◾︎濃紺の黒髪をもつ少年、クラウ

開国のユーラドット



(いやいやいや。ねえよ。おかしいだろ。どう考えても)


 ユーラドットの港町を三人は歩いていた。このあとどこへ向かうのか、今夜の宿はどうするのか、ティアがあれこれと聞いてきたがクラウはどこかで二人をまいて逃げ出そうと考えていた。


「とりあえずユーラドットの地図を手にいれたいね」

「そうね、噂ではこの国は魔物の被害も大きいそうだから気をつけなくちゃ」


 市場らしい通りを進む。木製の屋台には様々な食材が並んでいる。魚や貝を焼いている店もあり芳ばしい香りが漂っていた。


「織物や焼き物の店もあるわ。海外の品をここで売っているのね」


 だがしかし元気に飛び交う売り子の声はない。客引きなどしない。まるで外国からの客を客と見ていない。アレは余所者を見る目、煙たがっている目。


 なるほど。あまり歓迎はされていないようだ。物珍しさに少しはしゃいでいるようなティアなどすっかり浮いている。旅慣れていないようだからそれも仕方ないが。


 クラウがそんなことを感じていると、三人の前に突然大男の黒い影が現れ光を遮った。


 太陽が逆光となって顔がわからないと思う間もなく、大男は攻撃してきたのだ。もしかすると大男にとっては五月蝿い小蝿を払うくらいの気持ちだったのかもしれない。軽い悪意を込めて成されたのは恐ろしい剛力。ティアのウエストほどもある太い二の腕にどれだけの破壊力があることか。


 骨が砕けるような嫌な音がしたそこに、もうティアの姿はなかった。今の今まで隣を歩いて華やかな声をたてていた場所には誰もいない。大男の放ったあとの拳がある。高さからいってティアの顔、まさか殴り飛ばしたのか?


 クラウの背筋がザワッと騒いだ。


 ザワザワと不快なそれが広がる。時間にすればほんの一瞬だが感覚は果てしなく鈍足にじわじわと染みが広がるように拡大する。ティアの華奢な身体を思い出し、人波に揉まれただけであんなにも痣だらけになっていた白い肌が浮かんだ。肉体労働にはおよそ無縁な細腕も姫だというなら当然のことで、いとも簡単にへし折れてしまうのは理解出来た。


 何より、耳に残る音。重い鈍い拳が骨を砕くあの耳障りな音を、戦闘の中で何度も聞いた。


 だから。すっかり背筋が冷えた次の瞬間、頭が瞬時に熱を宿しそれを受け入れた。ああ。そうか。



「――随分、酷いことをするのですね。ティアは優しくて可愛い、いい子だったのに」


 先にそう口を開いたのは弱虫なヘタレではなかった。静かに怒る目を光らせた獣。冷静で勇敢、まるで勇者。赤髪が、初対面の大人という対象に対して絶対零度的な敬語を吐き出す。


 クラウと同じように現実を察したからこそティアを振り返らない、キルはまっすぐに大男を見上げていた。



「優しくて可愛い、いい子だったのにぃ?」


 大男が顔を歪めた。見れば他にも似たような男たちがゾロゾロと大勢集まってくる。


「この国はよぅ、男か女かわかんないようなチャラチャラしたお子さまが遊びに来て良い場所じゃあねえんだよぅ!」


「僕は男です」


 キルが真面目に受け答えしたがそんなことはどうでもいい。男たちの笑い声、クラウが剣に手をかけた時、少し離れた場所でガラガラと何か崩れる音がした。


「わぁ、お店が大変なことに!」


 キンキンと耳に響く高い声に全員が驚いて振り返った。散乱した果物、大破している店、腰を抜かしたらしい店主、そして頭から果物の汁を浴びてグダグダになりつつ瓦礫から這い出てきた少女──ティアは店主に謝った。


