蝶々と蜘蛛
次の瞬間、予想外の衝撃にクラウは吹き飛ばされた。川底の石が地面が突如爆発したようにも思うが蒸気が濃かったためによくはわからない。とにかく何らかの破裂に似た衝撃でクラウはワイズから遠ざかった。
受け身は一応取ったが、飛び散った石がいくつも当たったためダメージを受けた。いくら川の石が水に研かれて丸い形をしているとはいえ当たれば痛いことに変わりはない。額から垂れた血を気にする余裕はなかった。霞む視界の中に誰かいる。知っている気配──あれこそ先日の魔人だ。
(アマガエル! 一対二、かよ)
すでにワイズは戦闘不能だが、クラウの消費も激しい。先日は勝てたからといって毎度勝てるという保証はない。
加えて。前回の戦闘で潰したはずのエィヴィの目がミチミチと音をたてていた。いや、蠢く何かが貼り付いている。
「……寄生虫!?」
風が水煙を晴らしていく。魔人エィヴィの顔におぞましい蟲が見えた。
怪我を負った魔物に寄生しているのを何度か見たことがある。蟲であれ、あれも立派な魔物の一種であり、寄生された個体は下級の魔物でも明らかに魔力が増幅し強くなっていた。ならば魔人エィヴィもあの寄生虫によって以前より強化されているのだ。
背筋が凍えた。勝てる見込みがどれほどあるのか、一気に状況は不利になったからだ。経験から知っている寄生虫に寄生された敵のたちの悪さ、もとより魔人は一筋縄で倒せるものではない。トドメを未だにさせていないのが何よりの証拠だ。
(ダメだ、怯むな、先に蟲を倒せばまだ!)
自分を奮い起たせクラウは炎の球をいくつも浮かべた。
(焼け、燃やせ、燻せ、焦がせ! たかが蟲だ!!)
しかしエィヴィは空間移動も出来る。一度クラウに視線を止めてから動かないワイズの体を担ぎ上げ無言のままに姿を消した。クラウの攻撃は届かない。
「……クソ! また逃がしたっ、クソ……」
クラウは呆然とヘタり込んだ。助かった、とはまるで思わなかった。ワイズの生死は不明だ。エィヴィは強化されている。ここで脅威は確実になくしておきたかった。
「くっそ……、」
「クラウ。大丈夫?」
「怪我してるわ!」
駆け付けたティアを思わず払いそうになる。今は自分の怪我なんてどうでも良かった。気が立っていた。
キルに引き留められたティアはかろうじてクラウの腕をかわすことができた。
「……クラウ」
やっぱりお前らなんか邪魔だ、どっかいけよ!
そんな言葉を吐き出すつもりでティアを睨み付けた。守るのが嫌なんじゃない、守れないのがすごく嫌だ。倒せなかったワイズもまた寄生虫を引っ提げて次は二体一緒に来るかもしれない。そんな時に、どうすれば確実に守り抜けるのかまったく自信がなかった。だから。
「私は殴られたって諦めないわよ!」
ティアが無理矢理にクラウの頭に手を伸ばし、押さえつけてまでして白魔導の術をかける。額から滴っていた血はすぐさま止まり、傷口も徐々に塞がって痛みは消えた。治療なんか頼んだ覚えはないが、ティアは頑としてそれを譲らない。キルも困った顔で見守っていた。
「……ティア、お前さ……」
白魔導でもしかしたらそれまで暴れまわっていたアドレナリンすら抑えられたのか。冷静さを取り戻しつつクラウはポツリとこぼした。
ティアの大きな目がクラウの言葉の続きを待ってさらに大きく開かれて、まんまるだなぁとボンヤリ思う。
「次にさっきの魔人が来たら、さ」
「うん?」
「やつらの治療も出来るか?」
少しの間沈黙が流れる。ティアの目は点になった。理解不能と顔に書いてあった。
「寄生虫は怪我に寄生して宿主の能力を底上げする魔物だ。怪我さえなければ離れていくはずなんだ。あいつら本来の戦闘力なら。次は必ず仕留める」
一人では守り抜く自信がない。でも今は一人きりでもない。キルの力もティアの力も存分に借りれば、結果として守ることが出来るのではないだろうか。
「どんな怪我? 詳しく教えて」
意外にもキリリと気を引き締めた表情がそこにはいた。
「診察は基本傍に寄らないと出来ないけど、治療だけなら離れてても出来る。ただし診察しなくてもいいくらい、知っていることが前提条件」
