辿ル物語ノ


「何笑ってるのよキルは」


「ティアって【希望の姫君】だよね、」

「ええ?」


 ティアは瞬く間に顔を赤らめた。希望の姫君は物語に登場するファンダリアの姫を指す。


 つまりはティアにとっては憧れ、あるいは、何か特別な存在であるはずだ。それがわかっていてあえてキルは希望の姫君を引用した。



「何だよ希望の姫って」


 ところが当の勇者であるはずのクラウは、そんな物語には興味がなかったのか希望の姫君をよく知らなかった。名前は知っているが、キルがどういう意味合いで言ったかは理解していない。


「クラウ。勇者なんだから、ちゃんと自分の伝説くらい知っておけばいいのに」


 キルが含み笑いで言うと、クラウはますます仏頂面になった。


「俺の、じゃない」

「そりゃあそうだけど。ご先祖──前世の自分じゃないの?」


 ティアはもっともらしくいうが、クラウ本人はまったくそうは思っていない。だいたいにして勇者伝説はただの物語だ。



「伝説とか勇者とか言われても虫酸が走る。どうせファンドリアで面白おかしく作られた作り話だろ」


「んー……まぁそうかもしれないけど」

「認めるのかよ」


 何か言い返されると思っていたが、すんなりと言われてしまうと肩透かしだ。


「ファンダリアで作られたのは事実だし」

「いい機会だから一度ちゃんとクラウに聞いてもらったほうがいいよ」


「それもそうね。今では世界で一番有名な伝説だけれど。最後の勇者、それは最も近い歴史の勇者でもある。でもそれだけじゃなくて」


 案外真面目に語り出した。そういえば以前、ティアを勇者マニアだかだとキルが言っていたか。詳しいのだろう。


「かの伝説は唯一、無事に『帰還する』ところまで語られるの」

「? ……どういうことだ?」


 腑に落ちないクラウに。ティアは笑顔を少し陰らせた。



「古今東西すべての勇者伝説は、魔王を倒してめでたしめでたし──って終わっていくの。『こうして魔王は勇者に倒されました』っていうお話」


「何か問題でもあるか?」


 ティアに代わって話を続けたのはキルだ。


「魔王を倒すとどうなるか。物語はそれに触れない。物語では書かれないけれど皆知ってる。魔王を倒しても次の魔王がいて、ずっと勇者伝説は繰り返される」


「それを唯一止めたのが、あなたがかつて千年魔王と戦った伝説だわ」


 ファンダリアの王城には世界中のすべての勇者伝説が集められていた。口伝えに語られた吟遊詩人の英雄叙事詩から、粘土版に彫られたもの、書物や巻物、絵本や彫刻、絵画、劇の記録──様々な形でそれはある。


 幼い頃から人一倍勇者伝説に関心を寄せたティアは他の兄弟に比べ、城内の美術館や図書館に足を運ぶ頻度が高かった。ファンダリアの民は世界の中でも勇者伝説に強い関心を持つ人種だ。王族ならなおさらで、さらにその中でも最もがティアといって過言ではない。すべての伝説をそらで言えるくらい熟知しているし、独自の研究もしていた。


 それゆえ。

 物語が語らない背景にも、目を向けていた。



「キルも勇者伝説に詳しいのか?」

「さんざんティアに船の中で聞かされたからね。それなりに」


 一体、自分の与り知らない場所で何が展開されていたのやら、クラウはキルを不憫に思った。下僕というのは名ばかりの『勇者ヲタクの助手』にすっかり洗脳されているのかもしれない。


