幕間


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[幕間⑤]§ 遠い昔のお話/希望の姫君 §

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 ついに魔属のファンドリア攻略が始まってしまった。そしてそれはあまりにあっけないファンドリアの降伏という形で幕を下ろす。グラシアと同じように、ファンドリアも生け贄として王家の血を引く者を差し出してきた。


 しかし。この頃には魔王が手塩にかけて育て上げた少年が順調に勇者として成長していたため、ファンドリアの潔い無血降伏も魔王を失意へとは導かない。



「ここはこう……私が思っていたのとは少し違いますわね」



 ファンドリアから来た姫は人懐っこい笑みでそう言った。



「どんなだと思ってたの?」

「うまくは言えませんがもっと恐ろしい場所だと覚悟はしてましたわ」


「恐ろしいよね? 僕の修行は厳しいもの」



 傍らの少年に視線を向ければ少年は目もくれずパンにかぶりついていた。ファンドリアから得た物資で多少食事の質が変わったため、少年の興味はそっちを向いているらしい。



「生け贄などすぐに殺されてしまうのだと思いました。けれども。彼も私もこうして生かされているのは何故でしょう」



 ファンドリアの姫は静かに魔王を見据えたが魔王は嗤うだけだった。


 噂では魔王とは気狂いの元勇者。魔の王となり人を滅ぼす存在。しかし目の前の魔王はあまりに人らしい。あるいは誰よりも王であるような気すらする。



 いくつもの国が魔属により滅ぼされたが、降伏をした国はそれ以上の被害を受けることはない。魔王ははたして何が目的なのか。



(目的。そう、あれは強い意志。魔の者を従えてはいますが、彼は――)



「……私も。何かお役にたてますかしら」


「面白いことを言うんだね」



 その様子を離れて見ていた魔人たちは、笑う。



「あの女は頭がおかしいのか?」

「魔王の役に立つのは魔属だけだ」


「怯えて泣くなら可愛げもあるのに」



 ユーヴィは一人思案した。思慮深く聡明なファンドリア姫は、自ら生け贄に名乗り出たと聞く。そもそも自己犠牲精神が高い。他を生かすために自らを惜しまぬ。そんな姫が今度は魔王の役に立つつもりでいる。それはすなわち、魔王を無害と見た上でのこと。



 ヒトの世界を狂わす魔王が、無害――



「………………」



 それはあるべき魔王の姿ではない。



 ややざっくり千年と数えられるほどに長く魔王を勤めてきた男がどれほど恐ろしいかと。ファンドリア姫は思っていた。少年に一方的に加えられる熾烈な戦闘訓練はさすがに目を覆いたくなるものであったが、それに対する少年が無垢な瞳で応える姿は清々しく、二人のどんなやり取りもあまさず見ていたいと思えた。そう二人を見守る時間が姫のなかでは大切なものへと膨らんでいた。



「お姫様には刺激が強すぎるんじゃない?」


「いえ。大丈夫ですわ。それより魔王様? 私に治癒の魔法を教えてくださいませ」



 ファンドリア姫の視線の先には傷付き力尽きた少年が倒れている。アレを治すつもりなら確かに魔王の力になるかもしれない。



「いいよ。僕は厳しいけどね」


「臨むところですわ」



 温室育ちの箱入り姫かと最初こそ侮ったが、なかなかどうして真剣だった。魔王の教えを確実にものにしていくのだから筋はいい。おかげで少年の回復は早まりさらなる修行も出来た。魔王が教えたのは基本だけだが、ファンドリア姫の想いの強さはそれにとどまらない。



「君はファンドリアで希望の姫君と呼ばれていたようだね」


「そうですわね。私がファンドリアでいかなるときも希望を絶やしてはならないと説いたからですわね」



 軽々しい言葉は羽毛のようにふわふわとしてまるで重みは感じられないが。瞳が光を宿していた。魔王は不意に笑ってしまった。



「何度も何度も絶望を味わっても。まだそれはやってくるかい?」


「ええ必ず」



 知っていた。信じていた。解っていた。思っていた。求めていた。願っていた。だが揺らぎ迷うこともある。だからこそ。


 自分以外の誰かがそう言ってくれたことが更なる熱となる。


 長く冷えきっていた時代は終わりを迎えていたのだ。




「彼は。どうしてあんなにも必死に強くなろうとしているのですか」


「――?」



 姫の視線に気付き少年が顔を上げた。



「どうしてだろうね。」



 魔王はただ慈しむように少年を撫でる。彼はここまでよく頑張った。



「自分を棄てた祖国に仇なすためか、はたまた魔王の首をとってハナをあかすためか」



 きょとん。姫も少年も一瞬そんな顔をした。



「…………違うの?」



 少年は躊躇いがちに視線を落とし魔王の裾を掴んだ。祖国への復讐心や魔属への嫌悪、振りかざす正義感、――強さを求めるだけの理由はいくらでもあると疑わなかったが。しかし言葉すら知らぬ少年の胸の内にそんなものが宿っているだろうか。



「じゃあどうして?」



 魔王が少年に施したのは誇りを背負うミゼラドの者ですら心の折れるようなカリキュラムだったはずだ。目的もなしにどうしてここまでついてこられたというのだ。



「少なくとも私には、『魔王を退治に来た勇者』だとは思えませんわ。私がそうであるようにもしかしたら彼もまた」



 貴方を慕い、貴方の力になろうとしている――。



「魔王は。恐れられ憎まれ恨まれる存在だよ。魔を統べる悪しき王なんだ。たくさんのひとを殺し国を滅ぼした」


「それは本当に貴方自身が望んだ結果だったでしょうか。歴史はそうだったかもしれません。ですが私は私の目で貴方を今見ています」



 こちらを見上げる少年と目があった。いつだって澄んでいる。何度心が救われたことだろう。もう一度少年を撫でてから視線を姫君に戻した。



「君は。君の国を救うために命を僕に捧げたんだ。それ以上何を望むの」


「そう、私は間違っていました。間違ってはいませんでした。」


 そんな矛盾したことを答えて姫は目を閉じた。



「私はこの命と引き換えに、貴方にファンドリアを助けてもらおうとしたのですわ」


「いくら魔王が退屈でも君らの茶番に付き合う暇はないかな」



 皆の先入観通りにわざわざ殺したりするほど悪趣味ではない。


 当たり前を口にした魔王に、再び目を開け姫は真っ直ぐに返す。



「そうですわよね。現刻、神にもっとも近しい貴方がこんなに努力をしているのに。ただ命をさしだして人任せだなんて虫のいい話でしたわ。自己犠牲とはそんな生易しいものではありませんわね」



 捉えていた。



「そうだよ。投げ出す前に。もっとよく考えて。まだ何か出来うる可能性について」



 自分にはまだ、何が出来るのか。



「僕の運命に。付き合う覚悟があるかい」



 ふんわりと。差し出された手に重なる。ふたつの小さな白いてのひら。



「──世界の王たる貴方に。すべて捧げます」


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