勿忘草色の少女、リベア


 ふと呼吸をおき、真面目な顔でクラウはリベアに言った。さっき聞き流した問いに対する返答、さらにそれに対しリベアが何と返すかですべては決まる。


「俺は仕事に対して実直な人間がタイプだ。もっとこの状況を認識した言動を取るならお前を認めよう」


 リベアは目を丸くした。


「愛人としてですか? お兄様ってば意外と」


 むっつりすけべさんなんですね、とリベアが口許を押さえた時、ティアがクラウの足を思いきり踏みつけた。


 以後クラウは一言も言葉を発していない。



(女なんか嫌いだ女なんか嫌いだ女なんか嫌いだ話が通じねえのかよ女なんか嫌いだ、糞が)


 荒んだ目付きが物語るそれをキルは刺激しないよう、少し離れた場所から見守る。


 ティアとリベアには甘めの飲み物を与えておいたから少し静かになったが、


(出来たらもうこれ以上クラウに絡まないでほしいな)


 キルの想いは到底無理な相談だ。


 水分と糖分を補給し、より元気を取り戻した女子がどうなるか、まだキルは知らない。


 まもなくバトル再開のゴングは鳴る。



「お姉様もクラウ様と同じエビルバスターですかぁ?」


「いいえ? 白魔法を少々たしなんだ程度ですのよー?」


 笑顔の二人はクラウを挟んで会話をしている。両手に花、ただし綺麗な薔薇には棘もある。


「じゃあ魔物が出たらぁリベアとお兄様の二人で戦えるんですねん」


「どーですかねー、クラウってば強いし、貴女の出番はないかもしれませんわよー?」


 不毛な言い合いだ。もう黙って、とキルですら思うのだから間に挟まれているクラウならばなおさらだろう。


 リベアという少女に興味はないが、こんな言い合いを聞かされるのも嫌なので口を挟んだ。


「リベアさんは今までどんな魔物と戦ったりしたんですか」


「うふふ。リベアは他のひとたちとは違って一人で戦うから、未だにその戦闘スタイルは誰にも知られていないんですぅ。クラウお兄様にはリベアの秘密、教えてあ・げ・る」


 ユーラドットにはどんな魔物がいるのかをキルは聞きたかっただけだが、話は変な方向に逸れた。


 クラウは鉄壁のシカトを貫いた。リベアのことごとくをシカトだ。つまりは『仕事に対して実直な姿勢を見せなかったリベア』を対等な相手として認めない。それがクラウの結論だ。


 適当なリアクションとして、魔物の情報なりを出すべきだったのだ。他に興味はない。だというのに特に気にするでもなくお喋りを続けるリベアはやはりというか子供である。


 同じようにペラペラと言葉を列ねるティアだが、こちらはクラウにシカトされているわけではない。クラウには話を振っていない。つまり、ある意味クラウの代わりにリベアを引き付けているとも言えた。


(やっぱりお喋りさんの相手はお喋りさんが適任かな…?)


 矢継ぎ早なリベアのお喋りは延々と続き、ティアは優雅にこれを打ち返す。無駄に見事なラリー。


 古い鉱山跡地と思われる今では無人の廃墟に到着したが、二人の声は止まらない。幸いなのは山に掘られた洞窟には入らず、外の探索が続いたことだ。少女たちの声は空へ飛んでいった。


 クラウが足を止めた。じっと空を見上げてからキルを振り返る。


「下僕らしく、ティアは守れよ」


 差し出されたのは二本の短刀。おそらく戦闘用ではなく、食事の際や何かを抉じ開けたりする時の道具として携帯していたものだろう。


「ありがとう」


 それ以上余計な言葉を発しない、キルは短刀を受け取った。


 空気が変わったのは何となくだがわかっていた。



 リベアは満面の笑みを浮かべる。


「やっぱりわかっちゃいますぅ? さすがですクラウ様」


 地面を伝う魔力、ティアは膝を折り両手の指先で土に触れた。


(冷たい……まるで氷?)



