エンゲージするもの


 勇者の聖誕祭。それはファンダリア三大祭りのひとつとしてあげられる世界的に有名な祭りだ。


 かつて世界を蹂躙していた魔王。古来より勇者が魔王を倒す勇者伝説は数あるものの、最強を謳われた最後の魔王は永い年月敗れることなく君臨し、千年魔王とまで呼ばれていた。ついにそれを倒したとされる勇者王子の伝説は、魔王時代の終わりとして今でも世界中で語り継がれ、人々に愛されている。


 千年魔王の生贄であった当時のファンダリアの姫が勇者王子の活躍を物語り世界に広めた。魔王が滅ぶことも、生贄や勇者が無事に生還することも、当時としてはありえないセンセーショナルな出来事だった。


 国が明日滅んでも不思議ではなかった狂乱の魔王時代。それが終わったとき人類は正常な日常をはじめて取り戻したのだ。


 しかし現代に生まれ変わった勇者王子には国籍すらない。人々は彼がどこの生まれか知る由もない。ファンダリアが聖誕祭をあげることに便乗して祝うだけだ。勇者王子が転生したらしい、は都市伝説的に讃えられ、真実か否かは定かではないと捉える庶民が大半だ。


 現代においては、勇者信仰が盲目化。実在する本人の心境としては複雑なものがある。


「聖誕祭の前夜祭、今夜はファンダリアで過ごされればよろしかったのに」


 招かれていたリィデリアの城に寄らず勝手にブッチした件については上手い言い訳など浮かばない。あの空気が堪え難かったとは口が裂けても言えない。クラウはティアと視線を合わせないようにそっぽを向いた。


「クラウ。顔色が優れないね」

「それは大変、船酔いかしら」


 クラウは声のトーンを抑えてボソボソと喋った。


「出来れば……俺が勇者とか王子とか、あんまり口にされたくないんだが」


 ティアの目が爛々と光り輝いている。


「いいわ、じゃあこれは私たち三人の秘密にしましょう。そのかわり私たちもあなたについていくわ」

「あ。僕には決定権もないんだ」


 キルほどすんなりと事態を飲み込むことが出来ず、クラウは目眩を覚えた。


「意味が……わからない」


「あらどうして? 勇者王子にファンダリアの姫が協力するのは当然のこと、むしろ関わらないことのほうが不自然だわ」


 ファンダリアとは、関わりたくない。物心ついたときにはすでにそんな感情が確かにあった。ざわざわと胸が騒ぐ。不快感。クラウは腹から声を絞り出した。


「ファンドリアの姫は、あの結界から、出るな」

「結界?」


 キルは首を傾げた。顔面蒼白のクラウが全身を震わせている。怒り。恐怖。絶望。哀しい記憶の傷口が開く。


「結界。ファンダリアは大きな結界に守られているの」


 ティアがさっきまでとは違う沈んだ表情でクラウを見ていた。


「その昔、勇者王子の生まれ変わりと希望の姫君候補が、ファンダリアで魔属に襲われたの」


 キルに、ファンダリアの歴史を語る。ティアは史実として伝え聞く内容しか知らない。それでもそれがどんなにか残酷な結末であったか知る一人として。


「あの悲劇を。私たちは二度と繰り返さない」


 ファンダリアの総意を語る。


「何度も転生してくる勇者王子を守るために結界はつくられた。なのに生まれてきた本人は安全な結界とは別の場所で、希望から離れて、どうして、あなたはファンダリアで育てられるはずだったのに」


 二人は一緒に育つはずだった。あの悲劇がどこか歯車を狂わせてしまった。色々なことがおかしい。


 希望を担う当事者として。歴史を重く受けとめている。



「クラウ王子は、レト様を覚えているの──?」


 レト。目の前で惨殺された小さな少女。勤勉で、活発で、責任感も強かった。最後まで逃げ出さず、幼く無力な自分を庇った。あの日の記憶だけがクラウの中にはある。


「だからあなたは。ファンダリアには近寄りたくなかった? 仲間をつくらず一人で行こうとするの。……そうなのね」


 漸く答が見えて悲しくなった。そんなティア以上に悲しい気持ちを抱えていたのはクラウだ。ティアを抱きしめてクラウが言った。


「守ってやれなくてごめん。もう俺のために死ぬな」


 ティアはレトではない。生まれ変わりではない。勇者王子とは違う。ただファンダリアの希望の姫君と同じ血族であるだけだ。一族の中からひと握り、希望の姫君の意志を継ぐ後継者候補。


