幕間


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[幕間④]§ 遠い昔のお話/魔王と少年 §

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 最低な時代が続いた。



 ミゼラドが滅んだ後の世界は酷い有り様だった。その惨状は筆舌に尽くし難い。否、語るのは易しか。魔王となってなお魔属の撲滅を目論む当のひとの胸の内に比べれば、世界の姿などシンプルだ。人々は魔属を恐れ憎み恨み嫉んだ。いつ魔物が現れるかもわからない日常に平安などない。人々の心と同様に魔王もまた荒んだ。心が折れるまでは戦えると思った。だが、かのミゼラドが滅んだという事実。何百年経ってもミゼラドに替わる強国や戦士は現れない。



「ユーヴィ。退屈だ。勇者はまだ?」


「は。こちらを目指していた勇者は先日死亡したとの報告が入っています」

「えー? 魔王のもとにもたどり着けないで勇者なんて名乗っちゃうの?」



 だらしなく四肢を投げ出し長椅子に寝そべったまま魔王は悪態を全開に不満を並べた。



「強い勇者が来てくれないと暇で仕方ないんだけど。勇者養成所とか作ろうかな」

「それは本末転倒ですね」



 魔の者はそう言った。本末転倒。そうだろうか。世界はすでに彼を千年魔王と呼ぶ。だが根はミゼラドの勇者。誰も知らない事実は彼だけの真実だ。


 魔王となって幾分思考は過激なものに染まった気もするが。生まれ持った気質が既にストイックだった。自分では最早叶えられない願いを、誰かにやらせなければならない。誰か、誰でもいい、可能ならばそれで。



「真の勇者が必要なんだよ――」


 酔狂でも何でもなく。心底思う。魔王は勇者を求めている。



「グラシア国に進軍したクアルからの報告です。グラシアは降伏したそうです。王家の血を継ぐ者を差し出したとのこと」


「王族ひとりを犠牲に国を守るんだからご立派だよねえ。グラシア。どこにあるんだか知らないけど。最後の最後の最後まで戦ったミゼラドみたいな骨のある国をどこかに育てたいよ」


 アテはある。今はまだその時ではないが、いつか強国になるかもしれない豊かな国をひとつ知っている。あえてそこに魔物は向かわせないようにじっくり育て上げた国だ。手を貸すことは出来ないが時間を与えることは出来る。魔王だからだ。



「グラシアの更に先にあるファンドリアにはまだ進軍させないのですか」

「ん? グラシアってあっちのほうなの?」


 ごろりと寝そべりひっくり返ったままの魔王がユーヴィに目をやる。


「他にもう攻める場所もありませんが」


「えー」




 そんな折だった。



 クアルが連れてきたグラシアの生け贄は小さなこどもだ。泣くでも喚くでもなくただじっとしていた。何を訊いても応えないし、むしろ反応がない。魔王はこどもの顎を掴み目の奥を覗き込んだ。



「生きてる?」



 真っ暗な深淵を思わせる無感情な目。こどもがこんな廃人のような目をしているのを見たことがない。


「確か王族の血筋って聞いたけど。騙されたんじゃない? 奴隷か何かだよ」

「いえいえ魔王様。このガキは確かにグラシア王と同じ血の臭いです。ただ」


 クアルは口角を上げた。


「名前がねえんです」


 王族でありながら名を持たないこども。つまるところ世間一般にお披露目できない存在。大方どこかに幽閉されていたのだろう。



「……酷い話だね、」



 産まれて来た子に罪はない。人権もなく不当な扱いを受け、魔王への生け贄という末路。



「人間なんて皆ゲスっすね」

「クアル。口が過ぎるぞ」


 ユーヴィにたしなめられクアルは顔を歪めた。元人間の魔王の表情は見えないが、気を使う相手だとはクアルは考えていない。寧ろ、だ。寧ろ、怒らせてしまえばいいとそう思う。王の怒りに触れる自分は魔属として誇らしい。その点ユーヴィはどうにも従順すぎた。



(お前はいつまでもゴマをすっていろよ。先に魔神になるのはこの俺だ)



 しかしそんなクアルに特別腹を立てた様子もなく魔王は目の前の小さな少年を観察していた。今にも折れそうな細い手足。なんて貧相な王子。



「……可哀想だから名前をあげないとねぇ、」

「生け贄を殺さないんすか」



 お優しい魔王様だ、とクアルは肩を竦めて小馬鹿にした笑いを浮かべる。



「殺さないよ。どうせ退屈だもん。それに――この子は強くなるかもしれない」

「と言いますと?」



 ユーヴィも口を挟んだ。



「勇者養成所ごっこ」



 魔王は嬉しそうに無邪気な笑顔を少年に向けていた。



 光が見えていないのか音が聞こえていないのか、とかく少年は何事にも無反応だった。長い幽閉生活で脳が退化してしまったか、これでは犬猫以下の人形だ。食事を直に与え夜は添い寝をして寝かしつけ、昼は散歩に連れ出し刺激を与え続けた。そうするうちにぼんやりと少年の視点は魔王へと向くようになり、やがて名前を呼ばれると振り返り、言われた意味を理解するようにもなった。栄養もとりその頃には肉体も正常に近付きつつあった。少年は魔王のもとでヒトになる。


 それはそれは長い道のりだった。だが魔王の歩んで来た道に比べればそれはほんの一瞬に過ぎなかったかもしれない。少なくとも魔王は悲観や苦痛といった感情を抱かなかった。


 ただ、ヒトとなっただろう彼も『言葉』を発することはなかった。理解はしているようだが口を開くのは食事の時だけだ。瞬き、視線、そういったものが唯一感情や意思を読み取るに価した。



「そろそろ修行を始めたいんだけどいいかな。きっとたくさん辛いこともあると思うけどキミを強くしたいんだ。キミを勇者にしたいんだ」



 魔王は少年を優しく撫でながらにっこりと柔らかい笑顔を向けた。少年はどこまで言葉を理解したのか瞬きでこれに応える。



「筋肉をつけないとね。」



 焦りは禁物。魔王は少年をいとおしむように撫でた。



 魔王にとって少年は、自分の夢を叶えるための手段や道具であり、その目的のためならば徹底的に厳しくもあり、優しくもあった。必要なものは何一つ惜しまず与えたつもりだ。知識、技術、経験、当たり前の愛情さえ。



 数年ののち一回り大きく成長した少年は修行という名のしごきに耐えていた。目にも止まらぬ魔王の早業を回避する手だてもなく、見切れぬままに攻撃を食らう。耳を打たれたあと胸部に打撃を受け少年は地に這いつくばる。



「耳の奥にはバランスを司る器官がある。一時的でも平衡感覚が狂えば立ってもいられないだろう? 肺は吸い込んだ息を全身に送る、酸素が不足した脳はどうなった?」



 咳き込み苦し気に呻きはするが、少年は魔王が行うミゼラド式の修行に対し音をあげない。不満や泣き言もなくついてくる。酷く純粋で一途。それが魔王の見解だ。



「いい子だ。今日はこのくらいにしとこう。ゆっくり休んで」



 物言わぬ少年の瞳の奥には強い光が宿っていた。彼は何か強い意思を秘めている。それに気付きつつ魔王はさして気にもとめない。


 その先に何を見据えていようと強くさえあればいい。悪だろうが正義だろうが、関係はなかった。少年が何のために強くなろうとしているか、そこは問題ではない。強くしようとしている魔王に従順であるなら、利害は一致しているはずだった。

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