる。



「希望は。絶やしてはなりません」


「あの恐ろしい魔物の軍勢を、美しいファンドリアを、私は見てしまったのです」


「すべてを灰にしていいはずがありません」



 まるで演劇。クアルは冷めた目で熱く語る姫と息を潜め耳を傾ける民を見た。欠伸も出た。


(一体何を勝手に盛り上がってるんだか。悲劇のヒロインよろしくでお涙頂戴なんざ茶番だっつーの)



 長々と、切々と。涙するファンドリアの国民に向けて声高に宣言する可憐な姫君。



「ファンドリアのすべての民よ。昨日と変わらぬ明日を、しあわせに生きてください。毎日を精一杯に。大切に生きてください。私の誇りを汚さぬよう。私は希望に生きます」



 ***



「魔王様。お邪魔してもよろしいですか?」



 扉の向こうから鈴のような声がして魔王はクスクスと笑う。



「どうぞ?」



 入って来たのは先日降伏したファンドリアの美姫。生け贄だというのに堂々としていて陰りを見せない姫。変わり者の希望の姫君。



「こちらでは私何をすればよろしいでしょう。私に何かお手伝い出来ることがありましたらぜひお申し付けください」


「退屈? だよねー。何もないもんねー、ここ。生きることに必死なひとからしたら贅沢な悩みなんだろうけど、」


「不満を言いたいわけではありませんわ。けれども何かすることがあるならそれをしたいのです」



 やんわりと返す姫に魔王は頬杖をついて、んー…としばし二の句を探す。


「気持ちは嬉しいんだけどね。僕は今、君に興味がないんだ。好きにしてていいから勝手に好きにしてよ」



 残酷を吐き出す口。無邪気を装う笑顔は簡単に突き放す。



「では私のしたいようにしてよろしいのですね」



 対して希望の姫君はその瞳に星を宿したままけして曇らない。お前なんかにかまってる暇はないんだ、と突き放したはずなのに逆に首の後ろでも掴まれたような錯覚。この姫はよほど頭が悪いのかあるいは逆に策士か。


 仲間なら心強いが敵なら厄介。仲間内にいる敵なら更に厄介。



「ここはこう……私が思っていたのとは少し違いますわね」



 姫は人懐っこい笑みでそう言った。



「どんなだと思ってたの?」

「うまくは言えませんがもっと恐ろしい場所だと」


「恐ろしいよね? 普通のひとはもっと恐がったり憎んだりするよ」


「どなたをですか?」



 本当に頭が弱いのかもしれないと少しだけ思う。



「君の目の前にいる魔王とか。そこらへんの魔人とか」


「魔王様も可愛らしいです」


「………………。あぁ、ごめん。聞き方が悪かったよね」


「?」



 メルヘンだ。この姫様の頭の中にはメルヘンな森や花園があってバンビとかが跳ねてるんだ。



「恐ろしい場所なのだと思って覚悟してここへ来ましたわ。でも実際この目で見て思いましたの。皆さまいい方です。それは魔王様のおかげなのですわ。貴方が世界を平和にしてくださっているのです」




「──なんていったの?」



 思考を揺さぶられると動きが止まってしまう。致命的に。



「魔王は人類の敵だよ」


「生け贄などすぐに殺されてしまうのだと思いました。けれども。こうして生かされているのは何故でしょう」



 ファンドリアの姫は静かに魔王を見据えたが魔王は嗤うだけだった。


 噂では魔王とは気狂いの元勇者。魔の王となり人を滅ぼす存在。しかし目の前の魔王はあまりに人らしい。あるいは誰よりも王であるような気すらする。



 いくつもの国が魔属により滅ぼされたが、降伏をした国はそれ以上の被害を受けることはない。魔王ははたして何が目的なのか。



(目的。そう、あれは強い意志。魔の者を従えてはいますが、彼は──)