離れてても治療が出来る。クラウの知る限りそんな離れ業を駆使する白魔導の術者はいない。だから嫌味でも何でもなく思ったままを口にした。
「お前見かけによらず意外と手練れだよな」
「ええ? だから言ったでしょ、私はファンダリア
「そうは見えない」
「ちょっと!」
派手にショックを受けているらしいティアを無視してクラウは立ち上がる。もしかしたら本当にこの手でいけるかもしれない。小さな驚きに言葉をなくしているとキルが微笑んだ。
ティアの飲み込みは早かった。魔人のどの部位にどのような攻撃をどの程度食らわせたかを説明したが、なるほどねと頷くだけで質問は特にない。
「こんなんでわかるのか?」
「ええ、じゅうぶんよ。それにしてもクラウは本当敵に容赦ないわね」
治癒を担当する白魔導の使い手からすれば、攻撃はいささか恐ろしいものに映るかもしれないが。
「は? 敵に容赦してどうすんだよ」
クラウには理解出来ない。戦いは殺るか殺られるかの命の取引だ。やる以上は徹底的にやらなければならない。今回のような『殺り損ねて逃がす』など最悪のパターンだ。実力を過信するほどクラウは思い上がっているつもりはないし、むしろ慎重派である。
「魔物や魔獣より、やっぱり魔人て手強いかい?」
苦戦をしているようには見えなかったが、キルはクラウに聞いてみた。手を抜いていたから逃げられたわけではないだろうと。
「……強い、かは正直わからない。でもきっと人間に近い。魔物やなんかは行動パターンがあるが、魔人は何を考えているかわからない。いつも全力でくる魔物とは違う」
「人間とはよく戦うの?」
静かに繰り返されるキルの問いに。クラウは僅かに身を固くした。
「いや。得意じゃない」
「そっか。優しいもんね、クラウは」
「お前、それ馬鹿にしてるのか?」
屈託ない笑顔のキルに仏頂面を返すクラウ。ティアはそんな二人をぼんやりと眺めて自分なりに考えていた。
(魔人が人間のようだから。戦うことに戸惑いそうになるのかしら。余計に力が入って、あげく倒せなかったのだとしたら……)
疑う余地はないくらい、他のエビルバスターと比べてもクラウは格別に強い。けれどだからといって万能でなどあるはずもなく、葛藤や迷いは年相応に抱えている。それを普段は隠しておくびにも出さないだけで、抱えきれているかは別問題だ。
(私に出来るサポートは、治療だけじゃないのかも)
一人納得顔のティアの背後でクラウは憂鬱になる。
魔物よりは人間のようだが。やはり魔人は魔属である。
(人間が相手なら力の差を示せば相手が折れて戦わず済むことも多い。けど)
魔人相手ではいくら力の差を見せつけようとも意味がない。魔人は諦めない。足りない強さを補おうと足掻く。なぜならば敵と戦うことがそもそもの存在理由であり、魔王と勇者に関しては奴等はけして退くことがない。無関係だといって簡単に縁を切れる人間との違いは大きい。
「逃げの選択肢がないって意味じゃ俺と同じ、か」
「ん? なぁに? 聞いてなかった」
ティアが振り返るとクラウは苦笑した。
「何でもない、独り言だ」
キルは、クラウの言葉を聞き逃していなかった。
(クラウ。君は逃げたいかい。逃げられないって思うかい。僕が、逃がしてあげるって言ったら。君はどんな顔をするだろう……)
俯くと伸びた前髪がその表情をすっかり隠してしまう。そよそよと風が長いくせ毛を揺らしたがキルの表情を盗み見る者はいない。
(勇者は。自ら魔王に挑む勇ましい者。君が嫌なら、やめてもいいんだよ)
ひらひらと頼りなく飛ぶ蝶が、蜘蛛の糸に囚われて動けなくなるのをキルはじっと見ていた。
手を伸ばせば簡単に断ち切ることが出来る。
(蝶は僕に助けてほしいかな。お腹を空かせた蜘蛛が僕を恨むかな)
助けられる。けれど、助けるべきかは誰にも決められない。
いや、キルがそう思うだけでもしかしたらティアなら簡単に答えを出すのかもしれない。
そう思うと少しだけ可笑しくなった。
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