奇襲バーミリオン


 暑くも寒くもない。明るくも暗くもない。木漏れ日とそよ風。土と緑の臭い。


 上り下りのぼりくだりの少ない比較的平坦な森の道は、樹木の根が伸び這う地脈。気を付けて歩く分には問題ないが、戦闘に向いている足場かといえば答えは否。


 これまで、一人で旅をしていたことは随分気楽だったのだ、とクラウは改めて認識した。


 例えば敵からの奇襲。


 クラウはティアとキルに覆い被さるように地面に伏せた。一応二人をかっさらう形で横に転がった後の行動なので、いきなり押し倒した訳ではない。どっちでもいいが前者の方が二人のダメージは少ないはずだ。


 翼を広げた大きな影が三人の上を掠め飛んで行った。赤茶色の羽。鳥ではない。夕焼けの光のような眩い暖色系の長髪。木々の隙間を塗って旋回してくる。


 何度か風を切り裂くような音をたてて飛び去る。様子見をしているようだ。やがて木の枝に降り立ち、翼をたたんだ。


「探したよ。やっと会えたね」


 乱れた髪を掻きあげて笑う。悠然と見下ろしてくる敵に軽くイラつきながら、クラウは唸るように下の二人に問う。


「一応念の為に聞くが、あれと知り合いのやついるか?」


「魔人でしょ? 私の知人じゃないわよ」

「僕も。彼は知らない人」


「だよな。俺もアイツは知らん」


 暗がりで浮かび上がる橙。魔力で発光する髪。魔人という存在感。


「安心して。ちゃんとはじめましてだよ」


 問題は初対面かどうかではない。敵の狙いが三人のうち誰なのか、だ。普通にクラウを狙ってきているならいい。応戦するまでだ。しかし仮にティアやキルが狙われていたなら。


 戦うことは慣れているが、守りを最優先に戦うのとはわけが違う。


「エィヴィが言っていたよ。今度の勇者は強いんだってね」 


「──てことは狙いは俺か」


 クラウが少しホッとしたように体を起こす。


「お前らどっか隠れてろ」


 二人にだけ聞こえるようにボソッと呟いたつもりだった。


「なるほど。さすがは勇者様。ご友人は大事というわけだね」


 にっこりと笑う。再び翼を広げ優雅に挨拶をしてみせる魔人。


「名をワイズ。以後お見知りおきを、勇者御一行様」


 ただしその翼から放たれた羽が三人に容赦なく降り注ぐ。


(結局コイツら守りながらか)


 背中のロングソードを素早く抜き羽を叩き落とす。硬い音がした。金属の杭にでも当たったような手応えだ。


「作戦変更だ。森は障害物が多すぎる。川へ移動するぞ」

「川?」


 耳をすませば確かに水の流れる音がする。


「森の方が隠れるには適しているんじゃないの?」

「俺からも見えなくなる。守りきれない」


 引き摺り起こされヨタヨタと走り出したティアの手をキルが支える。足許を気にして速くは走れない。後方はクラウが敵の攻撃から完全に守ってくれるので振り返らない。ひたすら水の音のする方へ進む。


「頑張れティア」

「さ、最悪私のことは」

「バカ言ってないで走れ」


 息切れしまくって足でまといを自覚するティアは、わりと本気で見捨ててくれてかまわないとも思っていたが、クラウがそれを最後まで言わせない。


(私なら多少攻撃受けてもやられたフリしてあとで合流できると思う。敵は私の白魔導を知らないわけだし。こんな、クラウが戦えない状況、私のせいで)


 ティアがクラウの重荷になりたくないと思う以上に、クラウはもう誰も犠牲にしたくないと思っているはずだった。ティアの脳裏にレトが浮かぶ。


(わかってるわ。わかってる。泣き言言ってる場合じゃない)


 ティアは脳に酸素を送り、手足に蓄積する疲労を癒した。


(走ればいいのよ、ティア)



「話に聞いていたほどでもない、防戦一方とは」


 上空で笑う魔人が攻撃の手を緩めるでもなく言い放つ。赤い羽根が刃となって降り注ぐ中、クラウが反撃にでるその隙に一体どれだけ二人が巻き添えを喰らうかわからない。


「このワイズ、些か呆れてしまう」



 ワイズと名乗った魔人は、どうやら先日海で会った魔人エィヴィの仲間らしい。エィヴィが浮遊していたのに対し、このワイズは飛翔している。能力も性格もそれぞれといったところか。


 挑発的な台詞は好き勝手に言わせておけばいいが、その間に策は練る。クラウは襲い来る羽根をすべて弾きながらも辺りに目をやる。ようやく見えた傍を流れる小川。土手。石造りの橋。