 土は凍り付いてなどいないが、魔力を感知出来る者にとっては氷も同然だった。見渡す限り敵の姿は見えない。広範囲に魔法がかかっている可能性がある。


 ティアが黙ったあとも、リベアは変わらず喋り続けていた。


「クラウお兄様なら、あの魔物も倒してしまうかもしれませんねぇ。どうしてわざわざユーラドットにいらっしゃったやら、偶然ですかぁ?」



 ミシミシと音をたてて、辺りの木を掻き分けるように。ゆっくりと巨大な魔獣がその姿を現した。毛長の犬や熊のような、だが剥き出しの鋭く太い二本の牙。見るからに恐ろしい毒をそこから垂らしている。ここいら一帯の野性動物はあの毒牙にかかって全滅だろうか。



 ――必然だ。


 シカト中でなければそう答えたかもしれない。


 クラウは駆け出していた。



 クラウに続いてリベアも戦闘態勢入ろうとした。彼女が手にしていたのは剣ではなく長い杖。魔法力を高める為のものだ。ところがまったく驚いたという顔で彼女は自分の手を離れ飛んでいった杖を見ていた。それは一瞬の出来事。


 気付けば、地面に押し倒されたリベアの上に馬乗りをするキルがいた。か弱い少女らしい細い首には既に短刀があてられている。悲鳴すら出なかった。



「僕は。クラウほど優しくはないよ」



 静かに見下ろす目がそう言った。囁きくらい静かで、感情が込められていない。


 杖が転がる音に気付いてティアが振り返る。そこで初めて事態を目にした。


「何してるの、キル!?」


 巨大な魔獣と戦うクラウから目が離せないはずのこの場面に、一体何が起きたのか。ティアは自分の目を疑ったが、何故かリベアを取り押さえ今にも殺しそうなキルがいた。



「知ってることを全部白状してよね」


 リベアのお喋りはさすがに止まっていた。あまりのことに声が出ない。困惑と恐怖、それはティアだって一緒だ。


 ふわふわと穏やかな風がキルの髪を揺らしている。いつもと変わらない落ち着いた様子が逆に異様さを際立たせていてティアはオロオロとしてしまう。


「キル……とりあえず落ち着いて、」


 落ち着いているのだ、キルは。だけど他に言いようがない。今逆上されたら確実にリベアの首は無事ではいられない。リベアの額を冷や汗が滲み流れた。後ろではクラウが魔獣と戦う音がしているが、最早誰も見ていない。


 やがて、掠れた声でリベアは喉から絞り出す。


「どうして、リベアを、?」


「君が犯人なんでしょう?」


 つまらなさそうに興味ない声でキルが返すと、ティアはさらにオロオロと落ち着かない。


「犯人て何が? 何の? 一体どうしたの?」


「今だってクラウと一緒に戦うつもりなんてなかったよね。ティアに何かの魔法をかけようとした」


「………っ、そうなの?」


 ティアは真っ青なままリベアを覗き込んだ。仲間だと思っていたのだから理解は難しい。


「誤解ですぅ、リベア…リベアはぁ」


「──茶番劇に付き合うつもりはないよ」


 言い逃れしようとすればキルはリベアの首に一筋の赤を示した。冤罪だったら後で綺麗に消してあげるから! と、ティアは心の中で叫ぶ。罪悪感。


 ティアは白魔法使いだ。それも自称ファンダリアで随一の使い手。怪我や病気、状態異常の治療が専門であり、そこには体力や魔力の回復さえ含む。ティアがこうして見ている目前では殺しなどはかなわない。少なくとも今キルが手にする短刀ごときでは、仮にリベアの頸動脈を掻っ切ったところで瞬時に繋ぎ直すことができる。


 だからキルの行動がいくら理解できなくても、慌ててはいけない。そう自分に言い聞かす。キルはきっとリベアを殺しはしない。脅しているだけだ。何かの真実を吐かせるために。そう信じたい。下僕の不祥事は主人の不祥事、だから本当はキルを止めるべきで、しかし同時に信じるべきなのだ。


 リベアが何を隠しているか、ティアには皆目見当がつかない。キルには何が見えたというのか。ティアは手を強く握りしめた。


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