「すいません、どうしようこれ。なんかすいません」


 殴り飛ばされて突っ込んだ先の店があれだけバラバラに破壊されているというのに。当の本人はいたって元気そうだ。そんな馬鹿な。



「あれ……生きてる」


 キルが呟くと、大男が叫んだ。


「そんなわけねえだろ! 殺したよ、ちゃんとど真ん中殴ったろうが!! 手応えは確かにあったぜ!?」


 良くて最低でも頭蓋骨骨折は免れない一撃だった。いや、そんな馬鹿な。


 クラウはもう何が何だかわからなくて口を閉ざしたままだった。大男がドスドスと怒りに任せティアに近付いた。これ以上ティアに手をあげるならば魔法攻撃も已む無し、とクラウが構える。


「小娘、お前な――」


「あなたねえ!!」


 お前なぁと叫ぶ大男を逆にティアが叱りつけた。唖然。


「どうするのよこのお店! あなたが壊したのよ! いますぐ何とかしなさいよ! お店も商品も!!」


 烈火の如く怒り狂うティアに大男は狼狽えてしまう、何せ相手は殺しても死なない少女だ。ビビりもするだろう。


「いや、店とかじゃなくて……お前は怪我もねぇのかよ?!」


「ふ ざ け な い で っ !?」


 逆鱗。何がそんなにティアを怒らせるのか、むしろ大男は真面目だ、ふざけてなんかいないだろう。今全員が思うのはティアが無傷だという事実こそふざけて見えた。


「じゃああなたはこの店がどれだけ損失を受けたと思ってるの! あなたが店主を一生養ってあげられるの!? 何の責任もとれやしないくせに、無責任に、何でもかんでも、簡単に壊さないでよ!!!」


 店以上に一人の少女の命を奪ったはずだった。なのにそこはノーカンらしい。ティアが怒っている理由については何となくわかったが、大男のあの攻撃を喰らってもまるで無事だったことは理解出来ない。店主はすっかりティアに恐縮してしまっているし、その他大勢の男たちはティアを気味悪がっている。


「まずは謝りなさいよ。全身全霊を込めて謝罪をしなさい」


 目が据わっている。大男は恐怖と激昂の中間ですっかり凍り付いてしまっているようだ。だがやがてプライドが再起動したのだろう、激昂が恐怖を超えた。


「てめぇが俺に謝れってんだよ!!」


「――呆れた。」


 ティアが残念そうに、失望したというように項垂れてみせたのは一瞬だけ。


「クラウ。この救いようもない男に裁きを」


「ここで俺に振るのか…!?」

「いつでもやれるように構えているじゃない」


 見透かされていた。あれだけ怒りに身を委ねていたわりに視野が広い、背景のクラウを意識に留めていようとは。


「下僕の出番だろ、ご主人さまのために一肌脱げよ」

「じゃあとりあえずクラウのその剣を貸してください。僕は武器とか所持していません」


 真面目だ。本当に臆するということを知らないのだろうか。キルは純粋そうな眼差しでクラウを見た。クラウは予想外の反応に戸惑いつつ、愛用の剣を汚されるのはそれはそれで嫌だと感じた。


「舐めんじゃねえ糞ガキ共が! 俺達はこの国有数のエビルチェイサー様なんだよ!」

「あなた個人が問題を起こしたのよ? どうして集団を引き合いに出すの? 仲間がいなくちゃ恐いの?」


 腕を組んだティアが苛ついたように大男を見下している。一挙一動気に入らないと顔に書いてある。大男は顔を真っ赤にしてカンカンになって怒ろうとした。


「エビルチェイサーだから何だ。それで偉くなったつもりか」


 クラウの声も氷のようだった。ティア以上にガッカリしたのだ。



「エビルチェイサーって?」

「魔属の情報を集める職業だ。本来ならば人々を守るために存在する。魔属との戦闘も行うがあくまで情報を持ち帰ることを優先するために退治は二の次――つまり、エビルバスターの下請けだ」


 キルの質問に答え、クラウはゆっくり息を吸い込んだ。


「だが。こんなふうに人々を脅かす暴徒なら魔物と変わらない。


「あぁ、?」


「エビルチェイサーの称号を剥奪し、今ここで成敗してやるよ」


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