 ティアは戸惑いつつもクラウを嗜めるように、そっと抱きしめ返した。


「あなたも私も、もう悲劇は繰り返さない。ファンダリアが変わったように。私たちも強くなった。何も出来ない幼子ではないのよ」


「それでも、」


「私は巻き込まれても大丈夫よ。あなたの苛酷な運命に付き合えるわ。そういうスペックなの。だから」


「――――?」


「ちゃんと連れていって」


 耳許できく声は一陣の風となって心を吹き抜けた。あの日レトがそんなのようなことを言っていた気がする。


 クラウはティアを引き剥がし、自分の頭を軽く振るった。



「一応俺の肩書きは勇者でも何でもなく、ただのエビルバスターということになってる」


 エビルバスターとは主に有害な魔物の駆除を生業とする者の称号である。勇者との違いはその対象に魔王を含まないこと。


「だから、俺についてくる気ならお前も勇者とかファンドリアとか関係なく……いや、ついてくるな」


 すっかり動揺しているらしいクラウにティアが頷いた。


「わかったわ。じゃあ……私と結婚して!」

「何でそうなったんだ!?」


 ティアもクラウも混乱していた。


「クラウ。ティアはね、勇者マニアなんだよ」

「なんだよそれっ」


 助け舟のつもりがますます場に混乱を招くキルの言葉、ティアは大きく頷いた。


「城の書庫に世界中の勇者伝説の本があるのだけど、私全部記憶してる。多分世界一勇者伝説に詳しい自信があるわ。勇者マニアはあながち間違いではない……最後の勇者の生まれ変わりである王子とせっかく同じ時代に生まれたのだから、私絶対あなたと結婚しようってこどもの頃から決めていたの」


「こえーよ!」


 つい全力で拒否してしまった。クラウの頭の中では『ファンドリア=恐い』の方程式が完成してしまう。


「希望の姫君を継いで私が勇者物語の続きを書くの」

「続き? 書く?」


「そう。私、魔王と勇者を題材に癿創作をしているの」


 ズパッと言ってやった。


 多分ティアは後の世で『勇気あるひと』として讃えられるだろう。


 しかしティアの目の前の仏頂面は間抜けな表情で口をポカンとあけているから、意味はそれほど伝わっていない。


「創作ってわかる? お話を作って書いてるってことなんだけど」

「つまりあれか。昔で言う吟遊詩人みたいな」


 魔王と勇者を追っかけてそのお話を書く、さながら吟遊詩人。


「まあだいたいそんなとこね。でも待って? 作って書いてるか事実を伝えているかはこの際どうでもいいのかしら? どこまでが真実でどこから創作か、面白ければいいのかしら。私は真実だけを書きたいの」


「お前の目的は理解したが、了承はしかねる」


 クラウは気難しい顔で難色を示す。


「旅は命がけだ。お前のおもりはしてられない。同行は拒否する」

「あら」


 拒否権なんて用意はしてない。ティアは絶対に引き下がらない。


「私をただのお荷物だと思っているのね、でも私、ちゃんと役に立つわよ」

「他をあたってくれ。助っ人は募集してない」


「他? 馬鹿をいわないで。他にいるっていうの。いないわ。他にはいない。今この世界に『他』はないの。私はあなたについていく」



 かつて。勇者が千年魔王を倒して以来、この世界に『勇者と魔王』は最早いないとされてきた。


 だから誰しも信じている。勇者の生まれ変わりが魔物の残党を退治するだけの平和な時代だ、と。


 ──誰が書いたシナリオ?


 魔王の生け贄として捧げられ、勇者と共に生還した『希望の姫君』よ。



 私は希望の姫君の末裔として、物語を、真実を、紡いでいかなくてはならない。


 勇者も魔王も、いなくなんかならないと。



 だけど

 ただ叫んだって誰も信じない。


 ちっぽけな私の声は、

 世界に響かない。




 ◇◇◇◇◇◇



「キルには確か用事が、ほらなんだっけ、大事な約束があるんだったよな」


 クラウは必死にキルに話を振って、そのあと後悔した。


「僕は大丈夫」


 にっこりと笑顔を返され凹む。大丈夫でもいいから空気を読んで欲しかったのに、キルは助けにはならなそうだ。


「クラウって面白いね。話すと案外年相応な感じだし」

「なっ……!」


 すっかりティアのペースに巻き込まれ素の自分が出ていたことにようやく気付く。クラウはもうどんな顔をすればいいかわからない。今さら仏頂面を取り繕うのも意味をなさない気がした。


「というわけで、よろしくねクラウ」


 一度も同行を認めていないというのに、まるでもう決定しているかのようにティアとキルに押し切られ、クラウは閉口した。


 魔属の残党狩りの旅をするエビルバスターの少年クラウと、彼に求婚し一方的に押し掛けて来た自称物書き姫ティア、そしてその付き人となったキル。昨日までは夢にも思わなかった図が完成した。


「何が起こるかわからないものだね」

「お前は楽観的がすぎるだろ」



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