「……私も。何かお役にたてますかしら」


「面白いことを言うんだね」



 その様子を離れて見ていた魔人たちは、笑う。



「あの女は頭がおかしいのか?」

「魔王の役に立つのは魔属だけだ」


「怯えて泣くなら可愛げもあるのに」




「まだなお人類の歴史は続いています。貴方が人類の敵ならばとうに滅亡していましょう」



 シンプルに。真実を見抜く。いとも簡単に。



「貴方のお役にたちたいです」




「君は今やファンドリアで希望の姫君と呼ばれているようだね」


「そうですわね。私がファンドリアでいかなるときも希望を絶やしてはならないと説いたからですわね」



 軽々しい言葉は羽毛のようにふわふわとしてまるで重みは感じられないが。瞳が光を宿していた。魔王は不意に笑ってしまった。



「何度も何度も絶望を味わっても。まだそれはやってくるかい?」


「ええ必ず」



 知っていた。信じていた。解っていた。思っていた。求めていた。願っていた。だが揺らぎ迷うこともある。だからこそ。


 自分以外の誰かがそう言ってくれたことが更なる熱となる。


 長く冷えきっていた時代は終わりを迎えていたのだ。




「それでも魔王は。恐れられ憎まれ恨まれる存在だよ。魔を統べる悪しき王なんだ。たくさんのひとを殺し国を滅ぼした」


「それは本当に貴方自身が望んだ結果だったでしょうか。歴史はそうだったかもしれません。ですが私は私の目で貴方を今見ています」




「君は。君の国を救うために命を僕に捧げたんだ。それ以上何を望むの」


「そう、私は間違っていました。間違ってはいませんでした。」


 そんな矛盾したことを答えて姫は目を閉じた。



「私はこの命と引き換えに、貴方にファンドリアを助けてもらおうとしたのですわ」


「いくら魔王が退屈でも君らの悪趣味に付き合う暇はないかな」



 皆の先入観通りにわざわざ殺したりするほど酔狂ではない。


 当たり前を口にした魔王に、再び目を開け姫は真っ直ぐに返す。



「そうですわよね。現刻、神にもっとも近しい貴方がこんなに努力をしているのに。ただ命をさしだして人任せだなんて虫のいい話でしたわ。自己犠牲とはそんな生易しいものではありませんわね」



 捉えていた。



「そうだよ。投げ出す前に。もっとよく考えて。まだ何か出来うる可能性について」



 自分にはまだ、何が出来るのか。



「僕の運命に。付き合う覚悟があるかい」



 ふんわりと。差し出された手に重なる。ふたつの小さな白いてのひら。



「──世界の王たる貴方に。すべて捧げます」



「おめでたいお姫様。童話のようにめでたしめでたしで包まれた世界しか知らないの?」


「童話はいつも残酷ですわ。きれいごとで心を置き去りにします」



 天然メルヘンの眼差しの奥にやはり光る刃がある。間合いに入ったら斬られる。そういう相手だ。



「私、物語を書くのが好きなのです」


「どんな、話を、書くの」



 気を抜けない。一瞬でも隙を見せたら首が飛ぶ。そんな緊張感は久しい。



「今度は魔王様のお話を書きますわ」



 敵を敵とも思わない笑顔。心からの笑顔。あの刃は目の前の他者に向けるものではないのか。光るのは峰、刃は常に彼女自身に向けられていた。



 感服。


 魔王は一冊の魔本を引っ張り出してきて姫に差し出した。



「これは?」


「開いてみて」



 魔本。魔力を宿す書物であり、妄りに開くことは危険である。強い力を持っていてどんな禍があるかわからないからだ。


 しかし希望の姫君は躊躇もなく言われた通りにその扉を開いた。



「その本は、魔法使いの素質がないひとには開けないんだ」


「え?」



 驚いた顔で姫君は魔王を見た。普通に簡単に開くことが出来たのに、そんなことを言われたらまるで自分にその素質があると言われているようだ。


 浮かび上がる魔法の文字が姫の目の前を跳び跳ねて踊った。



「まぁ」


「どうやらよほど歓迎されてるみたいだね。よかった。その本は君にあげる」


「え──では、私は一体何をすればよろしいのでしょう」



 小首を傾げた姫君に魔王は悪戯な笑みを返した。



「何でも出来るよ」



 魔法のことは何も知らない姫君だったが、再び文字に目をやると次々話しかけて来ていることに気付く。


 知らないことは魔本が教えてくれる。



 希望の姫君はぱっと笑顔を見せて魔王に感謝のことばを述べた。



「素敵ですわ、私きっとお役にたってみせます」


「うん。期待してるよ」



 何でも出来る──そんな確信が姫の胸を踊らせた。何も知らない自分が膨大な知識を欲しいままに出来る。それらを活かせる素質がある。可愛らしい魔法の文字たちが歓迎してくれている。


 その日から姫は魔本を読み耽った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る