の勇者と共に世界を平和にしたのがファンドリアの希望の姫君。幾度となく勇者を助け、支えたんだよ。後世に物語を伝えたのも彼女」


「へー」


 何を聞かされても自分は洗脳されまいと、クラウは半分聞き流した。だが次にキルが繰り出したのは質問。



「『魔王がいなくなった世界』は実在すると思う?」

「何だって?」


 ──聞き捨てならない問いだった。



「この前、誰かが言っていたよね。魔王もいないこんな時代にって」


 正確には「そうそう、魔王封じ! そんな名前だった。だが魔王なんざいないこのご時世だ。有効利用してやらなきゃな!」と言っていた、あのエビルバスターだ。


 奴でなくとも、平和なこの時代の一般人なら皆思っている。魔王などもういないと。相変わらず争いはあるし血は流れる。だがそれでもあえて言おう、平和だ。



「どうして勇者王子が勝利して以降、魔王は世界の表舞台から消えてしまったのか──本当に魔王はいないのか──勇者王子は勇者なのか、」


「何が、言いたい……!」


 思わずクラウの目付きも言葉も険を含んだ。


 キルは一旦口を閉じた。


「僕はただ。君がどう思っているのかな、と思っただけ」



 勇者王子と希望の姫君が無事に帰還して、二人は結婚し、末永く幸せに──物語はそう幕を閉じる。デタラメなハッピーエンドは今や世界で一番有名な勇者伝説となった。


 勇者伝説はただの童話になってしまった。


 魔王がいなくなったと信じられている現代。いや、勇者王子が千年魔王を倒して以降。


 数百年の時が流れた。



「ほとんどの勇者伝説は千年魔王以前の時代のものよ。その頃は勇者が次々と魔王を倒してその都度物語になった。千年魔王に挑んだ勇者の物語は数少ないの。それは千年魔王が強くて、誰も敵わなかったから。倒せませんでした、というお話は物語にならない。でも千年魔王の時代になって、敗戦勇者が生き延びて帰還するようになると、それまでは誰も夢にも思わなかった事実が明かされていくの」


 露出した二の腕を居心地悪そうに擦りながらティアはいつもより弱々しく呟いた。


「魔王を倒した人が、次の魔王になる。魔王はいなくならない。千年魔王がそう勇者たちに語ったのが真実だったかは定かではないけれど、倒しても倒しても魔王がいたのは事実だし、勇者が帰還する物語はどこにもなかった。次第に人々は魔王に挑むことをやめ、勇者は現れなくなった。貴方の勇者王子の物語だけ特別なの」



「一般に知られている伝説とは別に。ファンダリア王室には代々伝わる希望の姫君の手記があって。私は真実を知っているわ」


 冷めた目を細めクラウはティアの言葉を黙って聞く。


「貴方の国でも。何か伝わっていたり、するんでしょう? 貴方はどこまで知ってるの?」




「関係ない、」


 クラウは言いきった。



「過去に、興味はない」


 ティアのこともキルのことも見ていない。



「いるかいないかもだ。俺には関係ない。いてもいなくても、俺に課せられたものは変わらない」


 気休めなど意味がない。自分が生まれた、その時点で揺るがない事実をクラウは背負った。



「一匹でも多くの魔属を狩る。世界にはまだまだ魔属がいて、放っておけば進化する。誰よりその力を持って生まれた以上、俺が責任を果たすしかない」


 苦々しく吐き捨てるクラウには、強者の思い上がりらしきものは見受けられなかった。意気込みも恩着せがましさも感じられない。美しくもないただの事実が目の前にあるように。


 無理でも無茶でもやるしかない。諦めに似た覚悟とでもいうのか、


(そういえば、出会ったときからずっとそうだった。私が思い描いていた伝説の勇者王子とは似ても似つかない──それがクラウ)


 強い力を持って生まれた。伝説の王子は。でも誰より危なっかしい。



「そっか。……私も希望の姫君みたいに、力になれるように。もっとずっと頑張る」


「そうだね。僕は二人がどう成長しどう歩んでいくか。一緒に見届けたいよ」

「お前は変に度胸が据わってるからな。見た目はヘタレなのにな」


 クラウはぽやぽやとしているキルに軽口を叩いてみた。やはりキルはぽやぽやと笑っている。さっぱりわからない奴だ。真っ先に逃げ出しそうな顔をしているのに、真っ先に突撃していく謎のタイプだ。うかうかしているとクラウでさえも先を越されかねない。


(俺も頑張らないとな──て、何をだよ。頑張ってるだろうが既に。何でキルになんかプレッシャーかけらんなきゃならねんだよ)


 クラウは一人、心の中で憤慨した。


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