アイデンティティ

「クラウは勇者であることをやめたいと思ったことはないの?」



 それは予期せぬ質問だった。強くならねばと奮起する横で控えめなキルが囁くように問う。



「お前は何を言っている?」

「伝説が独り歩きをして、今や勇者の生まれ変わりだけが勇者をやるのが当たり前で。他には誰も勇者の名乗りをあげなくなった。昔はそうじゃなかったのに」


「……まぁ、そうなの、かもな」



 クラウにはキルのいわんとしていることがイマイチ飲み込めない。



「クラウは、生まれ変わりである義務で勇者になったんでしょ。世界が君一人に押し付けているように思うよ」


「ちょっと待て。」



 クラウはキルを手で制した。「義務」とか「押し付け」とか、今まで考えないようにしていたマイナスワードが目の前に溢れている。



「確かに俺が勇者をやらなきゃならないんだろうが、第一現代には魔王が見当たらない。俺だって魔王がどこにいるか知らない。目的となる魔王がいなければ新たな勇者だって現れないのは当然だろ」



 それに、と息継ぎをしてクラウは続けた。



「魔王以下の魔属──主に魔物だが、それを倒すために専門のΔDDなんかが動いてくれている。俺一人が戦っているわけじゃない。エビルバスターやチェイサーたちだっている。俺は、」



 やらされているだけの勇者ではなく、自ら望んで戦っているか。


 自問自答にキッパリ「イエス」と即答出来ない。



「俺は……勇者としては、たぶん、伝説の足元にも及ばない。俺は弱い。だが、逃げたくはない。強く、なりたい……!」



 握りしめた拳が震えていた。怒りや畏れや様々な感情だ。



「もし勇者をやめたいだなんて思う瞬間があるなら、それは自分の弱さから逃げたいだけだ」


「クラウは弱くないよ」


 他の人間を凌駕する強さはこれまでも度々キルはこの目でしかと目撃した。だからこれは確かだ。



「足りない。俺はまだ全然。足りないんだ」



 ぽやぽやとしたいつものキルの笑顔は消えていた。じっとクラウを見つめる表情は一見何を思うかわからない。


 自らを「弱い」と称するクラウは弱いのではなく、ただ『強さを識っている』。そこにまだ届かない自分を理解している。故に苦しんでいる。



「──じゃあ。逃げだしたいわけじゃあないんだね」



 蜘蛛の巣という糸に囚われた蝶が再び自由を手にするラストチャンス。クラウはキルに今度こそキッパリと告げた。



「俺は俺を全うまっとうしたい」



 勇者として生まれたからには。それらしく生きそれらしく死にたい。勇者としてふさわしいだけの実力を発揮したい。そうした想いはこれまでうまく言葉に出来ずにいた。



「やっぱり。貴方は勇者だわ、クラウ」



 それまで黙っていたティアが呟く。



「《希望の姫君の手記》にあった通りの」


「手記?」

「ええ。何度も何度も繰り返し読んだから一言も洩らさず私の頭の中にある。そこに書かれた勇者王子を、どうやら私は違うイメージで描いてしまっていたみたい。クラウを見ていてそれがようやく解った気がした。希望の姫君が書きたかったことが今なら少しは理解できる」


 ティアが何をどう感じたかはさておき。


「……俺はまだ自分を勇者だとは呼べない。自分の弱さに満足出来ない。たとえお前たちが何を言っても」



 逃げたいのではなく、認められないだけなのだ。目指している形に追いつかないだけなのだ。



「わかった。」



 キルはふわりと笑った。クラウの本心を聞いて慈しむように。


 そっとクラウの首に手を伸ばし触れる。クラウの首もとはハイネックの服に覆われて肌を見ることはない。肩や二の腕は露出されているのに、その首だけは晒されはしない。



「ここに。魔王の咬み痕があれば、それは勇者の生まれ変わりの証」



 クラウが身分をどう偽り、自らをエビルバスターに仕立てても。消えない印が刻まれている。



「──あるよ。だから生まれつき魔法も使えた。俺がしたのは弓と剣の修行だけ。日夜刺客を装って城の人間が奇襲をかけてくるような環境で育った。皆が勇者を育てるのに必死だった」



 それに応えたい。クラウがいえるとすればそこまでだ。


 クラウが知るのは自分が産まれ物心ついて以降から今日までだ。前世や前前世、──伝説の勇者王子のことはろくに知りもしない。だから今まで関わった記憶にある人々までしか考慮しない発言をした。


 キルは服の上からクラウの首に触れた。ここにあると言われた魔王の咬み痕はまだ見えないが。



「ねえ。思い出してよ」



 キルの言葉にピクリとティアの肩が動く。言われた当のクラウはただ静かにキルを見つめ返すばかりだ。



「君が『どんな勇者だったか』。記憶も力も取り戻してよ」


「そんなこと、出来るのか……?」



 たっぷり間をとって、思考する脳は騒ぐ。疑問、願望、渇望、欲求、真実であるなら、何より今自分が一番欲するだろうもの。


 過去は関係ないと言い張り、甘えを振り払おうとしてきたクラウは。ここにきて急に、それにすがりたくなった。無理だと思っていたものを、だが本当は求めている。叶うならば。過去のすべてすら背負い、真の勇者になりたい。



「出来るわ」



 思いがけないことに。ティアが答えた。



「その為に私たちは出逢うの。私たちの長い長い夢はまだ、途絶えることがない」



 ティアが語る「私たち」には、おそらくクラウたち三人だけでなく、過去に実在した彼らを含むのだろう。すなわち。勇者や姫君などだ。クラウはすっとキルに視線を戻した。



「お前は何者だ?」



 頭で考えたわけではない。自然にスルッと口から出てきた問いにクラウ自身が目を丸くした。クラウが勇者でティアが姫君なら、目の前のキルは何なのか。たくさんの場面を素通りしてきたが、疑問がなかったわけではない。触れずにいたものが、だが口からこぼれた。聞いてしまえば後がないことも、もしかしたら自分は知っていたのかもしれない。すべては無意識下のこと。



 見つめあう視線が絡み合ってしまったように、ほどけない。そらす、なんて今は到底出来ない。



 キルはニコッと小さく笑うと、目を細めた。



「しってるでしょ」




 


『受け入れたくない現実を諦めてばかりいる』



 違う。求める理想を諦めなければならないのだと、自らを律して来たのだ。でもクラウには、その自分の心が欲する理想の形が何かを知る術がない。



 燻る。


 自分の知らない自分が、何かを強く願っている。



(──なんだ?)



 自分の中には自分とは別の誰かが眠っている。それが果たして伝説の勇者なのか。だけどそれはまるで小さなこどものように思えた。



(勇者? 誰が勇者だ?)


 もしかしたら、キルの方がよほど勇者らしいのではないか。何故お前は魔王封じの剣について知っていたのだ。様々な疑念が錯綜した。


(じゃあ俺は一体何者だ?)



『クラウ。お前はよほど警戒心を強く持たなくてはね』


『負けては駄目だよ。自分を信じて強くなるんだ』



 あれは果たして誰に言われた言葉であったのか。



『あなたの。苛酷な運命に付き合えるわ』



 何度目の言葉であったのか。



 目眩を感じた。ふらつく足取りで二~三歩後退ると、クラウの首からキルの手も自然と遠ざかる。



 焦点が定まらない。歪んだ景色にキルの輪郭だけ浮かんで動かない。



「俺は、誰だよっ」


 混乱したまま髪を掻き乱す。



「なにいってるの。クラウはクラウでしょ」


 落ち着いた目でキルが答えた。



「僕も僕だよ」


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