「キル。ティアを連れて橋の下まで走れ」


 敵は上空。石造りでトンネル状の橋の下まで行ければ二方向からの攻撃だけ気をつければいい。敵の狙いがクラウであるなら離れるだけでも二人は安全だ。無論、同じような威力の物理攻撃だけであるならだが。とりあえず今よりは動きも取れる。そのはずだ。


 キルがティアの手を掴んだまま加速すると、クラウは二人の盾となり橋の下まで援護した。


 視線は赤い翼の魔人を捉えたまま次の攻撃を考える、この間の魔人エィヴィより動きが素早く普通に攻撃をしてもかわされる。ならばどうするか。


 キルとティアがバシャバシャと水音をたてて小川を走り、橋の下に到着したらしい気配を背中に感じた。反撃開始だ。



 風の魔法に乗ってワイズの更に上に自ら吹き飛んだクラウはそのまま剣を構えて体を回転させた。水の飛沫がスローモーションできらめく。ワイズの攻撃が下へ及べばティアたちの被害も確率として上がる、ならば自分が敵より上へ行くのが妥当だ。


 クラウは飛翔こそ出来ないが、一時的に肉体を滞空させることは出来る。様々な角度から吹き飛ばし続けるだけのことだが、落下までの時間を稼げるのだ。



「美しくない。魔力も体力も消耗する戦い方だ。まさかエィヴィの時のように、このワイズを早々に仕留められると? それは思い上がりだろう。あのときエィヴィは天候操作で魔力をすっかり消耗していただけだからね」


 よく喋る。一体しかいない敵に、体力や魔力を惜しむつもりはなかった。回転とスピードで攻撃威力を増した一振りは、だがぐにゃりと歪む残像だけを切り裂いた。


(やはり、当たらない、か!)


 わかりきっていたことだ。クラウは瞬時に電撃の魔法を放ち、辺りに放電が広がる。


 クラウの剣を中心に大きな放電は球体となりワイズを捉えた。いくらワイズが早くとも電撃のそれには及ばず、かわすことは出来ない。ワイズが叫び仰け反り、もはや羽ばたくことも出来ない。


 派手に上がった水飛沫によって束の間小さなプリズムが辺りを包む。遅れて着地したクラウはワイズを睨み付けた。内部から黒焦げになり川へ落ちたあともビクビクと痙攣を繰り返していた。



「さっさと立てよ」


 魔人は人間ではない。この程度では死なない。だが先ほどまでの素早さはもう無理だろう。クラウが川の中へ入り、おもむろに片翼をもぎ取るとワイズはようやく悲鳴をあげて意識を取り戻した。



「あぁ あ、っこのワイズの、翼が……!?」

「ガタガタうるせえよ。五体満足でいたけりゃ喧嘩売ってくんなよな」


 クラウはもいだ片翼を放り棄てて意地悪な顔で口角を歪めた。


「ひぃ……っ、悪魔か!?」

「あぁ?」


 悪魔の血筋の魔属にそんなことを言われるのは不愉快であり不快。浅い川辺を這って後ずさるワイズなど滑稽だ。


「この前の奴のほうがまだマシだった」


 クラウはギラつく目で見下ろしたまま、ずんずんとワイズを追い詰めると、トドメとばかりに剣を強く握り直した。


「口先だけのやつは嫌いなんだよ。嫌いじゃなくとも、魔属は倒すけどな」


「ま、待て」

「は? まさかとは思うけど、命乞いとかやめてもらえる?」


 戦いでアドレナリンが溢れていた。苛つく。敵であるくせに。襲って来ておいて負けそうになったら何だよ。随分勝手な話である。


「人間のガキじゃあるまいし。わけのわかんねえ駄々捏ねてないで、諦めて戦えよ。逃げたいなら実力で逃げろよ。死にたくないなら生きろよ」


 吐き捨てたセリフに、クラウはさらにケッ、と悪態をついた。


 何せこちらは全力で戦っているのだ。体力も魔力も消費が激しい分機嫌も悪い──そんなことは当たり前だ、戦っているのだ。まして命懸けだ。


「馬鹿にしてんのかよ、クズが」


 好きで戦いに身をおいているのではない。挑んで来たのは誰だ。逃げる? どこへ。自分のさだめからは逃げるなんて出来ないのに、だ。


「お前たちを殲滅しなけりゃ、終わらねえだろうが。待て? 何をだ、俺がか、情けをかけろ? 冗談じゃない!!」


 ワイズの腹部に向けて雷撃を何発も何発もぶちこむ。川の水が蒸発し辺りは蒸気に包まれ視界はゼロの中、魔人の絶叫だけがその壮絶さを語る。


 橋の下に隠れるティアの耳をふさいでキルは息を潜めた。



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